祭の日


 窓を開けると、涼やかな風が吹き渡り、けだるい夏の陽射しを中和してくれる。
 知盛は夕方の風を感じるのが何よりも好きだ。それに吹かれていると、心に爽やかな凄涼を感じた。
「知盛ちゃん! お祭りに行こうよっ!」
 湯上がりのようにほわほわとした顔をして、望美は美しい浴衣姿で現れた。
「祭…?」
 本当な綺麗だと思っているが、ストレートに本当のことを言ってはやらない。
「そうだよ! 今日は近くの神社でお祭りがあるんだよー」
「それが…?」
 祭などいつも馬鹿馬鹿しいと思う。大体神社仏閣を敬って参拝するという感覚が、知盛にはかけらもなかった。
「タコ焼きとかお好み焼きとか、いっぱい屋台が出るんだよ」
 望美は日曜日にお父さんにねだる子供のように、一生懸命話している。
「望美…そこは人ばかりじゃないのか…?」
「…まあ、凄いひとだよ」
「だったら行かない…」
 大体人込みは、戦場以外は大嫌いだ。知盛はごろりと畳の上に転がると、望美に背中を向けた。
「ちもちゃん、行こうよー。折角のお祭りなのに…」
 知盛の腕を取って、望美は祭を冷やかして見たかった。
 今まで、祭と言えば、友人たちとわいわいするだけの場所だった。
 それがこうしてようやく大好きなひとと祭に行けるのだ。
 だからこそ、お洒落をしたのだ。
「ねぇ、知盛! 行こうよ! 本当に楽しいから!」
「…人込みは嫌いだ…」
「楽しいし、疲れないよ!」
 望美は知盛の背中を何度も揺らす。
 知盛は全くクールな態度を取っているが、薄く笑っていることは明らかだった。
「…だから…? どんなところが楽しいのだ…?」
 ツッコミを入れられ、望美は思わず黙り込む。
「タコ焼きとかお好み焼きとかりんごあめが食べられるよ、ちもちゃん」
「…結局は…、食い気か…」
「楽しいから行こうよ!」
 何度もぶんぶんと知盛の背中を揺らした後、望美は大きな深呼吸をする。
「折角さ、浴衣も着たんだよ」
 望美はぺたんと座り込むと、心許ない子供のように窓の外を眺めた。
「祇園祭みたいに華やかじゃないけれど」
「祇園…。八坂神社か…」
 まるで懐かしいものを聞くかのように、知盛は目をスッと神経質に細める。
「…もうそんな季節か…」
 窓の遥か向こうに広がる、躍動感に満ち溢れた空を眺めながら、知盛は眼差しを遠くにやる。
 そこには決して望美が入り込める余地などありはしない。知盛だけの世界が広がっている。
 望美はそれが寂しくてたまらなかった。
 知盛の世界の一部でしかない自分が。
「…どうした? もう諦めたか?」
「諦めてなんかないよ。諦めてなんかね」
「だろうな。神子殿は何事にも諦めない質だからな」
 知盛はフッと微笑むと、煙草を一本取り出し、けだるく吸い始めた。
「これが終わったら、付き合ってやるよ…。祭りとやらにな。ただし…、俺が気に入らなかったら、それまでだ…」
「解ってるよ」
 望美は、煙草を燻らせる姿が憎らしいほど素敵だと思いながら、そのプロファイルをなぞるように見つめる。
 見れば見るほど冷たいほどに完璧な美貌だ。美貌という単語が、これほど似合う男もいないと思う。
 けだるさと冷たさに覆われた横顔は、どこか他人を突き放している。
 そのなかには、自分もいるような気がする。
「…行くか」
「うんっ! 行こう!」
 知盛が立ち上がると、望美も浴衣のシワを伸ばして立ち上がった。
 知盛のアパートを出て、ゆるゆると歩いていく。
 夏の鎌倉ならではの潮風が心を擽って心地が良い。
 望美は夏の夕方に出掛けるのが何よりも好きだ。こうして心を擽るような風が、楽しい夏を運んでくれるような気がするから。
 望美は自ら知盛と指をしっかり絡ませて、まるで子供のようにぶんぶんと振る。
「こうやってね、知盛とお祭りに行けるだけで嬉しいんだよー。花火もちょこっとだけれど見られるから、凄い嬉しいんだよ!」
「…それは良かったな…」
 まるで他人事のように言う知盛が少し悔しい。
 だいたいいつも望美が背中を追い掛けている。
 追い掛けても、追い掛けても、どうしても追い付くことが出来ない遠い背中をしている。
 望美は知盛を独占するかのように寄り添うと、二度と自分から離れないようにする。
「もうすぐ神社だよ! ヤキソバの良い匂いがする」
「神子殿は…、色気より食い気だな…」
 からかうようにくつくつと笑う知盛に、大人の部分を見せ付けられたような気がして、望美はしゅんとうなだれてしまう。
 益々、自分との溝が大きいような気がしてならなかった。
「ちもちゃん、ヤキソバとタコ焼きを食べようよ! きっと美味しいよ!」
 望美はタコ焼きとヤキソバを買い込み、知盛にタコ焼きを持たせる。
 だが手を離したくはなく、どうして食べていいか、はたと困ってしまった。
「ちもちゃん、ちもちゃんと一緒に食べたいんだけれど、手を離したくないんだ。どうしたらいい?」
 真剣に知盛に問えば、困ったような冷たい笑みを投げ掛けてきた。
「…お前は阿呆か…」
「何でよっ!」
「手を離して、とっとと食べて…また繋げばいい…」
「だけど…」
 望美は眉をヘの字に曲げると、切ない気分で知盛を見る。
 目の前にいる、気まぐれな子猫のようなひとは気付いているのだろうか。
 手を離してしまえば、目の前のひとがいなくなってしまう不安を抱えていることを。
 望美が涙を滲ませて見つめていると、知盛は受け取るような優しく笑った。
「…手を離すぐらいで…俺はどこにも行かない…」
 まるで望美の心うちを見透かすように呟くと、知盛はすっと指先を離した。
 心ごと知盛に持っていかれたような気がする。
 胸が風鈴のような音を立てて、知盛に着いていってしまう。
「冷めないうちに食べるぞ。美味いんだろ、それ」
「うん。そうだね。一緒に美味しく食べよう!」
 望美は気を取り直すと、無邪気な子供のように、ヤキソバやタコ焼きを頬張る。
「やっぱりお祭りで食べるのは格別だよねー。マジで美味しいもん!」
 唇に青ノリやらソースやらをくっつけながら、望美はほくほくとタコ焼きを食べ尽くす。
「望美」
 知盛は苦笑しながら目を細めると、望美の顎を持ち上げてきた。
 じっと見つめられると、全身が心臓になってしまったと思うほどにドキドキしてしまう。
「ノリとソースだらけだな…」
「えっ!?」
 艶やかな煌めきを知盛の瞳に見つけたのもつかの間。そのまま舌で唇を綺麗に舐められる。
 人が沢山いるのに。
 往来なのに。
 知盛はそんなことは構わないとばかりに、望美の唇を綺麗にしてくれた。
 唇を離された後、望美はまともに知盛の顔を見ることが出来ない。
「…百年一緒にいても…お前は飽きないな…」
 百年。
 ふたりで一生を過ごすには充分の時間だ。
 望美は泣きそうなぐらいに嬉しくて微笑むと、知盛の手を取る。
 離れないと、離さないと言ってくれたから。
 不安は霧散していく。
 望美はいつまでもこうして知盛の背中を追い掛ける幸福が保障されていることに、ようやく気付いた。
 満面の笑みを浮かべると、大好きなひとの頬に口づける。
「覚悟してね!」

祭です






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