酔狂な夏


 恋はどうしようも出来ない熱病に似ている。じりじりと音を立てて灼ける空気は、知盛を苦しくさせた。
 こんなに熱い夏を、京でも経験したことはない。夏は蒸し暑く、冬は底冷えをする京ではなあるが、知盛は気に入っていた。
 そんな過酷な気象条件をを当たり前のように経験しているというのに、知盛が閉口するぐらいに、今年の夏は熱い。
 原因は解っている。
「…ちょっと、知盛! こんなところでゴロゴロしていて! マグロじゃないんだから、ちゃんと働いてよね! 聞き込みするのは私と将臣くんだけじゃないっ!」
 腰に手を当てて、偉そうに怒っている自分こそが、この猛暑の原因だと言うのに、目の前に神子は気付いていない。
「…暑い…」
「暑いのはみんな同じじゃない! ちゃーんと働いてよね」
 片目だけをげんなり開けて、望美の怒っている顔を確認する。勝ち気な瞳は、相変わらず知盛の心をくすぐっている。
「…夕方から動く…」
「ダメっ! そう言って、結局は一日動かないんでしょ!? 解っているんだから!」
 望美はあくまで引かないつもりらしい。頑固な女は許せない場合が多いが、こうして自分に媚びない望美については好ましく思う。
「…煩い女は…嫌いだ」
「言わせるのはどっちよ」
「…さあな…」
 喉の奥を鳴らして笑った後、知盛はようやく躰を起こした。
「そうよ、ちゃあんと一緒に働いて下さいね!」
「無駄な動きは…したくない…」
「その無駄な動きをしなくちゃ、良いものは得られないんだからね!」
 急かす望美に対して、知盛はただじっと見つめる。
「何よ?」
「…水浴びをする…。少しは涼めるから良いだろう…。終わったら、お前と…聞き込みとやらを…してやるさ…」
「解った。約束だからね。向こうで待っているよ」
 行こうとした望美の手首を、知盛は尽かさず捕らえる。掴んでみると、余りにもね細さに眉を寄せた。こんな華奢な状態で剣を握り、平家一門に畏れられているとは、思わなかった。
 思わず指が細い手首に食い込む。
「ちょっ、何をするのよっ! 知盛!」
 耳まで真っ赤にさせながら、望美はもがこうと必死になる。望美が逃げようとすればするほど、知盛は捕らえたくなり、手首に力を込めた。
 はにかんでいるのに抵抗するところを見ると、そそられる。
 誰よりも清く澄んだ心根を、自分色に染め上げて、汚したくなった。
 勝ち気さと珍しいほどの純情さを兼ね備えている少女は、知盛の好奇心というよりは、魂を揺さぶるほどの魅力を持っていた。
「…神子殿が…水浴びを手伝ってくれたら…俺も言うことをきいてやる…。…生憎、自分で背中を流せるほど…器用じゃないからな…」
「やだっ!」
 赤い顔をますます赤らめて、望美は拗ねるように抵抗をする。まるで熱病にかかったようだ。いや、きっと望美は熱病にかかっているのだろう。知盛と同じ種類の熱病に。
「…行くぞ…」
「だから…嫌だって…」
 本当に嫌だとは感じられない、どこか艶めいた声だった。
 その甘美な響きは、忘れていた知盛の熱を煽ってくる。
 離さないように、知盛は更に強く望美の手首を拘束した。
「…お前の言うことをひとつきいてやる…のだから…、お前も俺の言うことを聞く…。当然だ…」
 そこを突かれるとやはり弱いのか、望美は軽く呻いた。
 本当に困っているというよりは、頬を赤らめて恥ずかしがっているほうが正しいように思えた。
「…解った…」
 まるでぶうたれたように言う神子殿も悪くはない。むしろ魅力的だ。
 知盛は僅かに口角を上げ、喉の奥で笑うと、望美を水浴び場に連れて行った。
 手を引いて廊下を歩く。
 盛りを迎えた光が、ここぞとばかりにふたりに注がれ、目を開けていられないほどに辺りを明るくさせた。
 頬を伝う理不尽な熱。
 耳をつんざく蝉の声。
 総てが脳裏にぴったりと張り付いてくる。
 水浴び場は、涼しい風が靡いていた。頃よい日蔭で、汗がすんなりと引きそうだ。
 盥に水を溜めている間、望美は落ち着かない様子だった。
 知盛は着物を開けさせると、先ずは上から水を被った。沸騰する皮膚を落ち着かせるにはちょうど良い。
 濡れた髪に纏わる雫を髪をかきあげて拭うと、望美は益々俯いた。
「さっぱりするぞ…。神子殿もするか?」
「しないよっ! そんなことっ!」
 ムキになるところが益々可愛い。知盛は愉快過ぎて、喉を鳴らして笑った。
「…神子殿は、暑くないと…みえる」
 笑えば笑うほど、望美がしかめつらをするのが、可笑しくてたまらなかった。
 盥に水がなみなみと溜まると、知盛は盥に躰を沈める。派手に音を立てて水が溢れ、望美は恥ずかしそうにこちらを見ていた。
「…神子…背中を流せ…」
「…う、うん…」
 望美の喉が、緊張と羞恥のせいで僅かに動く。その仕草が官能的で、知盛の肌に反応する。
 望美に絹の布を渡すと、指先が震えているように思えた。
 僅かに息を呑むのが解る。
「…どうした…?」
「…知盛…傷が…」
 哀しそうな声で話す望美に、知盛は優しい気分になる。
 望美が強い理由は、この優しさがあるのだろうと思った。
「…傷は構わず擦ってくれて良い…。もう…痛くはないからな…」
「だけど…」
 今すぐにでも泣き出しそうな望美の頬に、そっと指をかけた。
「傷はもののふの証だ…。名誉と言ってもいい…。だから…そんな顔はするな…」
「だけど…知盛…」
 指に温かな雫がかかる。泣いている望美をあやすために、知盛は何度か頬に触れた。
「…痛かった?」
「肉体の痛みは…忘れてしまったな…。今はただ、心の痛みだけを覚えている…」
 そうだ。損傷よりも、相手に切り付けられたという事実が痛かった。簡単に殺してしまう相手にされたことが。
「…気にするな…。それより…早く背中を流せよ…」
「う、うん…」
 望美は柔らかな力で背中を擦られる。どんな側女よりも心地良い。肌が沸騰し、癒やせないほどの熱を帯びた。
「…望美、お前もしてやろうか…」
 熱い吐息を混じらせながら呟くと、望美は手を止める。
「…いやだ」
「…遠慮しなくて…良いんだぜ…」
「嫌だって言ったら嫌だもん!」
 こうしてからかっても、なんて面白みのある女なのだろうと思う。
 離せない相手。だが、離す云々よりも、神子は元々知盛の腕にはない相手なのだ。
 肌が熱い。折角、水浴びをしたというのに、これでは益々暑くなる。
「…有り難う。もう良いぜ…」
 知盛が盥から上がると、望美は飛び上がるように離れた。それが子供みたいに滑稽で、知盛はくつくつと喉を鳴らして笑う。
 新しい着物を着て、戦闘準備を整える。
 知盛は解っている。本当の敵は、熊野川の怪異なのではない。
 目の前にいる少女だ。この少女へ芽生えた、狂おしいほどにどうにも出来ない感情だ。沸騰するほど熱い想いを、知盛は識らない。
 この少女に教えられたのだ。
 面倒な感情だと思ってはいても、はねのけられない自分が嫌だ。
 嫌っているのに離したくない感情をひとはどう言うのだろうか。
「…神子、有川が待っている…。行くぞ…」
「あっ! 待ってよ! 知盛!」
 芽生えた感情。
 それは恋と言う名の危険な想い。愛に育つ前に消してしまえたら…。
 知盛の願いとは裏腹に、この感情を消せないことは、背中の傷がよく識っていた。
 夏の盛。
 狂いそうな熱はまだ続く。

裏熊野でござい〜






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