雨が見ていた


「目の前にあるひとが、リアルなのかそれともフェイクなのか、時々、混乱してしまうことがある。
 特にこうしてふたりで歩いている時には。
 秋の海は寂しい。
 夏の乱痴気騒ぎが夢の碑だと感じてしまうほどに。
 疎らなサーファー、そして横にはリアルであってどこかフェイクを感じさせるひと。
「ちもちゃんは海は好き?」
「…余り、好きじゃない。特に、こっちじゃ人が多いだけで疲れるからな…」
「確かにね。特にこの辺りはお手軽なリゾートだからね」
 望美がしっかりと腕を取ると、知盛は口角に淡い笑みを浮かべる。
 知盛の笑顔が嬉しくて、望美は思わず微笑み返した。
 小さく聞こえないように呟いてみる。
「知盛大好き…」
 闘いなんてない世界に連れて来てしまい、時々、寂しいのではないかと思うこともある。
 知盛は余り顔に出さないせいか、望美は読み取れないこともしばしばだ。
 だからこそ不安になってしまう。
 雨が降りそうな鈍色の雲にも煮た感情が、心をこんもりと覆い尽くしていた。
 ふと空を見上げると、望美の感情と同じような雲が、空に急速に広がり始めた。
「…雨が来るな…」
「ホントだね。激しそうだよ」
「ああ…」
 頬が大粒の雫で濡れる。まるで泣いているようにも思えてしまう。
 空を見上げると、逃げる時間など無さそうだ。まるで捕らえられた篭の鳥のような気分になる。
「…人が増えるな…駅前で雨宿りをすると…」
「そうだね」
「…うちまで走るぞ」
 知盛は望美の手をしっかりと握り締めると、曇り空の下を一気に駆けていく。こうして手を繋いで貰っているだけで嬉しい。
 雨が降るなんて気にならないぐらいに、楽しい気分になった。鼻歌まで出てしまう始末だ。
「…とうとう…降ってきたか…」
 頬を濡らす雫がとても心地良い。
 夏の終わりの雨は、一度降るごとに辺りの空気を涼しくしてくれるのが好きだ。
「急ぐぞ」
「うん」
 返事をしながらも、本当は急がなくても良いような気分になる。こんなことを言えば、きっと知盛は怒るに違いない。
 激しい雨に打たれながら、望美は何故か笑いそうになっていた。
 知盛とふたり、心地良いシャワーを浴びているような気分になる。
 そっと隣を走る知盛を見つめる。ぶつかった眼差しは、どこか楽しそうにも思えた。
 躰は冷えているようなのに、何故か熱くて。服は濡れていて気持ちが悪いはずなのに、何故か幸せな気分になる。
 雨のおかげで、ロマンティックな気分に浸れているからかもしれない。
 不意に知盛に抱き寄せられる。そのまま唇を奪われ、ふたりは雨の中で立ち止まった。
 何度もお互いの唇を貧りあうように吸い合い、舌を絡ませる。
 髪が雨に濡れてぺたんこになっていても気にはならなかった。
 望美は知盛の頬を手の平で捕らえる。角度を変えて、もっと深いキスをねだった。
 激しい雨に閉じ込められて、ここには自分たち以外には誰もいない。
 舌を絡ませ合い、唇を激しく求め合いながら、互いの想いをぶつけていく。
 何時もよりも呼吸が苦しくてたまらないというのに、キスを止めることは出来なかった。
 それどころか、甘いキスをもっともっと欲しくて求めてしまう。
 二人はべったりと濡れてしまう肌に衣服が張り付くなど構わずに、飽くことなくキスを繰り返した。
 風邪を引いてしまうだとか、マイナスなことは一切考えなかった。
 何度もキスを交わして、濡れた躰で抱き合う。
 楽しい気分になってしまい、望美は無意識にくすくすと笑った。
「…雷か…」
 知盛と同じタイミングで視線を上げる。雷が近い場所から聞こえ、稲光が空を幻想的に彩っていた。
 雷なんて、自分たちをロマンティックな気分にさせる小道具に過ぎない。
 ふたりは髪に雫を垂らしながら見つめ合った後、手を繋いでゆっくりとしたペースで歩き出した。
「…急いでもしょうがないだろう。ひどく濡れているのだから同じだ…」
「そうだね」
 先ほどとは考えられないようなスローなペースで、ふたりは緩やかに歩き出した。
 知盛のアパートにたどり着いても、雨は止む事なく、むしろ激しく降っている。
「きっと涼しくなるよ。雨上がりは」
「…そうだな…。そろそろ秋だ…」
 知盛はバスタオルを投げ、望美に躰を拭くように促す。
「シャワーとやらを浴びて、少し温まると良い…」
「うん」
 返事をすると同時に背筋に震えが来て、望美は大きなくしゃみをした。
「…早くしろ…」
「う、うん。ちもちゃんも凄く濡れているよ、いいの?」
 雨の雫を垂らす知盛は艶やかで麗しい。指先で雫を払いのける姿は、胸がきゅんと音を立てるくらいに美しかった。
 ぼんやりと見つめているとハンドタオルを投げられる。
「…風邪が酷くなるから…早く温まって来い…」
「ん…。ちもちゃんのパジャマを貸してよ」
「ああ。上だけだぜ?」
「有難う」
 望美に投げられたぶかぶかのパジャマを上手く受け取ると、それを大切に持ってバスルームに入る。
 温かいシャワーを素早く浴びたが、派手なくしゃみが盛大に出て来た。
「…風邪をひいちゃったみたいだな…」
 背筋がぞくりとしたので、素早くバスルームから出ると、望美は直ぐにパジャマを着て、髪をがしがしと拭いた。
「…出たか…。交代だな…」
 知盛はするりと望美の横を通り過ぎると、バスルームへと消える。
 その姿を目で追いながら、望美はこちらこそ欲情をすると思った。
 衣服が濡れたせいで、知盛の艶やかなボディラインをくっきりと映り込む。しなやかな野獣のような美しい肉体は、望美の躰を熱くさせる。
 何時もよりも肌が熱くなり、呼吸も乱れる。
 望美は頭をぼんやりとさせながら、フローリングにぺたんと腰を下ろした。
 ぼんやりとしながら、なんとか髪を拭く。だらだらとしていると、バスルームのドアが開いた。
「…まだ…、髪を乾かしていなかったのか…」
 知盛はパジャマのズボンだけを穿き、上半身裸のままでバスルームから出て来た。
 鍛えられた胸板は眩し過ぎて、望美はくらくらする。
「…どうした…?」
「何でもない…」
 知盛が近づいてくるだけで、望美の背筋は震えた。
「…風邪か…。温かいものでも飲んだほうが…いいのじゃないか…」
「大丈夫だよ…」
 まさか知盛に欲情をして、震えているなんて言えない。望美が曖昧に笑うと、知盛は額に手を宛てて来た。
「…軽く熱があるみたいだな…」
「…大丈夫…くしゅん!」
 何とも説得力がないくしゃみに、知盛は苦笑いする。
「…お前専用の…ミルクとやらがあるから…温めてやろう」
「有難う」
 珍しく知盛がキッチンに立つ姿を見つめながら、望美は幸せなほわほわとした気分を味わっていた。
「ほら」
「有り難う」
 知盛に渡されたマグカップをしっかりと受け取ると、望美は湯気をふうっと大きく吹きかける。
 何度か息を吹きかけて冷ました後、望美はゆっくりとミルクを飲む。
 知盛が温めてくれたミルクが、一番美味しいと思った。
「ちもちゃんは、温かい物を飲まないの?」
「俺か…? そうだな…」
 血ライト望美を見つめると、知盛は背後から抱きしめてくる。
「お前に温めて貰う…」
 心臓が大きく高鳴った。



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