桜の盛りも過ぎて、潔よく散り始める頃、新学年がスタートする。 始業式の今日、午後から時間が出来るので、知盛とぶらぶらしようと約束している。 望美は終礼のチャイムが鳴るなり、約束の場所へとかけていく。 桜が美しい公園を指定したのは知盛。理由は極上の昼寝場所だというのだから、知盛らし過ぎる。 知盛はこちらの時空でも相変わらずけだるさを発揮し、望美を困らせることもあるが、それをひっくるめて大好きなのだからしょうがない。 望美は息を切らせながら約束の場所に向かうと、知盛の姿を視界に収めた。 さらさらと潔く散っている桜の樹の下で、知盛は佇んでいる。 ヤコブの梯子と呼ばれる、天空から真っ直ぐに注ぐ神聖な光に照らされて、じっと空を見つめている。 瞳にはどこか愁いがあり、望美の心を締め付ける。 空はこんなに澄んでいて海とひとつになってしまいそうなぐらいに蒼いのに、まるで幸福の巣のような日だまりは温かいのに、知盛の瞳には明らかな愁いがあった。 髪には桜の花びらが積もっているが、気にも止めないように空を見上げている。 髪に幻想的な雪が絡まっているのではないかと、望美は一瞬、錯覚をした。 綺麗過ぎて近寄れない。 今の知盛は、現実とは切り離された場所にいるかのように思える。 それは額縁の中であり、スクリーンの中のような気がした。 望美は改めて思う。 このひとを好きにならずにはいられなくなる。 このひとへの想いを止められなくなる。 ただじっと見つめていると、知盛が気付いたようにこちらを見た。 まるで光のカーテンでも見るかのように、眉間に浅い皺を刻み、目を眇めている。 いつもクールさを湛えている知盛の眼差しに、珍しく熱い炎を見た。こんな眼差しで見つめられたら、官能的な緊張で、 喉がからからになってしまう。 「…来てたのか…」 知盛はジャケットに手を突っ込みながら、相変わらずの不遜さでこちらを見てくる。 「来てたよ」 「声をかけてくれたら良かった…」 特に責める風もなく、独特の間合いを取りながら、知盛は呟く。 「余りにも綺麗だったからね、声をかけるのを忘れちゃった」 望美は、桜吹雪が舞い散るなかで、少しずつ知盛に近づき、髪に手を伸ばす。 「確かに…今日は…美しい日だ…」 知盛は、今、気付いたかのように呟くと、差ほど春の情景には興味などなかったかのように視線を望美に映して動かさない。 「綺麗なのは桜じゃないよ。知盛だよ」 望美は知盛の瞳に向かい、嘘、偽りない気持ちを伝えた。 「…酔狂なことを言うな…。”綺麗”などという言葉は、男の俺には…似合わない…」 「だけど本当に綺麗だから、綺麗って言ったまでだよ」 望美がきまじめに言えば、知盛はフッと口角を上げて、魅惑的な笑みを浮かべる。 「…素直な神子殿は…好きだが…、言葉の使い方に…、注意をするんだな…」 知盛は相変わらず低くて艶めいた声で呟きながら、望美の髪をひと房手に取る。そのまま鼻先に持って行き、香りを愉しむかのように嗅いだ。 「…桜の香りがする…」 「知盛のほうがもっと凄いよ。雪が積もっているみたいに、桜が髪についているもの。まるで冬の王か春の王だね」 望美は、知盛の髪に絡まる花びらを取り除きながら、絹のような触り心地を愉しんでいた。 光に透ける知盛の髪は、本当に美しい。これ以上ないとばかりに綺麗だ。 桜と光が、知盛を祝福しているようにも思える。 「…春の王か…。源氏物語の光源氏と…紫の上の出会いの情景のようだな…」 知盛のほんのりと冷たい指が、紅潮している望美の頬に触れる。 「…綺麗は…お前のためにある…」 歯が浮くような台詞でも、知盛が言えば全くいやらしく感じない。まるで空気の流れがそこにあるかのようだ。 「…有り難う…」 素直に礼を言いながらも、望美は恥ずかしくてたまらなくて、視線を合わせることが出来ない。 知盛に”綺麗”だと言って貰える程、”綺麗”ではないと思っていたから。 白痴美とも見えなくもない、知盛の美しさは、きっとどんな女でも敵わないのではないかと思う。 「…顔を上げろ…。もっと俺に…その顔を…見せろよ…」 「知盛…」 顔を上げると、瞳の奥にあるものを探すかのように、じっと見つめられる。 「…俺はこの顔が…、一番綺麗だと思う…」 親指で顔のラインを撫でられれば、背筋が震える。それは桜の季節特有の花冷えではなく、明らかに官能的な震えだった。 花散らしの風が、ふたりの間に吹き抜ける。 それが唇に張り付き、胸の鼓動が高まっていった。 知盛はまるで花を愛でるかのように望美の唇を見つめると、そっと花びらをはがす。それにくちづける知盛に、心が激しく揺さぶられた。 「桜に嫉妬しているのかも…しれないな…」 知盛は微笑むと、親指で望美の唇をなぞった。 「…桜に口づけられるのは…許さない…」 知盛の背後では、桜が激しい風に耐え切られずに、吹雪のように舞落ちていく。 最後の見事なショウを見せてくれる。 知盛は望美の唇に冷たい唇を重ねた。 あんなに冷たかったのに、お互いの熱で直ぐに熱くなっていく。 まるでチョコレートが熱でとろとろになるかのように。 桜吹雪ですらも、ふたりの間に入り込めないほどに、激しい熱を交換する。 桜の季節に交わすキスは、どこか特別のもののような気がした。 唇を離すと、知盛に抱きしめられる。 望美は、知盛の腕の強さに溺れながら、呼吸を緩やかにした。 抱きしめられると、温もりを通して幸福を与えられているような気分になる。 何時までもこうしていたいと、目を閉じながら祈った。 |
お花見です。 |