運が悪い男


「ちーもちゃん、遊びましょ!」
 マンションの鍵を我が物顔で開け、望美が入ってくる。何時ものようにふざけた呼び名を愉しそうに口にしながら。
 カレンダーとやらを確認すると、今日は日曜日。安息の日だ。
「ちもちゃん、折角のお休みだから、遊びに行こうよ」
 まるで真夏の太陽のような脳天気な明るさに、知盛はわざと背中を向ける。
「…めんどくさい…」
「ちょっと! この望美ちゃんがわざわざ誘っているんだよー。寺社仏閣でも海でもいいから、どこかに行こうよー!」
 これではまるで、日曜日に疲れ果てた父親に、遊びに行こうとねだる子供のようだ。
 ゆさゆさと躰を揺らされて、知盛はけだるげに笑うと、望美の細い腕を引き寄せた。
「ちょっ…!」
「…出掛けるより…、楽しくて…気持ち良いことがあるだろう…?」
 ふわふわとした望美の躰を抱き寄せながら、知盛はからかう笑みを浮かべる。すると腕の中にいる恋人は、拗ねたように顔を背けた。
「ちもちゃんなんてキライ」
「その呼び方は止めろ…」
 今までは誰もこんなふざけた呼び方をする者はいなかった。だがこれはこれで心地が良いと思うのは、やはり重症なのだろうか。
 望美という病の。
「…もう! ちもちゃんっ! たまには健全に休みを過ごそうなんて思わないの?」
「…運動をしているのに…、これ以上健全なことはないだろう…?」
 望美のキャミソールに手を差し入れる。この世界の衣服は、まだまだ慣れないが、最近はこのようなスタイルも悪くはないと思っている。
「オイタはダメですっ!」
 ピシャリと手を叩かれてしまい、知盛は唖然とする。
 生まれ落ちた世界では、”中納言”などと言われ、こんなことをする者などいなかった。
 なのに今はこうして平気で叱る女がいる。
 望美は相変わらず眉毛をへの字にしているが、本当は怒っていないことぐらい識っている。
「…愉しむんだろ?」
 ぎゅっと抱きしめて、首筋に唇を宛てると、望美のお菓子のように甘い肢体は僅かに震えを起こした。
「…こんなの健全じゃないよ…」
「健全だろう…? お互いの欲望を隠すほうが余程、躰に悪いと思うが…?」
「ったく、懲りないね!」
「そうか?」
 怒っているのに甘い声が耳障りが良い。
「だから、えっちさせてあげないっ!」
 伝家の宝刀を突き付けられてしまうと、流石の知盛も弱い。一瞬、腕の力が抜けてしまったことをいいことに、望美はするりと束縛から逃れてしまった。
「ちもちゃんが、まともなデートをしてくれるまでは、えっち禁止!」
 きっぱりと宣言されてしまうと、知盛も苦笑いを浮かべるしかない。目の前にいる神子様は絶対的な力を持っているのだから。
 逆らってしまえば、後が恐い。
「…解った…。余り…俺を疲れさせるなよ…」
「嬉しい!」
 手をぱんと叩いて無邪気に笑う望美は、戦場での戦女神の面影などどこにもない。そこにいるのは、年相応な無邪気さだけだ。
「望美…、行くぞ…、ただし…、本当に…近くを歩くだけだからな…」
「解っているよ!」
 望美はバタバタと先に玄関先に向かい、知盛を待ち構える。
「早く、早く!」
「はい、はい」
 面倒臭いと思いながら、本当は面倒臭くはないことぐらい、知盛が一番良く解っている。
 こうしてふたりだけで歩くのも、望美を独占出来るのも悪くない。
 闘いが終わり、ある意味平和ボケをしまくっている望美の世界に来てからも、全く飽きないのは、きっと横にいる少女が飽きさせないでくれるから。
「ちもちゃんと海を見るだけでも嬉しいんだよ。それに家にいても勿体ないじゃない? こんなに気持ちが良いお天気なんだもの」
 望美が一方的に知盛の腕を取り、外へと誘ってくれる。
 長い髪がふわふわと揺れる度に、心を震わせる甘い香りがした。
「ただ海を見て、かき氷を食べるだけでいいんだ。それでも立派なデートだからねえ!」
 望美は知盛を連れ立って、稲村が崎に向かう。ここから見える海が、まるで宝物のように見えることを、知盛も識っていた。
 デートと言っても、特に何をするわけではない。ただこうして散歩をしているだけだ。
 なのにどうしてこんなに楽しいのだろうか。
 知盛の世界には、男女が並んで歩くなどということは、ほとんど見られなかった。
 だがこちらに来てからというものの、誰もが楽しげに歩いている。この世界で気に入ったもののひとつだ。
 隣に歩く望美が、ひょいと一段高いところに上がった。
「これでちもちゃんと目線がほとんど変わらなくなったよ!」
 嬉しそうに素直に笑う女を、知盛は望美以外に見たことはない。純粋な笑みは、知盛を幸せな気分にさせてくれた。
 バランス悪く望美は狭い段差を歩く。危なっかしくて、常に傍についてやる。
「きゃあ!」
 バランスを崩して落ちそうになったところを、知盛は抱き留めてやる。
相変わらずの鈍さだ。
「ごめん、有り難う。ちもちゃん」
「…だから、その呼び名は止めろ…。前のように…、呼び捨てれば良いだろう…? ”知盛”…と」
「だ、だって恥ずかしいじゃんっ!」
 突然真っ赤になったかと思うと、望美は知盛の肩を何度も強く叩いてくる。全くなんて暴力女だと思いながら、知盛は目を細めて笑ってしまう。
 望美といると、訳の解らない感情にいつも支配される。
「…何で、恥ずかしいんだ…?」
「だって…、何だか知盛が私と…その…、えっちっぽいなって…」
 全く意味が解らない言葉を言う望美を、思わず抱き寄せる。
「…お前…、国語の成績はあまり良くないだろう…」
「どういう意味よ?」
「…そんな下手な言葉を使うからだ…。まあ…最も…、俺と一緒にいると…、余り意味のある言葉は必要ないからな…」
 ニヤリと甘く笑って見せると、それだけで望美は余計に赤くなる。
「そ、そんなことないもん…!」
「そんなことあるだろう…?」
「ないっ!」
「ったく…、相変わらず…煩い女だ…」
 唇を塞いで、望美が紡ぎ出そうとした言葉を、総て飲み込んでいく。
 言葉も吐息も、総て自分色に染め上げるために。
 舌を吸い上げると、甘い吐息を漏らして縋り付いてくる。
 背中がゾクゾクするぐらいに感じてしまい、知盛は更に望美を貧り尽くす。
 自分色に染め上げて、色褪せないようにするために。
 他の誰の色も染めさせないために。
 お仕置きのように、柔らかな唇を吸い上げると、ぷっくりと腫れ上がった。
 唇を離してやると、潤んだ瞳でこちらを見ている。
 そんな瞳を誰にも見せたくはない。
 独占欲で腹の底まで熱くなる。
 知盛は望美の腕を強引に取ると、マンションへと引き返していく。
「ちょ、ちょっとデートの途中だよ!?」
「飽きた…」
「飽きたって…もう!」
 知盛が外に出たくない本当の理由を、この少女は解っているだろうか。
 可愛い表情のかけらですらも、誰にも見せたくはないことを。
「あーケダモノにたべられるー」
 ふざけた言葉遊びすらも誰にもやらない。
 つくづく女運はないと思いながら、知盛は世界で最高の運の悪さも悪くないと思っていた。



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