最近、頼久が冷たい。 冷たいと言うよりはよそよそしいと言っても過言ではない。 大文字での抱擁があってからというもの、強く自嘲しているように見えるのだ。 あかねは頼久ともっと近づけると思っていたのに、こんなに遠ざけられてしまうなんて、切なくてしょうがない。 いよいよ最後の四神である青龍の解放も迫っている中、こんなに冷たくされたら、あかねもやりにくいし、何よりも胸が痛い。 この肌に今も残っている頼久の温もりや匂い。それらすべてが、あかねを夢中にさせてやまないのだというのに。あかねの細胞を情熱色に化学変化させているというのに。 あいたくてたまらなくて、藤姫にそれとなく動向を聞いているのに、一向に現れない。 じれったくて、たまらなくてこうして木の上に登り、待ち伏せをしているのだ。 待ち伏せすれば、いくら頼久でも逢ってくれるだろう。話を聞いてくれるだろう。 しっかりとした木の枝に腰を下ろし、足をぶらぶらさせながら頼久を待つ。今日登っているのは、低木なので、そんなに立派な枝ではないところが少し心配だが。 「あ!! 武士団の皆さんが帰ってきた。あ! 頼久さん…!!」 「…お〜い、頼久さん…! おかえりなさい〜」 あかねはできる限り大きな声で頼久を呼んだが、視線を逸らした上に、どこかよそよそしい。あかねの胸の奥がちくちくと針で刺されているような痛みがした。 遣る瀬無い想いに胸が軋むのがわかる。 ただクールを装う頼久の表情が切なくて、涙が出そうになった。 「…頼久さん…どうしてそんなに冷たくなるの?」 あかねは躰を乗り出して、その姿をしっかりと見ようとしたときだった。 「あ、ああ…っ!!」 体重をかけすぎたのか、元々軟弱な木の枝があっさりと折れる。そのままあかねの躰はふんわり宙を舞ったかと思うと、真っ逆さまに墜ちていく。 京に来てからの頼久との思い出が、脳裏でフラッシュバックする。 そこからブラックアウトしてしまい、あかねは躰を地面に叩きつけられる衝撃に沈んだ。 そこに愛しすぎてたまらない神子がいることを、あえて頼久は考えないようにしていた。 これ以上深入りしては、この神子のすべてを奪ってしまう。その純潔すらも自分のものにしてしまう。 そんな想いから、頼久は近づかないようにしていた。 これ以上近づいてしまったら、理性の枷が簡単に外れてしまうような気がしたから。 決して自分のものにならない-----ずっと昔から解っていたことなのに、妙に切ない。 頼久は唇を噛みしめ、その花を手折れないように己を戒めていた。 こうしているだけでも、愛しい神子のことを考えてしまう。 まだおぼこい神子。美しい花をつける前の蕾の段階だ。 だが----- どさりと何かが叩きつけられる音がして、頼久ははっとする。嫌な予感が脳裏をかすめて、背筋に冷たいものが流れていく。 「おい! 神子殿が木から落ちたぞ!!」 武士団の誰かが叫んだ。 その瞬間、頼久の中で何かが音を立ててはじけ飛ぶ。 慌てて馬から飛び降りると、頼久はあかねが登っていた木の下に走っていった。 外は美しい夕焼けで明るいのに、もうあたりが闇のようになってしまったような気がする。盲しいたように目の前が暗い。 「神子殿…!!!」 魂の底から叫び声を上げた時には、顔色をなくしたあかねがぐったりとなり地面に叩きつけられていた。 今までみたことのないような地獄絵図のように思える。 頼久は全身を震わせながら、あかねに近づきその躰を抱きしめた。 「…神子殿…っ!」 大文字山で抱きしめたときと同じように柔らかいままだというのに、優しい温もりはそのままだというのに、肝心のあかねは目覚めてはくれない。笑いかけても、ましてや頬を染めてはにかんでもくれないのだ。 「…神子殿…神子殿…!」 誰にも触れさせやしない。 頼久はあかねを力一杯抱きしめると、こぼれそうになる涙を必死になってこらえた。 まさか、自分の戒めが、このような形で還ってくるとは、思いもよらなかったのだ。 「…神子殿…。すぐに薬師に…おみせいたします」 決して失わない。 決して死なせやしない。 もうこれ以上、愛するものを頼久は失いたくはなかった。 結局は、また自分の勝手な想いから、愛するものを傷つけてしまった。 腕の中にいる最愛のものを失いでもすれば、それこそ頼久は生きてはいけないだろうと思っていた。 「若!」 武士団の無骨で優しい者たちがこちらにやってきたが、頼久はそれを制する。 「大丈夫だ。神子殿を寝所にお連れする」 「御意」 頼久はただ静かにあかねを寝所に連れて行き、固い夜具の上に寝かせる。 知らせを聞いた藤姫や天真たちもうろたえるばかりだ。 だが、頼久はあかねの目の前の場所を誰にも譲ろうとはしなかった。 あかねを診に来た薬師や泰明にすら、その場所を譲らなかったほどだ。 頼久はただずっとあかねのそばに控えていた。 ちゃんと目が覚め、その大きなくりくりとした瞳に自分を映してくれるまで、離れる気など毛頭なかった。 丸一日ついていた時には、さすがの藤姫も心配そうに頼久をみた。 「頼久、少しぐらい眠った方がよいのではないですか?」 「いいえ、藤姫様。私は神子殿のおそばについていたいのです」 「頼久…。このままではあなたが参ってしまいますわよ」 「いいえ、参ることなどございません」 頼久はきっぱりと断ると、あかねのやわらかく小さな手を握りしめていた。 夜も更け、頼久は少し窶れながら、あかねをじっと看病する。 「…神子殿…。あなた様に万が一のことがあれば、私は後を追わせて頂きますから。あなたがいない世界など、もう考えられませんから…」 頼久はしっかりとあかねの手を握りしめると、じっと回復を願った。 朝方、うとうととまどろんでいると、優しく冷たいものが目の前を通ったような気がした。 「神子殿…!?」 はっとして頼久はまどろみから抜け出す。 あかねの顔をのぞき込むと、わずかに瞼が動いているのが解った。 「…神子殿…! 目を開けてください、私はまだ、あなたをどれだけ押したい申し上げているかを、きちんとお伝えしていません。神子殿…っ! どうか目を開けてください…!!」 頼久の祈りが龍神に通じたのか、あかねの瞳がゆっくりと開いていく。それはまるで蕾から大輪の花を咲かせるような瞬間だった。 「…頼久…さん…」 最初にその愛らしい唇が奏でた言葉は、紛れもない頼久の名前だった。 胸が熱くなる。 どうしようもないほどに熱い。 頼久は切ない思いのあまりに眉根を寄せると、起きあがろうとしたあかねの躰をしっかりと抱いた。 「神子殿…っ!!」 「頼久さん…」 小さく華奢な躰が抱きかえしてきてくれる。 柔らかな温もりも、なめらかな肌もすべてが現実味に溢れている。 「あなたに何かあれば、どうしようかと思いました」 「頼久さん…っ!」 抱きしめるだけでは足りなくて、頼久はあかねの小さく柔らかな唇に口づける。 すべてを自分のものにするように深く口づけると、戒めなど簡単に崩れ落ちた。 お互いの想いを伝えるべく、深い接吻を交わした後、ふたりは見つめ合った。 「-----頼久さん、看病してくださって、ありがとう。夢の中で、頼久さんが励ましてくれていたから、明るいほうへと歩いていけたんです」 「…よかった…! 目覚められて」 まだあかねがちゃんと目の前に生身で存在しているのが信じられなくて、頼久はしっかりと抱きしめた。 「-----すべてが終わった後も…私をあなたのそばに置いてください。神子殿…」 頼久の切ない心の叫びを包み込むかのように、あかねはそっと背中をなでてくれる。 「それは私が言う台詞です。頼久さん、どうか、私をそばに置いてください」 「神子殿…!!」 頼久はもう二度とあんなつれない態度を取るまいと心に誓う。 この花を愛でていきたい気持ちを、もう押さえることなんかできないから。 「----ねえ頼久さん、どうしても言いたかったことがあるの」 「なんでしょうか?」 あかねが何を言うのかと内心どきどきしながら、頼久は耳を傾ける。 「-----おかえりなさい…」 あのとき言ってくれた言葉をもう一度言ってくれる。 時計をあの時間に戻すようにほほえむと、頼久はたった一言をつぶやいた。 「ただいま------」 |
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