あなたが生まれた日


 あなたが本当に欲しいものは何ですか?
 どうしても聞きたいのに、そのひとことが言い出せない。
 あかねは、横にいる頼久を見上げながら、ぐるぐると考えていた。
「…もうすぐ頼久さんのお誕生日だよね」
「そうですね。ですが余り実感は湧きません。私がいた世界では、正月ごとに年を取るので、正月の祝いが、誕生日を兼ねていたのでしょうね」
「…そうか…」
 あかねは頼久の言葉に頷きながら、またぐるぐると考える。
「誕生日をお祝いすることはしなかったの?」
「ええ。いつも忘れていましたし…。今も、あかねに言われなければ、気付かないところでした」
 フッと甘く笑った表情はとてめ優しくて、あかねに礼を言ってくれているような気がした。
「…何かしたいとかー何か欲しいとかはない? 私が出来ることなら、何でもするよ」
 こちらにきて初めての誕生日だから、頼久を盛大にお祝いをしてあげたい。
 こちらに来たことを、絶対に後悔なんてさせやしない。
 そのためにも、初めての誕生日は重要だと思った。
 思いつめたように必死になって恋情を瞳に浮かべると、頼久は目をスッと細めて頭にぱふりと大きな手を乗せてくれた。
「有り難うございます」
 大きな手から伝わるのは、優しさと愛情。指の節の太さは、やはり武人を感じさせる。
「そのお気持ちで充分ですよ」
「気持ちだけで充分じゃないよ、私は。だって頼久さんに笑って貰いたい、そしてしっかりと想い出を刻みつけて貰いたいの!」
 あかねがいつもよりも感情の起伏を激しくさせると、頼久は愛おしむようにこちらを見つめて来た。
 だが同時に、どこか苦しげな光を瞳の奥に宿している。
「お気持ちだけで充分です。本当に」
「何でも言って!」
 これではまるで我が儘を言っているみたいだ。
「…頼久さんが喜んでくれると、私は頼久さんよりももっともっと嬉しいんです! だから私を喜ばせて下さい!」
 思わず言葉を荒げてしまい、あかねはハッと我に立ち返って唇をつぐんだ。
 その様子を、頼久は柔らかな眼差しでじっと見つめている。
「…ごめんなさい…」
「凄く嬉しいです。そうして私のことを考えて下さる余りに怒ってしまうあかねが、とても可愛いく思えます」
 ニッコリと微笑みながら、頼久は砂糖がたっぷり入ったようにとろとろに甘い言葉を吐く。
「…あの、あ、その…」
 蕩けるような頼久の微笑みに、あかねは耳たぶまで真っ赤にしながら、そっと俯く。ドキドキし過ぎて、頼久をまともに見ることが出来なかった。
 スッと男らしい節がある頼久の指が伸びてくる。耳たぶを触れられて、切なくも冷たい感じがした。
「…その表情をひとつ取っても、あなたは私の宝物です。あかね。あなたがいるだけで…毎日幸福なのです。毎日が誕生日をお祝いされているようなのです」
「…頼久さん…」
 嬉しくて泣きそうになり顔を上げると、頼久の精悍に整った横顔が瞳に映りこんだ。
「…だから誕生日は、私と一緒にいてください。私の望みはそれだけです。あなたと過ごせるだけで嬉しいのですから」
「それじゃ、私のほうがプレゼントを貰っているみたいだよ。忙しい頼久さんと一緒にいられるだけで、幸福だもん」
 大きな手が頬を撫でる。
 優しくて熱い愛情が、薄い皮膚を通して感じられた。
「…誕生日は、朝から一緒に過ごしましょう…。それだけで嬉しいですから」
「うん、じゃあそうしよう、頼久さん」
 約束の代わりに、頼久はあかねの唇に触れるだけのキスをしてくれた。
 深いキスをすることもあるけれど、それはそんなに多くはない。
 まだまだふたりは所謂”一線”は越えてはいない。初々しくて清い恋だ。
「楽しみにしています、あかね」
「うん」
 手を繋いで、ふたりで仲良く歩く。
 これだけでもとても幸福。
 なのにふたりは物足りない。
 もっともっと溶けてしまいそうな幸福が欲しいと、こころの奥で感じていた。

 バースデーデートな日、あかねは思いきりお洒落をしてみた。
 いつもよりも念入りに髪をといて、 とっておきのワンピースを着て、唇にはほんのりグロスを塗ってみた。
 今日はふたりで一緒にいることが目的だから、何処に行くかは決めていない。
 三都物語と称して、京都、大阪、神戸と行くのも良い。だがやはり、京都をぐるりと歩くのが良い。
 頼久とふたりで、ただ手を繋いでそぞろ歩きをするのも素敵なのかもしれない。
 待ち合わせ場所の南座前に走って行くと、頼久は先に着いていた。
「頼久さん!」
 手を振りながら走っていると、頼久は直ぐに駆け寄ってきてくれた。
「あかね!」
  顔を見るなり同じように駆け寄ったあかねを、頼久は受け止めるように抱いてくれた。
「おはよう、頼久さん」
「おはようございます」
 あかねは逞しい腕にドキドキしながら、頼久を見上げる。
 見つめれば、見つめるほど頼久は素敵で、あかねは真っ赤になりながら胸が切なくも熱くなった。
「行きましょうか?」
「はい」
「何処か行きたい場所はありますか?」
 あかねは何処に行きたいか思い浮かばない。ただこうして一緒にいたいだけ。
「頼久さんはどこか行きたいところはありますか?」
「私はあかねと一緒にいればそれだけでいいです」
 柔らかく微笑まれて、あかねはドキドキした。
「私も頼久さんとこうして歩くだけで良いです」
「じゃあ、この界隈をぶらぶらしましょうか」
 どちらからともなく手を繋ぐと、しっかりと結び合わせながら、東山をゆっくりと歩く。
 ただふたりでこうしているだけで、嬉しかった。
「こうやって歩くだけで楽しいですね」
「うん!」
 柔らかな陽射しのなかに、ふたりで歩くだけで楽しい。
 何処に行くというのでもなく、ふたりはあてどなく和風パスタの店に入ったり、和風ケーキでお茶をしたり。
 学校での出来事を頼久に話したり、他愛のないことを話したり。
 有り触れた日常なのに、幸福がじわじわと滲んできた。
 のんびりするなんて、なんて素敵なのだろうか。
 ただ、ぶらぶらとしていただけなのに、夕闇は直ぐに迫る。
 夕食の時間になる頃には、別れたくなくて泣きそうな気分になっていた。
 急に無言になり、大好きな生湯葉を使った食事を殆ど手をつけられなくなる。
 胸が切なくて、泣きそうになった。
「…どうかされました」
「…こんなに楽しいのに、もう終わっちゃうんだなって思っただけ」
「本当に、楽しい時間は直ぐに過ぎてしまいます」
 頼久も何処か寂しい表情を浮かべると、困ったように眉を寄せた。
「…毎日、こうやって誕生日みたいに一緒にいられたら良いのに…」
「あかね…」
 頼久は、あかねの手をしっかりと握り締めると、迷いない眼差しをあかねに向けた。
「…あかね、一緒に暮らしませんか?」
 静かに落ち着いた声は情熱に溢れている。胸が痛くなるぐらいの切ない嬉しさに、あかねは涙を浮かべながら微笑んだ。
「よろこんで!」
 緊張していたのか、頼久はホッとしたように力を抜く。
「幸福にします。私にとって、何よりも欲しいのはあなただけですから」
「私が誕生日プレゼントを貰ったみたいだよ」
「私のほうが沢山貰いましたが」
 頼久はふと微笑むと、あかねの耳元に唇を寄せた。
「今夜は帰しません」
「はい」
 今宵は熱くて素敵な夜になりそうだ。
 あかねは繋いだ手を幸せな力で握り締めた




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