アリオスに抱えられたまま、手にはしっかりとカツサンドを握り締め、アンジェリークは店の外に出た。 「アリオス、もう大丈夫だからっ!」 「おまえは目を離すと、何をするか解らねえからな」 アリオスは不機嫌窮まりない声で呟くと、づんづん歩いていく。視線を感じてアンジェリークは恥ずかしくてしょうがなかった。 「みんな見てる」 「見ていても構うもんかよ」 アリオスは怒っている。その声のトーンを聞けば、充分に理解できる。アンジェリークは肩を軽く竦めた。 店から少しばかり離れたところで、アリオスは肩から下ろしてくれた。胸の高まりで深呼吸が出来なかったのが、ようやく空気にありつける。 「ったく、おまえが隙だらけなのが、いけねえんだよ」 強引に手を取られて、そのまま引っ張られる。アリオスに強引にされても、何故か心地が良い。 「その隙、俺以外の男に入らせねえように、防御しておかなくちゃならねえよな」 「隙なんてないもん…」 アンジェリークはやっとのことで言うが、勿論、アリオスはそんなことを認めない。 「その仕草が既に隙を与えているんだよ」 アリオスは目線を気にすることなど全くなく、アンジェリークを抱き寄せ腕の中に閉じ込めた。 ときめきがマックスまで上がり、アンジェリークの頬はばら色に燃え上がる。林檎のように頬が蒸気し、その熱で眼差しまでが潤んだ。 「その顔だ。んな顔をして困った表情をしてみろ。男はもっと困らせたいって思うぜ」 「…ただ困っているだけなのに? 迷惑そうな顔をしてはいけないの?」 アンジェリークはどうしてアリオスがこんなに怒っているのかがよく解らない。小首を傾げて、アリオスの瞳を覗き込んだ。 すると厳しい眼差しとぶつかる。指先で頬を捕らえられ、ゆるやかに撫でられた。 「んなこと、他の男の前でするんじゃねえぞ! 絶対にな」 「やんっ!」 アンジェリークの頬にアリオスの唇がかすみ、思わず甘い声を上げてしまう。すると当然ながら、アリオスの表情は更に不機嫌となった。 「んな顔をするな! 行くぞ。おまえはどこかに連れて行かねえと、俺が変な気分になってしまう」 「アリオス?」 手をぐっと握られて、そのまま知らない場所に連れて行かれる。 「人さらい」 「そうだ俺は”ナマハゲ”だ」 「レオナードさんのほうが似合うかも」 「まあな。俺はおまえ限定の”ひとさらい”ということで」 アリオスが流れるようにスマートに振り返り、正面からアンジェリークを捕らえて離さない。 喉がからからになるぐらいにアリオスを意識した。 「ぷち誘拐だな。お子様の時間が終わるまでには帰してやるよ」 アリオスが再び背中を向け、アンジェリークの腕を引っ張っていく。まるで、駆け落ちをした、王子と姫のようだ。王子は困難から姫と自分たちの愛を護る為に、剣ひとつで果敢にも立ち向かう。 ロマンティックな夢想が、少しくすぐったかった。 アリオスにどこへ連れて行かれるかは解らない。だが、アリオスならたとえどんな場所であっても平気でいられるように思えた。 ただ手を繋いで歩く。温もりを与え合うだけで、とても幸せな気分でいられた。 「ここだ」 アリオスが指を指したのは、小さいがモダンな造りのビル。看板を見て、そこがアリオスの事務所だと解った。 「俺の事務所が一番落ち着ける」 確かに、ひとの目は気にしなくても済むだろう。アリオスの目線が直ぐにアンジェリークの指先に行く。そこにはかじりかけの、カツサンドがしっかりと握り締められていた。 「おい、んなもんは食ってしまえ!」 「うん」 アンジェリークははぐはぐと音を立てながら、カツサンドを食べた。まだほんのりと温かくて、とても美味しい。 「美味しい!」 「ったく、おまえはまだまだ色気よりは食い気だな」 「美味しいものを食べている時が、世界で一番幸せなのだもん!」 心の中で、今はアリオスといる時間も同じぐらい幸せだと付け加えて。 「だったら、おまえが較べることが出来なくなるぐれえに、俺との時間を有意義なものにしねえとな。三度の飯を喰うよりも、俺と一緒にいてえぐれえにな」 もう半分はそうなっている。アンジェリークは心の中で呟いて、アリオスに笑いかけた。 まだまだナイショ。アリオスがきちんとした真面目な愛を見せてくれるまでは、絶対に言わない。 アンジェリークのちょっとしたガードでもあった。 ふたりはそのままアリオスの事務所に入る。甘い行為が約束されている場所は、それとは裏腹にどこか無機質な雰囲気を醸し出していた。 アリオスがアンジェリークを抱えて店から出て行った後、レオナードとエンジュは暫く呆気に取られていた。しかし、同時に少し愉しい気分になってしまっている。 特にエンジュは、自らが当事者ではないのにも関わらず、うきうきと笑っている。 「結局、オーナーがキューピッドになっちゃったみたいですね」 「俺様はんな気はねェよ。ただ、腹減り娘を助けるのは、やっぱり王子様が最高だと思ったわけよ」 レオナードはカツの余分なパン粉を払いながら、嬉しそうに笑った。 「アンジェにはアリオスさんですよね、ヤッパリ。本人は自覚なしだけれど」 「そうだな。まァ、今頃はふたりしてヨロシクやってるだろうさ。俺達がシンパイなんかしなくても、あいつらはホンモノみてえだからな」 「そうですよね」 レオナードと話している話題が、アンジェリークとアリオスのことのせいか、心の奥がほんわかと温かくなる。エンジュは自然と笑みが溢れた。 ふと、レオナードの顔が厳しくなる。程なくして、店のドアが開いた。 「いらっしゃいませ」 エンジュが元気良く挨拶をすると、現れたのは常連の王子様フランシスだった。 「ご機嫌ようレディ」 「こんにちは、フランシスさん」 王子様の揺れる眼差しを見ていると、こちらまで赤面する。世の中にもこんなひとがいるものだと、エンジュは初めて知った。 席に案内している間に、レオナードと視線が絡み合った。かなりの不機嫌さに、エンジュはびくついてしまった。先ほどまでの穏やかな表情は、いったいどこに行ってしまったのかと。 「ご注文は?」 「カツサンドとダージリンで」 「かしこまりました」 いつものように注文を取ると、フランシスに手を掴まれた。 「あの…」 「この間お誘いをしたコンサートのお返事を頂けませんか?」 いきなり言われても、エンジュには答えが出なかった。考えていなかったのだから当然だ。それどころか、レオナードのことばかり考えていたので、眼中になかったのも確かだ。 「あ、その、まだきちんと考えていなくて…。スケジュールとか…」 エンジュはしどろもどろになりながら、もたもたと答える。 「そう…ですか…。いえ、折角、お誘いをしたのですが、私の方に用事が出来てしまいまして…。もし…、レディが承知して下さることになれば…何とお詫び申し上げたらいいかと…」 陶酔するようにフランシスは言い、明らかに自分に酔っているふしがある。 「大丈夫ですよ。フランシスさん。私は平気です」 「だったら、このチケットをお使い下さい」 差し出された白い封筒に、エンジュは驚いた。 「そんな、フランシスさんがお使い下さい」 「いいえ。どうせ行けないのですから、見に行って下さい」 フランシスはあくまで紳士な表情は崩さずに、ノーブルな笑みを浮かべている。 「でも…、高いですから…」 遠慮がちにエンジュが話したところで、レオナードからの罵声が飛んだ。 「エンジュ! ちゃっちゃと注文を取れ!」 「はい。ただいま!」 返事をしている隙に、フランシスにチケットをポケットに入れられてしまう。エンジュは一礼だけして、カウンターに戻った。 「カツサンドとダージリンですっ!」 「ああ」 レオナードはいかにも面倒臭いとばかりに返事をした後、適当にカツサンドを作り始めた。 「あんまり油売るなよ」 「クラシックのコンサートに行けなくなったからって、チケットを渡されたんです。二枚ありますから、オーナー行きますか?」 「フン、クラシックなんて柄じゃねェが…、お前と一緒なら行ってやってもいいぜェ」 思いがけない一言に、エンジュは目を見開く。そんなことが起こるとは、正直想わなかったのだ。 肌とひた匿しにしている心が震える。エンジュはレオナードを何度も見た。 「どうなんだ、エンジュちゃん?」 意地悪な眼差しがきらきらと輝いている。エンジュは、 もう一度レオナードを見返した後、コクリと頷いた。 「よし。あの気にいらねェ気障っぽいヤローもたまにはいいことするじゃねェかよ」 レオナードは珍しく鼻唄を歌いながら、カツを揚げる。 油の弾ける音で目立たなかったが、エンジュの鼓動は烈しく高まっていた。 |
| コメント アリコレ、レオエンを絡めながらのお話です。 |