〜天使の庭園〜

「恋の魔法」


 アンジェリークは助手席に座らされ、ちんまりとしている。エンジュは後ろの席でふたりの様子をじっと伺っている。
 何だか場違いのような気がして、エンジュはもじもじとしていた。
 アンジェリークの横顔を見ると少し罰が悪そうだが、紅に染まった頬をも、僅かに勝ち気に輝く瞳も、どれもまんざらでないように見える。
 エンジュは見合いの仕切りババアな気分になり、この恋に一肌脱いでみようという気になっていた。
 車は緩やかに”天使の庭園”に向かう。
 アンジェリークはアリオスの甘すぎる誘惑に乗るだろうか。乗るといいな、などとエンジュはほくそ笑んだ。
 車の中には、名物”アンジェリークの腹減らしの音”が響き渡り、エンジュもアリオスも、和むように笑う。
 ただひとり拗ねるアンジェリークを尻目に、ふたりは楽しくも癒された気分になる。
「お腹が空いたもの…」
 俯くアンジェリークを、アリオスは本当に愛しそうに見つめている。得てして、普段は冷徹に見えるアリオスの眼差しが、温かなものに覆われている。アンジェリークのことをとても大事に想っていることを、エンジュは切に感じた。
 ふたりの様子を見ていると、頬が緩みっぱなしになる。エンジュはひとときの幸せな夢を感じていた。

 アリオスの車が、”天使の庭園”の狭い駐車場に停車するなり、エンジュは車から勢い良く飛び出た。
 お店はふたりで仲良くという、”仕切りババア”の配慮からだ。
「アンジェ、またあとでね!」
「あ! エンジュ!」
 恥ずかしそうにアンジェリークが止めるのを聞かないふりをして、外に出た。
 ひとの恋路を協力するというのは、何て楽し過ぎることなのだろうか。
 エンジュは鞄をぶんぶん勢い良く振り回して、スキップなんぞをしながら、従業員口から中に入った。
「よォ、エンジュちゃんよ、アリオスと同伴出勤だなんて、全く隅にも置けねェなァ」
 レオナードが苛立ち不機嫌が頂点になったような表情でからかうように言うものだから、エンジュは軽く遇う。
「私はオーナーじゃありませんから、男女交際には慎重なんです。一緒にしないで下さい」
 淡々と冷遇したのがレオナードには気に入らないのか、頬を神経質そうにひくひくさせていた。
 オーナーになんか言われたくない。と言うか、あんなに乱れた生活をしているひとに、言う資格なんてない。
 エンジュは心の中で深くそう思い込みながら、つんとした高飛車な顔をする。
「アリオスと同伴出勤したのにかァ。お前はかなりのたまだな」
「キャバクラ嬢と一緒にしないで下さい! ちゃんとアリオスさんの車を見たら、もうひとり、腹減らしの女の子がちんまりと乗っていますから…! 何でもオーナーの視点で見ないで下さいっ!」
 余りにレオナードが意地悪に言うものだから、エンジュは強い調子で復讐せんばかりに言った。
「着替えます。油を売っている暇はないので」
「エンジュ」
 ドアノブに手をかけたところで、レオナードに声をかけられる。渋々振り返ると、煙草を片手にレオナードが眼を飛ばしてくる。
 こんな一つの仕草を取っても、やはりレオナードが誰よりも素敵に見えるのは、恋をしてるからなのか。
 自分では判らない。
 レオナードが本当は優しいことも知っているし、実は意外に寂しがりなのも判っている。
 これが本当の恋なのか、まだエンジュには自身がない。だが、ぼんやりと、じぶんが既にアルバイトを始めてからの200日ほど、レオナードに片思いをしているのは、明確のように思えてくる。
 レオナードと瞳が絡み合う。現実の帯びた粗野な眼差しに、エンジュは自分を取り戻した。
「お前、ホントに腹立つ女だわ」
「お褒めに預かって褐栄ですわ!」
 エンジュは口を尖らせると、思い切り強く更衣室のドアを閉めた。同時にレオナードの舌打ちする声が聞こえた。
「ったく…!」

 火花を散らしているふたりとは対象的のように、アリオスとアンジェリークは車の中でお互いに探りを入れあっていた。
「腹減っただろ? 栗羊羹」
「お腹はペコペコですけど…。アリオスさん、どうしてこの時間に私を迎えに来れたんですか?」
「付き合ってくれたら、教えてやってもいいけれどな」
 じっとからかいの含んだアリオスの不思議な眼差しで見つめられると、アンジェリークは妙に落ち着くことが出来なくなる。そわそわとお尻の感じがむずむずする。
「何だトイレか?」
「違いますっ!」
 どうしてこうデリカシーのない男が世の中には多いのだろうか。アリオスを始めとして、カフェバーのオーナーレオナードもそうだ。
 ぷりぷりとアンジェリークが怒っていると、アリオスは余計に楽しげに笑う。
「俺の仕事はトップシークレットだからな。おいそれとは人に漏らすことが、出来ねえんだよ。だから、ベッドの上でしか話せねえな」
 アリオスのストレートな誘い言葉に、アンジェリークはお約束にも真っ赤になった。
「…じゃあ一生知らなくてもいいです」
 耳まで真っ赤にしながら、アンジェリークはなるべくアリオスを見ないようにそっぽを向く。
 だが、アリオスを感じるなと言うのは、正直、可笑しな話だった。こんなに近くに、吐息が感じられる距離にいるのだから。
「なあ、ホントに知りたくはねえのかよ?」
 アリオスが煙草に火をつけたのが解る。
 正直、煙草の煙は苦手だった。煙くて咳が出るし、髪の毛は臭くなるで良いことはないと想う。だがそれは中年のデリカシーのない男のことを言うのであって、アリオスには不思議と不快感は感じなかった。自分に向けて空気清浄機を作動させてくれているからかもしれなかった。
「なあ、ホントに知りたくねえ?」
「結構です!」
「俺が”ジェームズ・ボンド”だったとしても?」
「え!?」
 まさかあんな危険なスパイ? アンジェリークは驚きと不安を混ぜ込んだ表情をアリオスに向ける。
 なまじ嘘だとは思えなかったのだ。
「…まさか、ですよね?」
「嘘」
 アリオスが真面目腐った真剣な表情で言ったものだから、アンジェリークの怒りは熱く燃え上がっていく。
「私をからかわないで下さいっ!」
 顔を真っ赤にして酸欠状態にして怒ると、アリオスは可笑しそうに喉をくつくつと鳴らして笑う。
「ホント、おまえはおもしれぇな。俺はしがない建築屋さんだ、アンジェリーク」
「もう! 知りませんっ!」
 アンジェリークはからかわれたのが悔しくて、すっかりぷりぷりと怒ってしまった。
 全く目の前の男は、どうして始末に負えないのか。
「そんな可愛い顔してぷりぷり怒ってたら、マジ、栗アンパンを食っちまうぞ!」
「…食べられたくない…」
 アンジェリークはまだアリオスに対して、少しばかり不遜な態度を取る。からかったことへの罰だと想った。
 だがアリオスはアンジェリークの言葉に気にもとめないようだ。
「さてと、栗饅頭を太らせて食わねえといけねえからな。行くぜ?」
 アリオスに強引過ぎる強さで手を握られた後、アンジェリークは外に出される。かなりの力強さに驚いてしまうぐらいだ。
 だが乱暴でもなく、痛みも早々感じない。
 それどころか、手の熱さは心地が良いぐらいだ。
 手と手をしっかりと結び合っていると、もっともっと深く結びつきたいとすら想う。
 アリオスの温もりを肌で感じることで、安心感すら覚えていた。
 ”天使の庭園”の中に入ると、エンジュが出迎えてくれる。アリオスとしっかり手を握っていると、レオナードの視線がそこに集中しているのが恥ずかしい。ニヤリとレオナードに笑われた時には、全身が熱くなり穴に入りたいとすら思った。
「レオナード、頼んでいた裏コース頼むぜ」
「へい、へい」
 レオナードはとても面倒臭そうに言うと、厨房に入った。
 直ぐに美味しそうな臭いが流れて来て、アンジェリークは鼻をひくひくとさせた。
「美味しそう…」
 よだれが口の中にたっぷりと出て、アンジェリークはうっとりとした表情になる。どんなおいしいものが食べられるのか。想像しただけで、お腹が派手に鳴った。
「おっ! ハラヘリ娘! 待っていろ! 突き出しはうまいぜ! 油揚げにたっぷりの白葱と納豆、知らすと桜エビにショウガを詰めてあぶったものに、、上からかつおぶしと醤油をかける。美味いぜェ!」
「ホントに!」
 付きだしなので、何だか居酒屋にいる気分だが、レオナード特製の美味しいものを食べられるのが幸福でしょうがない。
 アンジェリークがにこにこと笑って席に座ると、アリオスがじっと見つめてくる。優し過ぎる眼差しに、アンジェリークは胸が果てしなくときめくのを感じていた。
「おまえ、すげえ良い顔をするな」
「え?」
 じっと見つめられた上に、アリオスの素敵な声で囁かれるものだから、アンジェリークの甘い鼓動は頂点に達した。
 辺りの総てがときめいて、一気に総天然色の美しさに色めく。
 時間がスローになったりファストになったり目まぐるしく変化する間に、アリオスの姿が素敵に輝いた。
 世界がすっかり姿を変え、アンジェリークに新鮮味が溢れる素晴らしい風景を見せ付けてくれる。
 それがどうしてなのか、少し鈍感なアンジェリークにはまだ解らない。
 恋のときめきもばら色の風景も、総てはアンジェリークの未知なこと。ましてや、リアルな男性に恋うることなんて、全く始めての経験。
 のんびりでマイペースなアンジェリークには、まだ自覚はほど遠いことだった。
 アンジェリークには、今、アリオスが世界で一番素敵な王子様に見えていた。見つめれば、見つめるほどそう思うのだ。
 アンジェリークにとってアリオスは、今や幼い頃から憧れていた童話の王子様よりも素敵な存在だった。
 うっとりと、キラキラと輝いたふうに見えるアリオスに魅入ってしまっている。
略は苦が早くなり、区部筋がぴくぴくと動いているのを、自分でも意識することが出来た。
「どうしたんだ? ぼうっとして。さては、俺に見とれていたか?」
「そ、そんなことっありませんっ! アリオスさんの顔の周りにキラキラヘンなものが飛んでいたから、何だろうって見ていただけですっ!」
 アンジェリークは子供が真実を指摘されて想わず反論をするように言う。
「おまえ、眼科に行け。それ病気だぜ、飛蚊症だぜ、それ」
 アリオスに眉根を寄せて、心配と怪訝の入った声で言われ、アンジェリークは口を尖らせる。
「病気じゃありません。もう飛んでないもの。キラキラ」
「そうかよ」
 アリオスは奇妙な顔をして首を傾げたが、話を聞いていた辺りの者たちには解っていた。
 アンジェリークは確かに病気だ。病名は、”アリオスへの恋患い”だということを-----
コメント

アリコレ、レオエンを絡めながらの新しいお話です。
ひたすら、甘く、可愛くを目指します。
よろしくです。
料理が可愛くない…(笑)
アリコレ、レオエンの会話を書いてて楽しかったです。





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