〜天使の庭園〜

「スキとキス」〜レオナード×エンジュ〜


「オーナー、いつになったら、コーヒーの炒れ方を教えてくれるんですか?」
 モップを持ちながら、エンジュは瞳を輝かせてレオナードに聞く。
 閉店後、掃除に残るのはふたりのみ。カフェバーと言っても、バーが開くのは月・水・金・のみで、後の平日は午後8時にはクローズだ。因みに定休日は、日の曜日。
「あ?」
 レオナードはグラスをピカピカに磨きながら、面倒臭いそうな溜め息をついた。
「そのうちな」
「そのうちってどのうちですかっ!」
「どのうちもうちんちおまえんち」
「しょうもないこと、言わないで下さいっ!」
 エンジュは唇を尖らせ、ふんと鼻を鳴らす。つんとした気位の高い猫のようだ。
「お前が”オーナー”だなんて堅苦しい言い方しなくなったら、教えてやってもいいぜェ!」
 不遜に呟く男に、エンジュは困ってしまった。
 レオナードを”オーナー”と呼ぶのは、エンジュにとって最後の砦。コンバットだ。名前を呼んでしまえば、我慢していた恋心が溢れるような気がしたから。
「じゃあレオナードさんっ!」
 エンジュは”さん”だけは死守したかった。名前を呼ぶだけでもドキドキするなんて、本当にどうかしているぐらいにレオナードが好きだ。
「さん付けはつれねェなァ」
「あなたの女じゃありませんからっ!」
 頬を赤らめながらも眼差しには怒りを込める。だが込めきられるものではなかった。
 モップを片手にカウンターから離れようとすると、肩をがっしりと掴まれる。
「おい、エンジュちゃあん。名前ぐらいはきちんと呼べや」
「きちんと敬意を払って呼んでいますっ!」
 つい腹を立てたくなってしまい、エンジュはわざとぷりぷりに怒った。全く、人のカンに障ることばかり言う男だ。
「俺の女になったら、とっておきのコーヒーの入れ方を教えてやるぜェ? ついでに夜明けのコーヒー…うぐっ!」
 言葉よりも手が先に出るとばかりに、エンジュは迫ろうとしたレオナードの顔を押し退ける。こんなことで流されたくなかった。
 好きだから。
 だが目の前の男は全く気付いていないようだ。
「おそうじ、おそうじ!」
「ったく! 覚えてやがれや! エンジュ!!!」
 カウンターから聞こえるのは負け犬いや負け熊の遠吠えに思える。エンジュは出来るだけ涼しい顔をして、店内清掃を心掛けた。
 素直になれない。
 今も素直に「はい」と言うことが出来たならば、きっと豪快で気前の良いレオナードなら、コーヒーの入れ方を教えてくれたかもしれないのに。
 ドキドキするから素直になれない。旨く自分の気持ちを伝えることが出来ない。
 他のひとの前では、素直になれるというのに、どうしてもレオナードの前だけは素直になれない。
 子供みたいだと、エンジュは俯いて笑った。哀しみが滲んだ。
 バーのない日はとても好きだ。こうしてレオナードと一緒に掃除が出来るから。だが、いつも痴話喧嘩でおしまい。
 床に一通りモップを掛けて、掃除も決着が着くと、カウンターで頬杖を付いているレオナードに、手招きをされた。
「こっち来いや」
 エンジュは何をされるのかと、半分は疑い眼どじりじりと近づく。まるで腰を低くして恐々と近づく猫のようだ。
「何もしねえから」
 レオナードは苦笑して少し困ってしまっているようだった。だが、エンジュの警戒は治まらない。
「デコピンとかしないですか!?」
「しねェ。俺様は、女に暴力は振るわないたちなんでな。フェミニストレオナード様、てか」
「ウソッ! いつも私にするじゃないですか!」
 嘘つきゴボウ、ゴボウ喰って走れとばかりに、エンジュは憎たらしさを込めてあかんべーをしてやった。
「だってお前、俺の女じゃねェもん」
「それはフェミニストとは言いませんっ!」
 全く。レオナードの相手をしているといつも全速力になってしまうせいか、息切れをする。いくら酸素があっても足りやしない。
「来いや。オーナー命令」
「都合の良いところだけ、オーナー風を吹かせるんだから!」
 エンジュは呆れたとばかりに溜め息をつき、そっぽを向いてやった。本当に都合が良すぎる男だ。
「折角、コーヒーの入れ方を教えてやろうかと思ったのによ」
「えっ! マジマジ!!」
 まるで餌を見つけた仔犬のように、エンジュは一目散にカウンターに来る。これにはレオナードも豪快に笑った。
「ヤッパリ! 餌には釣られたか、エンジュちゃんはよ!」
 イキナリ、レオナードには手首を掴まれ、もう逃れられないようにしっかりとカウンターに貼付けられた。
「嘘つきっ! 嘘つきゴボウ! ゴボウ喰って走れっ! お巡りさーんっ! ロリコンへんたいでしっ!」
 エンジュは早口言葉を言うように言いながら、ばたばたと手足を動かす。当然だが、男の力には抵抗出来なかった。
「おい! こら、暴れるなっ! ちゃんとコーヒーの入れ方は教えてやる!」
 暴れまくるエンジュには、流石のレオナードもお手上げのようだった。
「おいっ! マジで言っているから、静かにしろっ!」
 レオナードは何度もエンジュを宥めすかし、ようやく暴れるのが治まった。
「ったく、お前相手だと生傷が絶えねェは」
「レオナードさんが悪いんだからっ!」
 イキナリ腕を掴まれてしまえば、誰だって驚いてしまうだろう。当然の結果だとエンジュは思った。
 レオナードの顔を見ると、エンジュが無意識に引っ掻いた爪の痕がうっすらと遺っている。それが滑稽過ぎて笑いそうになった。
「ちゃんとコーヒーの入れ方を教えてやる。約束だからな。カウンターの中に回れ」
 レオナードが手首から手を離す。解放されたその部分には紅い痕がくっきりと付いていた。
 カウンターに入ると、レオナードと一緒に並ぶ。普通のお店よりも少し高いカウンター。長身であるレオナードサイズだ。ここにふたりで並べるなんて、エンジュは跳び上がりたい勢いだった。
「さァ、慌てん坊へのレッスン開始だな」
「レオナードさんがあんなことをするから悪いんです!」
「チッ、全部俺様が悪ィのかよ!?」
「そうでーす!」
 エンジュは嫌味に聞こえるように、わざと素っ気なく言ってやる。レオナードは軽く舌打ちをしたが、失礼なエンジュの態度にも怒ってはいないようだった。
「うちのコーヒーは豆から吟味して、ちゃんとここで挽いて粉にしているから、美味いんだ」
 コーヒーの話を真剣にしているレオナードは、好きな玩具を手にした少年のように光り輝いている。余りに素敵で、余りにほほえましくて、エンジュの心は温かくなった。
「なるほど。豆の見極めも必要なんだ」
 レオナードの横顔を見とれつつも、エンジュは真剣にコーヒーレッスンに耳を傾ける。
 レオナードの無邪気で真剣な眼差しが、美味しいコーヒーの秘密であることに、気付いてしまった。
 それでも美味しさに近づきたくて、耳を傾ける。
「いつもランチの後に出しているコーヒーは、くせがねェように、定番のブルーマウンテンとキリマンジャロをブレンドしている。これが基本中の基本だから、よく覚えておけよ」
「はいっ!」
 エンジュのはっきりとした元気の有り余った返事に、レオナードは満足そうに笑うと、コーヒー豆と豆を挽くプロ仕様の道具を出してくれる。
「ちゃんと見てろ。先ずはブルマンの豆から粉にする。お前はキリマンの豆を後から粉にしてもらうからな」
「うん!」
「まあ、構えて見るな。機械が全部やってくれる」
 レオナードは慣れた手つきで香ばしい豆を機械に入れて粉末にしていく。
「良い香り!」
「コーヒーをたてる直前に豆を挽くと、美味いコーヒーが飲める。豆も吟味しているからなァ」
「へえ」
 コーヒーが豆から粉に変わる様子を見るのは本当にわくわくする。これが絶品コーヒーの元になるかと想うと、喉が鳴る。
「じゃあ次はお前な。この穴から豆を落として、ここのスタートスイッチを押してくれ」
 レオナードに言われるままに、エンジュは操作をした。押したり入れたりするだけなのに、はしゃいでにんまり笑顔が出た。
「今までのよりも凄く美味しそうな香りかも」
「自分でやってるからそう感じるんだぜ」
 レオナードはご機嫌に呟くと、挽き終わったコーヒー豆を取り出す。
「ブレンドは微妙なところがあるから、俺に任せてくれ。比率ぐれえは教えてやるが、正確に量っても、微妙に味は変わるからな」
 レオナードは粉を紙の上に少量ずつ交互に落としていく。見ていると、若干ブルーマウンテンの方が多いように思えた。
「比率はロクヨンぐれェ。これをブレンドして、コーヒーメーカーのフィルターの上に入れて、コーヒーの旨味を引き立てるミネラルウォーターを入れる」
 レオナードはエンジュにデキャンタに入った水を渡し、やるように促した。
「美味しく、美味しく、美味しくなーれ!」
 呪文のように呟いて、エンジュはコーヒーを作る。きっと今までの何よりも美味しいコーヒーだと想う。
 暫く待っていると、デキャンタには豊潤な香がするコーヒーが溜まっていった。
 エンジュは飲みたくてしょうがなくて、まるで子供のように瞳を煌めかせ、今や今やと待ち構える。
「よし。今日は二杯ご馳走してやる。一杯は普通に、二杯目は更に豊かにな」
 カウンターに座り、レオナードの給仕を待ち受ける。はくじのコーヒーカップに入れて出されたとっておきの液体を、エンジュは胸の鼓動を走らせながら、先ずは一口飲んだ。
「凄い! レオナードさん美味しい!」
 それしか出てこないぐらいにエンジュは感激し、不作法ながらも飲み干してしまった。
「美味しいっ!」
「お前が手伝ったんだからな。美味いのは当然だ」
 そう言ってもう一杯コーヒーを出してくれる。香づけに入れられたブランデーがほのかに香り、鼻腔を満足させた。
「ブランデー?」
「ああ。飲んでみろや」
「うん!」
 レオナードに促されて、期待を膨らませながら飲んでみる。
 躰や舌どころか心すらも満足させてくれる味わいだった。
 全く完敗と認めるぐらいに美味しい。
「凄く美味しいです! 総てが満足!」
「そうかよ。どれ…」
「え…?」
 こんな事が起こるなんて思っても見なかった。
 レオナードの唇が、エンジュぼ柔らかなそれに絡んでくる。
 触れて、吸い上げられて、幸せと感激が唇に刻まれる…。
「美味かったぜ?」
 唇を離してニヤリと笑ったレオナードに、エンジュは俯くことしかできなかった。

 バカ…。
 けれども好き…。
コメント

アリコレ、レオエンを絡めながらのお話です。
レオエンメインです、今回は。





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