10日間の恋


 
   *

 こんなに寂しい空模様なのに、アンジェリークはひとりだ。
 古びた民家の石段に、まるで心許ない子供のように座っている。これでは、鍵を無くして途方に暮れている子供と同じだ。実際に鍵を無くしたのと同じぐらいのものを、数時間前に亡くしてしまった。
 心と同じ薄いブルーのプレーンワンピースを着て、アンジェリークはだらりと脚を、石畳の歩道に投げ出している。ぼんやりと頬杖をついて、グレーな町の様子を、アンジェリークはあるがままに見ていた。
 町の外れの古びた教会から、鐘が鳴り響いてくる。弔いの気分だから、アンジェリークは弔鐘だと思う。たとえそれが結婚式の祝福の鐘であっても、今は関係ない。
 『倒れそうに甘くて、ロマンティックな味』がした、琥珀色にキラキラと輝く黄金の日々も、アンジェリークのグラスからとろりと流れ落ちてしまった。もう一滴も残ってはいない。
 気が抜くと涙が出てきた。
 鐘の音を重く聴きながら、アンジェリークは涙を誤魔化すように目を閉じる。そして、失った時間を思い返し始めた  

   1

 10日前の今頃、外は同じようにうら寂しいグレーの空だった。だが、その日のグレーは、澄み切った美しいグレーだった。
 そして、その時の心と同じ真っ白なシャツにヴィンテージもののジーンズを穿いて、アンジェリークはだらりと脚を、石畳の歩道に投げ出していた。
 流れてくる初夏の風は、ほんのりと薔薇の甘い香りを運んできてくれる。頭の天辺からその香りを吸い込んで、アンジェリークは幸せな気分になった。
 この街は素敵だ。質素なのにどこか優雅で、静かないにしえを湛えている。教会の尖塔が薄い光を浴びて鈍色に輝き、その向こうには碧い海が見えている。
 膝の上には真っ白なスケッチブック。右手にはエボニーのペンシル。傍らには過不足のない時間。
 親指と人差し指を使って、アンジェリークは透明のカンバスを作った。そこから見る景色は本当に素晴らしい。晴れ渡った日も良いが、こういった薄曇りの日もまた捨てがたい演出をしてくれる。
 スケッチブックにペンシルでざっと感動を描き付け、手元にあるカラーペンシルで、この瞬間の色を閉じこめる。
 夢中になって描いていると、今まで明るかったスケッチブックに影が映った。
 アンジェリークは鬱陶しい影にムッとしながら、怒ったように顔を上げる。するとそこには、モデルみたいな長身の目立つ男が立っていた。
 一目で綺麗だと思った。こんなにサングラスが似合う男は、他にいない。
「良い絵を描くもんだな。おまえはストリートの画家か?」
 声も男にあった、上質のテノール。甘さと激しさ、同時に艶も秘めている、完璧な声。
 完璧な町で、完璧な声と容姿を持つ男が、今、目の前に立っている。町全体が芸術ではないかと、アンジェリークは思った。
「学生なの。この町には、スケッチ旅行に来ているだけ。綺麗でロマンティックな古いものをいっぱい描いて帰るつもり」
 アンジェリークはペンシルを動かす手を止めると、程良く白い肌を上気させて、男に簡潔な説明をする。少しだけ心を甘ったるく弾ませながら。
「綺麗でロマンティックなものか…。確かにこの町にはぴったりかもしれねぇな」
 男は揺るぎないような重みを噛みしめて、躰の内側から響く声で呟いた。
 男はフッと吐息の音をさせながら笑い、サングラスを外す。明らかになった男の目は、不思議な黄金の翡翠をしている。あまりにも綺麗すぎて、アンジェリークはぽかんと口を開けてしまった。『綺麗』以外に思いつかない。自分の語彙力のなさにアンジェリークは心の中で苦笑した。
「俺はこの町に逃避しに来ている。ガキの頃から来ているから、あんたよりもこの町の『綺麗でロマンティックな古いもの』には詳しいはずだぜ」
 男が手を差し伸べる。差し伸べられた指先が余りに綺麗で官能的だったから、アンジェリークは考える間もなくその手を取っていた。自分の手の中に、速く納めてしまいたかったのかもしれない。
 アンジェリークをそっと立ち上がらせてくれ、その手からスケッチブックとペンシルを取り上げる。それを、アンジェリークが背負っていた、麻の白いリュックに押し込めた。
「案内するぜ。スケッチには最高の場所だ。あんた、名前はなんて言う?」
「アンジェリーク。あなたは?」
「アリオスだ」
 アリオス  アンジェリークは心の中で何度もその名前を反芻する。男には全くお誂え向きな名前だった。
 銀の髪に、不思議な瞳、驚くぐらいのプロポーションの良さ。それが、アリオスという名前に、ぴったりのような気がした。
 指を絡み合わせてふたりは、石畳の道を歩き始める。
 こうして、アンジェリークはアリオスと出逢った。かけがえのないふたり組だと思っていた。そう、10日後の朝までは  

   2

 手を繋いで、海とは逆行しながら、石畳の坂を上がっていく。
 アリオスと手を繋いでいると、何だかずっと昔から知っているような気がする。温もりが懐かしくて、心地がよい。逢ったばかりで、しかもナンパまがいの誘い方だったのにも関わらず、何の疑いもなくついて行けた。何かのシンパシーが働いているに違いないと、アンジェリークは思ってしまう。
 空はモノクローム、町もセピア色。だけどとってもロマンティック。まるで、深夜に見るクラシカルな映画の中にいるよう。モノクロームなのに、カラーよりも更に目が覚めるような色彩を持っているような。
 周りに見える建物は、白い壁と煉瓦で出来た屋根がおもちゃみたいで可愛い。
 様々な形をした尖塔や、ロマンティックな古い角灯が玄関先にぶら下がっているのが、乙女心を刺激する。
 ここは時間の流れとは別の次元にある。本当に、この町の古さは、かけがえなく揺るぎない美しさを持っている。
「どこも良いロケーションだが、俺は最高の場所を知っている」
 アリオスは伸びきった前髪を、少し鬱陶しそうにかき上げながら言う。
 本当に、アリオスの声でぶっきらぼうに言われると、とても素晴らしい場所なのだろうと想像してしまうから不思議だ。
「スケッチに向いてる?」
 アンジェリークは背伸びをするように歩きながら、アリオスのガラス玉のような瞳を覗き込んだ。もちろんいっぱしの放浪画家の気分で、少し大人びた口調で言う。
「もちろん。おまえはそこから出られなくなるぐらいにな」
「そんなに素晴らしいかは、私の感性で判断して決めるわ」
 アンジェリークの小悪魔のような生意気な言い方にも、アリオスは余裕のある笑みを浮かべていた。
 石畳を上がっていくうちに、町の様子が少しずつ変化していく。可愛いおもちゃのような町並みが、ゴージャスな住宅街になった。背の高い大きな白い壁と立派な門構え。ゼラニウムや薔薇と言った花が咲き誇る立派なガーデンが、門の前からも見える。
 こんな場所にいられたら、一日中のんびりと出来るだろう。きっと、心も豊かでいられるだろう。明日のこととか、これからの生活とか、心配事を一切考えなくてもいいだろう。
 今この瞬間は、心配事なんて考えてはいなかった。まるで自分がこの場所の住人になったような気にさせられるから。
 隣にはアリオス。もう太古の昔から知り合いの気になっていた。つい先ほど出逢ったなんて、到底、考えられないぐらいに。
 目を白黒させながら、アンジェリークは門の隙間から、様々な庭を楽しんだ。
「この先だ。おまえはきっと気に入る」
「本当?」
「ああ。保証する」
 この屋敷の庭よりももっと素晴らしいところだと、アリオスは教えてくれる。アンジェリークは半分冗談に、でも本当は素敵だろうと期待しながら、アリオスに連れられるまま坂を上がった。
 途中で暑くて息が弾んだので、アリオスがさっぱりとしたジェラートを小さな屋台で買ってくれた。屋台のおやじは、アリオスを知っている風で、にこやかにジェラートを渡してくれた。
 ジェラートを舐めながら坂を登っていくと、大きな屋敷が目の前に飛び込んできた。眩しいぐらいの白が、アンジェリークの目を開けていられなくする。曇り空なのに、まるで晴れ渡っているような錯覚を覚えた。
 そこはホテルのような雰囲気で、てっきりアリオスはここに泊まっているツーリストだと思った。
 アンジェリークが予約している古びたユースホステルとは比べものにならないぐらいに、素敵なところだ。
「ここはうちの別荘だ。ひとりだと、持て余しちまう」
「嘘!?」
 こんな大きなお屋敷が、個人の所有物だなんて、アンジェリークには俄に信じがたいことだった。
 アンジェリークが驚きの余り呆然としていると、アリオスは電子キーで重厚な鉄門のロックを外す。
「じいさんの代に建てたヤツだ。部屋もいくつもあるから、スケッチ旅行中は遠慮無く使え。正し  」
「正し!?」
 どんな条件を言われてしまうのかと、アンジェリークは少し構えた。喉が無意識に動いてしまう。
「うちから見えるこの町のスケッチを一枚描いてくれ。それが条件だ。放浪の画家サン」
 考えもしなかった良い条件に、アンジェリークの肌はざわめく。絵を描くことが報酬になるなんて、夢みたいだ。
「いいの?」
「ああ。おまえが描く絵は、俺の好みだ」
 アリオスが余りにストレートに言ってくれるものだから、アンジェリークは何だか照れてしまう。飛び上がってしまうぐらいに嬉しい。
「有り難う! 頑張る!!」
 全身から嬉しいとオーラが出ている。素直な嬉しい笑顔を、アリオスに向けることが出来た。
「俺のオフィスに飾るぐれえのを頼むぜ?」
「うん!」
 元気よく返事をすると、アリオスは落ち着いた笑みを浮かべながら、頷いてくれた。

   3

 アリオスの別荘は、きっとこの町では一番のロケーションを誇っているだろう。
 庭にあるテーブルにスケッチブックを置いて、のんびり座りながら海を眺める。傍らには、アリオスの屋敷のメイドが入れてくれた、冷たいピンクレモネードがある。
 絵をのんびりと描くには、最高の環境だと思った。
 いつの間にか、空はグレーから明るいブルーに。くすんでいない明るい色は、それを見るだけで心を晴れやかにしてくれる。庭から見える海は碧くて、太陽の光を反射させて美しい。
 ペンシルと色鉛筆を持って、先ずは自分だけの風景をスケッチブックに納めた。
 こんなに絵が描くのを純粋な気持ちで楽しめたのは、何年ぶりだろうか。アンジェリークは鼻歌交じりに、自分だけの色をスケッチブックに載せていった。
「おい、腹減っただろう?」
 アリオスに声をかけられて、アンジェリークは時計を見た。もう、夕食の時間になっている。そんなに長い時間海を眺め、絵に熱中していたなんて、自分でも驚いてしまうぐらいだ。
「簡単に飯にしようぜ」
「うん」
 アンジェリークは慌ててスケッチブックを脇に置いて、テーブルを片付ける。
 いつの間にか、肌には海からの涼しい風が当たっていた。
 アリオスは簡単に夕食をすると言っていたが、アンジェリークには簡単には思えなかった。
 さっぱりとしたオニオンスープに、前菜はマグロのカルパッチョのサラダ、新鮮なロブスターのグリエに、ラム肉のロティ、ホタテとブロッコリーのオイルパスタ…。ユースホステルに泊まっていたら、こんなものを食べなかったに違いない。
 アリオスは琥珀色の特産の酒を片手に、食事を楽しんでいた。余り食べ物に執着がないタイプなのか、食べてはいない。
「毎日こんな生活しているの?」
「言っただろ? 俺は逃げてきたって。天使の画家サン。ここはのんびり出来るからいい。おまえみてえな相棒も出来たしな」
 相棒  そう言って貰えると嬉しかった。アンジェリークも、出逢ったときから、アリオスがずっとかけがえのない相棒だったような気がしていたから。
「そうね。ここは楽園みたい」
「そうだな」
 ふたりで海を見ていると、やがて夕陽の時間がやってくる。サンセットが、町を蜂蜜色に染め上げる。立派な尖塔も、白い壁の家々も。勿論、アリオスの屋敷の庭も、みんな美味しそうな色に染まっている。
 この先の黄金に輝く海を、もっと見てみたい。アンジェリークは不躾だとは思ったが、立ち上がった。今この記念すべき瞬間をこの目に納めておきたい。
「ちょっと失礼するね」
 アリオスに軽く断ってから、アンジェリークは木の上に登る。その様子を見て、アリオスは怒るどころか、喉を鳴らして愉快そうに笑ってくれた。
「おもしれえおまえ!」
「だって、こうしたほうが、もっと綺麗に外が見られる筈だわ」
「そうだな」
 アリオスも立ち上がり、木の下にゆっくりと歩いてくる。登ると言ったことはせずに、海を見ようともせずに、ただ、アンジェリークを見つめてくる。目を細めて、愛しそうに。
 アリオスの眼差しを見るだけで、アンジェリークは、生きも吐けないぐらいの幸福のドキドキに包まれる。
 サンセットに染まる海も美しいけれど、アリオスの眼差しには敵いやしない。本当にロマンティックなのは、この風景よりもアリオスなのだと、アンジェリークは改めて思った。
「綺麗かよ?」
「…うん…。とっても綺麗だよ…」
 アンジェリークは海ではなくアリオスを見ながら、感情を込めて言った。
 やがてサンセットのショウタイムは終了し、町が蒼い闇に包まれていく。路地の角灯に明かりがつき、石造りの建物が影絵のように浮かび上がってくる。
 遠くには賑やかな民族音楽。そして間近には  
「来いよ、アンジェリーク」
 アリオスが腕を広げて、木の下で待ってくれている。何の心配もない。ただそこに飛び込めばいい。
 アンジェリークは映画のヒロイン気分で笑うと、アリオスの腕の中に思い切り飛び込んだ。
 力強く、アリオスが抱き留めてくれる。アリオスの力は、とろけてしまうぐらいに気持ちが良くて、頼り切ってしまうぐらいに逞しい。
 ふたりの間に吹くのは優しい夜の海風。まるでそれに抱かれるみたいに感じる。
 アンジェリークは、アリオスから離れないようにしっかりと抱き付く。ふたりは、お互いを知るために、深い、深いキスをした。

   4

 アリオスの寝室は、シンプルな白。リネンも天井もブラインドすら白。この町の人間は、よほど”白”に拘っているのだろうと、アンジェリークは思う。
「一昔前のモダンだろ?」
 アリオスはアンジェリークを抱き上げたまま、揶揄するように言った。本当は照れくさかったのかもしれない。
 白い皺一つ無いシーツの上に寝かされると、背中がひんやりとした。
 アリオスが覆い被さってくる。これから起きることは予測できたが、アンジェリークには何一つとして抵抗する理由なんてなかった。
 アリオスが抱きしめてくれたから、抱き返す。こうして抱き合っているだけで、満たされた気分になった。
 キスが唇にもたらされると、プレゼントを貰ったような気持ちになる。それぐらいアリオスはキスが上手い。アンジェリークの総てを支配するように、口腔内で巧みに下を動かしていく。上顎を舌先で舐められたときには、背筋がぞくりとするぐらいに、気持ちが良かった。
 ぷっくりと良い具合に腫れ上がった唇を、舌先で舐められると、自分がこの世で一番セクシーな唇を持つ女になったようだ。
 アリオスは下を首筋に這わせながら、アンジェリークの白いシャツを乱暴に脱がしてくる。ブラジャーを外された後、冷たい指先で強く掴んできた。
「あっ…!!」
 冷たい指が温かな乳房を揉み込んでくる。アリオスの強い刺激は、アンジェリークの乳首の色味を変える。完全に勃起して、硬くなっていた。尖ったそこを指でコリコリと円を描くように摘まれれば、全身の力が良い意味で抜けていく。
「あっ…! アリオスっ!」
 甘い声でその名を呼ぶと、視界にアリオスの顔が入ってきた。信じられないぐらいに、意地悪な笑みを浮かべている。憎たらしいのに、どうして止めて貰いたくないんだろうか。
「おまえ…、絵と同じぐれえに可愛い顔をするな」
 アリオスは今まで聴いたことがないような低い声で呟くと、アンジェリークの乳首を唇で吸い上げてきた。強弱の付いた吸い上げに、アンジェリークはおかしくなりそうだ。
 今は絵のことも、自分の現実のことも何もかも忘れきっている。ただ、アリオスが与えてくれるものだけが必要だ。
 アリオスの長い指が、ジーンズのファスナーを下ろし、確かめるようにアンジェリークの下着を触れる。
「あっ…!」
 下着の上から触れられるだけなのに、どうして濡れた音がするんだろうか。アンジェリークは羞恥に苦しみながら、無意識に腰を動かしていた。
「邪魔だな、これ」
 アリオスはマジシャンみたいにアンジェリークの躰からジーンズを抜き取り、下着までも取り払ってしまう。抵抗することすら出来ないぐらいの早業だった。
 裸にされた後、アリオスの綺麗で冷たい指のターゲットは、アンジェリークの濡れた丘だった。
 体温が異常に上がっていく。
 アリオスの指はアンジェリークの割れ目を探ると、そこから肉芽を探し出して、擦ってくる。腰に痛いぐらいの快楽が満ちてくる。
 太股に手をかけ脚を乱暴に開かれると、アリオスは濡れた丘に顔を埋めた。舌を尖らせて、アンジェリークの恥ずかしい蜜を舐めてくる。 舌が立てる水音は、淫猥すぎてくらくらしそうだ。
 セックスの快楽は今まで良く判らなかった。アリオスが与えてくれるそれは、今まで想像できなかったぐらいに気落ちがいい。
 アリオスの綺麗な指が、胎内に入ってくる。入り口を馴らすように、根気よく丁寧に動いている。
「は、ああっ!」
 ギリギリまで追いつめられて、アンジェリークは何度も腰を上げた。
 堪らない。何か、このどうしようもない快楽を抑えてくれるものはないのか。
 そこまで考えたところで、アリオスが、アンジェリークの細い腰に手をかけ、力を入れてくる。
「あっ…!!」
 痕がついてしまうのかと思うほどアリオスにしっかりと腰を掴まれたかと思うと、熱い大きな硬いものが胎内にゆっくり浸透してきた。
「あ…ああ…っ!」
 アリオスが深く入って来る度に、痺れるような重い痛みがアンジェリークを襲う。話は聴いていたが、こんなに熱い痛みを伴うものだとは、アンジェリークは知らなかった。
 痛みを伴ったのは最初だけで、アリオスがゆっくりと動く度に、段々痛みは気持ちよさに変わっていった。
「あ、ああ、ああっ!」
「…すげえ、おまえ…。締まるな…」
 アリオスは苦しそうにしながらも、満足そうに呟いてくれる。アンジェリークはそれが嬉しかった。
 次第にアリオスの律動が激しくなり、アンジェリークの胎内にある熱は暴れ出す一歩手前になる。激しい。でももっと激しくして欲しい。
 あんなに大きなベッドが、アリオスの動きで軋んだ音を立てた。
「あ、ああ、ああっ!」
 アリオスの指が肉芽をくすぐりながら、突き上げてくる。
 意識がぐちゃぐちゃになり、アンジェリークは奥歯を強く噛みしめた。
「はああ;っ!」
 躰が弛緩を始める。痺れるような快感に肌が震えて、アンジェリークは意識の奥で何かが弾けるのを感じた。

   5

 一度セックスをしてしまえば、後は枷が取れたように、ふたりは何度も愛し合った。昼も夜も、気が向けばセックスをし、いつまでも裸で戯れている。
 アンジェリークは、アリオスと裸のままで抱き合うのが好きだった。お互いの熱を共有しながら、のんびりとするのが好きだった。
 絵を描いたり、食事を楽しんだりするのは、あくまでセックスの合間の行事で、この数日間、ふたりの生活は裸がメインだった。
 裸でアリオスにくっついていると、羞恥をかなぐり捨てることが出来るのが、アンジェリークには一番心地の良いことだった。

 ふたりでのんびりと過ごしだして9日目。まだ、絵は完全に出来てはいなかった。アリオスとのセックスに忙しかったから。
 今朝のセックスの後、アリオスはこの町の名物である、蚤の市に誘ってくれた。
 アンティークが好きなアンジェリークはすぐに飛びつき、アリオスと手を繋いで、蚤の市に出かけた。
 古き良きものを安価で買えたり、宝物を探すのが何よりも楽しい。
 古い時代の絵本は、配色がビビットで斬新だったし、雑誌は今に通じるお洒落なグラビアが載っていた。
 見回る間も、アンジェリークはアリオスと手を離すことはなかった。ふたりがそうしているのが当然のように、ずっと握り合っていた。だって、ふたりは『ふたり組』だったから。ボニーとクライドよりも、より刺激的で格好いい『ふたり組』だと思っていたから。
 蚤の市をぶらぶらと歩いていると、古着を扱っている店があった。初老の感じの良い女性で、状態の良い服をいくつも飾っていた。
「可愛いね、ここの服」
「そうだな」
 アンジェリークは状態の良いワンピースを、慎重に吟味する。宿泊費や諸々が浮いたから、そのお金で買っても良いだろうという勇気が、産まれたのだ。
 ブルーのシンプルなワンピース。値段も格安で、アンジェリークは直ぐに気に入って決めてしまった。
 すると「これは掘り出し物だよ」と、決まり切った文句を女性は言った。
 包んで貰っている間、アンジェリークは他のドレスやや、ワンピースを見て回った。
 そこで目を引いたのは、純白のウエディングドレスだった。女の子なら誰だって一度は憧れるデザインのウェディングドレスだ。
 灰色がかった白いオーガンジーとシルクのドレス。シンプルで可愛い形だ。袖はふんわりとした七部だけで、スカート部分も膝を少し出るぐらいだ。 そこには可愛い純白の薔薇をあしらったヴェールも付いている。
「可愛いね」
「そうだな」
 アリオスはただ同意しただけで、さして興味はなさそうだった。その態度に胸の奥がチクリと痛む。だが、アンジェリークはそれをなるべく出さないように、笑った。
 その間に包装も終わり、女性はニッコリと笑いながら渡してくれた。
 それを受け取ると、アリオスは次のブースに向かってしまう。アンジェリークは後ろ髪を引かれる思いで、アリオスの後を着いていった。
ここまでは幸せな想い出。
 その夜、アンジェリークはアリオスととことんまでセックスをした。いつものように明け方になり、どろどろに疲れてうとうとしたところで、誰かが不躾にベッドルームに入ってくるのを感じた。
 目をうっすらと開けて確認すると、そこには身に覚えのない初老の男性が立っていた。
「おまえはアリオス様の何だ!?」
 男はアンジェリークの顔を見るなり、咎めるような視線を強く向けてくる。アンジェリークは何が何だか判らなくて、横のアリオスを起こそうとしたが、ぐっすりと眠っている。
 男はアンジェリークを、まるで汚らしいものを見つめるかのように見ていた。屈辱だった。どうしようもないぐらいの屈辱だった。
「  アリオス様をどうたぶらかしたかは知らんが、幾らいるのだ」
 アンジェリークは最大の屈辱を受けた気分になる。お金だとか、そんなこと考えたこともなかったのに。この男は一体何を言っているのだろうか。アンジェリークは表情を強張らせたまま、男を見つめた。
「…何を仰っているんですか…?」
「警察を呼ぶ前に服を着て出て行きなさい」
 ただそれだけを言うと、男は部屋から出て行く。
 今までの日々が夢に思える。そして、今、どうしようもない現実が突きつけられたような気がした。
 夢は覚めたのだ。

  *

 あの日買ったブルーのワンピースは、哀しみのワンピースになってしまった。
 それを着てアリオスの屋敷を出たのは、ついさっき。報酬である絵も、完成することが出来なかった。
 アリオスと出逢った日と同じように、アンジェリークはだらりと脚を、石畳の歩道に投げ出している。ぼんやりと頬杖をついて、グレーな町の様子を、アンジェリークはあるがままに見ていた。
 空の色も、薔薇の香りの風も同じなのに、気分がどん底になっている。スケッチブックすら持つ気がない。
 アンジェリークは膝を抱えるようにして、下を向いた。
 もうこの町の景色なんて見たくもない。いけすかない保守的な町に見える。
 グレーの空も、蒼い海も、みんなみんな美しくなんかない。この瞳に映し出したくなかった。
「良い絵を描くストリートの画家サン。俺に一枚絵を描いてくれねえか?」
 聞き覚えのある完璧なテノール。あの人同じように、アンジェリークの前に影を作っている。
 驚いて顔を上げると、アリオスがぶっきらぼうに立っていた。あの時と同じように、綺麗な手をアンジェリークに差し伸べてくれている。アンジェリークが掴む間もなく、アリオスから掴んできた。
「教会に遅れちまう。立てよ?」
 アリオスが腕の力を使ってアンジェリークを立たせてくれる。そして、まるで子供にするように背筋を糺してくれた。
「神父がいらちなおっさんでな。これから急がねえと間に合わないんだよ」
「何のこと?」
 アンジェリークは自分の身に何が起こったかが解らなくて、アリオスに不満の声を漏らした。
「おまえを追い払ったヤツにはちゃんと言い聞かせておいた。アイツは俺の家の執事だ。首にするって脅しておいた」
 アリオスが一方的に話すものだから、アンジェリークは呆然と聴いているしかない。
「…アリオス…」
「まだ絵を描いてもらってねえから、おまえをそう簡単に離すわけにはいかねえんだよ」
 アリオスは今までで一番強くアンジェリークの手を握りしめ、強引に石畳の坂を下りていく。ふたりが最初に出逢った日に向かった方向とは反対に歩く。
 坂を下りきると、そこには古びた白い石で出来た教会が建っていた。いつもアリオスの庭から見ていた教会を身近に見ると、やはりかなり大きい。
 教会の前に、アンジェリークの見覚えのある女性が立っていた。あの蚤の市にいた初老の女性だ。手には、アンジェリークが惹かれていたあのウェディングドレスが持たれている。
「時間がありませんからね。直ぐに着替えてください」
「え、あ!? アリオス!?」
 アンジェリークは大大何が起こっているのか想像が出来たが、アリオスの口から聞くまでは信じられない。答えを請うように、アリオスを見た。
「おまえは俺の元で、終身刑に服して貰うんだよ。解ったか?」
 終身刑  その言葉に意味に、アンジェリークはハッとする。
 喜びがじんわりと込み上げ、表情が薔薇色になっていく。今まで、あんなに灰色のどうしようもなかった顔が、今にも雨が降りそうな空なんて吹き飛ばしてしまいそうな表情になる。
「いっぱい絵を描いてくれ。俺のオフィスも、あの別荘も、俺の屋敷も、全部おまえの絵で満たしてくれ」
「うん!!」
 アンジェリークはしっかりと大きく返事をすると、空いている手をアリオスの首に回す。
 その瞬間、教会の鐘が華々しく鳴った。アンジェリークにはもう、弔いの音には聞こえなかった  

        THE END





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