「オフィスは大騒ぎ」

アリオス×コレット「吐息を花束にして」前編


 クリスタルの花瓶に清楚な美しさを湛えている白薔薇を、アンジェリークはじっと見つめる。
 誰から送られたのか全く見当が付かない。
 純潔の証である白薔薇を誰が送ってくれたのか。総務部のひ弱な同僚男性がこんな気の利く行為をするとは思えないし、それ以外の男性も思いつかない。田舎から出てきたアンジェリークには親しい者など、特にいないのだ。
 ぼんやりと考えていても埒はあかないので、アンジェリークは仕事に精を出した。
 後ろでは上司連が深刻なひそひそ話をしている。それに耳をダンボにするのも、OLの日常の一つ。
「新しいCEOが来るらしいですなあ。かなりのやり手らしいですぜ」
「どうなるか、戦々恐々ですな」
 新しいCEOが来ても、恐らく末端にいるアンジェリークには影響は少ないだろう。与えられた任務を確実にこなすだけだ。無能集団の総務の中で。
 仕事が行き詰まったので花の香りをもう一度嗅いだ後、ランチを取ることにした。気分をリセットするには丁度いい。
 いつものように重箱を片手に、アンジェリークは非常階段に出て来た。
 基本的に会社の内の移動は、いつもこの非常階段を使用している。仕事中も、季節を感じることで、潤いのある生活を送ることが出来るからだ。心に潤いが有れば、仕事も一生懸命頑張ることが出来るから。
 陽射しで季節を感じるのが好きだ。特に初夏の五月と、秋の盛りである十月と十一月は。非常階段から見える木々の木漏れ日は、気持ちを癒してくれる。
 気持ちを癒してくれる恋だってどこでも落ちている。薔薇の花が生けられた花瓶にだって、例えばこの非常階段にだって。
 アンジェリークにとって最高のランチ場所は、会社ビルの非常階段。桜の木々がよく見える、季節を感じるには絶好のスポットだ。
 よほど暑い日と寒い日以外は、非常階段で昼食を取るのがアンジェリークの愉しみ。ここにいれば、季節をいつだって感じることが出来る。
 お気に入りのおかずをたっぷりと詰めた手弁当を食べるのが好きだ。
 二段の重箱におかずと御飯をたっぷりと詰めて、食べるのが今はとっておきのお楽しみ。
 外に出ると、秋の風が乾いた爽やかさを運んでくれて、気持ちが良い。
 アンジェリークは大きく深呼吸をした。全く良い時期になったものなのだろうと感じずにはいられない。どこからか金木犀の甘い香りが漂い、アンジェリークの鼻孔を癒してくれていた。
 どこで金木犀が咲いているのかと探して、キョロキョロしながら階段を降りていたので、アンジェリークは不注意のせいで脚を滑らせた。
「きゃ、ああっ!」
 事務用サンダルを履いているせいで良く滑る。アンジェリークは目を閉じて恐怖を遮りながら、自分の躰よりも折角作ったお弁当を心配した。寄り弁ならともかく、食べられなくなってしまえば最悪だ。アンジェリークにとっては、ランチタイムが何よりも楽しみだったからだ。
 どうなるのかと思い切り呼吸を止めた瞬間、アンジェリークの躰が落下を止めた。強い何かに支えられている。恐る恐る目を開けると、そこにはたまに見かける窓拭きの青年が立っていた。
「ったく、世話が焼ける」
 青年に舌打ちをされ、切れるような眼差しで咎められて、アンジェリークは肩をすくめた。
「ほら、立てるか?」
「あ、有り難う」
 一瞬、躰が宙に浮いたかと想うと、きちんと着地させてくれた。しっかりと脚で踊り場を踏んでいて、アンジェリークは一安心した。でも一番の問題は、大切なお弁当。慌てて階段に座り込むと、風呂敷を取り、三段の立派な重箱の中を覗いた。
「あ〜! やっぱり寄り弁!」
 ショックのあまりがくりと項垂れた後、アンジェリークは溜息を吐く。まあ、食べられないよりはました。
 目の前にいる青年が喉を鳴らして笑った。
「クッ! 自分の身よりもお弁当を心配するヤツなんて初めて見たぜ!」
 本当に可笑しいとばかりに、青年はくつくつと豪快に笑い、大袈裟にも天を仰いでいる。
「おもしれ〜」
「だって! お弁当は私にとって一番大切な物なんですから!!」
 豪快に笑われてアンジェリークはむっとしながら、口を尖らせて噛みついた。全く男の豪快な笑いと来たら、不快度120パーセントだ。
「おもしれえ、ホントに」
 瞳に涙を浮かべて笑う男は極めつけに失礼だとアンジェリークは思う。その上笑顔が憎らしいほど素敵だったので、尚更強く反発してしまう。
「なあ、おまえさん、ここでいつも昼メシ食っているけれど、今日もか?」
「はい」
 どうしてこの窓拭き業者が知っているのだろうと、アンジェリークが小首を傾げると、男は屋上を指差した。
「ゴンドラでお見通し」
「なるほど」
 確かに窓拭きの仕事は会社の様子を、一番客観的に見られる仕事なのかもしれない。
「俺も今から昼メシなんだが、ここで一緒に食っていいか?」
 アンジェリークは一瞬考えようとしたが、断る理由等何も無い。エンジュが恋人と一緒に外へランチを取りに行ってしまったので、正直寂しい。そして目の前にいる青年は、大笑いしたとはいえお弁当の恩人なのだ。無下にするわけにはいかない。
「判りました。一緒に食べましょう!」
「サンキュ」
 アンジェリークがからっとした今日の秋空のように笑うと、青年も温かな笑みを浮かべてくれる。秋にはぴったりの笑みに、心も和んだ。
 アンジェリークが持っていたシートを階段に敷いて、ふたりは仲良く座ってお弁当を食べる。男の脚が着地しているのは、アンジェリークより一段向こうで、背の高さと脚の長さを強調していた。
「寄っちまったが、美味そうな弁当だな」
「働いていて一番の楽しみです!」「二番目の楽しみは?」
「おやつ! お客様から頂いたお土産を分けることっ!」
「解り易いな、おまえ」
 青年がまた可笑しそうに笑うものだから、アンジェリークは恥ずかしくなる。何も笑われるようなことを言った覚えはないと、つんと澄ましてみた。
「あなたはコンビニ弁当ね。美味しい?」
 アンジェリークは青年のコンビニ弁当を、不躾ながら覗き込む。最近は味も栄養面も格段と良くなったと聞くので、かなり興味があったのだ。
「”あなた”なんてよそよそしい言い方は止めろよ。俺はアリオスだ。ちゃんと俺の名前を呼んだら、おかずを一個やる」
 確かにおかずには興味がある。アンジェリークは食いしん坊故か、ことに料理に関してはかなり研究熱心で、いつも食べ歩きをしては、自分が作る料理に活かしている。
「じゃあアリオスさん」
「”さん”はいらねえ。敬称略」
「私より年上っぽいし腕っ節も強いから、呼び捨てにはしにくいです」
「だったら、おかずはなしだ」
 アリオスにきっぱりと言い切られてしまい、アンジェリークはジレンマに陥った。
 今までは殆ど会話をしたことのない相手を呼び捨てるなんて。生真面目なアンジェリークには些か気後れする行為だ。だからといっておかずをゲットするチャンスも失いたくはない。完全に困ってしまった。
「どうする?」
 まるでアンジェリークのジレンマを楽しんでいるように笑うアリオスに、少しだけ腹が立つ。きちんと会話を交わしたのは初めてなのに、どうしてツボを心得ているのだろうか。
 結局、答えなんかハナから決まっていた。
「…解りました。アリオス」
「合格。好きなおかずを取れよ」
「ワーイ!」
 晴れておかずを貰うことが許されて、アンジェリークはご機嫌に笑う。それを楽しそうに見ているアリオスの視線が、少しばかり気になった。
「この煮豆が美味しそう」
「どうぞ」
 鼻歌を歌いながら、豆を箸で摘み、ご機嫌に口に運んだ。
「美味しい!」
「最近のコンビニ弁当は侮れねえからな。旨く味付けされているし、栄養のバランスも考えられている。まあ、昔に比べたら弁当らしくなった分、価格も高くなってはいるからな」
「そうですよね」
 アンジェリークまだ欲しいおかずがあったので、箸をアリオスの弁当から離せないでいる。
「敬語も止めたら、更におかずを一品付けてやる」
 完全に食べ物に釣られている。だが、嫌なことを強要されているわけではないので、すんなりと受け入れられた。呼び捨てをしたなら、敬語を止めるのもついでだ。
「解った。じゃあ煮物頂戴!」
「どうぞ」
 アリオスがおかずをくれるひとで嬉しい。これでまたバラエティなランチタイムを過ごすことが出来ると言うものだ。
「わーん、これも美味しい!」
 好き嫌いのないアンジェリークなので、何でもぱくぱく食べられる。笑顔でニコニコのランチタイムだ。やはり色んなおかずを少しずつ沢山の種類を食べられるのが、幸せ。
「アリオス、おかずを交換しあおう! 寄ったけれど、味付けには自信があるから」
「サンキュ」
 アンジェリークは、おかずを入れた二の重を見せて、アリオスに選ぶように促す。
「おまえ、これいつもひとりで食ってるとか、ひょっとして…」
「ひょっとしなくてもそうよ。私の仕事エネルギー!」
「…食ったもん、どこに行ってるんだよ」
 アリオスはと信じられないとばかりに、驚愕な眼差しを向けてくる。
何処に行くか。意味が解らなくて、アンジェリークは一瞬きょとんとしたが、次の瞬間には真っ赤になってしまった。
「アリオスと一緒!!」
 どんな意味が含んでいるのか、アリオスは直ぐに理解したようで、溜め息を吐き、頭を抱えた。
「おまえな…」
「何が?」
「まあいい。鶏肉頂きだ!」
 アリオスが箸を素早く出して来たので、アンジェリークはそれに応戦すべくアリオスの弁当にも手を出した。
「おかずいっぱい取り替えっこしましょう!」
「ああ。おまえの味付けは俺好みだからな。美味いぜ」
「有り難う」
 誰かに料理を褒めてもらえるというのは、なんて嬉しいことなのだと初めて知った。美味しいものが大好きなので色々と研究しているが、美味しいと思っても、それは自己満足に過ぎなかった。こうして褒めてもらえると、もっと美味しいものを作り、食べて貰いたくなる。
「もっとおかずを食べて。私もいっぱい貰うから」
「サンキュ。手づくりのものって中々食えねえからな、嬉しいぜ」
 手づくりのものを余り食べられない。その一言が、アンジェリークの母性本能が擽られた。
「だったら、私がお弁当を作って上げる! アリオスがここに窓拭きに来ている間は!」
 衝動的かもしれない。だが、アリオスにまた「美味い」と言って貰いたかった。
 出会ったばかりだというのに、アンジェリークが余りに唐突に言うものだから、アリオスは驚いているようだった。だが、直ぐに笑みに代わり、頷いてくれる。
「サンキュ。おまえのやつのついでで全然かまわねえからな。お言葉に甘えさせて貰う」
「はいっ!」
 こちらこそとても嬉しい。アンジェリークは張り切って美味しいものを沢山食べさせてあげたいと思った。明日からのお弁当は作りがいがある。
「これで準備してくれ」
 アリオスは内ポケットから財布を取り出し一万Gを渡してくれる。だが、そんなつもりは無かったので、断った。
「俺の気がすまねえからな。これだけは曲げてお願いするぜ」
 アリオスも頑なそうなので、アンジェリークは素直に応じることにする。アリオスには気持ち良くお弁当を食べて貰いたかったからだ。
「じゃあ遠慮なく」
「ああ」
 素直に受け取ると、アリオスも喜んでくれたようだった。
 折り合いがついたところで、ふたりは大いに語り合う。本当によく笑って愉しんだお昼だった。
「じゃあ、アリオス、また明日」
「ああ。じゃあな」
 非常階段でアンジェリークが手を振ると、アリオスは手を上げて応えてくれる。
 アリオスは二段飛ばしで、階段を上がって行った。それを楽しく見送った後、アンジェリークは総務部のオフィスに戻った。

 席に戻り、一息吐いて思い返してみる。
 最近は素敵なことばかりが起きる。
 例えば机の上にある白薔薇。そして、非常階段での素敵なランチタイム。
 仕事にも潤いが出るというものだ。心が楽しいと、いつもは嫌いな細かい備品計算も、笑顔で行うことが出来る。それすら楽しいと想ってしまう。
「アンジェ、ミス無く仕事しているよねえ。しかも早い。笑顔もぴかいち! 何か良いこと遭ったの?」
 向かいの席に座るエンジュが興味津々に訊いてくる。最近エンジュも幸せなせいか、てきぱきと雑務をこなしている。その彼女に指摘されるのが、ちょっぴり嬉しい。
「お弁当を作るのが楽しみなんだ〜!」
「いつもの事じゃない」
「んふふ〜」
 誤魔化しているのか肯定しているのか、自分でも訳が判らない笑顔を浮かべると、アンジェリークはノートパソコンに向かって、てきぱきと仕事を始める。
 いつもはまどろっこしいと思う、単調に過ぎる就業時間内も、今日は鼻歌交じりで過ごすことが出来る。少し疲れたと思えば、目の前に活けてある白薔薇を見て心を癒せばいいし、明日のお弁当のおかずを考えればいい。
 調子良く明日やらなければならない書類まで完成させて、アンジェリークの一日の業務が終了した。
「ねえ、アンジェ、これから、レオナードと一緒にヴィクトールおやぢの店に行くんだけれど、アンジェも一緒に行かない?」
 エンジュが折角誘ってくれたが、明日のお弁当作りの為に、やらなければならないことが山ほど有る。断るには惜しい誘いだが仕方がない。
「有り難う。だけど、やらなくっちゃならないことがいっぱいあるの。明日のお弁当に命を賭けているし」
「そう。だったら、また誘うね」
 アンジェリークは瞳を輝かせ、明日のお弁当作りに並々ならぬ情熱を賭けていることを、エンジュに見せ付けた。
「うん。有り難う!!」
 さあ、スーパーに行かなければならない。アンジェリークは凄まじい速さで会社を後にした。そう、エンジュや後から迎えに来た、レオナードも呆れるぐらいに。
 
 最寄りの駅前のいつものスーパーで先ずしたことは、アリオス用の大きな二段弁当箱を買うことだった。
 折角材料費も預かっているのだから、気合いを入れて作らなければならない。
 おかずは、ネギ卵、タンドリーチキン、根菜をたっぷり入れたミニグラタン、ゴボウとエリンギの牛肉巻き、常備菜であるひじきの煮物、ほうれん草もやしのおひたし、カボチャとブロッコリーのミニサラダだ。栄養のバランスも取れていると思うし、窓拭きという重労働のアリオスには、タンパク質を多めに取って貰おうと思っている。
 沢山の食材を袋に入れて持ち帰り、夕食の準備の傍ら、ランチを準備した。
 小さな自分の城で料理するのが、今は一番好き。ハマっていると言っても良い。1ルームではなく、1DKのアパートに拘ったのも、キッチンで拘りの料理をしたかったからだ。
 ガステーブルコンロも火力の強いものを選んだし、電子レンジも単身者では珍しいオーブン機能が付いている。これらを駆使して、料理を作るのが、アンジェリークの一番の幸せだ。
 ヴィクトールおやぢの店の海鮮丼も捨てがたかったが、今日は家で料理をする方が、心が満たされ、幸せに思えた。
 誰かの為に料理をするのが、こんなに楽しいもんだなんて、今までは知らなかった。妙ちきりんな的外れの歌ですら唇からこぼれ落ちる。
 明日、アリオスの美味しい顔に逢えると思うと、否が応でも頑張ってしまうアンジェリークだった。


   *

 翌日は、いつもより3本も早い電車で出勤してしまった。それほど嬉しさが裏打ちされていたのだろう。
 少し萎れ始めた白薔薇の水を換えてやり、軽く掃除をして、始業時間に備えて、仕事がし易いように準備をした。
 オフィスの棚を整理していると、隅からとっても美味しそうな栗饅頭の包みが出てきた。賞味期限は印字されていないが、匂いをかいで大丈夫そうな気がするし、包みを開けてもカビは生えていない。
「頭を使う仕事には、当然甘いものがいるものね〜。食べちゃおう!」
 番茶を給茶機から注いで、仕事前のリラックスとばかりに、大きな口をあんぐりと開けて食する。
 …これが間違いだった。
 8時45分に始まる朝礼には、アンジェリークの姿はなかった。エンジュが心配そうにおろおろし、机の上に置いてある栗饅頭の包み紙を拾い上げる。
 たしかにそれはひと月以上前に頂いた栗饅頭の残りだった。
 その頃、アンジェリークはと言うと、トイレの住人だった。見事に当たったのだ。
 自分の食いしん坊をこれほど恨んだことはない。全く、何でも食べてしまう癖は無くさなければならない。このままでは本当に、そのうち、毒饅頭を食べさせられて死ぬことだろう。
 栗饅頭も最初のひとくちは美味しかったのだが、二口目に異変を感じた。だがもう遅い。二口でぺろりと食べ終わってしまったのだ。
 今まで、賞味期限が少しぐらい切れても何ともなかったアンジェリークのお腹だが、流石にひと月以上前の栗饅頭は、受け付けなかったよう。
「腐った栗饅頭食べて、腹壊しだなんて、笑うに笑えない〜!!」
 アンジェリークは出し切って吐ききった後、真っ白な顔をして医務室に駆け込んだ。
「…栗饅頭を食べてお腹を壊したのですか? 栗饅頭はひょっとして、ひと月以上前に頂いた…」
「はい…・あれです。まだ大丈夫だと思って…」
 医務室に行き事情を話すなり、オフィスドクターであるフランシスが、呆れたように溜息を吐いた。
「…しょうがありませんね…レディは。何でも辺りにあるものを食べるのではありませんよ…」
「反省しています…」
 しゅんと項垂れて、アンジェリークは椅子に座りながら小さくなる。やはり、賞味期限確認は大事だと、アンジェリークは痛いほど感じた。
「…薬です。念のために、少し多めに出しておきます。これを飲んで暫く寝たら、仕事復帰して大丈夫ですよ」
「はい」
 フランシスから渡された薬と水を受け取り、それを一気に胃の中に流しこむ。これで良くなってくれれば儲けものだ。
「少しお眠りなさい。お昼前には具合は良くなるでしょう。正し、今日のランチは食べないこと。夕食もおかゆとかお茶漬けといった、軽いものを取るように心掛けて下さい」
 折角作ったお弁当が食べられない!しかも、夕飯はおかゆだとは!! アンジェリークはショックで信じられないとばかりに、首を何度も振った。
「フランシス先生! お願いだからそれだけは止めて! まともなご飯ぐらい食べさせて下さい!!」
 アンジェリークは懇願したが、直ぐに険しい顔をしたフランシスに遮られる。
「お黙りなさい、レディ。今回のことは自業自得です!! 今日ぐらいは大人しくすること! いいですね!」
「は、はいっ!」
 いつもはとてもソフトで穏やかなドクター…フランシスが、今日に限って厳しく、お灸を据える。眉間の皺の激しさに、アンジェリークはたじろいで返事をするしかなかった。

 11時には仕事復帰が出来、いつものようにノートパソコンを駆使して励む。昨日に、今日やらなければならない仕事をやっておいて良かった。遅れもなく、順調に仕事をこなすことが出来たから。
 しかし…。辛い。折角作ったお弁当を食べることが出来ないなんて。今夜はおかゆやお茶漬けしか食べることが出来ないなんて。
 吐いて出したお陰で、アンジェリークの胃は空っぽの状態で、その上薬も直ぐに効いたので、空腹を感じている。
 食べたい。でも明日のことを考えると、食べることが出来ない。
 自業自得とはいえ、アンジェリークはすっかりとしょぼくれ、元気を無くしていた。
 折角、アリオスと食べるはずのお弁当も、無駄になってしまったようだ。ただ、腐った栗饅頭を食べてしまったと言うだけで。
 午前の仕事の終了を告げるブザーが鳴り、アンジェリークは非常階段に向かった。
 今日は非常に暗い気分。俯いて力無く、約束の踊り場に向かうと、アリオスが待ってくれている。
「よお、アンジェリーク、元気がねえな?」
「…うん。はい、これお弁当」
 自分のお重が有ると哀しくなるので、アンジェリークはアリオスの分だけお弁当を持ってきた。渡すと、アリオスは受け取ってくれ、怪訝な顔をする。
「お前の重箱はどうしたよ」
「…ドクターストップ」
 理由をはっきり言いたくなくて、アンジェリークはごにょごにょと誤魔化すように呟いた。
「ドクターストップ!? 食い過ぎかよ!?」
「ちがうの!」
「だった何なんだよ」
 アリオスが心配と怪訝や苛立ちが混じり合った鋭い目線を向けてくるものだから、アンジェリークは勝てやしない。溜息を吐くと、アリオスを手招きした。
「誰にも言っちゃダメよ」
「ああ」
 もう総務部どころか、全社的に『拾い食いをして腹を壊した』ことは知られているのだが、アンジェリークはそれには気付いてはない。
 アリオスに近付くと、そっと耳打ちをした。
「棚の奥にあった栗饅頭を食べたら、腐っててお腹壊したの…」
 アリオスは一瞬真顔だった。あくまで一瞬だけ。真面目な顔が崩れおちるのは時間は掛からなかった。
「おまえ、すげえな! ホントおもしれえヤツだ! しかも共食いで腹壊すとは! 栗饅頭が栗饅頭食って、腹を壊すんだからなあ!」
 アリオスは涙を零しながら、腹と顔をぐにゃぐにゃにして笑っている。
 こうなるのを予想出来たから、アンジェリークは言いたくなかったのだ。
「…だって、まだ食べられると思ったんだもん。お昼だって食べられなくなったのに…。もう! アリオスなんか嫌いっ!」
 全くの筋違いとは思ったが、怒ったり拗ねたりせずにはいられない。切なくて、涙すら瞳に滲んだ。
 頬を膨らませて横を向くと、アリオスが鼻で苦笑しながら肩を叩いてくる。
「すまねえ。おまえにとっては死活問題だよな。また元気になったら、俺が栗饅頭だろうが、なんだろうが食わせてやる」
「ホント!?」
 全くアンジェリークは現金なもので、さっき泣いていたカラスが、直ぐに泣き止んで、期待で瞳を輝かせた。
「ああ。マジだ。おまえは甘い者だったら、何が好きなんだよ」
「やっぱり一番は、カフェオランジュのガレット。あ! でもカフェオランジュのチョコレートとか、マロングラッセも好き。あ、ケーキも勿論好き!」
 甘くて美味しいものを想像するだけで、アンジェリークの表情は素直に明るくなる。うきうきとした気分はアリオスにも伝わるようで、柔らかにフッと笑ってくれた。
「じゃあ、今度は弁当作りの駄賃に、カフェオランジュに連れて行ってやるよ。だから、昼飯ぐれえは我慢しろ」
「うん!! わ〜い!! 有り難う!!」
 アンジェリークは嬉しくてアリオスの腕を掴み、何度もぴょんぴょん跳び上がる。こんな楽しくも美味しいものが待ち受けているのなら、多少の我慢は出来るというものだ。
「楽しみ!」
 アンジェリークは、是非その日までには、胃の調子をマックスまで整えておく必要があると感じていた。
「さてと、メシを食うか。おまえはどうする? 辛かったら、どこかに食いに行っても構わねえぜ」
「いい。一緒にいる」
「そうか」
 アンジェリークのレジャーシートを敷いて、いつものように階段に腰を掛ける。今日もふたりだ。
「頂きます」
「召し上がれ」
 アリオスはきちんと手を合わせた後、お弁当にありつく。正直、横でとっておきのおかずを食べているアリオスを見るのは辛かったが、自業自得だから仕方がない。
「美味いな! おまえの味付け、すっかり俺の胃袋が気に入ってくれたみてえだ」
「良かった!!」
 アリオスが本当に美味しい顔をしてお弁当を食べてくれるのが嬉しい。整ったアリオスの横顔が優しく崩れ、そこから幸せを見出すのが、アンジェリークには素敵なことに思えた。
「今夜はどうするんだよ?」
「今夜は、おかゆかお茶漬けしかダメだって医務室の先生が。まあ、自業自得なんだけれどね…」
 あははと、アンジェリークは元気の少ないから笑いを浮かべて、溜息を吐く。
 人生の愉しみが『食べること』であるアンジェリークにとっては、耐え難い試練であるといえた。
「まあ、お茶漬けにも、美味いものはいっぱいあるからな。量は考えねえといけねえが、美味いものが食えるはずだぜ」
「そうよね!! 前向きに考えなくっちゃ!」
 いつものように拳を突き上げてみたものの、やはり折角のお弁当の無念さは気になる。しかも、アリオスが綺麗に食べ終わり、満足そうな顔をしていれば余計だ。
 とうとう空き過ぎて、腹が鳴ってしまった。
「おい、腹減ってるのか!?」
「…うん。でも夜まで我慢」
「こっち向けよ」
「え…?」
 アリオスに言われた通りに、アンジェリークは顔を向けた。頬を捕らえられ、胸がせり上がってくるほどのときめきを感じる。
「おまえのランチだ」
 いたずらそうな微笑みの色がアリオスの眼差しに広がると、唇を重ねられる。
 唇が触れるだけ。ただそれだけ。なのに、とても甘くて、美味しいキスだった。
「ランチ終わり」
「あ…」
 唇を離されても、まだ頭の中がぼんやりして、鼓動が短距離ランナーのように走る。喉がからからに渇いて、出来る仕草は、アリオスを見ることだけだ。
「もうすぐ、時間だろ。俺も窓拭きしねえといけねえからな」
「…うん」
 アンジェリークはアリオスからお弁当箱を受け取ると、まる機械じかけのお人形のように、ぎこちなく頷いた。
「…また、明日も作ってくるね」
「ああ。じゃあな。ごちそうさん」
「また、明日…」
 アリオスはまた階段を二段飛ばしで上っていく。見送った後、アンジェリークはスキップをしながらオフィスに戻った。
 お腹は、もう一杯のような気がした  

 3時になると、アンジェリークの会社は全員が椅子から立ち上がって、ラジオ体操をする。仕事で凝った筋肉をほぐすためだ。
 その後におやつタイムにする者が多いが、今日のアンジェリークは白湯と薬だけ。
 心がいっぱいで無かったら、暴れて自分のデスクをひっくり返してしまうほどだ。
「アンジェリークさん、お届け物です!!」
「はあい!」
 また個人名でのお届け物。アンジェリークははんこを持って、オフィスの入り口に向かった。
「はい、どうぞ」
「有り難う…」
「届けられたのは、カフェオランジュの包み紙が眩しい箱と、コスモスとかすみ草が揺れる可愛い花束だ。
 差出人は書かれておらず、アンジェリークはまた首を捻った。
 目の前に飾られている白薔薇を見た後、花束に挟まれたカードを読んだ。

 お腹の具合は大丈夫ですか。今日は大変かもしれませんから、早く元気になって下さい。
 これはささやかな私からのお見舞いの品です。元気になったらお召し上がり下さい。
      あなたのファンより。

 また、同じ人だ。しかも、アンジェリークのお腹の調子が悪いことをキッパリと言い当てている。
 一体誰なのだろうか。お腹の調子が悪いのは、もう全社的に伝わっているようなので、知っていてもおかしくはない。
 本当に誰も該当者が思いつかなくて、アンジェリークは首を捻った。
「ねえ、アンジェ! その包みは何が入っているの!? 開けてみて!」
 前の席からひょっこりと顔を出したエンジュに促されて、アンジェリークは包みを開いた。
 すると中には、カフェオランジュのガレットとマロングラッセが詰め合わせで入っていたのだ。しかも、驚くことに、賞味期限にはマーカーが引いてあり、『賞味期限は必ずご確認の上召し上がって下さい』とメモ書きが添えられている。
 腐ったものを食べてお腹を壊したアンジェリークへの、この人物なりの配慮なのだろう。
「でもイマドキこんなことがあるのねえ」
 エンジュは感心するような何度も頷いている。一歩間違えれば、確かにストーカーに間違えられる行為ではあるのだが、その心遣いには、全く感服させられる。
「半分上げるよ、エンジュ」
「わ〜い! これでお茶の時間が潤う!」
 エンジュにガレットとマロングラッセを分けてやった後、アンジェリークはクリスタルの花瓶に活ける花を入れ替える。白薔薇は、家で暫く生けておこう。きっと心も程度和むだろうから。
「美味し〜! アンジェ、有り難うね!」
「うん!」
 アンジェリークがオフィスに戻ると、エンジュが幸せそうにおやつを頬張っている。
 アンジェリークは席に着くと、白湯と薬を飲み干した。
 素敵なプレゼントを貰った後は、心が楽しく和むものだ。
 花瓶に活けられた可憐な花を見つめながら、アンジェリークは癒やしの休憩時間を過ごすことが出来た。

   *

 仕事が終わり、アンジェリークは充実した気分で会社を後にした。
 ネットでこっそりと検索した結果、美味しいお茶漬けが沢山あることを知り、レシピを取り出した。
 乾燥タラ、赤かぶ漬け、柴漬け、梅干し、鰹節などで、美味しい消化が良いお茶漬けを作ろうと思っている。
 駅までちんたらと歩こうとしたところで、アリオスが声を掛けてきた。
 作業着しか見たことのないアリオスの私服姿に、アンジェリークは見落とすところだった。目を見張るほど素晴らしかったから。
 白いシャツに白いジャケット、オフホワイトのジーンズなんて、背が高くスタイルが良くないと絶対に似合わない。近付くと、ほんのりとフェロモンな香りがした。
「よう。時間有るか?」
「あるけれど…」
「美味いお茶漬けバイキングがあるんだ、行ねえか?」
 お茶漬けバイキング! 今のアンジェリークには良さげな響きがある。一にも二にもなく頷いた。
「連れて行って!」
「よし!」
 アリオスがごく自然に手を握って、引っ張っていってくれる。少しきつい腕の力。だが、幸せを生んでくれる素敵なものだ。
「今日のお茶漬け屋はかなり美味いからな。まあ、おまえの料理ぐれえ確実に美味いはずだ」
「愉しみ!!」
 アリオスにどこかへ連れて行って貰うだけで嬉しいのに、しかも美味しい場所だ。
 ぶらぶらと暫くは歩くことを愉しんで、小さな店にたどり着いた。ちょっとひなびた感じが、アンジェリークの心を捕らえる。
「こんな所こそが美味しいのよ!」
「ああ。入るぞ」
「うん!!」
 店は古い町屋を改装したもので、雰囲気も抜群に良かった。
「俺に任せてくれねえか」
「うん!」
 メニューを見ずにして、アリオスは店のスタッフを呼びつけると、
”スペシャルお茶漬けセット”を頼んでくれた。
 注文が通って暫くして運ばれてきた者は、アンジェリークにとっては目が眩むほど素敵なもの。おひつたっぷりのご飯と、玉露のお茶の入った急須と、出しの入った急須。お茶碗はアリオスと夫婦茶碗でふたつ。
そして、具材がまた豪華だった。
 鯛やイサキを薄くスライスした醤油漬けにゴマがあえられたもの、細かく切った鰻、三つ葉。細かく切った漬け物は、赤かぶ漬け、野沢菜漬け、高菜漬け、しば漬けがあり、もちろん紫蘇や梅干しと言った定番のものもある。塩タラや塩鮭を解しも皿にある。
 その上サイドのおかずには、豚の角煮に冷や奴、冬瓜の煮たものが付いている。
「うわ〜、凄い美味しそう!」
 アンジェリークは具材に目移りをさせながら、目をらんらんと輝かせている。
「最初は、その醤油漬けのやつに三つ葉、わさびを入れて、梅干しの叩いたのを乗せ、だし汁を掛けると絶品だ。作ってやるよ」
「うん!!」
 アリオスは手早く大きな茶碗でアンジェリークのお茶漬けを作ってやる。具材も自分のものよりも多く使ってくれている。こういった心遣いが嬉しい。
「ほら」
「わ〜い! 頂きます!」
 アリオスに渡されるなり、アンジェリークは餓鬼のようにがっついて食べる。本当に、美味しい。するすると入って、どんどん食べられる。正直、こんな美味しいお茶漬けは食べたことがなかった。
「すごいよ〜。ハーモニーだ〜、アリオス!!」
「そいつは良かったな」
 アリオスが本当に嬉しそうに眺めてくれる。深みのある微笑みが広がった眼差しは、お茶漬けと同じぐらいに美味しい。
 ぺろりと食べ終わった後は、まだまだ次が待っている。アリオスがまたご飯をよそって、鰻をメインにしたお茶漬けを作ってくれる。今度は三つ葉、鰻、だし汁と至ってシンプル。これがまた胃にかき込むぐらいに美味しかった。
 アンジェリークは、こんな美味しいお茶漬けを食べられたので、お腹を壊しても良かったとさえ思う。栗饅頭共食いとアリオスにはからかわれてしまったが、アンジェリークには素敵な夕食に繋がる、お腹下しだった。全く、転んでもただで起きていないと思う。
 三杯目は、塩鮭や塩タラ、お漬け物を入れて上からお茶を掛けるもの。これもまた五臓六腑に染みわたる旨さだ。
「こんなに、美味しいのは初めて!」
 アンジェリークはお茶漬けに対して賞賛の嵐だ。実際に、美味しいのだから仕方がない。
 運ばれてきたお茶漬けセットは、短時間で綺麗に完食し、アンジェリークはお腹一杯のお腹を抱えて、ごろんと横になった。
「飢えてたから、美味しかった〜」
「気に入ってくれたみてえだな。良かったぜ」
「うん!!」
 アリオスは余り食べてはいなかったが、サイドのおかずや刺身を頼んで、イキに日本酒を飲んでいた。サイドも殆どを、アンジェリークが食べ尽くしてしまったのだが。
「念のため、ちゃんと薬は飲んでおけよ」
「はあい」
 アンジェリークはアリオスに言われた通りに薬を飲み、これで〆になった。
 結局はアリオスが全部出してくれ、アンジェリークのひとり暮らし財布は、一食分助かった。
 お茶漬け屋を出たのは、まだ7時を少し過ぎた頃だった。これだったら、スーパーの時間にも間に合うというものだ。
「なあ、これから、おまえが行きたい場所ってあるか?」
「うん! スーパー!! 明日のお弁当のおかずで足りない物を買うの。ご飯とか野菜は田舎の家から送ってきてくれるから、苦労していないけれど」
「じゃあ、連れて行ってやるよ。会社の近くに車置いているしな」
 アリオスは手を引くと、駐車場まで連れて行ってくれた。
 駐車場に来るなり、アンジェリークあんぐりと口を開ける。予想外なアリオスの車に、本当に驚いてしまったのだ。
 外車だ。しかも有名なメーカーのスポーツカー。車音痴のアンジェリークですら知っている代物だ。シルバーメタリックのカラーはアリオスによく似合っていたが、しかし、こんな立派な車に乗っているとは。社長のレオナード並みの車だ。
「窓拭きって、儲かるの?」
「いいや。日雇いに近いからな。そんなにだ。まあ、普通にリーマンしているよりは、危険手当の分給料はいいがな」
「ふうん」
 アリオスの言葉は何か腑に落ちない。アンジェリークは心に疑問を残しながら、助手席に乗ることにした。
「俺は車道楽だからな、車には金を掛けている」
「そうなんだ」
 きょろきょろと車内を見渡すと、大きなボストンバックが置いてる。アンジェリークは興味を引いて、それを指さした。
「何で、ぱんぱんのボストンを持ち歩いているの?」
「ああ。家財道具」
「家財道具!?」
 アンジェリークは一瞬驚いてアリオスを見た。アリスはひょっとして、家無き男なのか。アンジェリークは怪訝そうに眉根を寄せた。
「そんな顔をするなよ。来週には引っ越しが出来るんだが、環境が整うまでは、ホテルで暮らしている。前の住人が居座ってるんだ。こっちは金を払い込んだって言うのによ」
「ホテルってビジネスホテルとか…。簡易宿泊所とか?」
「まあ、そんなところだな。今度の家は前よりは広いらしいから、期待してたのにな。まあ、家具類の一切は引っ越し屋に預けっぱなし」
「そうだったんだ…」
 気の毒にと、アンジェリークは同情な視線を送る。こぎれいにしているので、アリオスが泊まっているのはきちんとしたビジネスホテルだろう。さが、それも日数を重ねるとバカにならない。
 アンジェリークの部屋は、幸いにも布団がひと組来客用に置いてある。狭いことを我慢すれば、アリオスひとりぐらいは置いて上げられる。
 アンジェリークは迷いつつも、決心した。このままアリオスをひとりにしてやることは自分的には出来ない。
「ねえ、アリオス!! よ、よかったら、うちに来ない!? あ、お布団もひと組余分にあるし…、それに、ホテルなんかで泊まり続けたら、絶対に高いから!! 一週間ぐらいだったら、うちに来たら?」
 アンジェリークは声を上ずらせて震えさせて、一生懸命アリオスを説得する。こんなことを女の子が提案するのはどうかと思ったが、アリオスに同情と愛を感じずにはいられなかった。
 最初アリオスは驚いて、じっと話に耳を傾けてくれていたが、そのうち独特の涼しげな笑みを口元に浮かべた。
「  サンキュ。お言葉に甘えさせて貰う。ホテルはキャンセルしておく。お前の所のが、居心地は良さそうだもんな」
「うん!! 一流ホテルよりも、絶対サービスしてあげる! サービスマンよりサービスしてあげる」
「サンキュ。近所に駐車場はあるか?なかったら、ここに置いたままのがいいからな」
「うん。ここに置いたままの方がいいかも」
 アンジェリークの住む地域には、青空駐車場しかない。そんなところに、アリオスの高級車を停めるわけにはいかないのだ。
「だったら降りて、スーパーに行くか」
「うん」
 アリオスは車を駐車場に預け直した後、大きなボストンバッグを持って、アンジェリークと共に車から出た。
 手を絡ませて、いつもの満員電車に乗っていく。駅に向かう途中、ヴィクトールおやぢの店をふたりでそっと覗くと、レオナードとエンジュが楽しそうにしていて、嬉しかった。
 最寄り駅で降りて、明日のお弁当のためにスーパーで買い物。
 こんなに楽しく帰宅出来たのは久しぶりで、アンジェリークはずっと笑いっぱなしだった。





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