「オフィスは大騒ぎ」

アリオス×コレット「吐息を花束にして」後編


 アリオスとふたりきりでいることが、こんなに緊張する行為だとは、アンジェリークは思わなかった。
 一緒にTVを見たり、お風呂の準備をしたり、お弁当の下ごしらえをしたりするのは楽しい。
 だが、夜も更けてきて、お風呂に入る時間になると、否が応でも緊張せずにはいられなかった。 アンジェリークのアパートは、新築ではないけれど、トイレとバスがセパレートなので、お互いのとてもプライヴェートな領域を侵すことはない。それでも意識せずにはいられなかった。
「アリオス、先にお風呂に入って。あ、私、お布団の準備をしておくから」
「ああ。サンキュ」
 アリオスが下着とTシャツなどを持ってお風呂に入っている間、アンジェリークは布団を敷いて寝る支度をした。
 明日も早いのだから、アリオスには快適な睡眠を取らせてやりたいという配慮からだ。
 綺麗にきちんとシーツを敷いて、アリオスが寝易い環境を整えてやる。
 アリオスがホテルよりもリラックスしてくれたらいいのにと思う。
 布団を敷いた後、明日の朝にご飯が炊けるようにタイマーをセットしたり、下ごしらえをしていると、アリオスがバスルームから出てきた。
「ああ。お先だった。おまえも早く入れよ」
「うん。有り難う」
 背中にアリオスの気配がしてドキドキする。別に肌を密着しているわけでもないのに、熱を感じた。
 すっと気配が引いたので振り返ると、アリオスが布団の上に座り込んでビールを飲んでいる姿が見えた。
 銀の髪にしたたり落ちる雫や、Tシャツから覗く鎖骨には雫が零れている。
 セクシーだ。それも堪らなく。アリオスの整ったパーツが一気にアンジェリークの脳裏に淫らにインプットされ、思わず生唾を飲み込んでしまった。
 心臓が音を立てて鼓動を早め、肌が異様に熱くなる。喉が渇きすぎて、喉すら痛い。アリオスを見つめる眼差しでさえも痛い。興奮の余り、別の場所が疼いた。女の中心だ。
 まるでさかりのついた雌猫のようだ。枯れた艶のある太い声で、雄を求めて啼いている。
「…お風呂…入ろうかな」
 アンジェリークは獲物を狙う猫のように舌なめずりをする自分が嫌で、お風呂に逃げ込んだ。
 アリオスが使った後だと思うだけで、神経が張り詰めて、パルスが緊張する。
 濡れた肌を震わせながら、アンジェリークは冷たいシャワーを浴びた。官能にぼけた自分の肌を、目覚めさせるためだ。
 伸びた栗色の髪をお気に入りのシャンプーと洗ってしっかりコンディショーナーをつける。それが浸透している間に、スパ成分が配合されているボディシャンプーで敏感な肌を洗った。
 赤くなるぐらいにこすりつけて洗う。一体誰に触れて貰うために、これだけ念入りに磨きを掛けるのか。
 途中でばからしくなって、磨きを掛けるのを止めた。
 大好きなバスソルトを入れ、バスタブに浸かる。唇が覆うぐらいまで浸かって、ぷくぷくと空気を吐き出す。自分の女としての嫌な部分が吐き出される気がして、アンジェリークは緊張から躰を解き放つ。だが、唇が震えた。
 はみがきや、毛穴を広げての丁寧な洗顔の後、アンジェリークは色気のないタンタンパジャマを着て、バスルームから出た。
 ダイニングにはすでにアリオスはおらず、髪をそこで乾かした後、部屋に入った。
 聞こえるのは寝息だけ。アリオスがぐっすりと眠っているのが感じられる。
 ベッドに向けられた広い精悍な背中を見ると、何だかそれに縋り付いてしまいたくなる。
 何度も震える手を伸ばしたが、アンジェリークはついに実行には至らなかった。
「…お休みなさい…」
 小さく呟いて、部屋の電気を消す。
もちろん、アリオスの目が同時に開いたことは、アンジェリークは気付かなかった。

 とにかく、もう秋も深まっているのに、寝苦しい夜だった。熱帯夜に近い寝苦しさに、アンジェリークは閉口した。
 だがそれがなぜだか判っている。相変わらず心臓は跳ね回って熱く、女の部分もずきずきする胸の先端も、痛い。
 こんな感覚は、本当に今までなかった。
 手を繋いだりしたい成敗猛れども、何せ田舎の話で、特にアンジェリークが住んでいたところに発展屋などいやしなかったのだ。
 処女のあのが恨めしいのか嬉しいのか判らない。アリオスにどう接していいか判らないじぶんが悔しくて、何度も寝返りを打つ。
 何度か寝返りを打ったところで、かすかな舌打ちが聞こえた。
 アリオスだ。アンジェリークは当然の成り行きだと思う。寝返りを打つためにかすかな呻き声と、絹摺れの音を立てていたのだから。
「おい、眠れねえのか」
「ちょっと熱いだけ…」
「フン…」
 アリオスはアンジェリークに手を伸ばすと、ぎゅっと握りしめてくれる。上下での手の触れあいに、切ない胸は甘く満たされた。
「…寝ろよ」
「うん」
 アリオスの心地よいテノールに囁かれると、不思議と心は落ち着いていく。まだ、意識をするなとは心に命令することが出来なかったが、先ほどよりも神経が落ち着いているのを感じた。

 いつの間に寝ていたのだろうか。気が付くと、目覚ましが鳴る、一分前。アリオスも規則的な寝息を深く立てている。
 カーテン越しに窓から差し込む光は、確かに朝の躍動感のあるものだった。
 アリオスの横顔を見つめ、想いに浸っていると、タンタンの目覚まし時計が、派手な音を立てて鳴る。
『朝じゃあ! 起きぬか!!』
 エンジュに貰った特製タンタン目覚ましを止めると、アリオスが目を擦って身動いだ。
「…もう、朝なのかよ」
「うん。先に起きてお弁当と朝食の準備をするから、アリオスは寝ていてもいいよ」
「ああ」
 アンジェリークはしっかりと結ばれたアリオスと自分の手を解き、バスルームに向かった。軽く汗を流してさっぱりしたい。
 シャワーを浴びて、身支度をした後は、直ぐにお弁当作りに取りかかる。下ごしらえは済んでいるので、後は簡単だ。朝食はお弁当の残りと、ベーコンエッグ、簡単なみそ汁を作ればいい。
 みそ汁が出来る頃に、アリオスを起こしに行くと、ビールの缶を灰皿にして煙草を吸っていた。
「もうすぐごはん出来るから支度をして?」
「ああ」
 アリオスはバッグから自分の服を取り出して、これまたバスルームに籠もる。
 シャワーを浴びている間、総ての準備を整えていく。いつも通りに出かけることが出来そうだ。
 玄関に飾った白薔薇の水を換え、養分を入れた頃に、アリオスがバスルームから出てきた。
「ごはん出来てるから、一緒に食べよう」
「ああ」
 アリオスと小さなダイニングテーブルを挟んで食事をするのも、いいものだ。
「今日のお弁当の残りなんだけれどね。少しアレンジしてるから、また違った味になってるから」
「マジで、ホテルよりサービスがいいな。ホテルは弁当なんて作ってはくれねえからな」
「確かに」
 朝陽を浴びて、和んで食事を取るのが、こんなに愉しいことだとは、初めての経験だった。
 清々しい朝は気持ちの良いものだとは思ってはいたが、これほどまでに躍動感のある朝食は初めてだった。
 ニュース番組を見ながら、アリオスとああだこうだと言う。他愛のない会話なのに、本当に楽しくて良く笑った。
 一緒にお弁当を持って、きちんと戸締まりをしてから出かける。
 一緒に出勤だなんて、ときめきの余りスキップしてしまいそうになる。アリオスの少し寝起きの悪い横顔ばかり見ていたので、アンジェリークは不注意で自転車にぶつかりそうになる。
「こら、ちゃんと前を見る!」
 アリオスが手を引いてくれなかったら、危うく自転車とぶつかってしまうところだった。肝を冷やし、アンジェリークは項垂れる。
「ごめんなさい」
「ったく、世話が焼けるぜ、おまえは」
 アリオスは不機嫌そうに言うと、強引にアンジェリークの手を握って自分に引き寄せた。ごく自然に当たり前のように行ったので、アンジェリークは胸がときめきで溢れるのを感じた。
「このままだ」
「うん」
 手を繋いだまま駅まで向かう。アリオスが駅のスタンドで経済新聞を買っている間も、手は離れない。
 今日は女性専用車両に乗られないが、アリオスが護ってくれるので、全く持って快適な旅だった。
 会社まで来ると、玄関先でお別れだ。
「またな。今日は一緒に帰るぞ」
「うん!! じゃあお昼に!」
 アリオスと別れて、アンジェリークは今日も一生懸命ビルの中に吸い込まれていく。
 柔らかな朝陽を心地よく感じながら、アリオスと一緒にいれば、どんなことでも出来るような気がした。

   *

 あれから3日間、新婚のように甘く快適な新婚生活が続いている。性交渉がない以外は、アンジェリークとアリオスは夫婦同然の生活をしていた。
 確かに楽しいし、素晴らしくやりがいのあるひとときだ。だが、切ない日々でもある。
 躰がどうしようもなく愛しげにアリオスを求めている。アンジェリークの想いだけではどうにもならない問題も抱えていたのだ。
 経済的には、ふたりでいる方が楽で、家賃の一週間分と食費や光熱費は総てアリオスが負担してくれ、かえってホテル暮らしよりも高く付いてしまったかもしれなかった。
 今日も一緒に帰り、食事を作って楽しく食べる。
 メニューは豆乳鍋。白菜、ニラ、もやしといった定番野菜に、タラ、豚肉、キクラゲ、豆腐、キノコをだし汁で伸ばした豆乳で頂くものだ。
 熱いけれど、とても美味しい、ひとり暮らしのアンジェリークには定番のメニューだった。最後はラーメンで〆。
 夕食が終わった後、アリオスにお風呂に入って貰っている、片付け等を行う。幸い、週末なので、お弁当の準備をしなくていいので安心だ。
「出た」
「うん」
 アンジェリークはシャワーに入り、今夜も切ない肌の疼きに身を焦がした。
 日を追うにつれて、アリオスへの欲望が高まってきている。何もかも初めての感覚なアンジェリークは、正直戸惑っているところがあった。
 アリオスに触れて欲しい。だが、自分からは上手く言えない。
 今日もアリオスに触れられるはずのない肌を結局は一生懸命磨き、いつもにも増して長風呂になってしまった。
 お風呂上がりに肌の手入れをし、髪をついでに乾かす。一息吐いたところで、神経インパルスを鎮めるためにも、ココアが飲みたくなった。
「確か、上にあったのよね〜」
 アンジェリークは背伸びをして、上の棚からココアのお徳用袋を取ろうとする。
「あ、きゃあ!」
 バランスを崩して倒れそうになったところで、アリオスの逞しい腕に抱き留められた。
「おい、大丈夫かよ!?」
「うん、有り難うアリオス」
 アリオスの腕も、僅かに湿った温かな膚の観測も、良い匂いがする髪も、総てが鮮明に淫らな感覚として焼き付けられる。
 意識しすぎて、肌が化学変化を起こしたようにナーバスで敏感になった。
 パルスも鼓動も全部が全部、鮮やか印象を残す。
 堪らない。胸も、女の象徴も、胸も、みんな熱い。総てがアリオスを求めて悲鳴を上げている。
「何を取ろうとした…?」
「…あ。ココア。上にあるの…。よく眠れると思って」
 背後から支えるアリオスの腕が、抱擁に変わった。ぎゅっと強く抱きしめられ、密着をされて、アンジェリークは喘いだ。
「チビだから無理するなよ。必要な時は俺を呼べ。いつでもな」
 アリオスの少し冷たい唇が、首筋に当たった。触れられた部分が急速に熱くなり、そこだけが生きているとさえ感じる。
 息が乱れ、上手く深呼吸が出来なくなっていた。
「…ココア取って…」
 アンジェリークはやっとの事で言う。心臓はもう限界まで跳ね上がっている。
「嫌だって言ったらどうなんだよ?」
 アリオスは腕のなかでアンジェリークの華奢な躰を回転させ、自分に向き直させた。
 お互いに熱を帯びた眼差しで見つめ合った後、荒々しく唇が重なった。
 完全に堰は切れた。お互いの情熱が、お互いに怒涛のように流れ込んでいく。
 今までにないキスは恐ろしいほど貪欲で、甘美だった。強引に歯列を割ったアリオスの舌は、口腔内を我がもののように愛撫する。生きたように蠢く舌は、アンジェリークを震わせるのに充分な愛撫を施した。顎の上も、歯列の裏までも、丁寧に何度も愛撫をする。
 舌を絡ませ、お互いの熱を分け与えるというのも、悪くなかった。
 同じは磨き粉を使っているせいか、お互いにスペアミントの味がする。爽やかでだが濃厚なテイスト。
 唾液がお互いの口腔内を行き来しても気にならないほど、アンジェリークはキスに溺れた。
 溺れた証拠に、息をするのを忘れ、倒れそうになったところをアリオスにしっかりと捕らえられる。
「…アンジェリーク」
 低く躰の奥に染みこむような声で名前を呼ばれながら、アンジェリークは酸素を取り戻そうと必死に息をする。
「ココアよりも甘い経験させてやる」
 アリオスに抱き上げられて、寝室に向かう。いつも寝ているベッドではなく、寝かされたのは布団の上だった。
 シーツの上に栗色の髪が広がり、アリオスはそれを一房手に取りキスをする。
「美味い、最高の栗饅頭は俺が頂くからな」
「…お腹、壊すかもよ?」
「黙ってろ」
 唇を深く重ねられて、アンジェリークは溺れる者のように、アリオスの肩にしっかりと掴まった。
 誰かを基準にすることは出来ない。だが、アンジェリークにとっては、アリオスのキスが最高のものだと感じる。素敵すぎて言葉に出来ない、夢のようなキス。
 キスの合間に、パジャマのボタンが器用に外される。寝るだけなのでブラジャーで締め付けていなかった胸が、ふるりと揺れた。
 アリオスの唇が唇から離れた時、目があう。
「色気のねえパジャマ」
「どうせ色気はありませんっ!」
「パジャマに色気がなくても、本人にすげえ色気があったら、たまらなくなっちまうもんだな…」
 アリオスの手がマ流れるように自然に、アンジェリークからパジャマを抜き取った。下着だけの無防備な姿になり、アンジェリークは躰を抱き締めた。
「手を退けろ」
 アリオスの切れるような異色の眼差しに、どうしてこんなに弱いのだろうか。アンジェリークは頬を紅に染めながらも、素直に手を解いた。
「良い子だな、アンジェ」
「ああっ!」
 アリオスの真っ直ぐと伸びた繊細な指先が、キャミソールの内側に侵入してくる。味わうように肌を撫でられた後、乳房を下から持ち上げるように抱えられた。
 あれだけ敏感で張り詰めていた乳房に触れられるのに、アンジェリークは痛みを予測して顔を顰めた。だが、実際には痛みは感じず、代わりにずっと扱った女の場所が切なく疼いた。
「あ…」
「痛いか?」
「大丈夫…」
 その一言に安心したのか、アリオスの手は激しく胸を揉み込み始めた。柔らかさを愉しむように、確かめるように、アリオスの手は巧みに動いていく。
 キャミソールが邪魔なのか、さっさと取り除かれて、上半身は完全に晒されてしまった。
 アリオスは熱く逞しい胸を密着し、抱きしめてくる。
 抱き合うだけで、どうしてこんなに気持ちが良いんだろうか。肌と肌のふれあいは、圧倒的な根城と愛情を生んだ。
 先ほどまで熱く感じたアリオスの唇は、程良い冷たさを取り戻して、首筋を口づけてくる。くすぐったさと快感の中間のような感触は、肌をより敏感にした。
 きつく吸い上げられるのも嬉しい。総てがアリオスのものになったような、幸せな気分になれるからだ。
 舌で躰のラインをなぞられる。華奢ながらプロポーション的には整ったアンジェリークの曲線を帯びたラインを、アリオスは丹念に舐めてくれる。
 愛されていると、総てが感じた。
 アリオスの指先も舌の動きも、音を奏でるように、甘い感覚を引き出してくれる。
 鎖骨のくぼみにキスを受けた時、思わずシーツを蹴飛ばしてしまった。
 剥き出しの肩が震える。寒くないのに震えてしょうがない。
「寒いのか?」
「ううん、大丈夫」
 アンジェリークはアリオスの温もりを貪欲に得るために、しっかりと抱き付いていった。
 睫の下もまだ震える。ぎゅっと目を閉じて、アリオスの為すがままになった。
「目を開けろよ。自分が女になる瞬間を、ちゃんとこの目で見ろ。おまえの男が、おまえを女にする瞬間をな」
 低い声で言われてしまえば、誰が抵抗出来るだろうか。アリオスの声はそれぐらい威力があった。
 指先が、乳首のラインにぎりぎりのところで触れてくる。ほんの掠れる程度の状態に、アンジェリークは呻いた。
 どうして意地悪なんだろうか。
 アンジェリークの乳首はすっかり勃起して色味を変え、アリオスを求めて小刻みに震えている。
 なのに、アリオスは指先で触れるだけだ。
 アリオスの指が堪らなくラインに沿って触れてくるので、アンジェリークは啼きそうになった。これじゃあ蛇の生殺しだ。
「やだ…」
「何が嫌なんだ?」
 舌で耳の穴を愛撫しながら、アリオスは尾てい骨に直撃する美声で囁いてくる。力が完全に躰から抜けて、抵抗すらアンジェリークは出来なかった。
「こうして欲しいのか?」
「あ、ああっ!」
 親指の腹でくにくにと乳首を触れられて、躰が敏感に跳ね上がる。
 やんわりと乳房に食い込んだ指が、よりリアルに躰がとろけていった。
「おまえのそんな顔、幸せそうにメシを食っている時以上に、可愛いぜ?」
 甘い囁きは、アンジェリークの思考を総て奪う。今ここでアリオスの総てに溺れてしまっていいと、理性のたがを外した。
 アリオスの唇が意地悪そうに笑みを浮かべた。ぷっくりと勃ちあがった乳首を吸い上げると、舌で熱を絡み取るように転がしてくる。
 快楽と秘めやかな熱に支配され、アンジェリークの女の場所は痛いほど疼きを強くした。
「ああ、ああっ!」
 アリオスの指が胸に滑らかに食い込んでいるのが、視界に映る。とても淫らなシーンのはずなのに、心も躰も悦んでいる。ずっと、アリオスの唇や指を待ちかまえたのかもしれない。
 前世からずっとずっと一緒で、待っていた。そんな気分になるぐらいに、アンジェリークの総てはすんなりとアリオスを受け入れていた。
 胸を揉み込まれたり、吸い上げられたりするのは、痛くて気持ちいい。想像以上の快楽に、アンジェリークは涙を零した。
 ふたりの熱い息と、深い声だけがBGM。いつもの部屋で、しかも古めかしいお布団だというのに、艶やかで、そこは秘めた愛の部屋に生まれ変わっている。
 熱い。どうしようもなく熱い。女の部分が悲鳴を上げている。下着からも感じられる潤いに、恥ずかしくなって脚の間を摺り合わせた。
 自分がこんなになってしまうなんて思ったことはないから、酷く恥ずかしいことだった。
 アリオスの指が湿った下着の上から、熱くなったものを撫で上げる。
「感じてるな…。下着は濡れて台無しじゃねえか」
 アリオスは意地悪に笑い、眦を甘く溶かしていた。誰のせいでここまで追いつめられたのかと、啼きそうになりながら睨んでみると、瞼を撫でられた。
「そんな顔、俺以外にするなよ?」
「ああ、嫌…」
「今夜はノーパンナイトな」
「やだあっ!」
 声だけの抵抗なのはアリオスは十分に判っているようで、悪戯っ息子のような笑みを浮かべ、愉しむように下着を下ろし脱がしてきた。
「アリオス、変態〜!」
 恥ずかしさと熱さで、アンジェリークはつい訳の判らないことを呟いてしまう。
「変態で結構。おまえ限定のそれは、悪くない」
 アリオスは確認するように綺麗な指を熱い場所に侵入させ、蜜でどろどろになっていることを確かめた後、とろけ出した入り口から指をゆっくり侵入させた。
「…痛いって…!」
「我慢しろ、直ぐになれて気持ちよくなるから」
「でも、ああっ!」
 アリオスのあっ指の圧迫は明らかに違和感があり、アンジェリークは顔を顰める。ぴりぴりとした痛みは、アリオスが指でそこを解すにつれて和らいできた。しかし、和らいだところで指を入れられて、また痛みの余りに腰を浮かせた。
「…アリオス、痛いっ! いやあ!」
 まるで子供が我が儘を言うかのように、アンジェリークは首を何度も振って嫌がるが、アリオスが止めてくれるわけがなかった。それどころか、指の動きは激しくなっていく。
「あ、ああ、ああっ!」
 激しくなればなるほど、痛みは遠のいてくる。代わりにとろとろとした蜜が激しいほどに流れ落ち、頭の芯が痛くなるぐらいの快楽が待っていた。
「やあ、ああ、ああっ!」
 完全に先ほどの痛みは、快楽が取り込んでしまった。
 アリオスの長い指が、奥のふっくらとした丘をなで上げるたびに、アンジェリークは躰を跳ね上げさせる。
 全身から汗が滲み、もうお風呂に入ったことなど無効になってしまっていた。
 熱いのに震え、自らの欲望の在処を知る。アンジェリークにとっては、全く未知なる体験の連続だ。
「なあ、おまえはどっちが感じるんだ?」
 アリオスは、アンジェリークの脚を大きく開けると、高々とそれを抱きかかえ、脚の間に顔を埋めてくる。
「ここか…」
 いいながら、硬く真っ赤に腫れ上がった肉芽を舌で舐め回してくる。悲鳴の一歩手前の喘ぎ声をアンジェリークは上げ、躰を揺らした。
「ああ、あああっ!」
「それともここか?」
「あああんっ!」
 指が刺さっていた最奥の丘を突かれて、アンジェリークは全身が液体になってしまうほど感じ、心も躰もとろかした。
「…どっちも感じるみてえだな。欲張りな女だぜ」
「ああ…、ああ、あああっ!」
 舌と指を使って、アリオスはアンジェリークの感じる場所を的確に攻めてくる。
 体温も、パルスも、鼓動も、総てが早くなり、ぐるぐると音を立てて崩れ落ちていく。
 恥ずかしさだとかそんなマイナスの感覚は感じない。ただ、アリオスには貪欲にもっと感じさせて欲しいというプラスの想いがあるだけ。
「ああ、ああ、ああああっ…!」
 気持ちが良すぎて、もう耐えられない。胸ごとぶるぶると震え、そのせいで全身が大きく揺れる。一瞬視界が暗闇にがなったかと思うと、無になった。
「あ…」
 アリオスの指が胎内から抜かれ、躰が僅かに揺れた。蜜とは違った液体で、シーツが濡れている。
 まさかと思い、アンジェリークの羞恥が俄に込み上げてきた。
「…私、もしかして、感じすぎておもらしとか…!?」
「それはねえよ。これは尿とは違う成分で、感じすぎた時に出る液だ。心配するな」
「うん…」
 本当に何も知らないのだと、アンジェリークは思う。セックスなんて今まで意識した事なんて、一度としてなかったのだから。
「ご褒美だ」
 アリオスは笑うと、皿に顔を埋めて、アンジェリークの熱い花を貪った。舌先で肉芽を弄んだり、胎内に舌を入れてディープキスのように吸い上げてみたりし、アンジェリークの欲望を更に高めていく。
 舌だとか指が欲しいんじゃない。これよりももっともっと上の快楽が欲しいだけだ。それをくれるのはアリオスしかいないのは判っているし、アリオス以外に挿って欲しくないのも判っている。
「ああ、あああっ!」
 腰の痺れが敏感になり、肌がざわめいた時、アリオスはようやく舌の淫らな動きから解放をしてくれた。
「アンジェ…。今からこれがおまえの胎内に入る…」
「え!?」
 心の準備が出来ていない状態で、アリオスの熱い雄剣を握らされた。アンジェリークの小さな手の中に厚保、熱くて硬すぎる物体。こんな大きなものが、自分の胎内に入ってしまったら、裂けて壊れてしまうだろう。
「…こんなの挿れたら死んじゃう」
「…クッ…!」
 思わずアンジェリークが握りし締めてしまったので、アリオスは甘美な苦痛の声を上げた。
「…大丈夫だから、離せ。ココアよりも甘くて旨い、俺のキャンディーバーだぜ」
「あ…」
 アリオスに指先を撫でられて、指からも完全に力を抜かれた。アリオスの熱い雄が指先からつるりとこぼれ落ちる。
「しっかり掴まってろ…。おまえに悪いようにはしねえ」
「ホント!? 約束よ!」
「ああ」
 アリオスはアンジェリークの脚を限界まで開かせると、愛しいもののように胎内の入り口に口づけた。
 アリオスの硬く反り返った大きな剣が、アンジェリークの蜜が迸る場所に今突き刺さっていく。
「いやぁぁぁぁっ! アリオスの嘘つきっ!!」
 アリオスの楔の先端が、アンジェリークの薄い膜を突破していく。何かが切れた音がした瞬間、酷い痛みが走り、アンジェリークは唇を噛みしめる。
 予想以上に痛い。痛みは本当に堪らなくて、今まで躰に受けた衝撃の仲でも、三本の指にはいるだろうと、アンジェリークは思った。
 アリオスのがっちtりとした肩に回した指先の爪が、リアルに食い込む。自分でも、かなり深く爪を入れたことが判ったが、それぐらいしなければ、突破の瞬間を耐えきられなかった。
「…アリオス…バカ…」
 悪態を吐きながら、涙が眦から零れる。これを乗り越えなければ、更に大きな快楽を迎えることが出来ないだろう。
 初めての経験は、ただ痛いだけの、そんなにいいものだと思えないと考えていた時だった。
「あうっ!」
 更に痛みが走る。アリオスが腰を進めたのだ。ゆっくりと、そして確実に進んでいくが、その度に嵐のような猛烈な痛みだ。
 シーツを激しく掴み、アリオスの背中を爪で激しく何度も傷つけたところで、アリオスの動きは一旦止まった。
 自分の胎内がアリオスの硬くて大きな怒張によって、張り裂けるぐらいに広げられているのが判る。そこは子供が通ってくる場所ではあるが、今のアンジェリークにはアリオスが精一杯だった。正直これ以上だと裂けて死ぬ。そう思った。
「…なんでおまえはそんなにムカつくぐれえに、名器なんだよ…っ!」
 アリオスは一旦動きを止めると、眉を潜め、苦しそうな顔をしながら深呼吸をしている。
 アリオスも苦しい。アンジェリークの痛みと同じぐらいに苦しいのだ。
 そう思うと嬉しくて、少し力が抜けた。
「段々甘くて良くなるからな…。掴まってろ…」
「うん…っ!」
 アリオスに抱き付くと、それを合図に優しく動き始めた。胴震いがするほど、甘く切ない動き。
 アリオスが優しく動いて、指が触れていた最奥を掠るたびに、花火のような歓喜が脳内で炸裂する。
 痛さから快楽へとシフトした瞬間であった。
「良くなってきたか…?」
 アリオスの艶を帯びた速い呼吸を伴う声が訊いてくる。恥ずかしくてまともに答えられなくて、アンジェリークは一度だけ頷いた。だが、それではアリオスの満足は得られなかったようで、肉芽を指で弄りながら、アンジェリークの真っ白な躰を翻弄していく。本当に男を知らない真っ白なキャンバスのような躰を。
「さっき言っただろ、アンジェ。目を開けろって。おまえの男がおまえを女にする瞬間を見ろって…。もうすぐその瞬間がやってくる。見ろよ。アンジェリーク」
 アリオスの声に誘われて、アンジェリークはゆっくりと瞳を開けた。眦から涙がこぼれ落ちる。アリオスがその涙を舌で掬い、唇に甘いキスをくれた。
「見ておけよ、しっかりと」
「…うん。あああっ!」
 返事をした瞬間に、アリオスの腰の動きが切れのある激しいものになっていく。
 先ほどまであんなに痛かったとは思い出せないぐらいに、感じている。アリオスの腰の動きに応じて、楔を締め付けると、アリオスの動きが更に性急になっていった。
「ああ、アリオス! アリオスっ!!」
 最奥を何度も突き上げられて堪らなくなる。指では物足りなかったのはその精だ。アンジェリークの一番敏感な場所は、アリオスの熱い剣の先端を所望していたのだから。
「ああ、ああ、ああっ!」
 目を閉じないように。苦しくて形相を歪めている艶やかなアリオスを視界に置きながら、アンジェリークは一生懸命目を開けた。
 アリオスは自分だけの男だ。これからも未来永劫。アリオスのやるせなくも甘い表情を胸に刻みつけながら、アンジェリークも躰の震えを起こす。
 そのままお互いの情熱が、愛が伝わり、迸る。
「あああっ!! もうっ!」
「アンジェ!!」
 アリオスが我慢出来なくなるのと、アンジェリークの快楽が頭の天辺から突き抜けるのは、ほぼ同時だった。
 ふたりは求め合うようにしっかりと抱き合い、尖った甘い声で叫び声を上げながら、同時に昇り詰めた。

 ゆらゆら揺れている。あれだけ求めていた肌は、とても満足しているかのように、パールの艶を出している。
 アンジェリークはアリオスの腕の中にくるまりながら、子供のように丸くなっている。
「…好き。アリオスが大好き…」
 歌を歌うように華やかに、アンジェリークは愛の言葉を囁いた。アリオスは腕の力を更に込めて、アンジェリークを護るように抱いてくれる。
「好きだぜ、アンジェ…。こんなにぴったりいった女も初めてだ。きっと俺たちは前世からずっと一緒なんだぜ」
 ロマンティックな言葉に、アンジェリークも頷く。きっとそうだ。どこか安心する我が家に帰ってきったような安堵感が、アリオスの腕の中である。穏やかであれば安堵し、嵐のような時は情熱に心をときめかせる。
 二つのことが体験出来る、唯一無二の腕だ。
「もっと、もっと、おまえが欲しい」
「アリオス」
 狭い布団の中で脚を絡み合わせて、再び愛し合う。
 明日は晴れだろうか。晴れるといいな。折角の休みなのだ、手を繋いでアリオスと散歩にでも行きたいと思う。
 アリオスの腕がアンジェリークの脳裏に浮かんだ思考を、完全に消し去る。アンジェリークは愛の嵐に身を委ねていた。

   *

 アリオスとセックスをした日から、アンジェリークの寝床は、客用の布団になってしまった。毎晩のようにアリオスと愛し合い、安堵と情熱を手に入れている。
 だが、そんなことはやはり長くは続かなかった。アリオスの新しい家が住める状態になる日が、やってきたのだ。
 憂鬱な火曜日の朝、朝食とお弁当の準備を済ませた後、アンジェリークはアリオスに日課であるお弁当箱を渡した。こうしてここで私のは、とりあえずの所ラストだ。
「はい、お弁当」
 お弁当箱を渡すと、アリオスはほんの一瞬戸惑いの表情を浮かべたが、直ぐにいつもの笑みに戻った。
「サンキュ」
 いつにも増して、大切そうにお弁当箱を鞄に詰めてくれるアリオスがとても嬉しい。
 アンジェリークは冴えない顔でアリオスと共に出勤をした。
 ふたりが並んで出勤をするのは今日が最後だと、判っていたからだ。
 今日もビルの前でお別れになる。
「アリオス、週末とか…、ヒマだったらうちに遊びに来てね」
 アンジェリークは泣きたいのを何とか堪えて、アリオスに笑顔で話す。それが女のプライドを護る、最後のボーダーラインのような気がしたからだ。
 決して泣いてはいけない。アンジェリークは必死になって自分を言い聞かせていた。
「ああ。善処する。アンジェ、世話になった。この一週間は、最高に笑える日々だったからな」
 アリオスは落ち着いた、どこか寂しげな笑みを浮かべてくれているような気がした。それがリアルだったら、どれほど嬉しいことだろうか。
「うん。わたしも楽しかったよ」
「ああ。じゃあ、またな」
「また」
 アリオスがボストンバッグを肩にひっかけて、車を保管していた駐車場に向かっていく。
 逞しくも精悍なシャツの下には、アンジェリークの爪の痕が、くっきりと遺されている。秘密の咬み痕。愛の証だ。
 それを知るのは自分しかいない。もう一度、あの背中に永遠に消えない痕を刻みつけてやりたい。
 アリオスを見えなくなるまで見送りながら、アンジェリークの頬から涙がこぼれ落ちた。

 一緒に暮らさなくなったからと言って、逢えないわけではない。アリオスに今日もお弁当を渡したのだから。
 昼休みが来るまで、一秒が一分に感じてしまうほど、アンジェリークにとっては拷問のような時間の流れだった。
 これほど時計の針が進むのが遅いと感じたのは、未だかつてないことだ。
 やっとの想いで待望の昼休みになり、アンジェリークは飛び出すように非常階段に出た。
 アリオスと出逢った頃は秋の盛りだったのに、もう冬の声がどこから途もなく聞こえてくる。肌を撫でる風がぴりりと痛い。
「…アリオス、遅いなあ」
 いつもならとうに来ている時間帯に、アリオスは来なかった。
 アンジェリークはレジャーシートを階段に好き、脚を伸ばしてアリオスを待つ。横に座瑠アリオスは、アンジェリークよりも、階段一段分も足が長かった。
 だが、今日は横を向いてもいない。
 何かあったかも知れないが、噂の吹きだまりである総務部でも、窓拭きがどうかなったという情報は一切聞こえては来ない。
「遅いなあ」
 アンジェリークは全くお腹が空いた等とは感じずに、膝を抱えながらひたすらアリオスを待った。
 時計を見つめながら、苛立ちと切なさ、心配といった、あらゆるマイナス感情が蠢いて離れない。
 ふと空を見上げる。あれほどたかかった空も低くなり、穏やかなブルーになっている。日差しもまるで午後の木漏れ日のように、落ち着いたものに変わっていた。
 また忙しなく時計を見た。もう、昼休みはギリギリの時間になっている。残り時間は余りない。
「アンジェ! ここにいたのね! もうすぐ昼休みは終わっちゃうわよ!」
 ギリギリの時間になったせいか、エンジュが迎えに来てくれた。相変わらず、友人は元気いっぱいで力強い。
「エンジュ…」
 アンジェリークは顔色をなくし、縋るような眼差しで友人を捕らえる。胸がつぶれそうなぐらいに辛い。
「どうしたの、アンジェ。元気ないじゃない」
「そうね、ちょっとないかな」
 いつもとは違った冬の空にも似た笑顔を、アンジェリークは浮かべる。正直、これが精一杯の笑顔だった。
 何とか声を振り絞り、友人に訊く。
「うちの会社の窓拭きって終わったの?」
「そうだよ。昨日で終了だってレオナードが…」
 エンジュの言葉をそこまで聞いて、アンジェリークは足下が暗くなり、奈落の底に落とされる気分になった。
 そうだ、総てがこの瞬間終わったことを告げた。
 アリオスは仕事を終わるのを契機に、どこかに消えてしまったのだ。
 哀しみの涙が溢れ出て、もう何も見ることが出来ない。
「アンジェ、一体どうしたの!? アンジェ!!」
 泣き崩れたアンジェリークに、エンジュは慌てふためく。
 涙が怒涛のように流れ、アンジェリークは初めて自覚した。
 アリオスを心から愛していたことを  

   *

 週が明けた。
 あれからアリオスの消息は解らない。窓拭き会社の社長であるレオナードに訊いても「知らない」の一点張りだし、アンジェリークのアパートに訪れることもない。
 週末泣き暮らして、涙で自分の感情は総て洗い流した気分だった。あんなに泣いて過ごした時間も、後にも先にもなかったような気がする。
 いつもの日常に戻っただけだと、自分自身に強く言い聞かせるしか、なかなか失恋の痛手からは立ち上がれなかった。
 もう一つ、日常に戻ったことがあった。
 アンジェリーク当てに届いていた花束が、ピタリと止まったのだ。
 総てが平凡な毎日に逆戻りしてしまった。
 以前と変わらないと思いこもうとしても、確実に変わってしまったことは否めない。
 アンジェリークは少女から女になったのだから。
 心の傷は消せないし、あったことをなかったことにすることは出来ない。
 だが、過去の恋に縋り付くのではなく、アンジェリークは前向きに少しずつ頑張っていこうと、心に誓っていた。
 またいつものようにノートパソコンを前に、入力作業をする。いつもと変わらない、凡庸な日々がだらだらと続くだけ。
 総務部の一因として、噂に耳を傾けるのも忘れない。また上司連が話をしていたので、アンジェリークは耳をダンボにした。
「本日からCEOが着任されるそうですよ」
「噂によるとかなり若手らしいですな。私たちへの挨拶は明日だと伺っていますが…」
 アンジェリークは、そう言えばと思い出す。
「新しいCEOが着任しても、私たちの仕事は変わらないと思うけれど」
「ホントに」
 エンジュとアンジェリークは耳打ちをしあってくすくすと笑う。こうやって、平凡な毎日を重ねて、埋もれていくのだ。

 昼食時間になり、アンジェリークは非常階段に出た。
 空を見上げると、粉雪が舞い始めている。秋の終わりを告げているかのように見えた。
 そろそろここでの昼食は困難になるだろう。想い出の残るこの場所では。
 一生懸命、息を切らして階段を昇っていると、人よりも一段長く伸びた脚を感じた。
 磨かれた革靴。仕立ての良さそうなズボン。どれもアリオスを想像することは出来ない。
「おい」
 聞き慣れたテノールが上から振ってきて、アンジェリークはまさかと思い顔を上げる。心臓が激しくときめき始める。
「…アリオス…!!」
 そこに座っていたのは、やはりアリオスその人だった。窓拭きの作業着ではなく、きちんとした仕立ての良い上等なスーツに身を包んでいる。
 どうしてこんなに、隙がないほどに素敵なんだろうか。
 アンジェリークは哀しい笑みを浮かべると、唇を噛みしめる。こんな姿を見せ付けられれば、折角諦めようとしていたのに、諦めきれないではないか。
「CEO! 会食に間に合いません!」
 アリオスに向かって、会社の部長クラスが慌てて声を掛けてくる。だが、アリオスはそんなことには動じない。それどころか、自分よりも遙かに年上の部長に、切れるように睨み付けた。
「ガタガタ煩せえ。ランチタイムは個人の自由だ。会食はおまえたちでなんとか取り繕え。今までもそれでなんとかしてただろうが。大体、俺がどうして、専務クラスと会食しねえといけねえんだ。俺の出勤は明日からだ!」
「はい、かしこまりました!」
 アリオスの厳しい一言に、そそくさと部長は退散する。
 アンジェリークは目をまあるく見開き、驚いたようにアリオスを見つめる。
「あなたがCEOなの…?」
「ああ。残念ながらな。窓拭きをしていたのは、ゴンドラから会社の様子が良く判るからな。それどまえを見つけた」
 アリオスはぶっきらぼうに白い薔薇の花束を差し出すと、アンジェリークにそれを押しつける。
「きゃあっ!」
「いいから受け取れ」
「もう乱暴なんだから…」
 ここまで言いかけてアンジェリークははっとする、相手はこの会社で一番偉いCEOなのだ。こんな言葉遣いなど出来ない。
「…すみません」
「敬語は禁止」
 アリオスにキッパリと言い切られ、アンジェリークは肩を小さくすくめた。
「はい」
「花束受け取れよ。カードもついでにな」
「うん」
 アンジェリークは、白い薔薇の花束を受け取り、その香りを愉しむ。
 純潔の象徴である白薔薇。これと同じものを受け取ったのは、もう二週間以上も前の話だ。
「カードを読めよ」
「うん」
 カードを薔薇の花束から抜き、アンジェリークははっとする。以前貰った白薔薇に添えられたカードと、全く同じものだ。

 結婚しねえか。
 愛を込めて。
      あなたのファンより。

 薔薇の送り主は、アリオスだったのだ。あのお見舞いの花束とお菓子の詰め合わせも、アリオスだとつじつまが合う。
 アンジェリークの哀しみで閉ざされた心が、とろとろと溶けだし、代わりに歓喜のハレルヤの渦に巻き込まれるのを感じた。
 好きだとか、愛しているだとか、そんな陳腐な言葉では治まりきられないほど、アリオスのことを想っている。
 今、溢れんばかりの歓喜と愛情が、アンジェリークの躰から溢れかえる。
 アンジェリークはごくりと唾を飲み込んで、アリオスを見た。
「アリオスが花の送り主だったの…?」
「ああ。おまえが一生懸命仕事をしている姿に一目惚れ。レオナードはエンジュ、俺はおまえだ。だから、ずっと見ていた。美味そうに大口を開けてガレットを食う姿も、みんな、みんな、愛しかった…」
 アリオスが何とも言えない微笑みを瞳に映し出している。
「さあ、返事はどうする?」
 アリオスの艶の滲んだ表情に勝てるはずなんてない。口を開けようとしたところで、活発に働くアンジェリークのお腹は、ぐーっと鳴ってしまった。
「ったく、返事まで腹の音かよ、腹へリ娘!」
 アリオスは可笑しそうに喉をくつくつと鳴らして、お腹を抱えて笑っている。
 全く失礼な男だ。拗ねるふりをしても、やっぱり拗ねきれない。アリオスには怒りきれないから。
「そう! お腹がイエスって言ったの!」
 アンジェリークが思い切り言った瞬間、躰がふわりと宙に舞う。花束ごと、アリオスに持ち上げられる格好になった。
「CEO夫人は忙しいぜ? なんせ、子作りに励んで、後継者を作らねえとならねえんだからな」
「もう、アリオスのスケベ!」
「スケベじゃねえさ。本当の事を言ったまでだぜ?」
 アリオスは意地悪な笑みを浮かべた痕、アンジェリークの唇に自分のそれを重ねて、何度も何度もキスをする。
 外は初雪が降るほど寒いのに、アンジェリークの躰は熱い。
 何度かキスをした後、髪に掛かる雪をアリオスが優しく払ってくれた。
「花嫁の花冠みてえだな。似合っているぜ」
「有り難う」
「それと言うのを忘れたな。愛している」
 アリオスの唇がまた唇を捕らえてくる。背伸びをしながらする甘いキスは、するたびに幸せを運んできてくれる。
 しっかりと抱き合って、幸せを噛みしめながら、アンジェリークは瞳を輝かせた。
「アリオス、お弁当、半分こしようよ」
「ああ。寒いからな。CEO室に行くか」
「うん」
 手を繋いで仲良く階段を一ファンずつ上りながら、最上階のCEO室を目指す。
 CEO室に入る頃は、ふたりの躰は冷え切っていたが、それでも幸せで笑いあっていた。
「暖めてやるよ」
「お願いします」
 これから始まるランチタイムに夢を乗せて、ふたりは温かな部屋に入る。
 恋を成就させた幸せ者を包み込む部屋のドアが閉まる。その後に、幸せに彩られた鍵がかけられる音が響き渡った。

   *

 総務部発の噂。
 総務部にいれば、幸せな結婚が出来るらしい。
 総務部でふたりのシンデレラが誕生したことで、俄に、女性社員たちの間では、総務部を希望するものが増えている。
 幸せになるジンクスに続けとばかりに  




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