嫌い


「おい、アンジェリーク。賄い時間だぜ? 一緒に行くぞ」
「はい、ただいま」
 アリオスに呼ばれて、アンジェリークはいそいそと休憩室に向かう。
 アリオスに宣戦布告ならぬ告白をしてから変わったことと言えば、このように一緒に賄い時間を過ごすことになったこと。今までは偶然が支配していたが、今のは必然。
 賄いは、大概はアリオスが作ってくれる。それだとやはり女としては恥ずかしいところもあるので、細かいところは手伝ったりしている。 しかし、一流の料理の作り手であるアリオスには、やはりかなわなかった。
「ほら、出来たぜ? おまえの大好きなシュリンプサラダと、オムライス」
「ワーイ! アリオスさん、凄く、オムライスの卵が上手ねえ…」
 まじまじとアンジェリークが見ていると、アリオスが苦笑する。
「卵は料理の基本だからな。練習あるのみだぜ? アンジェリーク」
「じゃあ練習します!」
 アリオスの余裕を持った微笑みがほんの少しだけ恨めしくて、アンジェリークはわざと虚勢を張った。
「せいぜい頑張って、俺に食わせてくれよ? 何だったら、俺が手取り足取り腰取りで教えてやってもいいけれどな」
 ニヤリと良くない微笑みを向けられて、アンジェリークは鼻を赤くしながら憤慨する。それをアリオスがからかうものだから、益々ぷんすかと怒った。
「解りました! オーナーがびっくりするようなオムライスを作ってみせますから!」
 ピシリと自分の決意の程をアリオスに伝えれば、彼は僅かに口角を上げて笑った。
「そうか…。お手並み拝見だな…。まぁ、俺にもし助けてほしいんなら、それこそ手取り足取り腰取り教えてやるけれどな?」
 耳元で甘い声で囁かれ、背中にぞくりとしたものが走る。それは決して不快なものではなく、アンジェリークには甘い誘惑であった。
「もう! オーナーのバカっ!」
 アンジェリークが全身を真っ赤にして怒ると、アリオスは喉からくつくつと愉快そうな笑いを豪快にする。
「ほら、早く食っちまえ。オムライスが冷めちまうからな…」
「はい」
 アリオスに言われて、アンジェリークはフォークを片手にがつがつと食べ始めた。
 それを向かいに座るアリオスは、愉快そうに眺めている。
「おまえみてえに一生懸命飯を食ってくれると、料理人にとってはこのうえなく嬉しいものなんだぜ?」
 アリオスが余りに甘くて優しい微笑みを浮かべて来るものだから、アンジェリークは思わず見とれずにはいられなかった。
「…アリオスオーナー…」
 楽しそうに笑うアリオスの姿が素敵過ぎて、アンジェリークは、ああ惚れ直してしまうと思う。
 笑顔を見ているだけで幸せだった。
 アリオスが告白を受け入れてくれてからも、特別なことは全く何もない。
 こうして賄い時間を合わせて話をすることが、ふたりの唯一のコミュニケーション。今はそれだけでも幸せだと、この時は思っていた。


 アリオスが最近いつにも増して笑顔を見せてくれている。
 それは自分だけの特別だと言うことには、鈍感なアンジェリークはまだまだ気がつかない。
 今はくすぐったいくらいの幸せだと、アンジェリークが信じている、まさにそんな時間。
「アリオス、いる?」
 最近、あまりご登場にならなかったあの妖艶な女が、アリオスを訪ねてきた。
 あの告白から、女はアリオスを訪ねて来てはいなかった。
 それ故にアンジェリークは硬直する。
 ふたりはあれ以来切れたと思っていたのだ。しかし、それが自分の幻想であったことをアンジェリークが気が付くのに、余り時間はかからなかった。
 女の行方を目で追えば、我が物顔でオーナー室に入っていく。
 アンジェリークには堪らなかった。
 それを冷たい表情で受け入れるアリオスを見ると、切なさは頂点に達する。
 アンジェリークは暫く落ち着くことができずに、ただ機械のようにせわしなく動いていた。
「…レイチェル、今日ね」
 ここまで言いかけたところで、アンジェリークは肩を誰かにぽんと叩かれるのを感じた。アリオスだ。
「アンジェリーク、すまねえが、今日は一緒に賄い時間が過ごせねえ。悪いな…」
「いえ…」
 アンジェリークは表情を強張らせたまま、まともにアリオスを見ることが出来ないでいる。
 ただ震える声で頷くと、アリオスがもう一度背中をぽんぽんと二度ほど叩いてくれた。
 切ない…。
 アリオスの温かな視線に気付かぬまま、アンジェリークは顔を上げることが出来なかった。
 アリオスの温もりの気配が消えて、入口に視線を向ければ、案の定、あの女がアリオスを待っている。
 真っ赤なルージュ。決して子供の自分には似合わない色目だ。
 アンジェリークはルージュの色よりも華やかな紅になるぐらい唇を噛み締めながら、ふたりの様子を見た。
 女は我が物顔でアリオスにべたべたとし、アンジェリークをいらつかせて、奈落の奥に突き落とす。
 それを許すアリオスの態度も、アンジェリークにはどうしても許すことが出来ないでいた。
 まだまだ成長過程であるが故に、アンジェリークは何に関しても、潔癖なものを持っている。
 アリオスがいなくなった後も、アンジェリークはずっと入口を見つめ、ただ、ぽつりと「嫌い…」と呟いた。

 先程の”嫌い”が本心であってないことは、アンジェリークが一番良く解っている。
 今日はひとりになりたい気分だったので、アンジェリークはアリオスといつも撮る賄い時間を選んだ。
 賄い料理はもうなく、自分で余った食材で作らなければならない。
 胸が苦しくて、お腹が空いているのかいないのか、全く解らない状態だったので、賄いはもうどうでも良かった。
 休憩室横のキッチンの冷蔵庫を見て、愕然とする。使って良い食材は、貝柱とキノコ、そして卵。
 アリオスが作ってくれた、あの美味しいオムライスを彷彿とさせる材料ばかり。
「…コクな材料ばかり残っているな…」
 アンジェリークは切なさの余りに涙が出てしまう。それを手でごしごしと擦って、何とか押し止めると、問題の食材を手に取って作り始めた。
 賄いのメニューは勿論オムライス。
 美味しかったな…。あのオムライス…。
 そんなことを考えながら、見よう見真似で作ってみた。
「最低…」
 結果は。御飯はコゲコゲ、卵はぐちゃぐちゃな散々なオムライスが出来上がった。
 悔しくて切なくて涙が出る。
 試食をしてみると、益々その想いが強くなる。アリオスが作ったオムライスは、ふわふわと優しい味がしたのに、自分で作ったものは、苦みが広がるばかり。
 それでも食べずにはいられなくて、アンジェリークはぱくぱくと食べた。
 結局、アリオスとは恋人ではない…。
 そう想い知らせてくれたオムライスは、苦い味だった。


「おい、アンジェリーク。賄いの時間だぜ?」
 アリオスに声をかけられたが、アンジェリークは首を横に振った。
「…食欲ありませんから…、余り…」
 やっとのことで言うと、直ぐにアリオスがしかめ面で近付いてきた。
「熱でもあるんじゃねえのかよ?」
 イキナリ額に額をくっつけられて、アンジェリークはドキリとする。顔が一気に熱くなり、吐息がくぐもる。
「…顔だけが熱いようだが…。フン…」
 アリオスは何か意味深な笑みを浮かべると、アンジェリークからゆっくり離れた。
「じゃあ、ほとぼり冷めたら食いにこい。待ってるから」
「…嫌です…」
 小さく呟いた瞬間、アリオスが止まる。厳しい表情を浮かべたかと思うと、腕をがっしりと掴まれる。
 そのまま休憩室に連れ込まれ、アリオスが切れるような眼差しで睨んできた。
「…どうして、今日はそんなに反抗的なんだよ!?」
「…嫌いだから…」
 アンジェリークは涙を貯めながら、震える声で呟く。
「何だよ?」
 アリオスは怖い声で聞き返してくる。だがこれしきで怯めない。
「オーナーなんて! 女たらしで、スケベエで、大嫌いだから!」
 アンジェリークは切なくて堪らなくなって感情を爆発させて、そのまま勢い余って出ていく。
 アリオスはただその姿を呆然と見るだけだ。
 ホント大嫌い。でも大好き…。
 アンジェリークは更衣室に入り、ひとしきり泣いた。
 どうして私ばかりが”好き”なんだろう…。
 
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恋愛小説が書きたいあなたに10のお題に挑戦です。
読み切り連作で頑張りますので宜しくお願いします。

大好きだけれど大嫌い。
そんなかんじは恋にはつきものですね。




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