占いだけでは、視線で追うだけでは、素手に満足できなくなっている。想像ならいくらでも出来るが、そんなことばかりをしても、発展なんてしない。空想の中にいるのは楽だが、いつまでたっても手には入らない…。 そんなことは解っているつもりだった。しかし、一歩踏み出せない自分がそこにいる。 相変わらず、あの女はアリオスを訪ねてくる。その旅に胸が苦しくて、どうしようもなくなる自分を、アンジェリークは感じていた。 どうにかしたい…。だが勇気が出ない。告白してしまえば、この素敵なアルバイト先にはいられなくなるのではないだろうか。アリオスに嫌われてしまうのではないか。 そこまで考えた後、いつも決まって溜め息を出す。 同道巡りの思考は、アンジェリークにはマイナス以外何も齎してはくれやしない。 今日は掃除当番だ。少しだけ早く来て、店のバックヤードなどを片付けるのだ。やることと言っても、掃除の業者が入っているので、自分たちが使う場所の拭き掃除と掃き掃除ぐらいだ。 「アンジェ、休憩室頼んだよ」 「任せておいて!」 今日もすいすい掃除をする。賄い料理は何が出てくるかなどを考えていると、自然と掃除は楽しくなるものだった。 「後はモップかけと…」 一生懸命、床には磨きをかけていく。いつも使っている場所だ。綺麗にしないと申し訳ない。 「おい、アンジェリーク!」 いきなりアリオスに声をかけられて、ドキンと胸が鳴る。動揺してしまったのか、足元を慌てふためかせた。 「あっ、ああ!!」 つるん。足下が派手に滑った。 元々かなり鈍臭いアンジェリークは、すぐに足を滑らせそのまますってんころりん…、と自分では思っていた。 しかし。 「おっと…!」 アリオスの腕が、咄嗟にアンジェリークの華奢な躰を受け止めてくれ、ことなきを得た。 「大丈夫か?」 「…はい」 ただ躰を支えてくれているだけだと言うのに、心臓が飛び出すように跳ね上がる。緊張と恥ずかしさの余りに、アンジェリークは耳までまっかにさせた。 アリオスの逞しい腕、肌の温かさ…。それらがじんわりと伝わってきて、甘美な感覚を生む。アンジェリークは、自分の血が潮騒のようにざわめいているのを感じていた。 暫く、このままでいたかった。だが、そんなことは長く続く筈などない。 アリオスの腕がしっかりと体制を整えてくれた。その間も吐息と視線は熱くなる一方だ。 「ほら、もう大丈夫だ」 逞しい腕と、寄り掛かって安心できた広い胸が遠ざかっていく。アンジェリークはずっとしがみついていたかった。しかし、それは叶わない。 「ったくおまえはそそっかしい奴だよな?」 半分笑いながらアリオスが呟いたので、アンジェリークは拗ねたように口を尖らせた。 「オーナーがイキナリ声をかけてくるから驚いたんです」 業と悪態を突いてもアリオスはただ笑っているだけ。それがまた、アンジェリークには素敵に映った。 「まあ、俺もイキナリ声をかけちまったから、悪いとこもあんだけどな」 素直に認められると、悔しいのは何故だろうか。 何だかそれに対する言葉が見つからなくて、おどおどとしていると、アリオスと目が合ってしまった。 「あ…」 見つめ合っていたのは、恐らくほんの僅か。だがその瞬間に”永遠”を感じるほど、アンジェリークにとっては大切な時間だった。 「ほら、仕事に戻りやがれ。賄い時間の時は滑って転んで、寸胴鍋に頭から突っ込むなよ?」 「そんなことしませんてば!」 「まあ、おまえのことだからな。せいぜい気をつけるんだぜ? アンジェリーク」 肩をぽんぽんと二回叩かれると、アリオスはそのまま行ってしまった。広い背中をうっとりと見送った後、アンジェリークは自分の腕で躰を抱きしめる。 この躰をアリオスがしっかりと支えてくれたのだ。まだ、彼の力強さも、熱さも、総てが残っているように思える。熱を、強さを検証するかのように、アンジェリークはその部分を甘い気分で撫でた。 「アリオス…」 目を閉じれば、まだまだリアルにアリオスを思い出すことが出来る。 もう、アンジェリークの心も躰も、アリオスを消すことは出来ない。 知ってしまった幸せと切なさに、アンジェリークはほんの少しだけ視線を伏せた。 あのことがあってから、アンジェリークは更にアリオスを意識するようになった。 あの腕にしっかりと抱きしめられたい。あの唇にキスをしてもらいたい…。 自分が凄く嫌らしい人間なのではないかと感じながらも、アンジェリークは思考を止めることが出来なかった。 抱きしめてもらえるのには、アリオスを抱きしめられるには、やはりこの想いを伝えるしかないのか。それ以外はもう考えつかない。 アリオスから告白してもらえるように仕向けるなんてことは、アンジェリークには出来ない。 告白に関しては賄い占いをする勇気すらもなく、アンジェリークは悶々としていた。 何時ものようにレイチェルとの帰り道。いつもよりも輝きを増している親友の姿に、アンジェリークははっと気付いた。 「あのねレイチェル。何か良いことあった?」 途端にレイチェルの顔が真っ赤になったので、大体何があったかアンジェリークには想像がついた。 「あのさ…」 「うん」 珍しく上目使いのレイチェルが可愛い。 「エルンストに思い切って告ってみたら、オッケーを貰えたの!!!!」 これにはアンジェリークも、レイチェル同様に興奮して跳ね上がる。 「ホントに!!!」 「そうなの! もう凄く嬉しくて!」 アンジェリークもレイチェルの本当に輝いた表情を見るのは、嬉しくて堪らなかった。 「ホント、アンジェのお陰だよ! だって、この携帯ストラップと賄い占いは凄く効いたからねえ!」 「良かった!」 二人は恋の喜びに興奮し切っている。レイチェルの恋の成就はアンジェリークにはひどく嬉しくてならない。 「レイチェルとエルンストさんはお似合いのカップルだものねえ! 凄く嬉しいよ!」 「有り難う! アンジェ!!」 恋を成就させた女性というのはどうしてこんなに綺麗なんだろうか。レイチェルを見ていると、アンジェリークはそう感じずにはいられない。 レイチェルとエルンストのことは本当に純粋に嬉しい。けれども、またどこかで羨ましいと思うのも事実であった。 ふと、レイチェルが含み笑いを浮かべてこちらを見てきた。 「アンジェ?」 「なあに?」 「オーナーとはどうなっているのよ?」 いきなり核心を突かれてしまい、アンジェリークは真っ赤になる。同時に、まだ先が見えていないせいか、少し視線を伏せてしまった。 「…どうって…。今まで通り…。何も変わらないよ。私とオーナーは…」 アンジェリークの言葉尻の元気のなさで、レイチェルもどういった状況かは、直ぐに理解することが出来た。 「告った?」 アンジェリークはもちろんないとばかりに頭を横に振る。 「やっぱりね。アンジェ、告ろうと思ったことはある? このままだと、いつまで経っても進展しないよ? 恋はね、自分も一生懸命になって相手にぶつからないと、叶うものも叶わないよ。ずっと片思いで、片思いの相手から告られるのは、マンガか小説の世界だけ。自分がしっかりともがかないと、必死さは相手には伝わらないものだよ」 レイチェルの言葉は重くて、心にずんとのしかかる。彼女の言うことは理に適っている。 「…ぶつかってもダメだって解っていても?」 心が震えたせいで、瞳にうっすらと涙が滲む。レイチェルの表情が直ぐに険しくなった。思うことは同じ。アリオスを訪ねてくるあの女の存在だ。 「…そんなの、あの女とオーナーが何か関係があるかって、そんなこと、実際にぶつかってみなくちゃ解らないよ。そうでしょう? アンジェ。決定的な瞬間を見たわけじゃないんだからさ」 「…うん…」 確かにそうだ。決定的な瞬間自体は見てはいない。それに近い状態は見てもだ。 「一生懸命ぶつかってダメだったことより、やらなかったことのほうが後悔すると思うよ。少なくてもワタシ的にだけどね」 「…レイチェル…」 本当にそうだと、アンジェリークは心から感じた。確かに告白しないより、告白をして後悔するほうがずっと後に遺さない。 いったい、何時からこんなにうじうじとした人間になってしまったのだろうか。恋とは恐ろしいもので、勇気を無くしてしまうのだ。嫌われるのがなによりも嫌で…。 「しつこくしなければ、嫌われないし、ぶつかってダメなら潔しよ。だけど、ワタシは、アンジェならきっと上手く行くと思うよ。オーナーはアナタのことをきっと良く思っているよ。本当に…。オーナーがアナタを見つめる眼差しが物語っているよ」 「レイチェル…」 そうだったら本当に嬉しい。アンジェリークはほんの少しだけ頬を赤らめて恥ずかしそうに俯いた。 「…やってみる価値はあるよね?」 「あるよ! アンジェ!」 決意は固まった。アンジェリークはしっかりと頷くと、ぐっと握りこぶしを作る。 アンジェリーク・コレット17歳。ここは勝負のしどころだ。 「やってみるよ、レイチェル!」 「おし!」 ふたりはお互いにガッツポーズをして、気合いを入れる。本当にレイチェルと一緒にいれば、勇気が不思議と出てくる。 アンジェリークは告白の決意を固めた。 告白をする。決意を固めたものの、まだまだ乙女心は揺れる。 アリオスとふたりきりになれるチャンスをうかがいながらも、中々訪れない。いつも緊張しっぱなしで、アンジェリークは心臓がいくつあっても足りないと感じた。 しかも告白を誓った日は相当忙しく、中々、賄いすらも取れない状態だった。 そうなると、食いしん坊のくせに、賄い要領の悪いアンジェリークは、最後になってしまう。 ようやく賄いにたどり着き、ひとりで寂しくもぐもぐと食べる。 神が味方をしたのか、いなか。偶然、アリオスが入ってきてふたりきりになったのだ。 「何だ、アンジェリーク。おまえがまたラスト賄いか?」 「はいっ!」 姿を見ると急に緊張してしまい、アンジェリークの声は変に裏返ってしまい、小さな子供のようになってしまった。それがアリオスの坪に入ったのか、太く笑っている。 「一緒に食おうぜ?」 「はいっ!」 更にアンジェリークの声が裏返ったので、アリオスの苦笑を誘った。 「おまえ、今日ヘンだぜ。おもしれえけどな」 治まらない鼓動の中、アンジェリークは耳まで真っ赤にさせてほんの少し、恨めしそうにアリオスを見た。 アリオスが目の前に座ったので、多少意識せずにはいられない。アンジェリークはスープを飲むのもままならず、喉に塊のような熱いものを感じた。 今が告白しどきだと言うのは解る。だからこそ、更にヒートアップしてしまう。 「あ、あの…、オーナー」 「何だよ」 「今日は良い天気ですね?」 馬鹿だと思いながらも、肝心の一言が出ない。 「おまえ、今日はおもしれえぐれえヘンだな?」 くつくつとアリオスは笑い、いかにも愉快そうにしている。 アンジェリークは一度心を落ち着ける為に深呼吸した。耳に蘇るはレイチェルの言葉。 してだめだったことより、しなかったほうが後悔する。 そうだ。アンジェリークの勇気のゲージが一気に上がっていく。 「…好きです…」 「何だよ?」 最初は小さすぎる声で言ったせいか、アリオスは聞こえないようでごにょごにょとする。 「ほら、早く言ってみろよ?」 勇気のゲージが最高点に達する。 「あなたが大好きっ!!!」 大声で叫び、アンジェリークは肩で息をしながら、涙目でアリオスを見つめた。 最初はアリオスも驚いたようだったが、直ぐに甘い微笑みを浮かべる。 「オッケ、アンジェリーク、まずはお試し期間で俺がどんな男かを体験するのはどうだ? 今ならクーリング・オフが効くぜ?」 不敵な笑みと共に、アリオスが挑戦的な眼差しを向けてくる。 ここで受けなければ女じゃない。恋する乙女は失格だ。アンジェリークは一息於いて生唾を飲み込むと、ゆっくりとアリオスを見た。 「解りました。受けます」 「それでこそアンジェリークだぜ?」 告白は意外な方向に向かい、それに立ち向かおうと思う。 想像範囲外の現実に、少しだけ戸惑うアンジェリークであった。 |
| コメント 恋愛小説が書きたいあなたに10のお題に挑戦です。 読み切り連作で頑張りますので宜しくお願いします。 告白です。 果たしてクーリングオフなしで無事に済むのか。お楽しみに。 |