「アルバイトに来い」 オーナーであるアリオスから言われて、アンジェリークはいそいそと行くことになった。 素敵な職場と素晴らしい賄い料理の数々を想像するだけで楽しくなる。 仕事場に行って気付いたのだが、あの時の面接で採用されたのは、アルバイトはアンジェリークと同じ女子高生だけで、その他の採用者は経理担当の男性だけだった。 カフェの中で働く際に、味を知らなければならないと、アルバイトのガイダンスの日には最高級コース料理を食べさせてもらった。その絶品さと言えば、思い出すだけでよだれが出るほどだ。 アンジェリークはこんなに美味しい食事は食べたことがないと思った。高級食材は使っているものの、レストランのコース料理よりは、手軽に食べられる。そこがまたアンジェリークには良かった。 一緒に入ったレイチェルと言う名の女子高生とも意気投合し、楽しいアルバイト生活を送っている。 制服もモノトーンで落ち着いているが、お洒落なパリジェンヌのようなスタイルでとても気に入っていた。 最初は厳しい接客研修が待ち受けていたが、賄い料理のためなら頑張れるというものだ。 今日も、オーナーであるアリオス直々のレッスンだ。 「では、俺が客だ。席に案内し、注文を取り、給仕するまでをやってみろ。オスカー」 大学院生でアルバイトリーダーであるオスカーが頷くと、アリオスに対して接客を始める。 カフェのイケメン従業員の筆頭であるオスカーの接客はスマートで、どこかしら色香のあるものになっている。 流石は、”赤ちゃんからお年寄りまで”とお嬢ちゃんへの守備範囲の広い男である。 たかが基本的な接客ではあるが、ここまでされれば、夢見心地になると、アンジェリークも思う。 「じゃあ、アンジェリーク、おまえが客になって、フランシスに接客してもらってくれ。フランシス」 「イエス、オーナー」 今度はフロア主任のフランシスの登場に、アンジェリークはほんの少しだけ少しときめく。やはり、良い男に接客されるのは、心地良いには違いないから。 揺らめく眼差しに少しあどけなさを残す笑顔を向けられ、アンジェリークは何だか恥ずかしくなった。 「レディ、さあ、頑張りましょうね」 穏やかな甘い声に、恥ずかしいと思いながらもにへらと笑ってしまう。フランシスの登場で、周りは紫の薔薇が乱舞した。 「さぁ、レディ…」 「はい」 アンジェリークは言われるままに接客を受け、恥ずかしさの余りに集中力がない。正直、こんな接客を受けてしまった日には、笑い出すかうっとりするかどちらかであろう。 「レディ、こちらがメニューでございます。今宵はあなたのひとときの夢を素晴らしいお料理で彩って下さい…」 「あ、どうも」 メニューの出し方も、笑顔も、フランシスは完璧といってもいい。ここまでされれば、オスカーの接客同様に、女性客はかなり喜ぶであろう。 「よし、フランシス、サンキュ。まあ、今のふたつを参考にしながら、アンジェリーク、俺を客だと思って接客しろ」 「はいっ!」 フェロモンオスカーと耽美フランシスの接客をどう参考にすれば良いのか。アンジェリークは困り果てながら、とりあえずはやってみることにした。 「いらっしゃいませ!」 先ずは自信のある元気一杯の声で挨拶をし、無表情なアリオスを出迎える。そのまま案内しようとしてアリオスに止められる。 「人数確認が終わってはいねえ」 「はいっ! お客様は何名様でしょうか?」 「ひとりだ」 「…禁煙席、喫煙席とございますが、どちらがよろしいでしょうか?」 「”どちらに致しましょうか?”だ」 アリオスは言葉に関しては相当厳しく、アンジェリークが間違える度に厳しく訂正する。 先程まであった、少し楽しい雰囲気が一気に崩れ落ちるのを感じた。 「こちらが御席となっております」 「”こちらが御席でございます”だ」 アンジェリークはまた言葉を直されて、悔しい思いをしながら、再び言い直す。そういえば、何気ないことで気付かなかったのだが、確かにオスカーもフランシスも敬語は完璧だった。 「こちらが…メニューで…ございます」 アンジェリークが必死で言葉を選びながら、目線でお伺いを立てると、アリオスは僅かに頷いてくれた。 「失礼致します!」 礼をして、そこでアリオスがパンと一度だけ手を叩いた。 「そこまで」 アリオスはじっと厳しい視線でアンジェリークを睨むように見る。 「敬語がなっちゃいねえな。後、自信のないところは凄くおどおどとして客に不安を与える。挨拶は良いぜ。元気者っていうことが解るからな」 アリオスにズバズバと指摘され、アンジェリークは益々自己嫌悪に陥ってしまう。アリオスの言ったことが真実を突いているが故に自分の不甲斐なさに唇を噛んだ。 「おまえが今使った言葉は、ファミレスやコンビニなどで、”敬語”と信じられて使われているから、おまえが使っても、仕方のないところはある。実際に、うちのスタッフの中でも、多くの接客経験者が最初はこれが”敬語”として使っていたんだからな」 そこで言葉を切ると、アリオスはアンジェリークを冷たく見据える。 「うちでは”新敬語”と呼ばれる、ファミレス言葉の使用は許さない。ちゃんとこれが出来ないと、いつまでたってもホールには出られないと思え。おまえたちはまだ高校生だからな。直ぐに身につけることが出来るはずだ。きちんとした敬語を身につけることが出来れば、おまえたちの武器のひとつになるからな。ちゃんとしろ」 「はいっ!」 和気藹々だった雰囲気は、緊張が含んだものに変わったが、それはある意味大切なものだ。 「オスカーとフランシスは接客に戻ってくれ。アンジェリークとレイチェルはここに残って接客の練習だ」 「はい!」 アリオスからみっちりとした接客業のいろはを勉強する。 短時間での厳しいレッスンに、アンジェリークもレイチェルもへとへとになってしまう。 「よし、少し水分を飲んで休憩したら、アルバイトリーダーのオスカーに指示をもらって持ち場につけ」 「はい!」 夕方は戦場だ。食事と洒落たワインや酒、カクテルを目当てに、多くの客が訪れる。アンジェリークがいる時間帯は、女性客が殆どだ。 レイチェルとふたり、オスカーリーダーに付いて、研修がてら接客だ。接客をすると言っても、あくまでオスカーの補佐で、ナプキンを客に渡したり、食べ終わった皿を分担して下げたりするだけだ。 フロアは完璧に担当ゾーンが分けられており、きめ細かい接客を出来るようになっている。ひとりで慌てるなんてことはなく、優雅にサービスをすることが出来た。 突然、フロアでハッピーバースディが流れる。何とサックスだ。スタンダードなナンバーではなくスティーヴィー・ワンダーのそれ。しっとりとしたアレンジになり、演奏しているのはオーナー自身で、アンジェリークのような素人耳からしてもかなり巧みなのが解った。 余りにも素晴らしかったので、アンジェリークは聴き入らずにはいられない。 ふとオスカーがふたりに合図をしてきた。 「うちの名物のバースディサービスだ。しっかり見ていろよ?」 ア ンジェリークたちは言われた通りに頷き、着いて行く。 本日の主役は気品のある中年の女性だ。 オスカーは極上の微笑みを浮かべると、客に美しい薔薇の花一輪を差し出す。 「美しい方が生まれて来た素晴らしい日に乾杯します」 サービスの”バースディ”と言うなのカクテルが彩りを添える。 気障なものだったが、受ける女性は本当に幸せそうに微笑んでおり、アンジェリークもまた楽しい気分になる。 サービスの神髄を知った瞬間であった。 きめ細かいサービスをする為には、従業員も満たされた状態でなければならない。 そのせいか、交代で美味しい賄い料理を食べさせて貰える。 アンジェリークが一番楽しみにしていたことだ。 だが、新人の上に、要領の悪いアンジェリークは、結局、最後にありつくことになった。 だが。 「あれ…、賄い料理がない〜!!!」 あんなに楽しみにしていたものが、綺麗になくなっていたのだ。 これはかなりショックだ。しかも、先ほど、賄いを済ませて来たレイチェルから、美味しかったと聞かされれば余計だ。 「そんな〜! 楽しみにしていたのに〜!」 ぎゃいぎゃいと騒いでいると、休憩室のドアが開いた。 「どうした? アンジェリーク」 入ってきたのはアリオスで不思議そうにアンジェリークを見つめる。だが、直ぐに鍋を見て、アンジェリークが騒いでいる理由を知り、喉をくつくつと鳴らした。 「おまえの楽しみが奪われたみてえだな」 「楽しみだったのに!」 半泣きで抗議するアンジェリークに、アリオスは苦笑した。 「しょうがねえな。俺も今から飯を食うから、一緒に作ってやるよ」 「ホントですか!?」 先ほど泣きそうにしていたアンジェリークがもう笑っているのが可笑しいらしく、アリオスはまた笑う。 「俺が作っている間は、敬語の練習していろ」 「はいっ!」 アンジェリークはアリオスが作ってくれるという賄い料理を楽しみにしながら、接客敬語を練習する。しかし、次第に美味しそうな香りが漂ってきて、それどころではなくなってきた。 その上、料理を作ってくれるアリオスは、最高に素敵だと思わずにはいられない。今のアンジェリークにとってはメシア。アリオスの総てが輝いて見えるのは賄いのせい。アンジェリークはそう思って疑わなかった。 お腹はペコペコで、音すらも出てしまう。 「クッ、もう待ちきれないみてえだな」 「だって、良いニオイがするんですもの」 「腹減らしの天使さん、今出来たぜ。土鍋で炊いた梅蛸飯と、鮪のナカオチとアボガドのサラダだ」 「わーい!」 アリオスは給仕までしてくれ、アンジェリークは感激する。 見た目もニオイも美味しそうで、アンジェリークは直ぐにがっついた。 「美味しい!!」 あっさりと梅の旨味とタコの旨味がしっかり付いているのが良い。がつがつと食べて、あっという間に給仕して貰った分は食べてしまった。 まだおかずがある。おかずの鮪のナカオチとアボガドのサラダもまた美味しい。 「美味し〜!!」 「新鮮なマグロだし、アボカドも良いものを使っているからな」 「そうなんですか」 通りで美味しいジャズだと臣ながら、アンジェリークは食べまくる。 「ぷは〜、美味しかった!」 アリオスが半分食べ終わるまでの間に、アンジェリークは完食ししてしまった。 しかも一生懸命食べたのがありありと判るように、口の周りをご飯粒だらけにしている。 「クッ…ご飯粒いっぱい付いているぜ?」 「え…?」 気づく暇もなく、アリオスの指先がアンジェリークの頬を捕らえる。 ついっとご飯粒を取った後、アリオスがそれを食べてしまう。 「美味かったぜ?」 これにはアンジェリークは赤面せずにはいられなかった。 楽しいまかない食事の後は、アンジェリークは上がりの時間になる。 「明日も敬語をしっかりと頑張れよ?」 「判っています。では、また美味しいまかない料理食べさせて下さいね〜」 ご機嫌にスキップをしながら、アンジェリークは家路を急ぐ。 やはり料理が出来る男はポイントが高い。アンジェリーク張りお酢の男の像に、心の中で今日項目を一つ書き加えた。 賄いをごちそうになった後も、アリオスが輝いて見える。そんなことに気づきもしないアンジェリークだった。 |
| コメント 恋愛小説が書きたいあなたに10のお題に挑戦です。 読み切り連作で頑張りますので宜しくお願いします。 アンジェの王子様は、「ご飯作りが美味い人」のようです。 |