キスもしたし、一応「好き」と言ってもらえた。だから嬉しいはずなのに、どこか切ないのはなぜだろう。 ちゃんとした恋人同士かと問われれば、微妙なところにいるのは事実であるし、ちゃんとしたデートに誘って貰ったこともない。 アリオスのことを知っている項目も少なくて、アンジェリークは切なくなるだけだ。 ただ、少し変化もある。 あれ以来、女が来なくなったことだ。アリオスの身辺も綺麗になった気がするのは、気のせいだろうか。 今日も一生懸命アルバイトに励む。 切なさと嫉妬心、そして働く意欲は総て恋心から来ている。 一生懸命、働いていると、客から声がかかった。いつも来ている常連の物だ。 「いつも君は一生懸命だね?」 艶やかな青年に眼差しを向けられて、アンジェリークは少しだけドキリとする。こんなことは今までなかったことであったからだ。 「あ、有り難うございます」 「君を見ていたらいつも創作意欲が湧くんだよ。不思議なことにね」 くすりと青年は笑った後、まだ見つめてくる。アンジェリークはそれが凄く照れ臭かった。 「…あ、何だが恥ずかしいです…」 「君はそのままが一番良いと思うよ? 凄く輝いている」 「有り難うございます」 ほんの僅かな時間の会話だと思っていた。だが、背後に不機嫌な顔をしたアリオスがやってきたので、アンジェリークは直ぐに存外長かったのではないかと感じた。 「アンジェリーク、油を売ってねえで、客はどんどん捌け。時間の無駄だ」 低く鋭い声で耳打ちをされて、アンジェリークはがっくりとうなだれた。 アリオスのイメージが余りにも強く、他のイメージは総て忘れてしまう。 「すみません…。お客様失礼致します!」 ぺこりと頭を下げて、アンジェリークは直ぐに次の接客にかかる。 客に嫌われるよりも、オーナーであるアリオスに嫌われるのが何よりも嫌だった。 重い気分で仕事をしていると、今日も賄い時間が最後になってしまった。 何だかアリオスの叱責から元気がない。苦しくて賄い料理も食べられないような気がする。とりあえずは休憩をしようと、アンジェリークは休憩室に入った。 「…あ…オーナー…」 こう言った時に限って、逢いたくない相手がいるものだ。 一瞬、睨まれたような気がして、アンジェリークは身を竦めた。この男性にどうしても嫌われたくない…。切ない想いが突き上げて来て、少し気分が悪かった。 「…どうした、座らねえのか?」 「はいっ! お茶を頂きます…」 ぼんやりとしていたからだろうか。アンジェリークはポットの中に入っていたお茶を、謝って手に零してしまった。 「熱いっ!」 アンジェリークの悲鳴に、アリオスが直ぐに着てくれる。 「火傷したのか!?」 「大丈夫です…」 だが直ぐにお茶がかかった手を取られる。さりげない行為とは言え、ドキドキとした。 「直ぐに冷やすぞ」 「はい…」 シンクまで連れて行かれ、手の甲をしっかりと流水で冷やされる。冷たくて心地良いはずなのに、アンジェリークには熱を感じた。 「良かったな。そんなにひどくはねえみてえで」 「…有り難うございます…」 背後から包み込まれるようにして手を冷やされるものだから、アンジェリークのドキドキは治まるどころか、更に広がる。 どきどきする余りに、息が上がり、どうしようもなくなる。 すっかり火傷をしたところは冷えて、ほんのり赤くなっている。ヒリヒリとする傷みも殆どない。 水道を止めても、まだアリオスは背後から抱きしめたままだった。それが呼吸困難を生む。 キスまでしてもらえたが、こんなに切迫した想いで抱きしめられたのは初めてだった。だからこそ、アンジェリークの甘い緊張は頂点に達する。 「…オーナー…?」 「もう少しだけ、こうさせていてくれ…」 「あ…」 力強く抱きしめられて、それだけで全身が潤む。こんなに情熱的なアリオスを見たのは、アンジェリークは初めてだった。 「…オーナー…」 素直に嬉しかった。大好きな男性にこんなに情熱的に接して貰えるのは、凄く嬉しいことだ。 アリオスの躰が離れた。優しくも情熱的な温もりが失われ、アンジェリークは切なさすら感じる。 「…薬を塗ってやるよ…」 「有り難うございます…」 椅子に座りじっと待っていると、アリオスが救急箱を持ってきてくれた。 そこから火傷に良く効く軟膏を出して塗ってくれる。 「これで随分と楽になるかと思うぜ。こんな火傷、直ぐに治るだろう…」 「はい。有り難うございます」 優しく手を取られて薬を塗ってもらうのは、なんとも素敵な行為に思える。 「ほら、おしまいだ」 「あ、有り難うございました!」 甘美な行為は直ぐに終わってしまう。アンジェリークは、喪失の溜め息を心の中で少しだけついて、アリオスを見上げた。 「ほら、賄い食っちまえ」 「はい」 素直に返事をしたものの、アンジェリークは胸がいっぱいで少しも食べることは出来ないだろうと想う。 切なさと恋心が交錯する。皿だけを見て、溜め息が出た。 好き…。 どうしようもないほどアリオスが好きだ。そう思うだけで、泣けてくる。 じっと皿を見つめているアンジェリークに、アリオスが声をかけてきた。 「何じっと皿ばかりを見つめているんだよ? いつまで見ても皿は皿だぜ?」 アリオスが不思議そうに言うと、お玉を差し出してくれる。アンジェリークはただ頷くと、受け取って少しだけ皿に入れた。 「…あまり食欲ないのか? おまえ絶対具合が悪いだろ?」 「具合は悪くはないですよ…」 ただ胸が痛いだけ。 「おい…、さっきの男のことを気にしているのか?」 アリオスの声に鋭さが増す。アンジェリークはそれを聞いて少しだけ気が重かった。 「オーナーに怒られたことなら…、私…」 「いや…。俺が言ったことじゃねえ、あの男が言ったことだ」 言われたことと言っても上手く思い出せない。アリオスの叱責の方が強烈だったから。 「…特に何もないです。上手く思い出せなくて…。オーナーに何を言われたかは覚えているんですけれど…」 正直に言った後、アンジェリークは俯いた。アリオスしか見ていないと言うことをアピールしているようなものだ。 アリオスは苦笑した。表情はいつの間にか甘いものに変わっている。 「…接客業のいろはのいとは言え…、おまえ、俺以外の男に無防備に笑うなよ」 「え…」 驚いてアンジェリークはアリオスを見る。 「だから今日みたいに口説かれるんだよ」 「口説かれてなんかないですよ」 「バーカ、おまえは鈍感過ぎるんだよ」 アンジェリークは驚いてアリオスを見る。 「私は鈍感なんかじゃ…!」 そこまで言い返したところで、アリオスにぎゅっと腰を抱かれる。 「鈍感じゃなかったら、おまえはとうの昔にちゃんと俺の気持ちが解ったはずだぜ?」 ぎゅっと抱きしめられて息が詰まる。アンジェリークは甘い息苦しさに喘いだ。 「誰から見ても、俺がおまえを愛しているのは、解り切っていたのにな。おまえぐらいだぜ、気付かないのは…。気付いてくれるのを待っていたが、もう限界だ。おまえは俺以外の男に良い顔をするのを禁止する…」 夢を見ているのかと思っていた。だが抱きしめられる腕の温もりがリアルになる。 「…私…。私…、私ばっかりがオーナーのことを好きだと思ってた…」 嬉しくて涙が零れる。アンジェリークは涙で濡れた瞳をアリオスに向けた。 「おまえが考える以上に、俺はおまえのことが好きだぜ?」 甘い笑みを浮かべられ、それに魅入っていると、キスが下りてくる。 今までにないキス。 お互いを求めあって余りあるディープなキス。 「んっ、はあ…」 呼吸まで奪われて、アンジェリークはその場に崩れ落ちそうになった。 唇を離されて、改めて見つめ合う。 「オーナー…、大好き」 「俺の名前をちゃんと言えよ。敬称はいらねえからな」 「…アリオス…」 恥ずかしくて消え入るように囁くと、アリオスは甘いキスを奪ってくる。 「もっと大きな声で」 「アリオス…」 「まだまだ…」 名前を呼ぶ度にペナルティのように容赦なく唇を重ねてきた。 「んっ…」 幸せ過ぎてどうしようかと思いながら、アリオスのキスの雨を受ける。 頭がぼんやりとするぐらいのキスを受けた後、ようやく抱きしめて貰えた。 「…アリオス…、本当に…大好き…」 「俺も大好きだぜ、アンジェ。おまえには一目惚れだったんだからな? あの殴られた後の面接の一言で惚れ直した」 「もう、恥ずかしい」 アンジェリークは真っ赤になりながらアリオスに抱き着く。それが今はとても心地が良かった。 「…最初からおまえを”えこ贔屓”していたのにな」 「”終わりよければ総て良し”よ…」 言った瞬間にアリオスに唇を重ねられる。 「これで終わりじゃない…。新しく始まるんだぜ?」 |
| コメント 恋愛小説が書きたいあなたに10のお題に挑戦です。 読み切り連作で頑張りますので宜しくお願いします。 告白です。 果たしてクーリングオフなしで無事に済むのか。お楽しみに。 |