好き


 あれからアリオスとは顔が合わせづらくなってしまった。賄い時間に誘っては貰えなくなったので、自主的に先に食べたりしている。店内で逢っても、上手く顔を合わせることが出来なかった。
「アンジェ、オーナーと最近どうしたのよ?」
「…うん、ちょっと…」
 心の動揺が治まるまでは、レイチェルには言えない。思わず言葉を濁してしまう。そういう自分に、胸の端がぴりりと傷んだ。
 アリオスを見たくない…。理性ではそう思っている癖に、どうしても視線が彼を追い掛ける。どうしようもないほどに。
 目が合えば嬉しい癖に、つい視線を逸らす。だからこそアンジェリークには解らない。アリオスの視線の意味も、動きも。
 ずっと邪念があったからだろうか。ずっとアリオスのことばかりを考えていたからだろうか。
 完全に気が取られていた。
 足元が濡れて滑りやすくなっていることも、アンジェリークは気付かない。
 するり。
 足の裏が滑らになる感覚があった。
「あっ!!」
 運んでいた料理が零れないように、アンジェリークは体勢を捩る。それが良くなかったようだ。
「あっ!!」
 声を上げたときにはもうダメだと思った。しかし。
 すべって料理も自分もぐちゃぐちゃになってしまうかと思ったが、無事回避出来ていた。
 華奢な躰ががっしりとした腕に支えられたのだ。
 逞しく、温かな腕。安堵を感じるそれが誰のものか、解るのにそんなに時間はかからなかった。
「大丈夫か!?」
 深い声は、すぐにアンジェリークの心をぴくりと跳ね上げる。誰なのか、黙っていても解る。アリオスだ。
 余りに力強くて、余りに温かだから、アンジェリークは息を乱した。
「…あ、有り難うございます…」
 やっとのことで、アンジェリークは礼を言う。緊張をし過ぎてしまい、吐息が乱れた。
「ったく、仕事中にぼけっとしてるんじゃねえぞ、コラっ!」
 鋭い言葉が凶器となって胸に突き刺さり、痛い。
「ったく、仕事に集中しやがれ」
 アリオスが体勢を上手く整えてくれる。それが嬉しくもあり、切なくもあった。
「おい、直ぐにこれをお客様にお運びしろ」
「はいっ!」
 無事だった料理を、アリオスは他のホール係りに託したが、まだアンジェリークを支えたままだった。
 拷問にも近い甘い感覚がアンジェリークの全身を走り抜ける。
 離してもらえない…。離してもらいたいのか、もらいたくないのか、アンジェリークにもよくは解らなかった。
「…何だ? おまえは俺のことでも考えていたのかよ?」
 囁くような甘い声で言われて、アンジェリークは一気に顔を赤らめた。図星だ。だが知られたくない。
「…そ、そんなことはありません」
 何とか言ったが、本意ではないせいか声が震える。それを楽しんでいるかのように、アリオスは喉からくつくつと笑う。
「…セクハラは止めてください…」
「ホントに止めていいのか?」
 意地悪にも聞き返される。本当はセクハラを止めて欲しくはない。だがそれを悟られたくなくて、アンジェリークはきっぱりと言った。
「はい。離して下さい」
「しょうがねえな」
 僅かに舌打ちをした後、アリオスはそっと離れてくれる。ふわりとしたアリオスの温もりと香りが離れていく瞬間、切なくて胸が軋んだ。
「…あ、有り難うございました」
 震える唇と声で、何とか礼を言う。僅かに顔を上げてアリオスを見ると、優しい表情に変わっていた。
「ほら、仕事に戻れ」
「はい…。失礼します」
 アリオスの正にあの甘い表情が、アンジェリークの心を切なくも紅に焦がしていく。
 立ち去るアリオスの後ろ姿を見る度に思う。
 …好き。どうしようもないほど好き。どうして私ばかりがこんなに好きなんだろうか…。

 ぱたばたと働いていると、また、あの女がやってきた。今度はオーナー室に入ることだけでは飽きたらず、アリオスを連れていってしまう。
 行かないで…。あの女性とはどこにも行かないで…。アンジェリークは心で叫ぶものの、虚しさが更に広がって行った。
 切なくて、賄い時間を今日も忘れてしまい、またまたラストの時間になってしまう。
 当然何も残ってはいない。また冷蔵庫を開けて、食べ物を物色して何かを作らなければならない。
 材料もお約束に、また茸と海老だけ。卵もぽつんとあるだけ。
 発想が貧困なアンジェリークには、この組み合わせでは、オムライスしか思い付かない。
「…またオムライスだな…」
 材料を見て、アンジェリークは奮闘を始める。勿論、料理おんちな彼女なので、海老のせわたすらも綺麗に取ることは出来なかった。
 相変わらずコンロに使われている感じで、ピラフ部分はこげはあるは、水分も上手く飛ばせずにべっちゃり。卵もふわりと完成出来ない。
 どうして…。
 オムライスを食べながら、恋に似ていると思う。アリオスに恋する自分のそれに似ている。
 上手くオムライスが出来れば、恋も実るような気分になった。
「…おいし…」
 声に出してみても、ちっとも美味しくはなかった。
 今している恋と同じく、切なくてしょっぱい味がした。

 あれからアリオスは毎晩のように仕事を中座するようになった。
 切なさが段々と麻痺してくる。
 ついいつも賄いの時間が遅れてしまい、アンジェリークは残り物を調理するはめになっていた。材料は、なぜかいつもオムライスに使えるものばかり。
 それを調理して、下手くそなオムライスを食べるのが日課のようになっていた。そのせいか、すこしではあるがオムライス限定では、料理が上達したような気分になっていた。
 今日も冷蔵庫の中身を見る。
「オムライスの材料は〜」
マッシュルーム、玉葱、チキン。オムライスにはお約束の材料が揃っている。
「さてと、作ろう」
 最近、自分でオムライスを作るようになり、再び賄い時間が楽しくなってきた。鼻歌を歌いながら料理をするのが、何よりの楽しみになっている。
 具材を刻んで、フライパンに料理を入れたりやっていると、ドアが開いたのを気付かなかった。
「おい。俺の分もあったら頼む」
 聞き慣れた艶やかで深みのある声に、アンジェリークは鼻歌を止めて振り返る。
「……!!! アリオスさんっ!」
 顔を見て、アンジェリークは改めて驚く。オーナーだ。
「俺も夕飯まだなんだよ。ついでに作ってはくれねえか?」
「あっ、はいっ!!」
 アンジェリークはドキドキしながら妙にへらを動かして炒め物をする。
「…へ、下手くそでもいいですか?」
「出来栄えはいい。上手かったらな?」
 ニヤリと微笑まれて、アンジェリークには何とも言えないプレッシャーになる。
 アンジェリークが料理をしている間、アリオスは何も言わないので、余計に緊張した。
 やはりお約束通りに卵はぐちゃぐちゃのオムライスが出来上がってしまう。
「…へんになりました…」
「味だぜ、問題は。遠慮なく食わせてもらう」
 泣きそうになっているアンジェリークに、アリオスは笑いながらフォークを手に取った。
「いただきます」
「どうぞ…」
 不安で胸がドキドキとする。アリオスの口にオムライスが運ばれるまでの時間が、ひどく長いように思える。
 味までひどかったらどうしよう。そんな不安の中で、アリオスが言った一言は…。
「…まだまだだな…」
 アリオスはただそう言った。
 美味しく出来ないのは解っている。だが、かなり切なかった。
 その後もアリオスはぱくぱく食べているが、アンジェリークは食べることが出来ない。
「何だよ、食わないのか?」
「まずいんですか?」
「美味しくないとは言ってはいない」
 アリオスはストレートに言うと、アンジェリークを見た。
「食べろよ?」
「…はい…」
 椅子に座って、アンジェリークは一口食べてみる。今までのものよりも美味しく感じるのは何故だろうか。
 ふわっとした優しい味がする。
「…美味しい…」
「な? 悪くないだろ? くっちまえ」
「はいっ!」
 直ぐに食欲がたっぷり沸いて来て、一生懸命食べる。
 優しい味がする。
 好き…。
 好きという味が、口に広がっていくのが解る。
「やっぱり好き…」
 アンジェリークが小さく呟くと、アリオスが甘く微笑んでくれた。
「サンキュ」
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恋愛小説が書きたいあなたに10のお題に挑戦です。
読み切り連作で頑張りますので宜しくお願いします。

大好きだけれど大嫌い。
そんなかんじは恋にはつきものですね。




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