「アンジェ!」 アリオスは自分でも声が悲愴になるのを感じながらも、その名前を呼ばずにはいられなかった。 レイチェルにアンジェリークの緊急事態だと連絡を貰い、聖地に帰ってくるまで、生きた心地はしなかった。 何が起こったかを知らされなかったせいか、不安は増大する。 いつもならゆったりとした足取りで歩くのに、今日に限ってはまるでゼンマイ仕掛けの人形みたいに、せかせかと歩いてしまった。 背中には滅多にない嫌な汗をかいてしまうし、眉間にシワは深く刻まれてしまうし、アリオスにとっては散々だった。 いつも”冷徹””氷のように静か”などと、様々な呼び名があるが、それらが全部音を立てて崩れ落ちてしまうほどに、アンジェリークを心配している。 とことん惚れてしまっている。 アリオスはこんな自分に苦笑せざるをえなかった。 様々なセキュリティがもどかしくてたまらなくなる頃、ようやくアンジェリークの私室にたどり着く。 ほんの数人しか出入りが赦されない聖域に、アリオスは堂々と向かう。 女王の騎士としては、この上なき名誉だ。 だが、今日は何時もみたいに悠長に構えてもいられない。 事は深刻だからだ。 アリオスは焦る心が前面に出てしまうことも憚らずに、私室のドアを思い切り開けた。 「アンジェ!」 するとベッドからひょっこりと栗色の髪が覗く。 「アリオズ、帰っでぎでぐれだんだ」 見事な鼻濁音だらけの鼻声に、アリオスは直ぐに事情が読めた。 アンジェリークはしっかりと風邪を引いてしまっていた。 「アリオス! よく帰ってきてくれたわ! ここからはワタシからアナタに看病はバトンタッチだよ!」 ベッドの傍にいたレイチェルが、自分がいた場所をアリオスに譲り、ニッコリと笑った。 アリオスから焦りが消え、一気に冷静になってくる。すると大袈裟な補佐官への怒りがふつふつと湧いてきた。こめかみがピクピクと動いてしまう。 「…つまり、緊急事態とは、アンジェが風邪を引いたってことかよ」 「そういうこと! だって、そうでもしないと、アナタは休暇とか取らないからね。アンジェがひどい風邪を引いているのは事実だから、しっかりと看病してもらわないとね!」 レイチェルは手早くアリオスを、アンジェリークの前に立たせると、周りに置いてある看病グッズを教えた。 「そのシートが熱を冷ますやつ、後、ここにあるのは、解熱材、風邪薬、胃薬。で、イオンドリンク。たまにはジンジャーティーでもあげて。後は任せたよ」 騙された悔しさからか、アリオスは憮然とした態度で、レイチェルの話を聞いた。 「解った」 「じゃあ頼んだよ!」 レイチェルはご機嫌に笑いながら、部屋から出ていってしまった。 ふたりきりになるなり、顔がほんのりと赤いアンジェリークが、すまなさそうな顔でアリオスを見た。 「…ごめんね…。使命のざいちゅうらったのに」 「かまわねえさ」 鼻声のせいか心もとなく話すアンジェリークが可愛くてしょうがない。 ふんわりとした頬を撫でると、ほんの少しだけ熱かった。 「…まだ熱があるみたいだな」 「ん…」 「鼻なんかかみすぎて、真っ赤じゃねぇかよ」 「言わないでよ、それは」 鼻を摘んでやると、アンジェリークは拗ねたように唇を尖らせた。まるで子供みたいな仕草に、アリオスは思わず笑った。 「何か食いたいもんはあるか?」 「美味しいおじやとリンゴ、後はジンジャーティーを飲みたいし、プリンどがの食べだい」 休みの日の子供の我が儘みたいに甘えるので、アリオスは見守るような穏やかな笑みを浮かべた。 「ったく。風邪を引いているくせに、よく喰うなお前」 「食べなぐっじゃ治らないんだもん」 アンジェリークはアリオスにしか見せない、甘えた表情を向ける。結局は、その表情が可愛い過ぎて、アリオスは折れてしまう。 アリオスは我ながら甘いとは思いながらも、リクエストに応えずにはいられなかった。 「じゃあ女王様のリクエストに応えてやるよ。ちゃんと温和しく待っていろよ」 「うん。有り難う」 アンジェリークの子供っぽい笑みを見るだけで癒されるのは何故だろうか。 アリオスは、奥にあるキッチンに入り、器用にも卵や野菜が入ったおじやを作り始めた。 食後のデザート代わりの甘いジンジャーティーの準備と、リンゴも剥くだけにしておく。 女をここまで甘やかせるのはアンジェリーク以外にいないだろうと思う。 アリオスは手早くおじやを作った後、アンジェリークの待つ寝室に入った。 「有り難う!」 「熱々だから、気をつけて食えよ」 「うん。ありがどう」 鼻声になると途端に幼い感じになるのが可愛い。アリオスは一気に癒されるのを感じた。 ふうふう冷ましながら、顔を真っ赤にして食べるアンジェリークの姿は、まるでおもちゃみたいに転がしてしまいたい可愛いらしさだ。 だがもたついているのがどうも、アリオスにはもどかしい。 「おい、貸せ。俺が冷ましてやるから」 「うん」 アリオスはスプーンを強引に奪うと、アンジェリークに温かなおじやを食べさせる。 「おら」 「あーん」 アンジェリークが口を開けて待つ仕草に、アリオスが胸をときめかせてしまったのは秘密だ。 「アリオスに食べさせて貰うと凄く美味しい」 「バーカ、とっとと食え」 「ふあい」 おじやをたっぷり食べた後、アリオスはアンジェリークの為にジンジャーティーを入れてやる。 お供は勿論甘い林檎だ。 ベッドの傍で剥いてやるのだ。 「ウサギさんにして」 「んなもん出来るか。ガキ」 「アリオスなら出来ると思ったのに」 アンジェリークはぶつぶつと子供のように言い、アリオスに恨めしいそうな眼差しを送った。 「ダメだぜ。どんな顔をしたってな。リンゴをとっとと食って寝ろ」 「意地悪」 アリオスはアンジェリークの言う事など耳を貸さず、器用にリンゴの皮を剥いた。 「上手ね」 「褒めても何も出ねぇからな」 アリオスは苦笑しながら、剥いて綺麗に切ったリンゴを、アンジェリークにやった。 「おらよ」 「有り難う」 何時ものような勢いはないものの、アンジェリークは一生懸命にリンゴを噛る。本当に美味しそうに食べるものだから、こちらまで顔が綻んでしまう。 「…アリオス、有り難う…。帰ってきて嬉しかった…」 アンジェリークははにかみながら、頬を紅に染めて呟いた。その言葉には、沢山の感謝が詰まっていた。 アリオスはそれをしっかりと受け止めると、さらさらの栗色の髪を撫でる。 「レイチェルに感謝しろよ。あいつが気を遣ってくれたんだからな」 「うん。優秀な補佐官で親友を持てて、感謝だよ」 「そうだな」 ふたりはゆったりとした自然で幸せな時間を過ごしながら、心を潤わせる。 「ごちそうさま!」 アンジェリークはちゃんと挨拶をした後、ベッドに潜り込もうとした。 「待て! 薬がまだだろ?」 「え、あ、苦くない?」 「苦くねぇよ。俺が甘くしてやる」 アリオスは、薬の苦さに渋るアンジェリークを抱き寄せると、傍らの薬を手に取った。 それを自ら含むと、水を口に流し込む。 そのまま、アンジェリークの唇に重ね、恋人同士なら定番の、口移しで、苦い薬を飲ませた。 アンジェリークの喉がとまどいがちに動いたことを確認してから、アリオスは唇を離す。 「…甘くないよ…。苦いよ…」 アンジェリークは恥ずかしいそうに照れるように言いながら、そっと俯いた。 「…甘い魔法をかけてやったんだからな」 「もう…っ!」 恥ずかしくてたまらないのか、アンジェリークは耳まで真っ赤にしたまま布団を頭から被った。 アリオスはそれを笑いながらも見守っていた 後片付けが終わりベッドの傍に戻ると、アンジェリークはうつらうつらしていた。 「寝ろよ」 「…うん。アリオスも疲れているから眠ってね…」 半分意識を眠りに奪われながらも、アンジェリークはニッコリと微笑んだ。 「じゃあ俺も寝るか」 「うん…えっ!?」 アンジェリークは返事をするなり、驚きの余りに息を呑む。 アリオスがベッドの中に入ってきたからだ。 「俺も疲れて眠いんだ。邪魔させて貰うぜ」 「あっ、あの!」 有無言わせずに、アリオスはアンジェリークをしっかりと抱き込むと、もう離さないとばかりに、腕の力を込めた。 「こうしたらお前も温かいだろ?」 「う、うん」 アンジェリークがぎこちなく甘えてくる。 それがひどく可愛いくて、アリオスは更に強く抱きしめた。 「お互いに温まって、風邪なんかぶっ飛ばそうぜ」 「うん」 お互いの温もりで温め合う。これほど素敵なものはないと感じながら、ふたりは目を閉じた。 素敵な風邪の治し方。 |