あなたを見るたびに、胸の鼓動は激しいドラムのような音を立てる----- 肌に痛いほど澄んで冷たい空気が好き。心の奥底から清らかになるような気がするから。 アンジェリークは、透明なブルーを広げた空を見上げながら、深呼吸をする。 今日はクリスマス。 今日ぐらいは赦されるかもしれない。我が儘な感情をあのひとに伝えることを。 クリスマスが終われば、直ぐに慌ただしく新年がやってくる。新しい年になれば、きっと色々なことをふっきれてしまえるだろうから。 アンジェリークは肺までたっぷりと息を吸い込んで、中まで綺麗にした後、教会に向かって歩き出した。 クリスマス恒例のミサ。賛美歌を高らかに歌い、キャンドルの揺らめく炎を見つめながら、アンジェリークは心が落ち着いていくのを感じた。 耳に入るのは、有り難い牧師先生のお言葉。いつものクリスマスミサよりも、頭に入らない。アンジェリークには、ただの音楽でしかなかった。 神様…。 どうかお願いです…。 私の小さな願いを叶えてください。 お願いします…。 たったひとつだけの願いと想い…。 アンジェリークは真剣に祈った。 こんなに純粋に願い事をしたのは、初めてかもしれない。 キャンドルの光と、荘厳としたパイプオルガンの音色に、後押ししてもらう。 アンジェリークは素敵な緊張に、僅かに口角を上げた。 ミサが終わると、アンジェリークは頭に付けていたヴェールを剥ぎ取り、教会から飛び出た。 走ると白い息が弾む。 頭の中には、クリスマスに起こるであろうロマンティックな想像しかない。 成功させる為にも、綺麗にならなければ。 栗色の髪をくるりんと巻き毛にして、眉を整えて、睫毛もビューラーで巻いてくるっとさせたらマスカラ塗って…。とっておきの唇には、淡いピンクのグロスを塗ろう。 これで完璧、素敵になる。 アンジェリークはお洒落の計画に、思わず眼差しを綻ばせた。 今日は一世一大の大仕事が待ち受けているのだから。 アンジェリークは深呼吸をしながら、家に慌てて戻った。 シャワーを浴びほんのりハーブの甘い香りを漂わせて、準備開始! もどかしいほどに下手くそながらも一生懸命髪を巻く。可愛いピンクの下着姿で、何だか少しいやらしい感じかして、恥ずかしかった。 くるりんと髪をなんとか巻いて、リボンを結んで出来上がり。 その後は、ピンク色に染まるお化粧タイム。 女の子だから、こういった時間の過ごし方は大好きだ。 特に大好きなひとの為に綺麗になるのは、アンジェリークにとってはやぶさかではない。 薄く化粧をして、マスカラをすれば目がいつもに増して大きくなったような気分になった。 ピンクのグロスを遠慮がちに塗れば、効果抜群。美しく映えるような気がした。 とっておきのオフショルダーのワンピースに、リボン使いのファーを付け、黒い柄タイツ、キラリと輝くピアスをすれば完成。 アンジェリークは鏡を見て、いつもよりは磨かれた自分に、うっとりとした吐息を漏らした。 これでいいかしら。 間違っていないかしら? 鏡の前に座る自分に笑いかけて自信をかき集める。 素敵でありますように! アンジェリークは深く祈った。 ベッドの上に置いていたプレゼントを持ち、コートを着ると、いよいよ出陣だ。 アンジェリークは緊張でがちがちに震えながら、大好きなひとの元へと走った。 ひょいっとショウウィンドウから、大好きなひとの様子を眺める。 アリオス…。 ずっとずっと大好きなひと。 アリオスはショウウィンドウからまばゆく煌めいて見えた。 アリオスは有名なヘアデザイナーであり、メイクアップアーティスト。自らの名前を冠したブランドを持っているぐらいの、かなり有名なアーティスト。 サロンや直営のコスメショップがいくつもデパートに入っている。 アンジェリークにとっては、初めて親身になってメイクを教えてくれたひと。 今やアンジェリークにとっては、とっておきの存在になっていた。 イヴではなく、クリスマスなら、アリオスは予約無しでも綺麗にしてくれると、言っていた。 だからある程度、自分の出来る範囲内で、アンジェリークは綺麗にしてきたのだ。 もっと綺麗にして貰ってから、心に秘めていた大切な言葉を、アリオスに伝えようと思っていた。 アリオスがこちらに気付いてくれないかと、ほのかに期待をしながら、ショウウィンドウの向こうを見る。 今日のアンジェリークは、アリオスに選んで貰ったコスメを、ほのかに付けていた。 アリオスの顔が、一瞬アンジェリークに向く。どきどきして微笑んで手を振ると、すっと目を細めて顔を背けられてしまった。 「あ…」 胸に何かが突き刺さる。声が出なくて、出てくるものと言えば、胸を締め付けられるような鳴咽だけ。 もう一度、アリオスに気付いて貰いたい。 アンジェリークは必死になって手を振ってみた。 アリオスはもう一度アンジェリークを見たが、今度は眉根を寄せて不快感が120パーセントのような顔になる。 見るからに忙しそうなアリオスは、アンジェリークのことなど迷惑に思っているようだ。 アンジェリークが手を振るのを終えると同時に、アリオスの仕事が終了した。 輝くばかりに美しい女性を、アリオスはサロンの外へとエスコートする。 ちらりとこちらを向いたアリオスは、アンジェリークを睨み、明らかに不快そうに見えた。 「…社交辞令か…」 アンジェリークは自嘲気味に笑うと、来た道をとぼとぼと引き返していった。 無駄になったプレゼントが、掌の中で泣いている。アンジェリークはから笑いしか出来ない。 「アリオスはやっぱり綺麗な女性のほうが良いのかもしれないな…」 ここに来る時は、街のイルミネーションがとても素敵なもののように思えた。だが、今は涙に滲んでそれすらも哀しい。 「…やっぱり、アリオスは…」 アリオスの名前を出すだけで、アンジェリークは涙が零れそうになった。 街はクリスマスの喧騒が僅かに燻り、既に心はお正月へと向かっている。クリスマスの様は、線香花火が燃えつきるのに似ていた。 街を歩くと値下げが成されたクリスマスケーキが売られている。 今なら、失恋の重みで、ワンホールぐらいいってしまいそうだ。 アンジェリークは涙を滲ませて、鼻を啜らせた。 「ケーキを下さい。ワンホール…」 「有難うございます!」 ケーキが売れてホッとしたのか、店員たちの笑顔が幾分か緩む。 手渡されたケーキの入った箱は、切ない重さがした。 更に歩くと、ショッピングモールに差し掛かり、派手にライトアップされたツリーが、どっかりと座っているのが目に入った。 綺麗だが、もう自分には縁がないように思える。 見上げた時だった。 「アンジェ!!」 どうしても引き止めたい雰囲気が醸し出された声で、アリオスが呼び止めてきた。 一瞬、空耳と思いながらも、アンジェリークは振り返る。 宝石のような煌めきの中で、アリオスが立っていた。背中に後光が差しているような気がするぐらい、イルミネーションの光はアリオスに映えていた。 「…アリオス…。お仕事を邪魔してごめんなさい…。もう…邪魔はしません」 口にしても、中々その通りにすることは出来ないだろう。だがアンジェリークは覚悟を決めて、頭を下げた。 「ごめんなさい。もうしませんから」 アンジェリークは再度アリオスにしっかりと謝ると、踵を返して歩く。ケーキ箱を抱きしめて、前へと歩き始める。 これ以上顔を見れば、本当に辛くなるから。 アンジェリークが数歩進んだ時だった。 「アンジェリーク!!」 突然、動けなくなる。アリオスの切なく響く声に、アンジェリークは金縛りになったのではないかと思った。 だが、それはがっちりとした抱擁のせい。腕の中に閉じ込められて、全く息が出来ない。 「アリオス…」 くるりと腕の中で躰が回転されると、ケーキが潰れてしまうかと思うぐらいに、抱きしめられる。 「…ケーキが…」 「ケーキなんか俺がいくらでも買ってやる! だから、このままいろ」 最初はキツイ調子だったのに、アリオスは段々と掠れた声の甘い調子になってくる。 「もみの木は幸福を運んでくれるんだ」 アリオスは複雑そうに笑うと、アンジェリークの唇に、触れるだけのキスをした。 「アリオス…」 アリオスの唇がぶつかり、アンジェリークは最初、何が起こったかを理解するのに、時間がかかってしまった。 「ツリーの下で愛を誓えば、永続的な関係になるって、おまえは知っていたか?」 どう答えていいかが解らなくて、アンジェリークはただ首を横に振る。 「-----俺がここでおまえとキスした意味、解らねえのか?」 「あ…」 アンジェリークは指先で唇を押さえながら、瞳から溢れる嬉し涙を止めることが出来なかった。嬉しくて、でもこれは現実なのかと、一瞬信じられなくて、頬を抓る。 「いたっ!」 「アホか。おまえは」 アリオスは呆れた風に言い溜息を吐いたが、優しい笑みを瞳に滲ませた。 「-----涙でぐちゃぐちゃになっちまったな。また綺麗にメイクをし直してやるよ」 アリオスはアンジェリークの頬を綺麗な親指で官能的になぞる。胸の奥がきゅんと音を立てて縮んでしまうような気がした。 アリオスと手を繋いで、今来た道をまた戻る。 先ほどくすんで見えたイルミネーションも、瞬く宝石のように思えた。 「クリスマスプレゼント、受け取って下さい」 「サンキュな」 アリオスはアンジェリークからプレゼントを受け取ると、柔らかな笑みを口角に浮かべる。 「-----でも俺はもう最高のプレゼントを貰ったんだぜ?」 「え?」 「おまえだ----」 アリオスはぎゅっと抱きしめて、幸せを実感させてくれる。 最高のクリスマス。 アンジェリークの鼓動は激しい16ビートのように、ま治まらなかった---- |
| コメント クリスマスです〜 |