一千分の一の殺傷能力
「美容師と女子高生」
女の子は誰だって、一度は”真紅”に憧れるもの。アンジェリークだって例外ではない。 真紅のルージュとネイル。 昔から大人の女の象徴のように思えた。 しかも、憧れの大好きなひとの傍に、真紅が似合う女性がいたら、尚更のような気がする。 口も聞いたことのないひとに憧れるなんて、全くどうかしていると思ったが、アンジェリークにとっては、初めて好きになった男性だった。 デパートのコスメコーナーでは敷居が高いから、アンジェリークはバラエティショップに顔を出すことにした。 これならば充分に届くからだ。 チープだけれど、スグレモノを捜すのが大好き。アンジェリークは、ひとつずつ吟味をしながら、じっくりと自分の色を探した。 バラエティショップの端に、小さなコーナーが設けられている。 そこには、”エンジェルルージュ”と書かれている。 名前が自分の由来に似ていたので、アンジェリークは思わず手に取った。 テスターを持っただけで、不思議な気分になった。しっくりきたような、このルージュが自分を探していたと思う程に。 アンジェリークは、テスター用の、スポンジを手に取ると、それに真紅のルージュを取ってみた。 ”オードリーレッド”と書かれたラベルを見るだけで、旧い映画のヒロインになった気分だ。 唇にほんのり真っ赤なルージュを塗ると、それだけでおとなびた気分になれた。 鏡の向こうに映る自分を見て、アンジェリークはニッコリと幸せな微笑みを浮かべた。 ルージュを取って籠の中に入れ、ネイルもそこに入れる。アンジェリークはじっくりと見つめながら、とても幸せな気分になった。 レジに精算に行くと、サンプルで肌が綺麗に見えるローションまで貰ってしまい、得した気分になった。 スキップしそうなぐらいに浮かれ気分になりながら、アンジェリークは、憧れの男性がいるサロンを覗きこんだ。 美容師とメイクアップアーティストを兼任しているのだろう。いつも器用な指先で女性を美しくしている。 サロンのウィンドウで働く姿を見て、アンジェリークは深く恋をしたのだ。 こんなに素敵な王子様はいないと。 早速、サロンに予約電話をかけたところ、三ヵ月待ちと言われ、辛抱して予約を取った。 そして、待望の予約日が明日に迫ったのだ。 アンジェリークは、明日は真紅のルージュとネイルで、憧れの青年に気付いて貰いたかった。 雑誌で研究したスキンケアをして、ネイルを手足に丁寧に塗る。ひと塗りごとに綺麗になれるような気がした。 きっとこれで気付いてくれるはず。 気付いて欲しい。 アンジェリークは深く祈った。 心臓のドキドキを抑えられないまま、アンジェリークはサロンへと向かった。 待合に通されるだけでドキドキする。ふかふかのソファで腰をかけるのが、何とも落ち着かなかった。 ここにいる誰もが、洗練を身に纏っているように思える。アンジェリークは自分の野暮ったさに、俯いてしまった。 受付に置いてある、サロンでのカット見本をパラパラと見ながら、アンジェリークが憧れている青年が、ここのオーナーアーティストで、人気が一番あることを知った。 アンジェリークは、ひょっとするとこのひとにしてもらえないどころか、会えないかもしれないと、本気で思った。 「コレット様、どうぞ」 暗い気分になったところで名前を呼ばれ、アンジェリークは慌てて立ち上がった。 「どうぞ、こちらです」 「は、はい!」 名前を呼ばれ、サロンの内部に通されて、アンジェリークはガチガチになって歩いた。緊張のボルテージがひどく上がる。 「どうぞ。直ぐに担当がお見えになりますから」 「はい」 椅子に座り、アンジェリークはカチコチになりながら担当を待った。 リズムカルで凛々しい足音が聞こえる。何だか耳障りが良くて、足音だけで惚れてしまいそうだ。 ピタリとアンジェリークの前で足音が止まると、よく響くテノールが聞こえた。 「アンジェリーク・コレットさん。カットとフェイスのお試しコース。間違いねえ?」 アンジェリークは声に導かれて顔を上げる。その途端、心臓が口から飛び出しそうになるぐらいに驚いた。 そこに立っていたのは、紛れもなく、アンジェリークの憧れの君だった。 緊張しないようにと言うほうが嘘になる。 「どうしたい?」 髪を綺麗な指先で触られて、アンジェリークの戸惑いは最高潮になる。 「き、綺麗にしてくださいっ!」 アンジェリークは声を裏返しながら、必死になって言った。 「それが俺の仕事だからな。最高の女にしてやるよ」 男は不敵な笑みを浮かべると、アンジェリークの栗色の髪を手に取る。 「お前さんを担当させて貰うアリオスだ。宜しくな」 「よ、宜しくお願いします!」 アンジェリークはアリオスにしっかりと頭を下げて挨拶をすると、緊張と嬉しさの中で鏡に向かう。 青年の名前を知られただけでも嬉しかった。 アンジェリークのヘアスタイルを見るなり、まるで魔法のように髪をすきながら切る。指先の器用さに、アンジェリークは惚れ惚れした。 魔法使いのような華麗な指捌きを見ていたが、ボブカットにしたところで、アリオスの指先が止まる。 「お前はこのヘアスタイルが一番良く似合うぜ」 「へ!?」 そんなことを言われても、もっと子供に戻ってしまうようで、切ない。 「子供ぽくないですか?」 「いいや。お前はこのスタイルが一番良く似合うと思うぜ。もっと良い女にしてやるよ」 「あ、お願いしますっ!」 アンジェリークはアリオスに押し切られるような形になり、エステルームに連れて行かれる。 エステチェアーに座らされて、かしこまってしまった。 「少し肌を磨いて…、後はネイルやルージュは似合うものを見立ててやるよ」 「はい、お願いします」 そんなにお金は持ち合わせていたかと迷いながら、誘惑に勝てずにアンジェリークは頷いた。 スチームを充てられながら、じっくりと肌の汚れを取ってくれる。マッサージが気持ち良くて、その時点で、うとうとてしてしまう。 アリオスはゴッドハンドでも持ち合わせているのではないかとすら、思った。 心地良いマッサージの後は、ジェルを塗ってしっとりケアをしてくれる。 手を使って、マッサージパックをしてくれるのも、良かった。 指や脚のマッサージをしてもらっているうちに、本当に心地良くなってしまい、アンジェリークは深く目を閉じた。 いつしか夢の国へとゆらゆら揺られ、意識を現実から遠ざかっていた。 たゆたゆと揺られていると、遠くから声がする。 「アンジェリーク、アンジェリーク」 名前を呼ばれて目を開けると、アリオスが呆れるような顔で見ていた。 「軽く目の浮腫をとったら、お前に似合うメイクをしてやるよ」 「有り難う」 アリオスはひんやりとした液体を含ませたコットンを目の上に置いてくれる。とても爽やかな気分になった。 それを終えると、薄いクリーム色の液体を、アンジェリークの肌に伸ばしてくる。パッケージを見て、それがアンジェリークが貰ったサンプルと同じブランドのものだと解った。 「お前にはアンジェリーククリーム色だな。チークは入れなくても、天然で充分に綺麗だからな」 「有り難う」 アリオスは軽く眉をカットしただけで、主だったメイクはしなかった。直ぐにフィニィッシュに向かう。 仕上げのルージュは、グロス。しかもピンク色のコットンキャンディのような、どちらかと言えば可愛い色だった。 「おしまい!」 アリオスは終了を宣言すると、アンジェリークに鏡を手渡す。鏡の中の自分はー明らかに可愛くなっている。 ネイルも真紅からピーチシャーベットのような色になっている。 「やっぱり、わたしには真っ赤は似合わないのかな…」 「お前はこういった色が良く似合う。いいか? 真っ赤が似合うからって、大人の女じゃないんだ。こういうピンクが何時までも似合う女が良い女なんだぜ」 「うん」 アリオスが低くよく通る声で言ってくれるので、アンジェリークは素直に聞くことが出来た。 「お前はいつもショーウインドーを見つめてニコニコしているのが、一番可愛いぜ」 「えっ!? 気付いていたのですか!?」 アンジェリークは、アリオスが自分の存在に気付いてくれていたことが、嬉しくてしょうがない。 「俺は良い女しか気付かないぜ?」 「あ…、それはその…」 恥ずかしさと嬉しさが交差して、何だか照れてしまう。 「お前が良い女だって言っているんだぜ? こんなに良い女にしたんだから、報酬をもらわねえとな?」 「報酬?」 アンジェリークが目をくりりと開くと、アリオスの唇が重なってくる。 キスは甘いストロベリーの味がした。 |
| コメント 短い読み切り連作です。 |