「アリオス、忘れ物はない?」 「お前じゃねぇから大丈夫だろ」 スーツを着ると、戦場に出向く兵士のような雰囲気になる。 実際、サービス業のアリオスにとっては、職場こそが戦場なのかもしれないが。 スーツ姿のアリオスは、誰にも隙などを与えないような雰囲気を漂わせている。広い背中は、逞しい戦士そのものだ。 整った八等身の躰を惚れ惚れと見つめながら、アンジェリークは玄関先まで送りにいった。 未だにこのひとが、自分のカレだとは到底信じられない。 大人で意地悪で本当は優しい素敵なひと。 「じゃあちゃんと留守番してろよ。後、変な奴が来ても、家にはいれんなよ」 「私は、小さな子供じゃないよ」 何時までも子供扱いをされるのは、やはり小さな子供の時に引き取られたからだろうか。 何時までも保護者のスタンスをアリオスは変えない。 ようやく対等に並べる年齢になったのに。 ようやく彼女になれたのに。 アンジェリークはムッとすると、アリオスを軽く睨んだ。 「そんなとこれがガキなんだよ。台風が来ているらしいから、ちゃんと戸締まりをしておけよ」 「小さい子供じゃないってば」 「どうだか。なるべく早く帰るけれどな」 アリオスはアンジェリークに言い聞かせるかのように言うと、素っ気なく出ていく。 一緒に住んでいても、それはごくごく当たり前な日常の延長で、人生の大半を過ごして来たのと同じことなのだ。 だからこそ、ふたりは余り甘い雰囲気にはならない。 それが少し不満に感じるのは、アンジェリークが年頃だからだ。 「行ってくる」 「いってらっしゃい」 アンジェリークは明るく送り出したが、パタンと玄関の扉が閉まると、どこか切ない気分になった。 孤独な空間に隔離されたような気がする。 溜め息をひとつつくと、アンジェリークは部屋の掃除を始めた。 台風が来るということで、昨日のうちに買い物も済ませておいたせいで、特に出掛ける用もない。 ぼんやりとテレビのニュースで台風情報を見ていた。 大型の台風がアンジェリークの住む町に直撃らしい。 「…ひとりじゃないときに台風が来たらいいんだけれどな…」 台風の夜にひとりなんて淋し過ぎる。恐くてきっと泣いてしまうかもしれない。 思えば小さな頃、どんなにアルバイトが忙しくても、アリオスはちゃんと家に帰って来てくれた。だからいつも嵐なんて平気だったのだ。 アンジェリークは慌てて、冷蔵庫に無造作に貼られているアリオスのシフト表を眺めにいった。 「…良かった…。今日は夜勤シフトじゃないんだ」 一流ホテルのフロントクロークのチーフを務めるアリオスは、夜でも仕事のことが多い。そのせいで、住むマンションもセキュリティシステムがきちんとした所だ。それはアンジェリークのためであることは良く解っている。だからワガママなど言えるはずはなかった。 「なるべく早く帰ってきてくれると助かるんだけれどな…」 アンジェリークは素早く夕飯を準備し、台風に備える。 台風が直撃をしたら恐いくせに、何故かわくわくとした感覚がある。 まるで遠足前のような心の昂揚と、不謹慎な楽しさがあった。 アンジェリークはひたすら台風情報を見ながら、何故か近くに縫いぐるみを置いている。 いざという時、縫いぐるみに守ってもらおうという腹積もりではあるが、結局は泣いてぐちゃぐちゃにして終わってしまうのだろう。 夕方になると、空は不気味な色に染め上げられ、風は強い音を出している。 セキュリティも、災害に対する備えがされた建物だとは解っているのに、不安は拭えない。 アリオスがいないからだ。 アリオスがいないだけで、台風は恐ろしい怪獣へと変化する。 次第に酷くなる雨風の音に、アンジェリークは身を竦めた。 流石にこれほどの台風が間近に来てしまうと、わくわくした気分なんてどこかに飛んでいってしまう。 アンジェリークは、作っておいたカレーライスを貧りながら、何度も溜め息をついた。 「…こんなにも溜め息ばかりをついているのに、食欲だけはあるんだよねえ」 自分の食欲の凄さに驚きながら、アンジェリークはカレーライスのお代わりなどをしてみる。 やっぱり手づくりは好みの味に出来るからいいな等と思いながら、食べていた。 不意に携帯電話が鳴り響き、アンジェリークは慌てて出た。誰かは直ぐに解る。 アリオスだ。 「俺だ。大丈夫か? 台風は」 「大丈夫よ、アリオス。そっちは?」 アリオスの声を聴くだけで、台風一過のように爽やかで澄み切った気分になる。 「ホテルだからななんともねぇよ。だけど帰る時の電車がヤバイかもな」 「止まってるの?」 「テレビ見てみろよ。国営のがいいぜ」 「うん」 アンジェリークはチャンネルを変えて、交通情報を食い入るように見る。 「ホテルからうちまでは大丈夫そうだけれど、うちより少し向こうの駅は、もう運転を見合わせているって」 アンジェリークは嫌な予感がした。 ひょっとするとアリオスは、台風が何処かへ過ぎ去らない限りは、帰ってこられないないのではないだろうか。 不安過ぎてアンジェリークは思わず生唾を飲み干した。 「ちゃんと帰ってくるから、それまではちゃんと縫いぐるみを抱いて寝ていろ」 「赤ちゃんじゃない」 また小さな子供扱いをされたことが気に入らなくて、アンジェリークは携帯電話の前で、河豚のように頬を膨らませる。 「河豚みてぇな顔をしても同じだぜ。ちゃんと帰ってくるから、我慢しろ」 「大丈夫だ…きゃあ!」 突然、電気が消えてしまい真っ暗になる。孤独の切なさを思い出し、アンジェリークは悲鳴を上げた。 「…停電か…」 「そっちも?」 「ああ。だが、うちは自家発電があるから直ぐにつく。悪いが切るぜ」 「うん、電話有難う」 「ああ」 プツリと切れた電話のツーツー音を聴きながら、アンジェリークは泣きたくなった。 アリオスが仕事のために駆けて行ったのは解っているが、寂しくて大声で叫びたくなる。 電話に耳を宛てていれば、アリオスと繋がっているような気がして、アンジェリークはずっとそうしていた。 縫いぐるみを抱きしめたところで、明かりがお祭り騒ぎのように派手についた。 アンジェリークはボリュームをわざと大きくすると、寂しさを音で紛らわせた。 歌等を歌いながら後片付けをし、お風呂に入ってもアリオスは帰っては来なかった。 何時しか、テレビでは運休のニュースが断続的に流されている。 アンジェリークとアリオスがいつも使っている路線もだ。 だがアリオスは必ず帰ってくる。約束をしたのだから。 アンジェリークはテレビの前に陣取りると、じっとアリオスを待ち構えていた。 いつの間にか眠っていたらしい。目を開けると、テレビや電気は消されて、毛布がかけられている。 横を見るとアリオスが、縫いぐるみの代わりにアンジェリークを抱きしめている。 優しい温もりに包まれて、アンジェリークは幸福で堪らない気分になる。 外は嵐なのにきっと無理をして帰ってきてくれたのだろう。 「有難う…」 アンジェリークは小さく囁くと、アリオスの唇に触れるだけのキスをした。 THE END |
| コメント アリオスに引き取られたアンジェリークのお話です。 |