梅雨の晴れ間にお使いを頼まれて、薄いブルーのワンピースを着て、いそいそと出かけた。 日焼け止めを塗り、ストローハットを頭からすっぽりと被って、日焼け対策も完璧だ。 近くまでのお使いでも、楽しみはある。 暑い日には喉に優しい冷やしあめ。まさに命の水。 琥珀色の液体を毎年楽しみにしながら、夏を待っている。 お使いの為、銀行に入ると、空調が効いて涼めた。振込の順番を待っていると、横に背の高い青年がどっかりと座ってきた。 かなり暑いのだろう。汗を額に滲ませている。沸騰した体温のせいか、ほんのりとムスクの香りが漂ってくる。それを吸い込むと、胸の奥がきゅんと鳴ったような気がした。 何だか落ち着かない。 空調が心地良く効いているというのに、何故だか頬がほてってしまう。落ち着かずに何度もお尻をもじもじとしていると、順番を知らせるアラームが鳴った。 「コレットさん」 名前を呼ばれて慌てて窓口に行くと、またアラームが鳴った。 「アルヴィースさん」 今度は青年が立ち上がり、横のカウンターに立った。 心許ない華奢な自分と、豊かな身長の逞しい青年が対比されている気分になる。 カウンターで手続きをしてもらっている間、何度も横の青年を見ていた。 手続きが済み、横の青年を見ると、まだ手続きをしていた。 せめて同じタイミングで銀行を出たい。 そんなことを夢想しながら、後ろ髪を引かれる気分で銀行を出た。 外は中とは一転して、じりじりと暑い。汗がじんわりと滲んでくるぐらいだ。 お使いを済ませたので、ここからは自由の時間。 つんつるてんと歌いながら、奥ばった場所にある小さな商店街に入った。 最近、目抜き通りはアンティークやおしゃれなカフェが立ち並ぶようになり、”リトル・パリ”と異名を取るようになっている。 まだ若手でやり手の人物が、寂れた駅前を活性させたのだ。 目抜き通りを歩いて、可愛い雑貨屋さんやおしゃれな本を扱う本のセレクトショップを冷やかすのも好き。 だが、たまには行きなれた商店街に行きたくなる。ここも、レトロさが受けて、まずまずの繁盛ぶりだ。 こんなに暑いので、先ずはタコ焼きやミニお好み焼を食べられる”粉もん屋”に足を向けた。 古びた店頭には、グリーンティーと冷やしあめが並んで置いてある。 「冷やしあめ下さい」 言った後に、誰かが横に並んだ。 「冷やしあめ」 うっとりするような低い声。 そして。 甘いムスクの香り。 銀行でときめかずにはいられなかった、あの香りだ。 吸い寄せられるように見ると、やはり横にいたのはあの青年だった。 額に宝石のような汗が光っている。 ふたりで並んで待っている間、心臓が気持ちを囃し立ててきた。 それに追い撃ちをかけるように、少しばかり早い蝉時雨がけたたましく聞こえる。 梅雨の合間の猛烈に暑い日。 蝉時雨。 時間が止まる。 恋に落ちた瞬間だった。 冷えた琥珀色の冷やしあめを受け取り、店先にある古びたベンチに腰をかけた。青年もそこに腰掛けたので、何だか変な気分になった。 妙に落ち着かないのだ。 アーケードの隙間から入る光りに、琥珀色の液体をかざしてみる。綺麗過ぎるぐらいにきらきらと光って、宝石みたいだった。 「あちぃな」 ひとりごちるように、青年は呟く。 「暑いです、ホントに。だからこの水は、”命の水”なんです。これを飲んだら、熱中症なんかにはならないです」 「そうだな。甘ったるいけれど、しょうがが入っているもんな」 青年も同じようにグラスを光に掲げた。 まるで写真集にある極上のワンショットのように、芸術的だ。 モノクロームだとさぞかし美しいだろう。 じっと見つめる。 穴が開いてしまうぐらいに見つめていたい。 ほわほわと逆上せたような状態で青年を見ていると、蝉時雨に混じって腹時計が鳴った。 「クッ、腹減ってるのかよ」 喉を鳴らしながら笑われてしまったので、隠れてしまいたいぐらいに恥ずかしかった。 「…もうすぐお昼だから…」 「だな。それ飲み干せ。ランチが美味い店に連れて行ってやる」 「え、あ!?」 イキナリ過ぎる展開に戸惑いながら、冷やしあめを飲み干す。琥珀色のジンジャー水は躰をしゃっきりとさせてくれた。 着いていくことに戸惑いと、これを逃せばチャンスがなくなってしまうのではないかという不安がごちゃまぜになる。だが誘惑のほうが強くて、結局は着いていってしまった。 炎天下ー比較的ゆっくりしたペースで歩いていく。ひよこの遠足みたいにちまちまと、ドキドキしながら歩いた。 「こっちだ」 「え!?」 目抜き通りに最近オープンした、カフェレストラン。お洒落で美味しくて有名なそこは、ランチでもかなり高価だ。とてもじゃないが、高校生のレベルで食べられる食事ではない。 「あ、こんなとこじゃ。あんまりお金持ってないし」 「出すから心配するな」 キッパリと言われて資金面での不安は解消されたものの、危うい心配は残った。 レストランに入るとかなり混雑していたが、青年を見るなり、係が奥の部屋に通してくれる。 個室に案内されて、戸惑いすら覚えた。 「あの…」 「いいから、喰おうぜ。飯」 「有り難う」 高級なしつらえの室内に、緊張せずにはいられない。 お尻が浮いたようにもぞもぞとしてしまう。 「ランチコースでいいよな?」 「お任せします」 素直に頭を下げると、青年は僅かに笑った。 完全に感情を乗っとられた気がした。 そこから先の事を、覚えてはいない。きっと美味しい食事だっただろうに一切合切記憶に遺らなかった。 ただ意識にあったのは、青年の整った唇、官能的に動く口、魅惑的な眼差し、綺麗な指先だけだ。 ひんやりとしたデザートのシャーベットも、感覚がなかった。 ただ、食事が終わる事に、喪失感がある。 「…名前は?」 言っていなかったことに気付き、はっとする。 「アンジェリーク」 「アンジェリークか…。俺はアリオスだ」 「アリオス…」 お互いの名前を呼んだ瞬間、捕われる。 名前が最も短い呪だと言ったのは、遠い昔の誰か。 その意味を今はしっかりと理解できた。 お互いの名前を呼び合った後、懐かしく逢うべきして逢ったという想いが強くなる。 ふたりはどちらからともなく指を絡み合わせると、そのまま仲良くレストランを出た。 これが始まり。 THE END |
| コメント 飲み物をテーマにしたお話第二弾です。 ひやしあめはこの時期に関西では登場する、季節の飲み物です。 冷やし飴は、たこ焼き屋さんとか、駄菓子屋さんとかで飲めます。 価格も100円までで、子供にも手が届く飲み物です。 |