鞄を何度も家捜ししても、携帯電話は見つからなかった。 アンジェリークは、まるでこの世の終わりのような顔をして、肩を大袈裟に落とす。悲哀すら感じられる背中だ。 「…どうしよう…」 声にならないような線の細い頼りない声を搾り出し、眉毛をへの字に曲げる。 「…何やってんだよ」 鋭いナイフのような声と共に、綺麗で大きな手が、アンジェリークの目の前にあるテーブルを叩いた。 顔を上げれば、アリオスがいる。自分にアンジェリークの意識が向いていないことを不快に思う、切れるほどに尖った冷たい視線が、突き刺さった。 「…アリオス、こんにちは…」 些か他人行儀にも取れる硬い声が、自分の唇から繰り出されて、アンジェリークはドキリとした。 アリオスの柳眉もどこか皮肉げに上がる。 「何不安そうな顔をしているんだよ? ちゃんと約束通りの時間に辿り着いただろ!?」 時計を見ると、アリオスはきっかりとした時間に姿を現している。 「あ、そ、そうよね」 アリオスの冷たい視線が恐ろしいのと、心は忘れてきた携帯電話のことばかりを考えてしまい、視線が定まらない。アリオス以外の部分で、空中を浮遊していた。 「ったく、逢った早々しけた顔かよ!? おまえがその気がねえなら、今日のデートは中止にしてもいいんだぜ」 アリオスは憤慨しており、不機嫌そうに煙草を唇に押し込める。広い肩からは、明らかに威嚇のオーラが満ち溢れていた。 「あ、あの、ご注文は…」 注文にきたウェイトレスが、アリオスから身をのけ反らせている。凄まじい負の雰囲気だ。 「ホット!」 苛々しているアリオスは、目線をウェイトレスに合わせようとはせずに、宙に飛ばし、ついでに煙草の煙も同じところに飛ばしている。 「か、畏まりました!」 ウェイトレスが飛んで逃げたのを機に、アリオスの眼差しがアンジェリークの顔を撫でた。 「ここでコーヒーを飲んだら解散な」 アリオスは本気でデートを中止しようとしている。それは携帯電話を忘れてたことよりも、痛い。 「…やだ…」 アンジェリークは大きな瞳に、溢れそうになる涙をうりゅうりゅと貯めて、アリオスを見上げる。子猫が構って欲しい時に見せるような、必殺技の眼差しだ。狡いと思われても、アリオスとデートを止めにしたくはなかった。 「はぁ? おまえってば、マジで訳が解んねえ」 アリオスは煙草を唇から強引に抜くと、手を顎の下に組んだ。その体勢で、アリオスの不思議な魅力が溢れる瞳で見つめられると、アンジェリークは落ち着かなくなった。 「何なんだよ、ったくおまえはよ」 「…だって…」 もじもじとしていると、アリオスのこめかみが神経質にひくひくと動くのを見つけた。 ダメだ。これではアリオスの爆発は時間の問題だ。 「…携帯電話を自分の部屋に忘れちゃって…、ブルーになってたの…」 最後は言葉が自然にフェイドアウトしてしまう。ついでにエコーも付いているように気になった。 「ったく! んなしょうもねえ事で、この世の終わりみてえな顔をするなっ!!!」 耳鳴りがするぐらいの声で怒鳴られて、アンジェリークの耳も心も、金属音がキーンと鳴る。 「ア、アリオスにはしょうもないことかもしれないけれどっ、私には側になくてはならない大切な物だものっ!」 口を尖らせてアヒルみたいな顔をしながら、アンジェリークは震えながら反論した。だがアリオスが恐いので、妙に声にビブラートがかかってしまっている。 「学生の分際で、携帯を駆使することがあるのか!? ええ?」 アリオスはイキナリアンジェリークの柔らかな頬を抓って引っ張ってくる。痛みの余りに、アンジェリークの瞳は涙がちょちょ切れた。 「いひゃあいっ!」 「俺みてえな偉大な弁護士先生ですらも、余り携帯は使わねえ。なのおまえみてえな女子高生が、携帯を命と同じぐれえに大事にするのは、おかしい」 アリオスはキッパリ言い切ると、アンジェリークの頬をようやく離してくれた。 「らって必要じゃない。アリオスと連絡するとか、アリオスとメールするとか、アリオスと話をするとか…」 アンジェリークは真っ赤に腫れ上がった頬を摩りながら、アリオスを涙目で睨みつける。 アリオスと釣り合う為には、携帯電話はどうしても必要なものなのに。 アリオスをちらりと見ると、まだこちらを睨んでいる。正直言って、かなり恐い眼差しだった。 沈黙がふたりのいるボックス席を覆い、ウェイトレスもコーヒーを置いて逃げて行く有様だ。 「だったら、おまえは携帯がねえと、コミュニケーションや恋愛のひとつも出来ねえのかよ!?」 流石は意地の悪い弁護士。アリオスは痛いところを突いてくる。 アンジェリークは心の隙間に弾丸を撃ち込まれたような気分になり、呼吸と言葉を飲み込む。 「…そうじゃないけれど…」 「だろ!? だったら俺達がデートするのに、んなもんは必要ねえだろうが。俺とのデート中に、おまえは携帯を覗いたことはあるか!?」 言われてみれば、いつも半分からかわれていじめられる”デート”であっても、途中で見るどころか、電源すら切っている。 正直言って、存在すら忘れている。 「…ないです…」 「だろうが」 アンジェリークはごもっともですとばかりに、アリオスに頷いてみせることしか出来なかった。それはどこか振り子の虎に似ていた。 「俺がおまえぐれえのガキの頃なんて、携帯どころか死んだポケベルすら持ってなかったが、ちゃんと今のガキんちょみてえに、やることはやってたぜ。それどころか、今よりもドキドキしてたかもしれねえな。アナログ恋愛は燃えるぜ?」 アリオスはアンジェリークの鼻先まで顔を近付けると、お得意の意地悪な微笑みを浮かべた。 胸が奥底で針に突かれるように鋭い痛みを催しながら、跳ね上がる。 何だか訳が解らない苛々が、アンジェリークを苦しめた。 「ア、アリオスは…、アナログ恋愛で…、その…、盛り上がったことは…あるの?」 アンジェリークは胃の奥からすっぱい液体が滲むのを感じて、眉間にシワを寄せる。顔も声も上擦った感じだ。 「俺か? 知りたいのかよ?」 アリオスは左側の眉を綺麗に上げながら、アンジェリークをじっと眺めこんでくる。それは最高の獲物を見つけた時の、ハイエナのような目付きだった。 「…知りたくないもん!」 アンジェリークはぷっくりと頬を膨らましながら言い、胃の引き攣りを我慢する。 「我慢しなくていいんだぜ? 教えてやる」 アリオスは本当にこれぞ快楽のような顔をすると、アンジェリークのひくついたこめかみをツンツンと指で突いてきた。 「アナログだろうがデジタルだろうが、やってることは一緒だろうが。それこそ、北京原人の時代からな」 「北京原人と一緒にしないでっ!」 頭から湯気が出ているくらい熱くなりながら、アンジェリークはアリオスにしっかりと反論する。だが、アリオスは笑ってばかりだ。全く、しゃくに障る人間と言うのは目の前の男のことを言うのだ。 アンジェリークがキリリと睨んでも、うろたえるどころか、この男は喜んでいた。 「ずっと愛ってのは不変てことだ」 「あなたから”愛”なんて言葉は聞きたくない」 「まあ、実際そうだろ? 俺達の出会いのきっかけだって”出会い系”じゃねえわけだし、携帯なんかなくても充分やっていける」 アリオスの言葉はイチイチごもっともで納得出来るせいか、アンジェリークは羞恥を感じて俯くばかり。 「それは、そうだけれど…」 「携帯電話でなんか繋がっていなくても、俺達は充分繋がっている。携帯なんかに依存しねえで、俺に依存しろよ。何か間違っているぜおまえ」 アリオスに額を指で弾かれて、アンジェリークは曖昧な笑みしか浮かべられない。 「携帯がないと生きていけないなんて、それだけで病気だぜ、おまえ。携帯なんか無くたって、充分にやっていける。試そうぜ」 アリオスはぎゅっとアンジェリークの手を握り締めると立ち上がり、アンジェリークもそれに引きずられる恰好になる。 「携帯電話の存在を俺がしっかり忘れさせてやるよ」 アリオスに握られた手がとても熱い。アンジェリークの総てをとろけさせてしまう程の、甘い熱。 アンジェリークは熱に誘導される形で頷く。 「忘れさせて…?」 「ああ」 カフェから出た後、文字通り、アリオスは情熱と愛情で、アンジェリークの思考から携帯電話を追い出してしまった。 アナログな恋もステキ…。 いつまでもあなたに依存していたい…。 |
コメント この間会社に携帯電話を忘れたんですが、意外になくても平気な自分に、少しほっとしました。 依存症じゃねえやって。 まあ、そんなこんなで思いついたシチュエーションです。 |