微風のバルコニー


 神様からのご褒美のように思えるお休みを貰ったのに、アリオスは相変わらず仕事ばかり。
 最近のリフォームブームにより、テレビやマスコミで”リフォームの匠”として紹介されているせいか、アリオスはどこの現場でも引っ張りだこだ。
 アンジェリークの家も、アリオスにリフォームをしてもらう予定なので、余り偉そうなことは言えない。
 アンジェリークは、連休をテーマにした雑誌を読む度に溜め息をついていた。
 ロマンティックに、アリオスとふたりで初夏の風を感じたかったのに。
 アリオスは現場をいくつも抱えているせいか、連絡すらも出来ないぐらいだった。
「アリオスのバカっ…! 私をほおってばっかりすると、後でとんでもないことになるよっ!」
 アンジェリークは、思い切りアリオスの写メールを叩いた。

 アリオスと会えなければ、友達と逢ってもいいのだけれど、あいにくアンジェリークの友達はみんな恋人がいる。
 絶好のロングバケーションには、友達を相手にする暇はないのだ。はっきり言って。
 アンジェリークは暇を持て余し、ごろごろとしながら、脚でシンクロごっこをしたりと、しょうもないことばかりをしてしまっていた。
 余りに暇でしょうがないので、アリオスの設計事務所に向かった。
 ここでお風呂やキッチンのサンプルを見て楽しむのだ。
 質感などを見るのも、また楽しい。
 いつも自分なりにCADなどを使い、家を作っては楽しんでいる。最近のソフトはかなり優れており、アンジェリークでも慣れてしまえば、プレゼンテーション用の入力ぐらいは出来てしまえるのだ。
「アリオスを待ちながらって感じじゃないけれど、これはこれで結構楽しいもんね」
 アンジェリークは、今日も自分の感性をもとにして、部屋を作っていく。これが一番のストレス発散だった。
 設計事務所のスタッフも忙しく働いており、正直、アンジェリークを構う場合ではない。だから、ソフトにずっとかかっていられるのだが。
「あ、お嬢ちゃん! 来てたのか」
 明るい建築士であるオスカーが、ちらりとアンジェリークを覗きこむ。
「アリオスの野郎なら、現場にいるぜ。ここから歩いて20分ぐらいのところだ。地図を書いてやるから、暇なら行ってきたらどうだ?」
「うん! 邪魔にならなければ行くよ!」
「ああ。たまの息抜きもいいんじゃないのか。アリオスは働き過ぎだ」
「確かにね!」
 アンジェリークとオスカーは、顔を見合わせては、大笑いをした。
「じゃあ有り難う、オスカーさん。アリオスのところに行ってきますー!」
「ああ。気をつけてな」
 オスカーに見送られて、アンジェリークは早速アリオスのところへと向かった。
 ソフトと睨み合っているよりも、アリオスの顔を見ているほうが、とても幸せに感じた。
 散歩がてらにアンジェリークが現場に立ち寄ると、テレビ並にかなりの大掛かりなリフォームの最中だった。
 外壁なども施されている。
 調度、設計図を片手に、ヘルメットを目深に被っているアリオスが見えた。
「アリオス!」
「ああ。おまえか」
 アンジェリークが近づいていくと、アリオスは笑顔で待ち構えてくれる。それに向かって走っていくだけだ。
「アリオス! すごい大掛かりな現場よねえ」
「ああ。大々的なリフォームだからな。外壁も光触媒を使って、汚れが付きずらくしている」
「へえ。アリオスがするからには、素敵なお家になるのは確実だものね! あのバルコニィとかも素敵だなあ」
「ああいうの、好きだもんな」
「うん!」
 アンジェリークがはっきりしっかりと返事をすると、アリオスは目を細めて優しい笑みを浮かべてくれる。
 アンジェリークにとっては、くすぐったくて、素敵な瞬間だ。
「少しだけ休憩に入るぜ。おまえも一緒に来い」
「うん、有り難う」
 アンジェリークはアリオスの後をぽてぽてと着いていく。すると現場のバルコニィに連れていってくれた。
 アンジェリークがずっと憧れている広いバルコニィと、ベンチ、テーブル。
 こんな家に住めたら、きっと幸せだと思わずにはいられない。
「夢みたいなお家よね。アリオス、うちもこういう感じにして欲しいんだけれど」
「おまえの親父とお袋さんが、同意をしたらな」
「うちはこんな感じにはならないわよ。古くて歴史のある民家を改造して、ロマンティックにするのが良いのに〜」
 アンジェリークには建築のいろはだなんて、全く解らないせいか、好き勝手に言ってしまっている。
「おまえの好きなようにしてたら、予算がいくらあっても足りねえぜ」
 アンジェリークはわざと頬を膨らませると、アリオスに唇を尖らせた。
「んな顔をしてねえで、おら、これを飲めよ」
「うん」
 アリオスが差し出してくれたのはペットボトルのミネラルウォーター。冷やされた水は、喉を潤すにはちょうど良い。
「美味しいね。たまには水も」
「この水はいつでも美味いんだよ」
 アリオスも同じようにミネラルウォーターを飲んでいる。
 アンジェリークは冷たい水の美味しさに、目を閉じるぐらいだ。
「ここは、凄く良いな。この位置から、町並みが蜃気楼みたいに見えて、凄く素敵だなあって思う。山並みや町並みって、遠くにあるとそれだけで絵になるよね」
 アンジェリークは水を飲みながら、目の前に見えている風景を楽しんだ。
「アリオスさん! キッチンのタイルをはつりますぜ!」
 現場から荒くれな声が聞こえ、すぐにそれが現場職人であることが解った。
「ああ。はつり始めてくれ。直ぐに合流する!」
 アリオスは大きな声で返事をした後、アンジェリークに向き直ってくれた。
「アリオス、はつるって?」
「削ることだ」
「そんな言葉は始めて聞いたよ」
「だろうな。所謂、業界用語だからな」
 アリオスはさらりと言うのが、何だか仲間ハズレにされたような気分にされて、アンジェリークは拗ねたくなった。
「忙しいそうだね」
「まあまあかな。かなり忙しいと言えばそうだからか」
「そうよね…」
 アリオスの職場を覗くのは嬉しいが疎外感は否めない。
「アリオスさーん! キッチンパネルですが!」
 またアリオスは職人から呼び出しがかかる。
 これはもうアリオスを取られても仕方がない。
「アリオス、行ってあげてよ。私はもう少しだけ、この気持ち良い風を楽しんでから、帰るから」
「ああ。すまねえな」
 アリオスは本当に申し訳がないとばかりに、眉根を寄せていた。
 アリオスを見送った後、アンジェリークは鈍色の光を含んだ空を見上げる。
 理想的にアンニュイな空だ。
 ひとりで見る空はどこか切ない絵の具が乗せてある。
 アンジェリークは寂しくなり、ひとつ溜め息をついた。

 アリオスとはまた会えない。あの現場はかなり忙しいらしく、連絡すらない日々が続いた。
 そして。突然、アンジェリークの携帯が鳴る。相手は、待望のアリオスだ。
「あ、アリオス!」
 アンジェリークが元気良く電話に出ると、アリオスは笑って来た。
「アンジェリーク、今からちょっと出てこられねえか? 下に車で来ているから」
 窓の下を覗き込むと、アリオスの車が停まっている。
「行くよ! 今すぐに!」
 アンジェリークは明るく返事をすると、慌ててアリオスの下に走っていく。
「アリオス!」
「ああ。直ぐに車に乗れよ」
「うん!」
 アンジェリークが車に乗るなり、アリオスは直ぐに出発をしてくれるのは、わくわくをより大きくしてくれる。
「どこに行くの?」
「直ぐに解る」
「ケチ!」
 アンジェリークが悪態をつく度にアリオスが苦笑するのは、もう定番になってしまっていた。
「私が知っているところ?」
「まあな。楽しみにしておけよ」
「勿体振り過ぎ!」
 アンジェリークがいくらねだっても、アリオスは教えてくれない。
 アンジェリークはされるままに目隠しをされてしまった。
 アリオスの大きな手がくすぐったい。この先に何が待っているかを想像するだけで何だか愉しく、くすくすと笑ってしまう。
「まだ?」
 好奇心旺盛な子猫のように、アンジェリークはきいてみる。するとアンジェリークと同じように楽しげなアリオスが、耳の近くで囁くように言った。
「まだ、だ」
 低い艶のあるアリオスの声は、アンジェリークの背筋をゾクゾクさせる。今までになかったような快楽に、唇から吐息を零した。
 アリオスの熱も、その吐息までもを、アンジェリークは意識してしまう。胸の奥が熱くなる。
「まだ?」
「もうすぐだ」
 甘い緊張をしていることを、アリオスには識られたくなくて、アンジェリークはごまかすようにきいてみた。
 階段を何段も登っているのを感じる。登り終えると、もう少しだけ歩くように促された。
「そろそろだな。お姫様、目を開けるぜ」
 覆っていたアリオスの手が外されて、アンジェリークの視界が広がっていく。
 遠くには、宝石をひっくり返したような繁華街の明かり、そして港が見える。晴れた日にはみなもが輝いて、それはもう美しいことだろう。
 バルコニィの先に、誘われるままに入りこめば、この時期なら夜風を浴びながら食事が出来るくらいに広かった空間が見える。
 アンジェリークが夢を見ていた場所が、目の前に広がっている。
 こんなところで住めたら、本当に最高に嬉しいだろう。
「凄いね、アリオス。ここは最高よ。クライアントのお家?」
「いや、俺が住むんだ」
 アリオスはさりげなく言うと、ベンチにどっかりと腰を下ろした。
「じゃあ遊びに来ていい!?」
 アンジェリークは些か興奮ぎみに言い、アリオスにねだった。
「ああ。構わないぜ。いっそのこと、ここで住まねえか?」
アリオスが手を差し延べてくれる。
 それを手に取れば、アンジェリークの夢は叶うのだ。アンジェリークはアリオスの手に、震えながら延ばしていく。
「アリオス、いいの?」
「それは俺の台詞」
 アリオスの言葉に、アンジェリークははにかんだ笑みを浮かべると、その手を撮る。
「掴んだ以上、離さねえからな」
「うん。私だって離さないもんね」
「ああ」
 アンジェリークの腕を取ると、アリオスはそのまま膝の上に乗せてくれる。
 ロマンティックなバルコニィでのキスを、アリオスはそっとくれた。
 これからも、一緒に生きていく。そしてこのバルコニィを、愛の花でいっぱいにしていく。
コメント
GWを舞台にしたお話し。
マンションの広告を見て、誘われて書いてみました。




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