ずっと幼い頃からあなただけを見ていました あなたのことが判らなくなる前に、どうしても逢いたかったの…。 T 「もう帰るの?」 「ああ、明日は午前中にオペがある」 アリオスは感情なく呟くと、ベッドから出て身支度を始めた。 女はそれをベッドの中から見つめながら、艶やかなブルネットの髪をかき上げる。 「ここに金は置いておく。チェックアウトしててくれ」 「判ったわ。またね、アリオス」 「ああ」 テーブルの上に無造作にお金を置くと、アリオスは女に軽く挨拶をして出て行く。 何時ものように後くされのない相手と、つかの間の情事を楽しむ。そんな自分を空虚に思いながらも、止める事がとが出来ないでいた。 彼は自嘲気味な微笑を浮かべると、車に乗り込みアリオスは自宅に向かう。 流れるような夜景を抜けて高級住宅街に入り、小さいがとても趣のある自宅のカーポートに、彼は車を入れようとした。 「 車のライトが照らす人影にアリオスは息を呑み、カーポートに車を入れる手前でブレーキを踏んだ。 彼は慌てて車を降り、鋭い眼差しでカーポートを見据える。 「誰だ!?」 影が立ち上がり、アリオスは再び息を呑んだ。そこには、栗色の髪をした、高校生ぐらいの少女が立っていた。大きな青緑の澄んだ眼差しが印象的な少女で、どこか寂しげな美しさを持っている。 アリオスの虚をつくような澄んだ眼差しに、彼は一瞬怯んだ。 「こんなところでこんな時間に何をしている? 送っていってやるから、車に乗れ」 心の動揺を隠しつつ、アリオスは少女に近づいていくが、彼女は断固として首を振った。 「迷ってしまったの。修学旅行でこの街に来たんだけど、私、皆とはぐれてしまって。ここなら野宿しても大丈夫かなって思ったんです」 にこやかに穏やかに話す少女は、どこから見ても能天気に見え、アリオスは頭を抱えたくなった。 「家に帰りたくない理由とかあるのか?」 「家に帰っても誰もいないもの。ここにいても同じでしょう?」 悪びれるふうは一向になく、少女はアリオスのシャツをぎゅっと握ってしまっている。その姿はとても愛らしいが、今のアリオスには迷惑至極だった 少女をちらりと見る。少女は物乞いに見えなくない粗末な身なりはしていたが、小奇麗ではあった だがここで放っておくわけにもいかない。彼女は女の子なのだ。 アリオスは溜息を吐くと、仕方なさそうに少女を見た。 「今夜はうちで寝ろ…。おまえが寝る部屋ぐらいはある」 「ほんと!!」 現金なことに明らかに明るい表情になり、少女は何度もジャンプして喜んでいる。その姿に、どこか疲れを癒されてしまうアリオスであった。 「その前に車をカーポートに入れさせろ」 「どうぞ!」 アリオスは何度目か判らない溜息を吐いて、車に乗り込み、慎重にカーポートの中に入れる。それを横から少女は楽しそうに見ていた。 車から出ると、アリオスは少女に「来い」と行って、家に入れてやる。彼女は本当にうれしそうにしてステップすら踏んでいた。 「おまえはここで寝ろ」 「どこでも寝るわ!」 連れて行ってもらった部屋は、ピアノとカウチソファがあるリビングだった。彼女はその部屋を見ても嬉しそうで、早速、荷物であるリュックサックを買う地において、座りながら足をぶらぶらさせていた。 「毛布と枕、パジャマを持ってきてやるから、それを使って寝ろ」 「はい」 アリオスが毛布を取りに言っている間、少女はピアノに近づいて優しく触れてみる。その眼差しはとても優しく慈しみのあるものだった。 (やっと逢えた…) 「ピアノは触るな」 低い声がして、少女はびくりとして躰を小さく縮こまらせる。 「ごめんなさい…」 項垂れる様に謝ると、少女は再びカウチに腰を下ろし、足をぶらぶらとさせた。どこか手持ちぶたさな風がある。 「これで今夜寝るといい」 「有難う」 厳しい表情をしたままのアリオスから、彼女は毛布と枕、そしてパジャマを一緒に受け取り、それを夢中になってカウチに置く。その表情が一瞬かわいく思えてしまうアリオスだった。 「このパジャマあなたの?」 「そうだ。だったらどうだというんだ?」 「嬉しいの」 少女は本当に嬉しそうだった。アリオスの彼女には大きすぎるパジャマの上を愛しげに抱きしめている。 その姿が愛らしく思うのと同時に、彼はとても苦しく感じ、正視できなかった。 「こんなこと、もうするんじゃねえぞ?」 「どうして?」 きょとんとして彼女は別に悪びれた様子などまるでない。それにアリオスは益々頭を抱えてしまう。 「あのな、俺みたいにションベン臭いガキを相手にしなかったらいいが、するやつだったら、おまえとんでもねえことになってたぞ」 大人の男らしくここは諭さねばと、アリオスは珍しく少女に言って聞かせる口調になった。少し自分がじじむさく感じながら。 「 真顔の少女はどこか大人びたところがあり、寂しげな瞳に見つめられて、アリオスはほんの少したじろいだ。 「…そんなこと言うところが、ションベン臭いんだよ?」 「アリオス先生の意地悪」 不機嫌そうに少女は口を尖らしたが、アリオスが気にしたのはそんなことではなかった。 「おい、何で俺の名前を知ってるんだ!?」 彼の表情は益々不機嫌になり、少女を怒るように睨み付けている。 「やばっ!」 彼女は慌てて毛布を頭から被ると、手だけ出して彼に向かって振る。 「先生、おやすみなさい」 「ったく! 明日はちゃんと家に帰れよ!」 アリオスは何度目かわからない溜息を吐くと、部屋から不機嫌な表情のままで抵抗とした。 「先生って、甘い香水の匂いがするのね」 「…!」 はっとして振り向いたが、少女は何も答えはしなかった。 (純粋な眼差しにはどう映るのか…) アリオスはまた空しくなるのを感じながら、リビングの電気のスイッチを消した 翌朝、アリオスは柔らかな美しい調べで目が覚めた。その音はとても純粋に響き、彼の心を深く捉えた。胸の奥が苦しくなる。 (そんな音なんて、聞きたくねえんだ! 俺は!) 彼は慌ててベッドから降りると、ローヴを羽織り、慌ててリビングに向かった。 「ピアノは触るなと言ってあるはずだ!」 アリオスの低く良く通るきつい調子の声と共に、少女はピアノを奏でるのをやめた。 調律を長い間していなかったのにも関わらず、少女の音は正確だった。 「早く支度をしろ。メシ食ったら送ってやる」 苛立たしげに言ったが、少女は何も反応せず、暫くぼんやりとしていた。まるでここに“彼女”と言うものがないかのように、 「おい!」 何度か呼んで、ようやく彼女ははっとしたようにアリオスを見つめた。その時の彼女の瞳は、昨日逢った時と同じように、純粋な青緑の眼差しに戻っていた。 アリオスのパジャマがぶかぶかだったようで、まるで子供のように着こなしている。少女はピアノから離れると、じっと俯いていた。 「とっとと着替えてキッチンに来い。朝飯ぐらいは作っておいてやる」 「美味しく作ってくださいね!」 「バカなこと言ってないで、とっとと着替えろ!」 笑った彼女は昨日の元気な彼女だ。その笑顔に朝から癒される自分をアリオスは認めたくなくて、わざと少しきつめの口調で言った。 素早くシャツとジーンズに着替えて、アリオスはダイニングに向かった。とてもいい美味しそうな香りがキッチンからして、彼は慌てて中に入った。 そこには、既に出来上がっているチーズトーストと、プレーンオムレツ、簡単にサラダが一人分だけ置いてあり、アリオスは目を見開く。 (あいつだ、あいつしかいねえ) アリオスは真っ直ぐリビングに戻り、ドアを開けた。 「おい!」 その瞬間、アリオスは息を呑む。 部屋はもぬけの殻だった。ただ庭に通じる窓が開け放たれてあり、そこから少女が出て行ったのが判った。 カウチの上にはきちんと使った枕と毛布がたたんでおいてあり、そこには“アリオス先生、有難う”と書かれたメモが置かれていた。 少女とアリオスのパジャマは忽然と姿を消していた。 白いレースのカーテンが夏の日差しに透け、爽やかな朝の風に揺れていた |