| 雪の日は幻覚に魅せられる 深い白と静寂を感じた。 次の瞬間には、どこか遠い場所へと導かれている気分になる。 「ねえ、お兄ちゃんはどうしてここにいるの?」 愛らしい声に導かれて、アリオスを振り向く。 肩までの栗色の髪を僅かに揺らして、少女が、不思議そうにアリオスを見つめていた。 「おまえこそ…。迷子か?」 少女は髪を優雅に揺らしながら、首を横に振る。その仕草は、子供らしい愛らしさの中に気品が感じられた。 「ううん。私、アンジェ。ここの城の姫よ?」 「お姫様か…」 アリオスは苦笑いをすると、少女の目線に下りてやる。確かに良く見ると、少女の身なりはかなり良い。だが、どこかしら古風な感じがする。 「お兄ちゃんこそ迷子?」 大きな紺碧の瞳をきょとんとしながら、アンジェと名乗った少女は、逆に彼に訊いてきた。 ”迷子” 確かにそうかもしれない。心が迷っているからこそ、天使城にやってきたのだから。 「そうだな、俺は”迷子”かもしれねえな」 フッと寂しそうにアリオスは笑うと、少女を見つめた。 少女の瞳は、穢れの知らない海の色。とても澄んでいて、自分では直視出来ないような気がした。 「だったら、アンジェがお兄ちゃんを連れて行ってあげるわ」 少女がアリオスの手を強引に引きよせた瞬間、”音”を感じた *** 「お客様、閉館の時間です」 声をかけられ、アリオスはふっと我に還った。時計を見ると、もう午後5時を回っている。 「すまなかったな。仕事熱心で大変結構だ」 「いえ」 アリオスは低い声で感情なく言うと、城の入り口に向かって歩いていった。 「ちょっと! 今のはこの城のオーナーアリオス様よっ!」 「ええっ!」 城の案内係の女性たちの騒ぎの中、アリオスはひたすら入り口に進む。 子供の頃から、何かあれば、必ずこの城に来ていた。 城は”天使城”と呼ばれ、今から400年程前に建てられた、アルヴィース家の城だ。その美しさと、今見ても完璧な設計の巧みさゆえに、今は、博物館としてアルヴィース家が運営していた。 アリオスは祖母からのたっての願いでこの城を相続し、今やオーナーである。だが、営利目的で公開しているわけではないので、拝観料は、全て運営に当てられている。 そしてこの城は、アリオスにも馴染み深い、”天使姫”が実際に住んでいた居城でもあった。 幼い頃から城に魅せられ、通ううちにその構造に興味を持ち、アリオスは建築家となった。今では新進気鋭の建築家として、有名建築物を多数手がけている。 建築家になった今でも、何かがあるごとに、彼は必ずこの城を訪れている。自分の心を浄化し、安定を図る為に。 冬の日が落ちるのは早い。アリオスが入り口にたどり着いたときには、すでに闇が空を覆っていた。 「…また、降り出したな…」 闇を浄化するかのように、白い雪が空から舞い降りていく。その姿は純粋に美しい。 アリオスは暫く雪が降るのを見つめた後、ゆっくりと駐車場に向かって歩いていった。 駐車場は、”天使城”の庭の端に作られている、かつては馬小屋だったところである。広大な”天使城”の敷地の端なので、それなりに歩かなければならない。 そこまでは散歩がてら楽しんで歩く。 城の隣にある教会からは、荘厳なクリスマスキャロルが聴こえ、彼の耳を楽しませてくれる。やはり、クリスマスが近いのだと、感じずにはいられなかった。 駐車場についた頃には、躰が冷たく冷え切っており、白い息を大きく吐き出す。 先ほどと同じ感覚が、不意に、アリオスを襲った。 深い白と静寂 そして。神々しいほどの緊迫とした空気。吸い込むだけで、心が浄化するような気すらする。 闇が幻想のヴェールで包まれたような世界が、目の前に広がっていった。 感覚だけが鋭くなり、周りから取り残されたような不思議な感覚。 遠くから聴こえるクリスマスキャロルが、大きくなって、アリオスを包み込んでいく。 Les anges dans nos campagnes Ont entonne l'hymne des cieux Et l'echo de nos montagnes Redit ce chant melodieux Gloria in excelsis Deo ! Gloria in excelsis Deo ! 音と共に、星に照らされた聖なる光が彼に近づいてきた。 「……!!」 その瞬間、アリオスは息を呑み、心すらも奪われてしまう。 純白の絹の美しいドレスを身に纏った、栗色の髪の少女がアリオスの前に現われた。 絹のドレスは月の光を浴びて美しく光り、さらには絹糸で細かな花柄の刺繍が施されている。 闇夜に浮かび上がるその姿は、本当に女神か天使のようだった。 少女にアリオスは魅入られ、空間や自分が今どこにいるのか。そんなことすらも全て忘れ去ってしまっている。 「あの…」 少女は愛らしく小首を傾げると、大きな澄んだアクアマリンの瞳で、アリオスを捕らえた。 耳心地の良い甘くも愛らしい声に、アリオスははっとして我に還る。 「何だ?」 「あの…、私の侍女をお見かけになりませんでしたか? 見失ってしまったようなのです」 「いや…、見かけてねえが…」 「そうですか…」 少女は肩をがっくりと落とすと、溜息を吐いて辺りをきょろきょろと見つめた。その眼差しは、少し不安げの様子だ。 「ではもう少し捜してみます。城に先に帰ってかもしれませんし…」 「城って? 城はもう閉館のはずだぜ? この後、仮装大会があるとは、聞いていないぜ?」 アリオスの言葉に、少女は益々首をかしげる。 「閉館って? だって、お城はアルヴィース家の王、ラグナ4世が居住されていらっしゃいます。それに仮想大会とは…。あなたさまのほうがよほど、仮装をしているように見受けられますが…」 少女は、全く真剣だった。わざとそのような受け応えをしているわけではないのが、アリオスにも何となく判った。 「 とにかく、お城に戻ってみます。そこに行けば、侍女たちがいるかもしれません」 少女は白いドレスを翻して行こうとした。だが、ふと立ち止まり、振り返る。 「…あの…、お城の方向はどちらかご存知ですか?」 これにはさすがのアリオスも参ったのか、溜息を吐く。 「判りましたよ、お姫様。お城までお連れしましょう」 「よかった! 有難う!」 アリオスは、この少し風変わりな少女を連れて、来た道を再び逆行し始めた。 少女は背筋を伸ばし、ドレスの裾を巧みに持ち上げて、彼の後をついていく。 「足元急だからな」 「はいっ…、きゃあっ!」 やはり、かなり豪華で立派なドレスのせいか、途中で少女は何度も足を取られそうになる。その度にアリオスが助けてやり、少女は何とか城の門までたどり着くことが出来た。 「…この表示は…」 そこには『本日の開館は終了いたしました。またのお越しをお待ち申し上げております』と書かれているプレートが、一枚かけられている。 「ほら、言っただろう? 閉館だって」 「ここは、アルヴィース家の居城ではないのですか!?」 少女は驚いたように、アリオスの腕に縋って彼に訊く。その眼差しの色は、不安の光がかなり色濃くなってきている。 「 大昔な…。今は、博物館になっている…」 「それに、今日尋ねてきた時とは、明らかにお城が変わっています…。確かに馬車から見たお城とは違います…」 少女の声が震えた。大きな瞳は今にも泣きそうになっていて、まるで親を捜す子猫のように、辺りを必死に見回していた。 「建てられてから400年は経ってるぜ。以前のお城を壊して、全面に建て替えたと聞いている」 「だったら…ここは…どこなんですか…」 「ここは、アルヴィース城。別名”天使城”と呼ばれる、今は、博物館として中が公開されている」 アリオスは、少女に淡々と感情なくこの城についてを説明してやる。 彼女の表情は益々青ざめていった。 「…そんな…、私…、迷ってしまったの…? 名前も一緒なのに、別の城があるとでも?」 ただ一粒の宝石のような涙を少女は頬に流す。それが、アリオスにとってはダイヤモンドよりも更に美しく見える。 少女の栗色の髪には、うっすらとうきが下りてきて、それは花冠に見えなくもない。 今までにない、純粋な美しさがそこにあった。 闇に浮かぶ少女は、本当にこの世のものとは思えぬほど、無垢で美しい。 「…どうしたら…いいの?」 (何て無垢で美しい…。俺とは正反対だ…) 少女の純潔な横顔を見てしまえば、もう無視することは出来なかった。 |