*Cinderella Libery*


 あなたのために綺麗になりたい。
 あなたのために大人の女になりたい。
 たとえあなたが遊びでも、あなたに他に愛する女性がいても、私は一生後悔しない  
 あなたを愛することを。

   1

 分相応なのは解っている。だが、吉羅の前で、最高に熱情的な恋の曲を弾きたかった。
 今まで何度も弾いてきた『ジュ・トゥ・ヴ』。その度にだめ出しをされて、満足された覚えはない。
 舞台袖から客席を見ると、吉羅は美しい女性を伴って、ゆったりと腰を下ろしている。
 吉羅暁彦  香穂子にとっては、かけがえのない男だ。初めて出逢ったときから、ずっと好きな男性。
 近くにいるのに、背伸びをしても届かない男性だ。
 吉羅の横はいつも香穂子ではない誰かが座っている。香穂子にとっては、コンクールの優勝よりも、手に入れるのが難しいものに思えた。
 想いでじりじりとこころが焼けつくのを感じながら、香穂子は背筋を伸ばしてヴァイオリンを構える。
 大好きな男性の為に何度も挑む曲。心を込めて、今も思いを音に乗せる。『あなたが欲しい』と。
 ヴァイオリンでしか恋情を告げることが出来ない自分に、香穂子は苛立つ。
 もうすぐ成人するというのに、いつまでも子どものような手法から抜け出せないでいる。それが辛かった。
 恋をする相手は、香穂子よりも何枚も上手で、背伸びをしても届きそうにない男性なのに。
 ヴァイオリンを弾き終わり、香穂子は深々と客席に挨拶をした後、舞台袖に戻る。
 そこで客席の吉羅をちらりと見つめると、どこか不機嫌な表情をしていた。
 今回も演奏が気に入らなかった。恐らくそうなのだろう。香穂子は失望のあまり唇を噛みしめると、小さく溜め息を吐いた。
「…今回も失敗…か」
 ”ジュ・トゥ・ヴ”は、香穂子にとっては間接的な愛の告白。いつもそれを吉羅には受け取っては貰えない。それどころか、だめ出しすら受けてしまうのだ。
 今回の告白も失敗したと思いながら、香穂子は、残りのヴァイオリニストの演奏に耳を傾けた。

 楽屋に戻ると、いつものように吉羅が静かにやってくる。片手にカサブランカの花束を持っているのも、変わらない。
 いつも、同席している女性はこの時点でいなくなっている、それが香穂子には不思議だった。
 吉羅は女性の扱いは上手いのに、何故か香穂子が出演するコンサートの時だけは、送っていかないようだった。
「日野君、お疲れだったね」
「有り難うございます。理事長」
 吉羅は香穂子に花束を手渡すと、いつものようにクールな表情で香穂子を見つめる。
「…技術的には随分と進歩をしたが…まだまだだね…。君は…。今日は良くもなく悪くもないといった感じだね。他の曲ならば、君はとても温かで柔らかな光のような音を出すのに、この曲だけは…、いつも何処か物足りない…。そうだね…。情熱的な曲なのに、艶がない。他の曲を奏でたほうが良いのではないのかね? 君の艶では、役不足と言うしかないね」
 吉羅は容赦なく批評を伝えると、クールな眼差しで見つめてきた。冷徹に怒っているようにも見えた。
 解っている。
 情熱的な曲を奏でるには、些か滲む艶が足りないことは。それは、女としての色気が足りないことを示している。
 吉羅にとっては、香穂子はいつまでも高校生の子どものままなのだ。いつまで経っても女として見て貰えない。
 きっとそれも影響しているのだろう。
「…解っています。艶がないのは。こればかりは仕方がないと思っています。…どうしたら、艶が出るか、解らなくて…。音にそれを織り込もうとしても、なかなか伝えられなくて」
 香穂子は、吉羅の刃のような眼差しから逃れるように視線を逸らすと、唇を噛んだ。
「…艶を出すにはどうして良いか、解らなくて…」
 誰かに恋をするなら、既に目の前の男に恋をしている。
 だが、一方的に想っている身勝手な感情だ。
 恋人を作れば艶が出るかもしれないが、そんなことは中々考えられない。
「…恋人でも作れば…、艶が出るかも知れませんが…」
 香穂子が頼りない声で言うと、吉羅は皮肉げに眉を上げる。
「恋人…ね。相当恋愛に手慣れた大人の男でないと、君を艶やかにすることは出来ないと思うがね」
 吉羅は腕を組みながら、香穂子を値踏みするように見つめてくる。冷たいのにどこか艶のある眼差しに、香穂子の鼓動が早くなり、喉がからからに渇いてしまうほどにときめいてしまった。
「…誰か探します…」
 香穂子は吉羅の目をなるべく見ないようにしながら俯いていると、吉羅にいきなり腕を掴まれる。
「…え…?」
 顔を上げると、吉羅が官能的な冴え冴えとした月のような瞳を向けてきた。
「日野君…、君がその気ならば…、私が、君の艶を引き出しても良いが」
「え!?」
 吉羅の低く甘い美声で語られる官能的な提案に、香穂子は飛び上がりそうになった。
「…あ、あの…」
 香穂子は脚に力が入らないのを感じながら、吉羅を見上げることしか出来ない。
「…君がその気ならね。どうするかね?」
 吉羅は綺麗な指先を香穂子の前に差し出し、今まで識らなかった官能的な世界に誘っている。
 その手を取りたい。
 香穂子を軽く喉を鳴らすと、吉羅の手をしっかりと取った。
「良い子だ…」
 もう引き返せない。
 引き返したくもない。
 吉羅の手を握りしめると、そのまま握り返される。
「日野君、明日、臨海公園の前で待っていたまえ。13時に迎えに行く」
「…はい…」
「君のレッスンを始めよう。君が、艶を持って、”ジュ・トゥ・ヴ”を素晴らしく弾くことが出来るようにね」



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