永遠


 モノトーンの町に彩りが蘇ったのは、将臣が戻ってきたからだと、望美は思った。
 あの躰の芯が冷えるような十六夜に将臣は帰ってきてくれた。
 どうして帰ってきてくれたのか。そんなことを訊くのは無粋に思え、ただ抱きしめた。
 帰ってきて有り難う。
 ただその想いを抱擁に乗せて、望美は将臣を迎え入れた。

   ∞

 トン、トン、トン。階段をゆっくりと確実に上がりながら、望美は将臣の部屋へと向かう。
 以前はもっとがさつに上がっていたが、今はそれが出来ない。以前のように無邪気ではいられないぐらいに、将臣を意識してしまっているから。
「将臣くん、入るよ」
 躊躇いがちにノックをした後、いつものように返事を待つ前にドアを開けると、将臣が上半身を剥き出しにして背中を姿見に映していた。
 発展途上に逞しい背中に戻り、どこか初々しさと、今までになかった艶めかしさがある。
 綺麗な背中。そこには以前見た刀傷も何もない。まるでこの背中で護ったものは何もなかったかのようだ。
 将臣があの時空で過ごした時間の総てが、否定されているような気がする。
 泣きそうな気分になって、望美はその背中を食い入るように見つめた。
 どうしてこんなにも胸が痛いのだろうか。どうしてこんなにも泣きそうになるのだろうか。
 望美は瞳に涙を滲ませた。
 望美の存在に気付いたのか、将臣はゆっくりと振り返る。
「まあ望美さんっ! スケベっ!」
 わざとしなを作って笑いながら言う将臣に、望美は真っ赤になって、顔を背けた。
「ちょっ! 将臣くんが、そ、そんな格好をしているから悪いんじゃないっ!」
 望美が拗ねたように怒ると、将臣は困ったように溜め息を吐く。
「お前がだいたいノックして直ぐに入ってくるからだろうが。バカ」
 将臣は望美の鼻を掴むと、脱ぎ捨てたセーターを拾ってそれをもこもこと着る。
「それとも、俺の躰を見たかったのか?」
「バカって言葉を、そっくり将臣くんにあげるよ」
 まだ顔が熱い。将臣の背中を見ただけなのに、触れてもいないはずなのに。まだ余韻が残るように激しいリズムを刻んでいる。
「…望美…、俺の背中…」
 将臣はそこまで言うと、言葉を呑み込むように喉を鳴らして、黙り込んだ。
 何が言いたいのかが解るせいか、望美は切ない気分で将臣を見つめることしか出来ない。
「将臣くん…」
 望美がその顔を覗き込むように見つめると、何もないとばかりに将臣はフッとシニカルに笑う。
「何でもねぇよ」
 将臣は望美の頭をくしゃりと撫でると、部屋を出ていってしまう。望美に向けた後ろ姿には、癒やされないような影があった。
「待ってよ、将臣くんっ!」
 ひとりにしたくなくて望美がその後を追いかけていくと、将臣はキッチンへと入っていく。
 将臣は普段通りにキッチンに立ち、カップラーメンをトールパントリーから取り出していた。
「腹が減ったからカップラーメンでも食おうと思ってな。お前も食うか?」
「う、うん、じゃあ、貰おうかな」
 将臣は、カップラーメンのお湯を注ぎながら、将臣はちらりと望美を見る。その瞳には深い影があり、切なかった。
「…なあ、望美、見ただろ、俺の背中…」
 将臣はさらりと何でもないことのように言ったが、言葉の重さは誰よりも望美は解る。だからこそ正直に答えてあげなければと思った。
 一呼吸置くと、望美は将臣を迷うことなく真っ直ぐと見る。
「…うん。見たよ」
 将臣は静かに頷くと、視線を迷子にさせながら「そっか」と溜め息混じりに呟いた。
 その横顔を見つめると、決して癒やされることのない、切なくて優しい影を宿している。望美は胸が斬り裂かれてしまうような痛みを感じた。
 望美の思いをくみ取ったのか、将臣はどこか八方破れのような笑みを唇に零す。
「…元に戻されるってこういうことなんだなって思った。こころにも記憶にも平家での出来事は染み付いているのに、背中を見たらまるで何にもなかったみてぇに傷がなかった…。何か、俺があの世界でやったことを全部否定されたみてぇで堪らなかった」
 将臣は淡々と話し、声には深刻さを見せてはいない。しかし、こころの切なさや痛みは、望美が誰よりも分かっている。だから胸に何本も針を突き刺されたような気分になる。
 辛く遣る瀬無い気持ちを隠しきることが出来なくて、望美が泣きそうな顔をしていると、将臣が逆に慰めるような笑みを浮かべた。
「ほら、ラーメン」
 将臣がカップラーメンを差し出してくれて、望美はそれを慌てて受け取る
「有り難う…」
「お前が泣きそうな顔をしてどうすんだよ」
 将臣は苦笑いを浮かべると、望美の頭を、小さな子供にするようにくしゃくしゃと撫で付けた。
「ほら、食おうぜ。伸びちまうからな」
「うん」
 ダイニングテーブルにふたりで向かい合って腰を掛ける。子供の頃からおやつを食べるときはいつもこうだった。懐かしい光景。そして、何よりも望美が欲しかった風景だ。
「俺さ、向こうにいる間、ずっとカップラーメン食いたくてさ」
 将臣は豪快にラーメンを啜りながら、どこか懐かしそうな寂しそうな瞳をした。その光は、夏が終わりに見せる陰りに似ていて胸が軋む。
「ラーメンってさ、お前が出来る唯一の料理じゃね? なんかそんなことあっちで思い出しては、懐かしいって、幸せだったって思ってた」
「ラーメンしか出来ないっていうのはかなり失礼だと思うけどね」
 望美が胸がジンジンと痛むのを誤魔化すように言うと、ラーメンを乱暴に啜った。


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