夏のひかり〜鎌倉ハニーより〜


 夏は嫌いだ。蒸し暑くて、汗がだらだら流れていて、じっとしていると苛々してくる。
 特に人肌が近くにあると、感じる暑さは尋常ではない。
 夏の強い陽射しに灼かれた中庭の木々がぐったりとして、ぴたりとも動かないこんなものを見せつけられると、余計に暑さを感じてしまう。
「暑いよ、あついっ! 知盛、この家にはクーラーもないのっ!」
 望美は苛々としながら、祭で貰った団扇でぱたぱたと顔を仰いだ。
「…庭に打ち水をしただろう…」
 全く暑くないのか、知盛は平然とした顔で、いかにも涼しそうな顔をしている。
 打ち水。確かにホースで思い切り庭に水を撒いた。僅か30分前の出来事なのに、すっかり庭の芝はからからに乾涸らびていた。
 だいたい狭い庭ならば打ち水は有効だろうが、普通の住宅が五つは入るだろう広大な庭に打ち水なんて無意味だ。
「…京都はもっと暑いぞ…」
「ここは京都じゃない、鎌倉だもん」
「…海風があるから、夕方には涼しくなるだろう…。それまで僅かだ。我慢できるはずだ…」
 知盛は相変わらず自分のペースを貫き、ごろりとフローリングに寝転がる。
「望美…お前も寝ると良い…、寝ているうちに涼しくなるから…クーラーなんて…必要ないだろう…」
「いつからエコロジー野郎になったのよ」
 暑いのに更に頭から湯気を出すようにして怒るものだから、望美は余計に暑くてしょうがなくなる。
「ったく…どうして、こんなに暑いのに、くっついていなくっちゃならないのよ…」
「…お前が悪いんだろう…?」
 知盛はくつくつと喉を鳴らしながら、愉快そうに笑っている。この笑い声でまた腹が立つ。
「…お前が鍵をなくしさえしなければ…、俺と…こんなに密着することもなかった…。そうだろう…?」
「そう、だけど…」
 望美は拗ねるように呟いた後、大きな溜め息を吐いて、左手首を見つめた。
 ほんの少し動かすだけで鎖の音が響き渡る。
 知盛の右手首と望美の左手首は、今、玩具の手錠によって固く繋がれている。
 先程までは、こうして繋がれているのが嬉しくて堪らなかったのに、今は少し苛々する。
 きっとこの暑さのせいだ。
 きっかけは巫山戯たお遊びだった。
 友人から貰った玩具の手錠。『ラブ・リング』と呼ばれる手錠は、恋人と一晩繋ぎ合わせることで、愛情を深めることが出来ると謳ったツールだ。
 望美は、恋人兼ピアノの先生である知盛の手首と自分の手首を結び合わせて、得意になっていた。 それは昨日の話だ。
 だが、肝心の手錠の鍵をなくしてしまい、こうして今日も引き続き繋がれた状態になってしまっている。
 巫山戯ているうちに鍵を何処かへ無くしてしまい、昨日からこの状態だ。昨晩のお風呂は、知盛に目隠しをさせて入った。
「…私が悪いって解ってるから、苛々するんじゃない…」
 知盛はこの状況を怒ることもなく、むしろ楽しんでいるように見える。それがまた望美の癪に触ってしまう。
 普通の恋人ならば、きっと怒ってしまうだろう。だが、知盛は寛大なのか、怒ることもないが、いつもより意地が悪いような気もする。
「…何で寝るのよ…。ホントに、寝てばっかだね」
 望美がイヤミのように言うと、知盛は薄く嗤いながらその瞳を僅かに開ける。
「…お前のお陰で…思いがけない休暇を得ることが出来て、良かったぜ?」
 知盛はフッと夏の陽射しよりも眩しい笑みを、酷薄な唇に湛えると、望美を腕のなかに引きずり込んできた。
「ちょっ!! 何をするのよ。暑いんじゃないっ!」
 知盛の腕のなかでじたばたしたとしても、逃れるなんて出来ない。知盛の逞しい腕が望美の躰に食い込んでくると、息が出来ないほど暑くて、苦しくなる。
 知盛の燃えるような温度と、知盛の持つ熱が絡み合って、ゆっくりと夏を溶かしていく。
「…罰…ゲームって言ったら…?」
「そ、そんな暑苦しい罰ゲームなんていらないもん」
「…俺の、抱き枕になっておけ…。寝てたら涼しくなる…」
 知盛がくっついてきたから、別の意味で肌が沸騰してくる。ドキドキして落ち着かない。
 知盛の汗の匂いが陽射しに溶けこんできて、望美のこころをくらくらさせる。
 このままだと、ある意味熱中症になってしまうだろう。
「…こんなことしてたら、本当に病気になっちゃうよ…」
「…寝たら…治る…」
 知盛は人ごとのように言うと。目を閉じてしまった。
 直ぐに寝息が聞こえてきて、望美は溜め息を吐く。
 本当にこのままだと二人揃って乾涸らびた干物になってしまう。
 離れようと思ったら、ほんの少しだけなら離れることが出来たかもしれない。
 だが、本音はもっともっと傍にいたい。いつも知盛を相手にすると、ついあまのじゃくになってしまい、素直になれなくなる。
 子供だからだろうか。
 早く知盛に追いつきたくて背伸びをしているからだろうか。
「それも全部、知盛が悪いんだからね」
 望美は知盛の額を指先で弾くと、寄り添うように躰から力を抜いた。
 暑い。本当に暑い。なのにこうしてじっとしていたいと思うのは、きっと知盛の病気に感染してしまったのだろう。
 眠りが瞼に堕ちてくる。
 いつの間にか暑さが気にならなくなり、そのまま目を閉じてしまった。


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