〜抱擁〜


 いつも不安だった。
 あなたがいなくなる夢ばかりを見るから。
 夢の中のあなたは、いつも私の心配ばかりをして、切ない笑顔を遺して消えてしまう。
 私を庇って死んでしまったり、私の幸せのためにそっと消えたり。
 どの夢もリアルでまるでかつて起こった出来事のように、脳裏に焼き付いて離れない。
 夜中に目覚めて、隣にいるあなたを確認をして、更に呼吸をしている様子を確かめてしまうほどに、不安になっている。
 どうかどこにもいかないで。
 あなたがどこに行かないことは解っているはずなのに、本当にどこかに言ってしまうような気がして、堪らなくなるときがある。
 どうか、お願い。
 どこにも行かないで。
 あなたがいなければ、私の人生の意味なんてないのだから。

   ***

「行かないで、柊! 私を置いて何処かへ行っちゃ嫌だよっ!」
 大きく叫んだところで目覚め、千尋はハッ息を呑むと、慌てて躰を起こした。
 暗闇に視線を漂わせながら、夢で良かったと心底思う。
 また、夢を見た。
 柊がどこかに行ってしまう夢を。
 ふたりが共にいることを龍神に認められたはずなのに、それでも時折不安になる。
 いつか、突然、あのひとを龍神が連れて行ってしまうのではないかと。
 千尋は背中に冷たい汗が流れるのを感じながら、浅い呼吸を重ねた。
 思わず膝を抱えて大きな溜め息を吐く。
 横には確かに愛する男性がいる。
耳を唇に近づけると、規則正しい呼吸をしているのが解る。
 生きている。
 傍にいてくれている。
 それだけで嬉しい。
 それだけで涙がこぼれ落ちた。
 どうしてこのような夢ばかりを見るのだろうかと、千尋は思わずにはいられない。
 ふたりが共にいることは、龍神にも中つ国にも認められたことなのに。
 なのに。いつか、柊が消えてしまうような気がして堪らなくなるのだ。
 痛いぐらいに切ない想いに涙が込み上げてくる。
 千尋は何とかそれを堪えながら膝を抱える。
 ふと窓から見事なまでの落ち着いた黄金の光が注がれる。
 窓の外を見れば、大きな月がぽっかりと浮かんでいるのが見える。
 今宵は満月。
 月の余りに物美しさに、月光の柔らかさに誘われるようにして、千尋はそっと寝台から下りた。
 ローヴを着て、夜空が美しく見えるバルコニーへと出る。
 秋の香りがする夜風がほんの少しひんやりとして、とても気持ちが良かった。
 見上げれば、月が冴え冴えとした美しさを主張しながら、夜空に輝いている。
 今夜は満月。時期は中秋の名月だろう。
 闇には数多の星々が輝いていて、本当に美しいと思う。
 こんな昊は、『高校生・葦原千尋』として暮らしていた世界では、ついぞ見られない風景だ。
 これだけ沢山の星があるのだから、きっとどの星かが願いを叶えてくれるはずだ。
 しかも今夜は十五夜なのだから、きっと願いは叶えられるはずだ。
 柊がどこかに行ってしまわない
ように、ただそれだけを祈るだけだ。
 千尋は数多の星に想いを託して、一身に祈りを捧げた。
 どれぐらいそうしていたかは解らない。
 不意に背中が温かくなり、振り返ると、柊に力強く抱きしめられていた。
「…どうかされましたか…? 我が君」
「…柊…。ふたりでいる時は、他人行儀にそう呼ばないで欲しいの。だって、私たちは…」
 躰の前に回された柊の手をギュッと握りしめながら、千尋は切ない甘えを滲ませた声で呟いた。
「…解りました、千尋。どうされましたか? あまり夜風は躰によくありませんよ。特に今のあなたは…」
「うん、解ってるよ。女王が風を引いたら大変だものね。それは解っているの。夢見が悪くて、目が覚めたらお月様があまりにも綺麗だったから、誘われるように外に出ただけなの。本当だよ」
 千尋がなるべく明るく笑うように言うと、柊はフッと絹のような吐息を吐いた。
「あなたがどこかへ行ってしまったかと思い心配しました」
「大丈夫だよ。私はどこにも行かないよ。私は…」
 千尋は小さな子どものように柊の手をギュッと握りしめると、唇を噛みしめる。
 この手を離さなかったら、柊がどこかへ行ってしまうことはないだろうか。
 柊を失いたくないから。
 どこにも行って欲しくはないから。
 思い詰めるように恋情を煮詰めていると、柊は気付いたように更に強く抱きしめてくれた。
「…千尋?」
「…柊、どこにも行っちゃ嫌だよ。本当にどこにも行かないで」
 千尋が感情で揺れる思い詰めた声で言うと、柊はその頬を優しく撫でてくれた。
 指先から、柊の愛情が溢れてくるのが解る。大きくて温かくて優しい愛情だ。
 この愛があるから、中つ国という大きな物を背負っても頑張っていけるのだ。
 柊の指先から頬を伝って、千尋のこころに柊の想いが伝わってくる。
 それが嬉しい。泣きたいほどに愛おしい感情が、千尋のなかに目覚めていく。
「…どこにも行きませんよ。あなたが私が見えた運命を変えてくれたのですから…。どこにも行きません…。というよりは、どこへも行けませんけれどね…」
 柊はフッと甘く微笑むと、千尋の頬に唇を寄せた。


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