七曜日の神子〜知望編〜


  闇に紛れて波音が聞こえる。星が瀟々と輝く夜に、じっと朝を待つことが出来なかった。
 誰もが決戦に神経を尖らせる中、望美は停泊中の船にいられず、そっと海岸まで出てきた。
 明日はとうとう平家との最後の闘い。ここで決着が図られるのだ。源氏と平家の争いも、知盛との恋も。
 もう一度、あのひとが血に染まる瞬間を見なければならないのだろうか。この剣で、命の終幕を言い渡さなければならないのだろうか。
 何度時空を巡っても変えられなかった未来。いつも知盛は、潮流が烈しい壇ノ浦の海に、紅蓮の花を咲かせながら、沈んでいった。
 何度も時空を巡ってきた。だが、知盛を救う術を、どの運命でも手に入れることは出来なかった。
 その度に恋心は大きくなり、望美を苦しめていく。
 いつも今度こそと思っていた。だが、それはいつも空回りに終わり、望美は何度も宇治川に戻り、答を探し彷徨っていた。
 また壇ノ浦の海で、知盛の最期をこの目で見届けなければならないのだろうか。
 またこの剣の力で、知盛を浄土に送らなければならないのだろうか。
 あの瞬間、知盛には、何の恨みも、一片の後悔も感じられなかった。心が澄み、満たされているようにすら思えた。
 だが、望美には身が切られるほどの後悔だけがいつも遺る。結局、剣の力で勝ったかも知れないが、心は深く抉られ、起きあがれないぐらいに傷ついてしまった。
 本当の勝利者は知盛なのかもしれない。
 気持ちを整理をするために、望美は海岸を独りで歩く。怨霊が出ても良いように、剣だけはしっかりと握りしめた。
 空を見上げると、息を呑むほどに多い星々と、凛々しく輝く満月が見える。
 海岸を歩いていると、不意に目の前に、見慣れたシルエットを見つけた。
 鼓動が一気に跳ね上がり、暴走しそうなぐらいのスピードを出す。
 直ぐに誰がいるかが解った。
 嫋やかな獣の躰を持つのは、望美が識る限りは一人しかいない。知盛だ。
 知盛も眠れないのか、それとも、明日の決戦が楽しみな余りに、心を静めるためにいるのか、それは解らない。
 磁石のように引き寄せられる。望美は知盛の背中を追って、近づく。
 手が伸びる距離まで来ると、不意に、知盛が振り返った。その仕草は、まるで映画のスローモーションを見ているかのようだ。
 漆黒の闇が下りる中、知盛は直ぐにそこに誰がいるかを認識した。
「…神子…か:」
 ずっと以前からそこに誰がいるのかを解っているかのように、知盛は力強く呟く。
「うん。知盛こそ何をしているの?」
「抜け出して来た神子殿に…、逢いたかったのかも…しれないな…」
 知盛は憎らしいぐらいに魅力的な笑みを浮かべると、冷酷と焦燥さが同居する眼差しを、望美に送った。
「…明日は澄み渡る青空…だろうな。相応しい日だ…」
 夜空を見上げる知盛の瞳には迷いも悲壮感もなかった。分の悪い闘いをしているというのに、まるで勝ち戦にでも行くかのような、清々しい顔だ。
「…そうだね、きっと綺麗な碧が見られるよ。空も、海も…」
 何度も見た、見事なまでに美しかった空と海。いくら宝石のような輝きのある日でも、知盛がいなくなる日は、望美にとっては哀しい時間になる。何度も見た知盛の最期を思い出し、望美は躰をゾクリと震わせた。
 ふたりは並び立つと、あと少しで満ちる月を愛でる。冴え冴えしく輝く月は、冷たく感じられる。まるで知盛の結末を識っているかのようだ。
「…神子は…、こんな時間に…、どうして…ここにいる?」
「…月に誘われたんだよ。それよりも、知盛こそ、どうしたの?」
「…眠れなくて…な…」
 知盛は口角を歪めると、フッと冷たい笑みを浮かべた。そこには嗟嘆はなく、むしろ喜色が滲み出ている。
「不安で…なわけないよね」
「…そうだな…。俺の場合はな…。クッ…! 血がたぎって熱くて…眠れないぜ…。楽しみ過ぎて…興奮し過ぎて…な。俺を…殺せるかも…しれない…お前と…真剣に手合わせが…出来るんだからな…。命をかけて…。これが楽しみじゃない…はずは…ないだろう…」
 知盛の瞳は獲物を狙う獣のように輝き、望美を威嚇するように見つめてくる。
「…明日は…もちろん、戦場に出るのだろう…?」
 本当は出たくない。この手で知盛を浄土になんか送りたくはない。どんなに否定をしたとしても、剣を持って戦場にいることは、安易に想像がついた。理由を付けても明日は戦場にいるだろう。そして、自分の力を出し切って、知盛と対峙するに違いない。
 望美は、自分の心の中で派生する感情を押しとどめると、宙を見た。
「…出るよ。源氏の神子として…」
「…俺を…楽しませてくれるんだろう…?」
 知盛は心からの笑みを唇に浮かべ、憎らしいほどに冷徹で魅惑的な表情を向けてくる。その雰囲気は、危険な香りがすると共に、どこか、遊園地に行くのを楽しみにしている子供のような雰囲気があった。
 知盛にとって戦場は、血湧き肉躍るところなのだ。そこで剣を合わせることが、目の前の将にとっては、剣を合わせることこそが、極上の愛の表現なのだ。
「楽しませられるかどうかは…解らないけれど、全力を尽くすよ」
「…ああ。楽しみにしている…。俺を倒すことが出来るのは…お前だけだし…お前を倒すことが…出来るのも…俺だけだからな…」
「そうだね」
 こうして決戦前夜に知盛と話したのは初めてだ。話しているうちに、様々な時空での想い出が去来する。
 何度も時空を巡っても、今までは知盛を助けることが出来なかった。
 まだ生きている知盛を横目で見つめながら、望美は握り拳を作る。
 明日はきっと全力で知盛に向かうだろう。心の中で、自分の剣で知盛を深紅に染め上げたくないと思いながらも、この剣で思い切り知盛を傷つけるのだろう。
 考えるだけで望美は平静ではいられなくなり、思わず知盛から離れた。
「…知盛…、あなたは運命を変えてでも傍にいたいと思う相手でも、敵同士人あれば、斬りつける?」
「…そうだな…」
 知盛は薄く笑うと、不敵な眼差しで望美を捕らえる。
「…俺は…本当に認めた相手でなければ…本気を…出さない…。だから…傷つける…。…まあ、俺を峰打ちで倒してしまえる…力量があれば…別だが…」
 知盛の瞳は、望美の心を試すかのように、真昼の月のように捉え所のない光を投げ掛けてくる。胸が苦しくて息が出来ないほどの感覚を、心にもたらす光だった。