*離れたくない*


「何度言ったら解るんですか、あなたは」

 公瑾にあからさまに怒られてしまい、花はしょんぼりとうなだれる。

 いつものこと。

 公瑾が感情的になるのは、花だけだということは解っている。

 自分をさらけ出してくれているというのは、よく解っているから、花はそれを黙って受け入れる。

 自分がまだまだ何も出来ないことも充分に解っている。

 だからこそ、花は怒られることも受け入れる。

 最初は、怒られても平気だった。

 愛情があることは解っているから。

 だが、最近ではそうはいかなくなっている。 

 他の女性には優しくて、花だけには厳しいから。

 たまには優しくして欲しい。

 たまには気遣って欲しい。

 そんなことを考えてしまう。

「何をぼんやりとされているんですか?」

「ごめんなさい」

「私は明日から視察に出ます。帰るのは四日後です。分かりましたか?」

「はい」

 公瑾が視察に出るなんて知らなかった。

 花は静かに頷くと、俯いた。

 離れるのは寂しい。

 だが、何処かホッとしている。

 公瑾とのことを思い悩む必要がないからかもしれない。

「花…、しっかりと留守番をしておいて下さい。最近のあなたはぼんやりとし過ぎている」

 公瑾は厳しい口調で言うと、花を冷たいまなざしで睨んだ。

 もう少しで良い。

 もう少しで良いから、優しくして欲しい。

 公瑾には、花の心の叫びなどはどうでも良いように思えた。

「公瑾ーっ!」

「公瑾ーっ!!」

 大喬小喬がバタバタと走ってくる。

 すると公瑾の表情はいつも通りに柔らかくなる。

 これで感情を隠していることぐらいは解っている。

 だが、たまには優しいまなざしを向けて欲しかった。

「公瑾、視察に行くんだって?」

「お土産を買ってきてねー!」

「はい、承知しました」

 大喬小喬の姉妹に、公瑾は優しい笑みを向ける。

 それが公瑾なりの処世術であることは解っているけれども、花の胸は痛かった。

 嵐のように大喬小喬たちが去った後、公瑾は溜め息を吐いた。

「花、今日の勉強はここまでですよ。帰って頂いて大丈夫です」

「…はい」

 いつも以上に気分が悪い。

 気持ちが悪い。

 だが、今の公瑾には素直に、気分が悪いとは、花は伝えることが出来なかった。

「公瑾さん、では、失礼しますね。視察、気をつけて行ってきて下さいね」

 花はそれだけを言うと、何かを言われる前に、部屋を出た。

 気分が優れないから、ネガティブに物事を考えてしまうのだろうか。

 花はそんなことを考えながら、公瑾の執務室を後にした。

 邸に戻りたくない。

 だが、戻らなければならない。

 こんなに冷たくされると、やはり愛されていないと思ってしまう。

 本当にそう感じずにはいられないのだ。

 邸までは、従者の馬で戻る。

 明日からは城には行かない。

 邸でぼんやりとしていよう。

 そのうちに気持ちが落ち着くかもしれない。

 花はそんなことをぼんやりと考えていた。

 今夜、公瑾は視察の準備があるとのことで、城に止まる。

 帰って来ないから一人なのだ。

 公瑾のそばにいると決めた筈なのに、こうして揺らぐのはどうしてだろうか。

 玄徳軍と一緒に戻ったほうが良かったのだろうか。

 そんなことばかりを、ぐるぐると考えてしまう。

 食事も余り手をつけられなくて、花は結局は湯浴みをして早目に眠ることにした。

 どうしてこんなにも気持ちが安定しないのだろうか。

 それに引っ張られてしまってか、花は気分も悪くなる。

 寝台に横になってのんびりとするしかないと、花は思った。

 

 花の様子が気になって、一目でも逢いたくなって、公瑾は邸に戻った。

 余り一緒にいられないのは解っているが、どうしてもそばにいたかった。

 花にはつい感情をむき出しにしてしまう。

 つい怒ってしまうこともある。

 だがそれは、公瑾が花に心を開いているからに他ならない。

 花を愛しているからこそ、それに甘えているのかもしれない。

 確かに花には厳しくしてしまう。

 いつもならば花はちゃんと受け止めてくれているというのに、今日に限っては切なそうな顔をしていた。

 いや、本当は、ずっと切なかったのかもしれない。

 自分にだけ厳しい公瑾の態度が苦しかったのかもしれない。

 もし、花が帰りたいと言ったならば。

 視察の間に、花がいなくなってしまうのであれば、もう二度とひとを愛することが出来なくなるのだろう。

 これこそ、身から出た錆なのかもしれない。

 寝室に入ると、花はぐっすりと眠っていた。

 その寝顔に、公瑾はホッとする。

 花の表情が柔らかで、公瑾は安堵した。

 視察に行くまでの少しの時間で良いから、花を抱き締めたい。

 ほんの少しだけで良いから、公瑾は花を抱き締めて眠ることにした。

 柔らかくてホッとする温もりに、公瑾は心が満たされるのを感じる。

 同時に、花を失うかもしれないと思うと、胸が張り裂けそうになる。

 視察が終わったら、花に切ない想いをさせないような時間を作りたい。

 そう思った。

 

 花はとても心地良い眠りを得ることが出来た。

 いつもよりも優しい気分で目覚められたような気がする。

 ふと寝返りを打つと、寝台がほんのりと温かかった。

 公瑾が帰ってきたのかもしれない。

 つい先ほどまで、そばにいてくれていたのかもしれない。

 花は飛び起きると、直ぐに部屋を出た。

 すると馬が走る音が聞こえる。

 戻ってきてくれた。

 さり気ない優しさに、花はフッと笑みを浮かべた。

 

 温かな気持ちになれたのに、やはり気分が悪くて、花は横にならなければならなかった。

 本当に辛くて、花は食事を上手く受け付けられなかった。

 そうなるとまた、ブルーな気分になる。

 正に憂鬱だ。

 今までならばこんなことなど一度もなかったから、花自身はとても驚いていた。

 公瑾がいないことも拍車を掛けていたのかもしれない。

 いくら厳しくされても、公瑾がそばにいてくれたほうが良いと、花は改めて感じずにはいられなかった。

 公瑾にほんの少しだけでも、抱き締めて貰えたら、こんなにも幸せなことはないだろうに。

 花は留守番をしながら、公瑾への愛情を確認せずにはいられなかった。

 

 視察の後、公瑾は急いで家に帰りたかった。

 花が帰っているのではないかと、気が気でならなかったのだ。

 花が切なそうに苦しい表情を浮かべていたのを思い出しながら、帰ってきたら直ぐに抱き締めてやりたいつ思っていた。

 城に参内する前に、花に逢いたくて、公瑾は直ぐに邸向かった。

 素早く花の部屋に向かう、扉を叩くのも忘れて開けた。

「花!!!」

 公瑾が扉を開けると、花が驚いたようで、寝台から起き上がった。

 何か病気なのだろうか。

 花が薬湯が何かを飲んでいたようだ。

「花!」

 花にどうしたのかと訊く余裕すらなくて、公瑾はそのまま抱き締めた。

「…花…」

 そこにいるだけで幸せだと言うことを、公瑾は感じずにはいられなかった。

「…どうされたのですか…?」

 ようやく声が出た。

「気分が悪いのですか? それとも、切ないのですか? あなたにいつも厳しいですから…私が…」

 花は公瑾を見て、静かに微笑む。

「…大丈夫ですよ。体調の悪い原因も、切ない原因も分りましたから…」

 花はにっこりと微笑むと、公瑾を見つめた。

「…赤ちゃんが出来たんですよ…」

 花が穏やかな笑みを浮かべて、幸せそうに言う。

 ふたりの間に子供が出来たのだ。

 なんて嬉しいことが起こったのだろうかと、公瑾は思わずにはいられない。

「…有り難う…」

 公瑾はそっと呟くと、花を更に強く抱き締めた。

 



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