*蜜月*


 花と結婚をしてから三月が経とうとしている。

 こんなにも幸せで満たされた時間を過ごすことが出来るようになるなんて、今まで思ってもみないことだった。

 そのせいか毎日が華やいだ特別の日のように思える。

 都督という職務はかなりハードで、遅く帰らなければならないこともある。

 それでも家に花がいると思うだけで張り合いが出て幸せな気持ちになれるのだ。

 本当に不思議な気持ちだと、公瑾は思わずにはいられない。

 誰かを守ることが出来るということは、それだけ強さを得るということの裏返しであると思う。

 花がいるだけで強くなれる。

 強いということは、同時に弱点も持ってしまったということだ。

 公瑾にとっての強みは花であり、また弱みも花である。

 くたくたになるまで働いて、以前ならば丸太のように眠っていた。

 躰が欲するだけの行為といっても良かった。

 しかし、今は違う。

 眠る時間というのは、公瑾にとって、今や躰と心のどちらの安らぎを得る時間になっている。

 幸せで満たされた時間だ。

 花をしっかりと抱き締めて眠るだけで、公瑾の疲れは吹き飛んでしまうのだ。

 今夜も随分と遅くなってしまった。

 仕事がかなり立て込んでいた為だ。

 だが、これでようやく一段落をつけられる。

 公瑾はかなりホッとしていた。

 愛する妻と、癒しの時間を沢山過ごすことが出来るのだから。

 

 公瑾は仕事を終えて、ようやく邸に戻る。

 今までなら花と一緒に仕事をしていたが、今は花は自宅にいる。

 仕事を手伝って貰うことはあるが、以前ほどではなくなった。

 都督夫人であるがゆえの雑務を色々とあるのだ。

 公瑾の妻になったとはいえ、花は相変わらず花なのだが。

 まだまだ幼い所が多いのも事実ではある。

 それを夫としてカバーしてあげなければならないと、常々、思っていた。

 間も無く自宅に着く。

 ホッとした温かな気持ちが広がってきて、公瑾は思わず笑みを浮かべる。

 花が待つ家まで後少しだ。

 それだけで幸せだった。

 

 もうすぐ公瑾が帰ってくる。

 花はそう感じて、つい笑顔になった。

 公瑾をこうして待つ楽しみを今は見出した。

 毎日「おかえりなさい」を言ってあげることが、花にとっての幸せになっている。

 公瑾を出迎えて一緒に過ごす。

 ただそれだけのことなのに、花は幸せでしょうがなかった。

 不意に邸が華やいだ雰囲気に包まれる。

 公瑾が帰ってきたのだ。

 それが嬉しくて、花は部屋から出た。

 どんなに遅くなっても、公瑾にはきちんと「おかえりなさい」を言ってあげたかった。

 それが花の想いだ。

 結婚してもそれをずっとしたい。

 言ってあげたいというよりは、自分がしたいというほうが大きかった。

 花は公瑾に逢えるのが嬉しくて、玄関先まで向かう。

 この時空には、電話もメールもない。だが、それらがないからこそ、公瑾が帰ってくるタイミングを、感覚で解るのではないかと思った。

 花はいつも誰よりも早く、公瑾を迎えに出る。

 これには邸の使用人たちもいつも驚くのだ。

 だが、花にとっては、当たり前の感覚だった。

 馬のひずめの音が聞こえて、花は嬉しくて笑った。

 

 自宅に到着して、馬を馬小屋に置いた後、公瑾は母屋に向かう。

 すると毎日の嬉しい出迎えが待っていてくれる。

「おかえりなさい、公瑾さん」

 花の純粋無垢な挨拶が聞こえて、始めて、冷徹な都督の仮面を脱ぐ。

 この仮面は、花の前でしか決して脱ぐことが出来ないものだ。

 誰にも見せたくはない。

 きっとかなりでれでれとした顔になっているだろうから。

「ただいま、花」

 花に挨拶をすると、本当に笑顔になる。

 この場で抱き締めてしまいたくなるぐらいに可愛い笑顔ではあるが、そこは使用人の手前、公瑾はかなり自重していた。

「余り遅くまで起きているのは感心しませんよ、花」

「公瑾さんのお出迎えをしたかったんですよ」

 花はまるで小さな子供のように笑顔を浮かべている。

 花の年齢よりは子供染みたところに苛々として、貶めようとしたこともある。

 だが、それは、花の純粋さへの憧れの裏返しだということに気付いたのは、どうしようもないぐらいに好きになってしまってからだ。

 こんなにも愛しいと思える人に出会えるとは、思ってもみないことだった。

 落ち着きのないところも、我慢するくせに意地っ張りな泣き虫のところも、純粋な笑顔すらも、苛々の対象であった筈なのに、今はどれも愛しくてしょうがない。

「…あなたは本当に何時まで経っても子供ですね…。冷静にどうなるかを、考えたことはありますか?」

 公瑾はわざと厳しく言う。花には自分が言い聞かさなければ、誰もしないのだから。

「分りました。気をつけます」

 花は素直に笑顔で言う。

 きっと公瑾の言う通りにはしないのだろう。

 それは解る。

「お腹は空きませんか? 軽いものを作りましたから食べて下さいね?」

 花は先程怒られたことなど気にしていないかのように、ニコニコしながら言う。

 以前ならここで怒ってしまったが、今はもう怒ることは出来ない。

 それどころか、和んですらしまうのだ。

 これには公瑾も苦笑いするしかなかった。

 自分自身も変わったと思わずにはいられない。

 花とさり気なく手を繋いで、室へと向かう。

 こうして何処かが触れ合っていると、幸せに気分になれた。

「幸せですね、公瑾さん」

 花がほのぼのと呟く。

 それは認める。

 花と一緒にいるだけで、本当に幸せなのだから。

 室に入り、野菜を使った消化の良いスープが出された。

 これならば逆に寝付きを良くしてくれるだろうと、思わずにはいられない。

「…有り難うございます、花。頂きますよ」

 公瑾は心も躰も満たされるのを感じる。

 花は本当に嬉しそうに笑ってくれていた。

「ですが、花。余り無理をするものではありません。そこだけは肝に銘じておいて下さい」

 公瑾は冷徹にピシャリと苦言を言う。

 花が公瑾のことをきちんと理解をしてくれているから、言えるのだ。

 公瑾の仕事も公瑾自身も、花ほど理解をしてくれるひとはいないだろう。

 公瑾はそう思わずにはいられなかった。

 

 食事の後、花が後片付けをしようとしてくれた。

 しかし。

「きゃっ!」

 元来のおっちょこちょいさからか、花は何もないところで転んでしまいそうになる。

「おっと」

 公瑾は素早く花を抱き留めて、転ぶ寸前で体勢を立て直させる。

「…ごめんなさい…」

 花はしょんぼりとしながら、公瑾を見上げた。

「全く…。花、あなたはもう少し落ち着かなければ…」

 公瑾は呆れながら溜め息を吐いた。

「…ごめんなさい…」

 花は素直に謝ると、半分泣きそうな顔をした。

「もっと落ち着いて下さい、頼みますから…。あなたが母親になる日はそう遠くはないのですよ? あなたがそんなに子供っぽいと子供たちに示しが出来ないですから。花、良いですか? 母親は子供たちにもきちんと躾をしなければならないんですから」

 公瑾が花を見ると、ほんのりと頬を赤らめている。

「…お母さんになるために、しっかりとしなければなりませんね…」

 話す花の声は、何処か華やいでいて幸せそうだった。

「そうですよ」

「そう遠くない未来だと思います。何だか嬉しいです」

 花は頬を華やかに染めながら、ロマンティックに呟く。

 その表情を見つめているだけで、公瑾は幸せな気持ちになる。

「そうなると良いですね」

「はい」

 ふたりは心を重ね合わせて笑ったのは言うまでもなかった。



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