*運命の瞬間*


 玄徳から直接、公瑾に会談の申し出があり、午後から会うことになった。

 玄徳が何を求めてくるのかは、何となく予想することが出来た。

 恐らくは、花を帰してくれということだろう。

 だが、公瑾は帰すつもりなどは更々なかった。

 花にはずっとそばにいいて貰いたい。

 誰もいらない。

 花さえいれば良い。

 何もいらないのだ。

 だから、花を帰すということも出来ない。

 公瑾は、玄徳が待つ部屋へと向かう。

 勿論、伝えるのだ。

 花を仲謀軍で貰いうけると。

 公瑾が会談場所で静かに待っていると、玄徳がやってきた。

「これは玄徳殿」

 公瑾はなるべく落ち着いた風に言う。

 顔色を変えずに穏やかに話をするのは得意なのに、今回は花が絡んでいるからか、思うようにいかない。

「玄徳殿が直々お出ましとは何かございましたか?」

 公瑾は相変わらず笑みを絶やしてはいないが、玄徳はうさん臭い者を見るような目付きで見ている。

 うさん臭いのは、孔明も同じだと思いながら、公瑾は鉄壁な表情を玄徳に向けた。

「率直に言う。うちの軍師を帰してくれ」

 やはり予想通りに花を要求してくる。

 公瑾はなるべく冷静に対処が出来るようにと、深呼吸をした。

 花は帰せない。

 それを覆すつもりは全くない。

「…花殿は、我が軍と玄徳殿の軍とが友好関係であることを示す方です。まだ、お返しすることは出来ませんよ」

 公瑾はなるべく淡々と言うようにしたが、自分では動揺しているのが分かる。

 幸い相手が玄徳だから良かったが、これが孔明であったならば確実にバレてしまうだろう。

 公瑾の恋心だけで、花を帰せないことを。

「…つまり、花が人質だと言っているのか?」

「そんなことを考えたことすらありませんよ」

 これは本音だった。

 本当に、花を人質だと思ったことはない。

 今や公瑾にとって花は、守るべき者であり、同志であり、愛する相手だ。

 そんな相手を人質に思うことなど、本当に今までは有り得なかった。

「人質と思っていないのならば、花を速やかに返してくれ。そちらにはきちんと義理は果たしたし、花ももう充分に役立っただろう。そろそろ潮時だ」

 玄徳が花を取り戻そうと躍起になっている。

 仁君と呼ばれている玄徳の一番の弱みは花かもしれない。

 公瑾は、自分と同じだと思った。

「…花殿が、あなた方のところに戻りたいと…、おっしゃっているのですか?」

 公瑾が鋭い話を投げ掛けたからか、玄徳は一瞬、怯んだ。

 花が帰ることを望んでいるのだろうか。

 それを言われると、公瑾は苦しかった。

「…実はそうなんだ。花が、俺たちと一緒に帰ると言っている」

 公瑾は一瞬、聞き間違えたのではないかと思った。

「…花殿…が本当にそう望んでいるんですか?」

「あいつも帰ると言っている。戦も一段落したからな。花は帰して貰う」

 花が帰ることを望んでいる。

 公瑾はぐるぐるとそればかりが頭に回る。

 花が望んでいる。

 それを引き止めることは、公瑾には出来なかった。

 以前ならば、利用出来るものであれば、利用したいと思っていた。

 だが、花が絡むとそれが出来ない。

 花が望まないのならば、公瑾としては引くしかなかった。

 花を切なくさせたくはなかった。

 考える間はない。

 花が本当にそれを望むのであれば、受け入れるしかないと、公瑾は思った。

「…花殿がそれを望まれているというのですね…」

 なるべく冷静であらなければと思いながらも、公瑾は冷静ではいられない。

 花がいなくなったら、どうすれば良いのだろうか。

 伯赴の時よりも痛手は大きいと、公瑾は思った。

 今度こそ死に場所を探してしまうかもしれない。

 今度こそ戦に殉じてしまうかもしれない。

 親友の夢を達成することを諦め、死を選んでしまうかもしれない。

 公瑾は、今までで一番動揺しているのを感じた。

「…彼女が帰ることを希望されているのであれば…、私は止めません。それが花殿の希望であるならば…」

 公瑾は冷徹に呟くように言ったが、自分でも声が震えているのが解った。

「都督殿からの許可を得られたのであれば、花も安心するだろう。話はそれだけだ」

 玄徳は静かに言うと、何処か安心しているようだった。

 玄徳が花のことを愛している。

 それは公瑾も薄々気付いていた。

 同じ者を愛する者として、気付かないはずはない。

 恐らく玄徳も同じことだろう。

 玄徳の背中を見ていれば、花を立派に守ることが出来るだろう。

 だが花のことだ。玄徳軍に戻っても、そのまま帰ってしまうのかもしれない。

 それこそ本当に手が届かない存在になってしまうのだ。

 そちらのほうがキツい。

「…玄徳殿」

 公瑾は静かにその名前を呼ぶ。

 すると玄徳はゆっくりと振り返った。

「…何だ?」

「玄徳殿、一度、花殿とゆっくりと話したいのですが…、彼女を呼んで頂いても構いませんか…?」

 ふたりは一瞬、まるで腹を探り合うかのように見つめあう。

 一瞬、ふたりの間に重苦しい沈黙があった後、玄徳は溜め息を吐きながら頷いた。

「…解った…。花をこちらに寄越そう。ただし手短にしてくれ。あいつも帰る準備があるだろうからな」

「分りました。有り難うございます」

 公瑾は玄徳に礼を言うと、軽く頭を下げた。

 玄徳は静かに執務室を出ていく。

 公瑾はひとりになり、溜め息を吐いた。

 花が帰ってしまう。

 しかも自ら望んでだ。

 愛する者の願いを叶えられないなんてことは、したくなかった。

 花をきちんと送り出してやろう。

 ただし、直接、話をして、玄徳の話が本当だとしたならば、だ。

 公瑾は何処までしつこいのだろうかと、自分自身を嘲笑う。

 本当に何処までも諦めがつかない。

 花は最近、会いに来てはくれなくなった。

 帰してはくれない公瑾に対して、苛立ちを覚えているのだろう。

 最もなことではあるし、こんなにもあからさまな態度を取られて諦められたら良いのに、なかなか諦めることが出来なかった。

 しつこい。

 本当に恋をする男はしつこいと思う。

 自分はそんな男にはならないとずっと思っていたのに、結局はそんな男になってしまっていた。

 これには苦笑いをするしかない。

 こんなにも恋などで狂うことなどは、自分は決してないと思っていたのに。

 狂ってしまっていた。

 どうしようもないぐらいに狂ってしまっていた。

 公瑾は溜め息を吐く。

 花に逢って何を言えば良いのだろうか。

 好きだと言ってくれたのだから、残って欲しいと言えば良いのだろうか、

 それともただ別れの挨拶をすれば良いのだろうか。

 様々なことをぐるぐると考えてしまう。

 様々な戦を戦い抜いてきたつもりではいるのだが、こんなにも苦戦したことは本当にない。

 それほど恋は手強い。

 ましてや、自分自身だけの力でどうこう出来るものでもないのだ。

 ひとりでいると、本当に様々なことを考えてしまう。

 どれもこれも無駄なことばかりだ。

 公瑾は気分転換を計るために、外に出ることにした。

 五分程ぐるぐると回れば、何か良い案が思い付くかもしれない。

 そんなことを考えながら、公瑾は外に出た。

 花に会いたい。

 だが、何を話して良いのかも解らない。

 男としてきちんと想いだけは伝えよう。そんなことをずっと考える。

「…花…」

 溜め息と共に囁かれる名前。

 それを大喬と小喬がこっそりと聞いていたなんて、公瑾は知るよしもなかった。

 運命が動き出す。

 



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