花の陣痛が始まり、孟徳は落ち着けない。 愛する花との初めての子供。 ふたりが結婚して暫くして花に子供を授かった。 生涯、花だけだ。 これからは側室を設けるつもりはない。 花はまだまだ若いから、たくさんの子供を持つことが出来るだろう。 賑やかな家族になるに間違いない。 自分が遠い昔に失ってしまったものを手に入れられるのだ。 こんなにも嬉しいこてはない。 ただ、出産は、ある意味命を懸けたものになる。 孟徳は、花に辛くて厳しい経験を余りさせたくはなかった。 だが、愛している花とは沢山の子供を持ちたい。 矛盾する感情を抱きながら、孟徳は愛する妻の出産を待った。 直接、孟徳が痛むわけではないが、心配だ。 苦しいのは同じだから。 早く花を痛みから解放してやりたい。 そしていち早くわが子に逢いたかった。 孟徳軍の中枢にいる者たちは、誰もがそわそわしている。 まるで自分達に子供が出来るような雰囲気だ。 世継ぎなのだ。 紛れもなく孟徳の。 しかも誰もが慕っている花との間の子供なのだ。 誰もが誕生を待ち侘びてくれている。 これは本当に幸せで有り難いことだと、孟徳は思わずにはいられなかった。 急に出産中の花の部屋が騒がしくなる。 何かあったのだろうか。 孟徳は心配と不安でどうしようもなくなり、落ち着かずにうろうろとしてしまう。 花と子供。 掛け替えのない孟徳の大切なものが、どうか何もないように。 それを祈るしか今は無いのだ。 「…花…」 本当に祈るような気持ちで、孟徳は待つ。 「孟徳様、もうすぐですから、落ち着いて下さいませ」 「ああ、解ってる」 花の出産に立ち会っている使用人が声を掛けてくれた。 不安げにうろついている孟徳を安心させるためだろう。 その気遣いはとても有り難かった。 それがあったからこそ、孟徳は少しだけではあるが落ち着くことが出来た。 「出産って本当に大変なんだな…。花はあんなに華奢なのに、本当に一生懸命頑張っている」 元譲は花を心配しながら、何処か尊敬の念を抱いている。 それは孟徳も同じだ。 愛する妻には最高の尊敬をしているといっても過言では無かった。 「おぎゃーっ!」 元気過ぎるぐらいの泣き声が、部屋から響いた。 「生まれた!」 孟徳は歓喜の声を上げると同時に立ち上がる。 初めてのわが子の鳴き声に、孟徳は幸せを感じずにはいられない。 感動が全身を駆け巡り、震えるぐらいにドキドキしていた。 愛する花との初めての子供だ。 こんなにも幸せなことは他にはない。 愛するひとの子供なのだ。 孟徳は今直ぐにでも、花と子供に逢いたくて、閉ざされた部屋に入ろうとする。 しかし、使用人に止められてしまった。 「…直ぐにお逢いになれますから。もう少しお待ち下さいませ…。花様とお子様は、今、孟徳様にお逢いになるための準備をしているんですから…」 「解った…」 何ごとも初めてのため、孟徳は勝手が分からない。 使用人に呼ばれるまで大人しくしていることにした。 「花が無事に出産したな。おめでとう、孟徳」 「有り難う」 元譲の堅苦しい祝いの言葉にも、つい笑顔になることが出来る。 「孟徳様、面会の準備が整いましたよ。花様もお子様もお健やかですよ」 使用人ににっこりと微笑まれて、孟徳は安心するのと同時に、本当に嬉しく思う。 孟徳はそれこそ飛び上がって喜びたいぐらいだった。 「元譲、お前も面会していかないか?」 「…また日にちを改めよう、孟徳。今は家族でのんびりとぢろ。ただし、明日からはしっかりと働いて貰うからな」 「お前が言うか」 元譲のさり気ない心づかいが嬉しく有り難いと孟徳は思わずにはいられなかった。 孟徳は部屋に通されて、先ずは花に逢いに行く。 出産を終えて疲労困憊の花は、寝台に横たわっていた。 子供よりも今は愛する花を労いたかった。 孟徳は、花の華奢な手をギュッと握り締める。 「…花、有り難う…。よく頑張ったね…」 孟徳が優しく語りかけると、花の瞳がゆっくりと夢見るように開いた。 花の瞳は、息を呑むほどに美しく、そして清らかだった。 こんなにも綺麗な女性は他にいないのではないかと思うほどに、花は愛らしかった。 孟徳はじっと見つめていたいと思わずにはいられない。 それぐらいに花は美しかった。 無駄なものが何ひとつないと思うぐらいに綺麗だった。 「花…、本当に有り難う…」「…孟徳さん。私こそ有り難うございます。孟徳さんからは掛け替えのないものを沢山頂きましたが、今回は赤ちゃんまで頂きました…。本当に嬉しいです…。有り難うございます」 花は幸せそうに微笑む。 今までの微笑みの中で、一番美しい微笑みだと、孟徳は思った。 花の額に思わずキスをする。 「有り難う…、花…。よく頑張ったね。今日はゆっくりと休んでくれても構わないから」 「有り難うございます…」 孟徳は、花への愛しさに歯止めが利かなくなってしまい、ギュッと抱き締めた。 「…孟徳様、お子様ですよ」 産婆が、息子をおくるみに包んで連れてきてくれた。 小さくて壊れてしまいそうだ。 「…孟徳さん…、赤ちゃんを抱っこしてあげて下さい…」 「解った…」 孟徳は、恐る恐る小さな我が子に手を伸ばすと、ぎこちなく抱く。 柔らかくて本当に小さかった。 「こんなにも小さいんだね…」 「はい…」 孟徳は自分の息子をそっと覗き込む。 まだまだしわしわではあるが、花と自分によく似ている。 「…私は孟徳さんによく似ていると思っています…それがとても嬉しかったです」 顔をよく見れば、どちらかといえば孟徳に似ているような気がする。 「花、本当にどうも有り難う…」 「これから、赤ちゃんと孟徳さんと一緒に人生を歩んでゆけるかと思うと、とても嬉しいです」 「ああ。それは俺もそう思うよ」 孟徳は息子と花を見つめながら、ふたりごと抱き締めたくなった。 「孟徳さん、この子はなるべく自力で育てようと思っています。乳母はいらないですが」 「君はそれで負担が重くなってしまうが、構わないのか?」 「はい。負担よりも、赤ちゃんをしっかり見ていたいんです」 「…そうか…。君が言うならしょうがない…。乳母は手配しないようにするよ」 「有り難うございます…」 「こちらこそ、有り難う花」 孟徳は花が愛しくて堪らなくて、子供を抱いたままで、ギュッと抱き締めた。 こうしていると親子の絆が、家族の絆が、夫婦の絆が揺るぎのないものになる。 これからも家族で信頼をしあって生きてゆける。 そんな気が孟徳にはしていた。 「これからは家族三人でしっかりと頑張っていこう」 「有り難う…」 孟徳は花の唇に蕩けるような甘い口付けをする。 花がいれば、それだけで幸せだ。 「…花…名前を決めたよ。この子の…。前から決めていた」 「教えて下さい」 「子桓だ」 「曹子桓…。良い名前ですね…」 花が名前を呼ぶと、最高の名前を付けたような気分になれた。 「…子桓…、これから三人で一緒に生きていこう」 花とふたりで優しい幸せを噛み締めながら、孟徳は子供の額を撫で付ける。 花もまた同じように息子の額を撫で付けた。 「…君は休まなければならないのにね」 「今はこうしていたいです」 「うん」 これからは三人で生きて行く。 幸せな時間を三人で生きて行く。 それが何よりもの幸せ。 |