孟徳が風邪を引いた。 誰もが鬼の撹乱だと噂をしている。 花にとっては、孟徳は全く鬼ではないから、とても不思議な気分だったりもする。 仕事には非情なまでに厳しいことは、花も様々な方面から聞いてはいる。 だからこそ、何となくではあるが、誰もが噂をする理由が分らなくもない。 勿論、国を預かる丞相ではあるから、民や国のためには、厳しく仕事をしなければならないのは当然ではあると、花は思っているのだが。 ただ花にはこの上なく甘やかせてくれる。 ただ理不尽な我が儘は許してはくれないし、花もそのような我が儘を言おうとは思ってはいない。 だからこそ、たまに甘えさせて貰っている。 ただ、孟徳にはもっと甘えても構わないと言われてはいるが、今のままで充分過ぎるぐらいに甘えさせて貰っている。 花は、だからこそ、孟徳が病気の時ぐらいは、頑張らなければならないと、思ってしまう。 孟徳は病気であるのにもかかわらず、仕事に向かおうとしている。 明らかに今日は寝ていなければならないだろうに、何ともないような顔をしていた。 「孟徳さん、気分が悪いのではないですか? 顔色がかなり悪いですよ。今日は仕事を止めて下さい」 花は心配で堪らなくなりながら言うが、孟徳は苦々しい笑顔を浮かべるだけだ。 「大丈夫だよ。俺が休むと、石頭とムサい男たちが困ってしまうからね、それに、国の仕事が滞ってしまうからね」 孟徳はあくまでも仕事に行こうとするが、とてもではないが出来ない状態であるということは、花には充分過ぎるぐらいに解っていた。 このままでは本当に倒れてしまうかもしれない。 それだけは避けさせなければならない。 花は断固として、孟徳に立ちはだかることにした。 「駄目です。孟徳さん」 花は断固として厳しく言い切ると、孟徳の前に仁王立ちした。 「え…?」 「…お仕事には行かせません!」 花はキッパリと言い切ると、孟徳を睨み付けた。 これ以上はないとばかりに、厳しく言う。 こんなにも厳しい花を見たことがないだろう孟徳は、一瞬、驚いて固まってしまったようだった。 「…花…」 「孟徳さん、今日、あなたがお仕事に行ってしまったら、更に病気は酷くなります。そちらのほうが、余計に皆さんに迷惑をかけることになります。それだけは止めて下さい。それに、今日、もしお仕事に行ったとしても、そのような状態の孟徳さんは使い物にはなりません! だって、こんなにも気分が悪いのなら、仕事は出来ないでしょうから!」 花はきちんと理路整然と述べるように努めた。 孟徳のことだから、感情に先走ってしまえば、言いくるめられる恐れがあったからだ。 「…花…、いつもの頭痛だよ。暫くしたら治るから」 孟徳は敵わないというような表情をしながらも、まだ仕事に行こうとしている。 だが、そんなことは許してはならないと思う。 孟徳には、きちんと休んで貰いたい。 たとえそれがたった一日でも、花は構わないと思った。 「ダメですよ。いつもの偏頭痛とは、顔色が違いますから。寝台に戻って下さい。文若さんや元譲さんには、私からきちんと伝えておきますから」 花は有無は言わせないと、孟徳を見つめる。 これには参ったとばかりに、孟徳は溜め息を吐いた。 「やっぱり花には敵わないよ…。しょうがない…。降参するよ」 孟徳は溜め息を吐きながら言うと、深呼吸をした。 「君はいつからそんなに強くなったんだ…」 孟徳は何処か嬉しそうな響きを滲ませながら呟いた。 「孟徳さんの奥さんになったからですよ。私は誰よりも温かくて厳しい奥さんになりたいと思っていますから」 「お手柔らかに頼むよ」 孟徳はからきし敵わないとばかりの笑みを浮かべた。 「それは孟徳さん次第ですよ? それはお伝えしておきますよ」 「本当に俺の奥さんは厳しいな…。解ったよ。ちゃんと今日は休むことにする。確かに、今日、仕事に行けば、効率は大幅に下がるだろうからね…。君の言うように、翌日の効率も更に下がってしまうだろうからね…。今日はおとなしくするよ」 孟徳は降参とばかりに手を上げた。 「では寝台に戻って下さい」 「はい、はい」 孟徳はまるで小さな子供のように花の手をしっかりと握り締めると、フッと笑顔になった。 「今日はずっとそばにいてくれる?」 「勿論ですよ」 「良かった。有り難う」 孟徳はホッとしたように溜め息を吐くと、更に花の手をしっかりと握り返して来た。 孟徳をきちんと寝台に寝かせた後、花はゆっくりと寝顔を覗き込む。 「孟徳さん、元譲さんと文若さんには、今日はお休みになることを伝える手筈を整えてきますね。だから孟徳さんはゆっくりと眠っていて下さいね」 花が寝台から離れようとすると、孟徳は手をギュッと握り締めて離さない。 「花、直ぐに戻ってきてくれる?」 まるで母親に甘える子供のように、孟徳はすがってくる。 「すぐに戻って来ますから。少しだけ待っていて下さいね」 「ああ」 花は、いつも甘やかせて貰っている分、しっかりと甘やかせてあげようと思い、額にキスをする。 「解った…。待っているよ」 「はい」 花は笑顔で頷くと、一旦、寝台から離れた。 花が行ってしまい、孟徳は軽く溜め息を吐いた。 本当は限界だと思うぐらいに気分が優れなかった。 だから花の言葉は助け船だと思わずにはいられなかった。 愛する者に看病して貰える。 なんて素晴らしいことなのだろうか。 いつもならば、こんなことでは無理をしてしまっていたが、今はそんな必要はないのだと思う。 早く花に戻ってきて欲しい。 そう思いながら、孟徳は熱のせいで、いつしか眠りの世界に引きずり込まれていた。 花は孟徳が仕事を休む手筈を整えて、薬湯を作ってから、戻った。 すると孟徳は寝台でうつらうつらと眠っていた。 額に手のひらを乗せるとかなり熱い。 水に漬けた手ぬぐいを固く絞って、孟徳の額に乗せてやる。 すると気持ちが良さそうに、大きく深呼吸をした。 これには花もホッとする。 孟徳の手が、花を探すかのように、ゆらゆらと宙を舞う。 花はすぐに応えるようにしっかりと孟徳の手を握り締めた。 「孟徳さん、もう大丈夫ですよ。そばにいますから…」 花は愛するひとに柔らかく語りかける。 すると安心したかのように、孟徳が微笑んだような気がした。 いつもならば熱を出した時には、本当にロクデモナイ夢しか見なかった。 だが、今回は違っていた。 とても心地よい気分で夢を見ていた。 幸せで温かな夢だ。 孟徳は優しい気持ちでのんびりと目を開ける。 すると手をしっかりと握り締めながら、やさしいまなざしで孟徳を見守ってくれている花の瞳が見えた。 「孟徳さん、お加減は如何ですか?」 「ああ…。かなり楽だよ…」 「良かった」 花が眩しいほどの笑顔を向けてくれている。 本当に愛しくて堪らなくて、孟徳は花に手を伸ばして、そのまま抱き締めた。 「こうして君を抱き締められるぐらいに回復したよ…」 「それは良かったです」 「うん…。君がそばにいて看病をしてくれたから、すぐに良くなった。君のお陰だね。花はどのような薬湯よりも効くね」 孟徳は微笑みながら、花を抱き締める。 「有り難う、花」 こうしてふたりでのんびりと穏やかな時間を過ごす。 花にとっても、孟徳にとっても、風邪は良い休みになった。
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