*Mother*


 この世界では、花は文字通りひとりなのだ。

 だからこそ、花をいつも守って気遣ってやりたい。

 総てを捨ててまでも、孟徳を選んでくれたのだから。

 まだまだ悪阻の時期が抜けないせいか、花は時折、気分が悪そうにする。

 病気ではないからと、花は気丈にも笑顔で過ごしている。

 出産経験がある女官を花には着けてはいるが、それでも不安は拭えないだろう。

 花には孟徳しか本当の意味での家族はいないのだから。

 甘えて欲しい。

 頼って欲しい。

 孟徳は心から思う。

 無理をしなくても良いから。

 花がいつも笑顔でいられるように、辛い部分は引き受けるから。

 総てを預けて欲しかった。

 

 花と子供がいる。

 それだけで孟徳がどれほど仕事に真剣に取り組めるかを、花は知らないだろう。

 花の妊娠が解ってから、仕事の効率が益々上がっているのだ。

「相変わらずお忙しそうですね、孟徳さん。少しはお手伝いが出来たら良いんですけれど…」

 花は心苦しそうに微笑みながら言う。

 このような気遣いも全く花らしいと孟徳は思う。

「大丈夫。君だって今は大変だろう? お腹の子供の為に色々なことをしなければならないし、後は、漢字の勉強もしっかりとしなければならないからね」

「そうなんですが。私よりも孟徳さんがかなり大変だから申し訳なくて…」

 本当に何処まで優しいのだろうかと思う。

 花の場合はただ優しいだけ手はなくて、厳しいところもある。

 孟徳が忙しくても、支えながら良い母親になることだろう。

 だからこそ、孟徳も花をしっかりと支えたいと思う。

「花、有り難う。君の気持ちが嬉しい。君の気遣いが俺を支えてくれているから大丈夫だ」

 孟徳が微笑むと、花も同じように笑ってくれた。

 それは嬉しい。

「赤ちゃんが生まれるまでに、孟徳さんの漢詩が分かるように、しっかりと勉強しますね」

「うん、俺も良い詩が作れるように頑張らなきゃならないね」

 孟徳は微笑むと、しっかりと頷いた。

「花、最近、果実を好んで食べると聞いたから、大量に取り寄せたよ。沢山食べると良い」

 孟徳が言うなり、花は華やいだ笑顔になった。

 本当に嬉しいのだろう。

 花が喜んでくれることが、孟徳は何よりも嬉しかった。

 孟徳は使用人に食べ易く切らせた果実を運ばせる。

「嬉しいです。果実だけはどんどん食べられるんですよ」

 花は喜んで言うと、ふと寂しそうな笑顔を浮かべた。

 胸を締め付けるような笑顔に、孟徳は一瞬切なくなる。

「…お母さんが弟を妊娠した時も、酸っぱい果実を欲しがって、いっぱい食べていたことを思い出します…」

 花は切ない想いを滲ませた笑顔を浮かべる。

 元の世界に帰りたいだとか、元の世界が恋しいだとかは、花は一度も言ったことはない。

 だが、そう思う事もあるのではないかと、孟徳は思わずにはいられない。

「元の世界が…恋しくなった?」

 孟徳はなるべく波風が立たないように優しい声で言った。

「いいえ。恋しくなったりはしません。ただ、懐かしいと思っただけですよ」

 花は意外なくらいにあっけらかんと言った。

「…そうか…」

「はい。母が妊娠中の時と同じものを欲しがるなんて、私たちは親子だなあって思っていたんですよ」

 花は懐しそうにくすりと笑いながら言うと、遠くに視線を送った。

「…寂しい?」

 孟徳は花の手を取ると跪く。

 寂しいのならば、寂しくないように全力で包み込む。

 だからそんなまなざしをしないで欲しい。

 孟徳のまなざしを受け入れるように、花は優しい瞳を向けた。

「確かにお父さんとお母さんに孫の顔を見せられないのは寂しいですが、本当にそれだけなんですよ」

 花はあくまで優しいリズムで呟くと、孟徳を見つめた。

「…そうだね…。確かに赤ん坊を、君の両親には見せてはあげられない…」

「だけど孟徳さんも同じことでしょう?」

 花は優しく孟徳の心を包み込むかのように呟いた。

「…そうだけど…」

「だったら同じです。お互いに今幸せであることを空に向かって伝えたら、伝わると思いませんか?」

 花の言葉を聞いているだけで、なんと癒されるのだろうかと思う。

 いつも簡単に孟徳を救ってくれるのだ。

 これほどまでに信用した人間はいないし、これからも現われないだろうと孟徳は思った。

 花をギュッと抱き締めたくなって、その通りにしてみる。

 それだけで本当に幸せな気分になるのだ。

 心の奥が満たされる。

 人を信頼して得られる幸せは、何よりも自分自身を満たしてくれることを、孟徳は花を愛することで知った。

 

 愛すること、信頼する事の幸せを、花と子供はもっと沢山教えてくれるだろう。子供たちになるのも時間の問題だろうが。

 愛と信頼には限りがないから、これからも沢山学んで、蓄えていこうと、孟徳は思った。

「果実沢山ありますから食べますね!」

 花は張り切るように笑顔で言うと、果実を本当に美味しそうに食べる。

「沢山食べると良いよ。君と子供には必要なことだからね」

「はい、有り難うございます!」

 花が果実を食べる様子を見ていると、子供みたいで嬉しかった。

 じっと見つめているだけで幸せだから、花を見つめていると、恥ずかしそうにこちらを見る。

「何だか恥ずかしいです…。私ばっかりが食べているみたいで…」

「君のための果実なんだから、沢山食べて貰って構わないよ。それに君は二人分だからね」

「はい。孟徳さんもひとつぐらいは」

「君が食べさせてくれたら良いけど」

 孟徳が甘いおふざけをすると、花は真っ赤になりながら、更に食べやすいように果実を向いて、孟徳に差し出してくれる。

「どうぞ…」

「有り難う、花」

 こうして花に世話をして貰えるのが嬉しくて、孟徳はつい笑顔になった。

 花から差し出された指ごと唇に含む。

 甘酸っぱい果実は、初々しい花の素直な心のようにも思えた。

「有り難う」

 孟徳が礼を言うと、花は照れ臭そうに笑った。

 果実を食べ終わると、花は満足そうに溜め息を吐いた。

「美味しかったです。赤ちゃんも喜んでいますよ」

 花の笑顔は世界一だと思う。

 その笑顔を見ているだけで、幸せだった。

 花はふと窓から夜空を見上げる。

 夜空は本当に美しいのか、うっとりと見つめている。

 だがやはり寂しさが瞳の奥に滲んでいる。

 妊娠をすると不安になるのだということを、孟徳は聞いた事がある。

 花も勿論不安なのだろう。

 この世界に花が本当に頼りに出来るのは、孟徳以外にはいないのだから。

 頼りない何処か心許無い背中を、孟徳は包み込むように抱きしめる。

 自分が花にいつも愛で満たして貰っているように、花をたっぷりの愛情で満たしてあげたかった。

「…花…。寂しい…?」

 孟徳が語りかけると、花は手を優しく握り締めてくれた。

「時々…、寂しいこともありますが、そういう時に限って、孟徳さんが愛情でいっぱい包み込んでくれるんです。だから、家が恋しいだとか思ったことは一度もありません。むしろ気付いて貰えて幸せだと思います。たっぷり愛されて幸せだと思います。今もやっぱり幸せでいっぱいになって、寂しさなんて何処かにいってしまいました」

「…花…。君はいつも俺の不安や恐れを簡単に取り除いてしまうんだね…。君がいるから俺はいつも救われて幸せでいられるんだ…」

 孟徳は花に縋るように抱き寄せる。

「私もいつもそう思っていますよ…」

「花…」

 ずっとこうして支え合えれば良いと思う。

 お互いの愛があればそれが出来るのだから。



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