*切ない後の*


「花、当分、君と一緒に過ごせなくなった」

「…え…!?」

 まさかそのようなことになるなんて、思いも寄らなかった。

 孟徳と過ごせなくなるなんて。

 飽きられたのだろうか。

 孟徳ならば美しい女性を選べるから、綺麗なひとを好きになってしまったのかもしれない。

 それは余りに酷いような気もする。

 切なくて辛いことを、上手く伝えることが出来ない。

 花は唇を軽く噛み締めた。

「…花…、解ってくれ、直ぐに元通りになれるようにするから…」

「はい…」

 すぐに元通りになるなんて、いったいいつの話になるのだろうかと、花はぼんやりと思った。

「分りました」

「うん。ごめんね。この埋め合わせはちゃんとするからね」

「はい」

 孟徳のことだから、直ぐに埋め合わせはしてくれるだろう。

 だが、その埋め合わせの意味が、花には怖かった。

 花をいらなくなったからという理由だったら、堪らないとすら思った。

「じゃあ、また」

「…また…」

 花は孟徳を見送った後で、涙が滲む。

 花はひとりで生きていくことの切なさを感じずにはいられなかった。

 

 孟徳が来ないと、ずっと曇りな日のように思える。

 それどころか泣きそうになる。

 泣いて暮らすことなんて出来ないから、花は素直に涙を堪えた。

 孟徳が帰ってきた時に笑顔で出迎えが出来るようにしておかなければならないと思った。

 帰る術はもうない。

 文字通りひとりぼっちだ。

 孟徳しか頼る相手がいないからこそ、こんなにも不安になるのかもしれない。

 花は、孟徳がいない間にうんと勉強をして、頼らずに生きていけるように頑張ろうと思い、文若の仕事を手伝いながら、漢字を学ぶことにした。

 孟徳がいない間は、文若が丞相府を切り盛りしているのだ。

 仕事の合間に、花は一生懸命、勉強をする。

 たまに文若が勉強を見てくれた。

「丞相が不在の間、塞がれるかと思っていたが、勉強に精を出すのは感心です」

「自立出来るように頑張りたくて」

 花が曖昧に笑いながら言うと、文若は奇妙な表情をした。

「お前なら、自立しなくても大丈夫だろう。丞相がいるのだから」

「はい。ですが、孟徳さんに何時までも頼ることは出来なくなるかもしれませんし、私は一生懸命勉強をして、役立つひとになって自立が出来るように頑張るだけですよ」

 花はなるべく何でもないことのように、さらりと言った。

 孟徳に捨てられる。

 そんなことに怯えて生きるなんてことは、苦しいだけだから。

「……」

「少し休憩しましょうか? 文若さん。お茶を淹れましょう」

 文若の探るようなまなざしが耐えられなくて、花はお茶の準備をした。

 文若は何も言わずに、それ以上は花に何も訊いてこなかったので助かった。

 

 ひとり部屋に戻って、花は勉強を続ける。

 溜め息が出てしまう。

 理由は解っている。

 孟徳と離れ離れになってしまい、切なくて苦しいのだ。

 孟徳のことは信じている。

 裏切るようなことはしないだろう。

 だが、離れられたりひとりにされると、不安になるのだ。

 それはきっと孟徳のことをどうしようもないぐらいに愛しているからだろう。

 愛は強さと不安の両方を与えるのだろうと、思わずにはいられなかった。

 

 孟徳が綺麗なひとと一緒に戻ってきたのは、それから暫くしてからのことだ。

 ふたりは仲睦まじく話をし、とても似合いに思えた。

 孟徳ならば、何人もの妻がいても当然だ。

 実力があるのだから。

 この世界はそういう世界なのだ。

 実力がある者は何人もの妻がいる。

 歴史ではよくあることなのだ。

 花は文若の部下の影に隠れて、孟徳が帰ってくるのを出迎えた。

 本当はきちんと出迎えようと思ったのだが、それは出来なかった。

 綺麗なひとが横にいたからだ。

 部下に混じって出迎えた後、花はしょんぼりと部屋に戻った。

 こんなことはとても子供染みていると思っているが、それ以上のことも出来ない。

 一人になった後、焼けて黒くなった本を引き出しから取り出した。

「…あ…」

 不思議な本は、文字が追えるような状態に戻っている。

 まだ完全な状態ではないが、ひょっとして花が望むのであれば、完全な状態に戻るかもしれない。

 望めば戻ることは可能なのかもしれない。

 花はそのようなことを考えた。

 だが、本当に帰りたくないからこそ、こんな状態になっているのではないかと花は思った。

 

 先ほど、花に声を掛けられなかった。

 どうして女性を連れて来たのかを、言おうと思っていた。

 しかし捕まえる間も無く、花は部屋に引っ込んでしまった。

 久し振りに花と逢う筈だったのに、それが出来なくて、孟徳は苦しい気分になっていた。

 花に逢えなかった理由も、きちんと話したい。

 だから花とふたりきりになりたいと言うのに、花はひとりで部屋に籠ってしまったのだ。

 これには孟徳も困ってしまった。

 確かに理由も言わずに、花をひとりにしてしまったことは、申し訳がないと思っている。

 だからこそ、花にきちんと話をしようと思っていた。

 女性にも逢わせなければならないのだ。

 孟徳は、花がほんのりと拗ねているのは解っているつもりだ。

 その誤解を取るためにも、行かなければならないと思っていた。

 

「…花…」

 声を掛けながら部屋に入ったが、花は居眠りをしているようだった。

 寝顔を見ていると、本当にあどけなくて、とても可愛い。

 孟徳はそう思わずにはいられない。

 机の上を見ると、ボロボロの本が無造作に置かれていた。

「…花…」

 花が帰ってしまうなんてことは、孟徳には許せないことでもあり、思わず握り拳を作ってしまった。

 花の寝顔をよく見ると、涙の痕がうっすらと滲んでいた。

「…花…」

 孟徳は花を抱き締めると、そのまま寝台に横たわる。

 離したくはなかった。

 花の温もりを感じるだけで、心から安心するのだ。

 孟徳はホッとしながら、安らかな眠りに墜ちて行った。

 

 いつの間にか居眠りをしていたらしい。

 心地良い温もりに、花は安堵すら感じる。

 こんなにも安らかな気分になれたのは、久し振りかもしれない。

 花が目をそっと開けると、孟徳が抱き締めてくれていた。

 温かな気持ちになる。

 こんなにも幸せな気持ちは、久方振りかもしれない。

 花が目覚めたのに気付いたのか、孟徳もまた目をゆっくりと開けた。

「…おはよう、花」

「おはようございます、孟徳さん…」

 花が挨拶をすると、孟徳は本当に嬉しそうに笑った。

「…花に逢わせたいひとがいて連れてきた。彼女が来てくれたら準備完了だ」

 “彼女”

 あの美しい女性なのだろうか。

 そう考えるだけで、胸が苦しい。

 泣きそうになりながら孟徳を見つめると、フッと笑われてしまった。

「花、婚儀には色々と準備がいるだろう? 彼女は君の準備を助けてくれるひとだ。俺が出来る婚儀準備はここまでだから、これから先は君にお願いをしないといけないけれど、構わないかな?」

 まさか、ふたりの婚儀準備のためだったなんて思いもよらなかった。

 嬉しくて涙が滲むぐらいに感動してしまう。

「…孟徳さんっ!」

 嬉しさの余りに孟徳に抱き着くと、しっかりと抱き返してくれた。

「寂しい思いをさせてごめんね」

「大丈夫です。こんなに嬉しいことがあったから…」

「有り難う。君はやっぱり優しいね」

 孟徳は甘く囁くと、柔らかいキスを時間をかけてゆっくりとしてくれる。

 切ない後の最高の幸せに、花は笑顔にならずにはいられなかった。



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