孟徳の屋敷では、誰もがバタバタと準備に忙しくしている。 花もまたそのひとりではあるのだが、肝心のところではかやの外にされてしまう。 誰もが本当に忙しそうにしているから、手を貸そうとすると、そんなことはしなくても良いと断られてしまうのだ。 何だかつまらない。 少しでも良いから手伝いたいのに、それすらも許されないのだろうか。 「何だかおつまらなさそうですね。花様」 侍女が優しく声を掛けてくれる。 彼女も先ほどまではかなり忙しそうにしていたのだ。 「…一段落ついたの?」 「はい、私は…」 にっこりと微笑む侍女に、花は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。 「ごめんなさい…、お手伝いをしたいのは山々なんだけれど…」 「ええ、私どもは花様のお気持ちはしっかりと受け止めておりますよ。お気遣い有り難うございます。ですが、花嫁様が宴の準備をしなくても大丈夫ですよ。他に色々とお忙しいですから」 「…有り難う…。だけど、手伝いたいなあって思うの。私のいたところでは、宴の計画は花婿と花嫁が考えるものなんだよ。自分達で宴の招待状を作ったりしてね」 「まあ! そうなんですか。ですが、私どもにお任せ下さいませ。孟徳様と花様が幸せなお気持ちになれますように、私どもは精一杯準備をさせて頂きますわ」 侍女は自信を持って言ってくれている。 お任せをしても大丈夫だろう。 素晴らしい結婚式にしてくれるだろう。 「花様、婚礼衣装が届きましたよ。寸法がきちんと取れているか、最終確認をいたしますので、こちらへどうぞ」 「有り難う」 奥の部屋に入ると、思わず感嘆の声を上げる。 そこには完成したばかりの真紅の婚礼衣装が掛けられていた。 「…綺麗…」 「ええ。丞相が、花様の婚礼衣装ですから、最高のものをと用意されたんですよ」 「…孟徳さんが…」 夫になる孟徳が、花のためにと最高の婚礼衣装を用意してくれた。 忙しくてしょうがないひとが、そこまでしてくれた。 花は感動する余りに泣きそうになった。 「どうぞ」 「有り難う…」 花は緊張しながら袖を通す。 愛するひとが選んでくれあ花嫁衣装。 花は幸せが心から溢れるような気持ちになった。 「まあ…よくお似合いですね。丞相もお喜びになると思いますよ…。それに、寸法もぴったりですわね。お直しは要らないですね」 「そうですね」 「では、後は、お式でのお楽しみにしましょうね」 「はい。有り難うございました」 花嫁衣装を脱ぎながら、花は名残惜しい気持ちになる。 もう少し着ていたかったと思いながら、花は花嫁衣装を脱いだ。 「当日が楽しみですわね。花様」 「はい、そうですね。楽しみです」 花は、後少しに迫った結婚式を楽しみにしていた。 結婚式までの間も、孟徳は猛烈に忙しくて、花と少ししか逢う時間を取ることが出来なかった。 花と暫くのんびりとする予定なので、その時間を捻出するためには致し方がないことではあった。 花への恋しい病気が山場を迎えたところで、ようやく式を迎えた。 丞相がようやく妻を迎えるということで、かなり大騒ぎになってはいるが、孟徳は花の意向を汲んでこじんまりとした宴にすることにした。 だが、花が充分に楽しめるように配慮はした。 花が幸せであれば、孟徳はそれで良かった。 今日から花を正式に妻にする。 もうずっと一緒にいても何も言われないのだ。 花以外の妻は持つ気はない。 丞相だからこそ、今後の為にも、多くの妻を持つべきだとは言われるが、孟徳はそんなことをする気は更々なかった。 多くの妻なんて持たなくて良い。 花だけがいれば良い。 今まで妻を娶らなかったのは、花を待っていたからではないかと思うほどだ。 情人はいた。 だが正式に妾にしようとすら思わなかった。 花を待っていたからだと、今なら堂々と言える。 孟徳は、花をこれからも唯一無二の妻として、ずっと大切にしていこうと思った。 正式な装束に身を纏って、孟徳は背筋を伸ばす。 もうすぐ花に逢える。 花にぴったりだと思って選んだ花嫁衣裳を身に着けて、待っていてくれることだろう。 孟徳は想像するだけで幸せな気分を味わえた。 花ほど美しいと思う女性は他にはいない。 孟徳は、花のことを甘い気分で想いながら、控えの間へと向かう。 花が待っている。 花がいれば幸せな気分をずっと味わうことが出来るだろう。 花がいれば、どんなことがあっても乗り越えて行けるだろう。 そう感じさせてくれる相手に初めて出会えた、 本当に幸せだと、孟徳は思う。 様々な意味で、運命に感謝をしていた。 もうすぐ孟徳がやってくる。 そう思うだけで、花は幸せな気分で微笑むことが出来る。 孟徳はこの姿を気に入ってくれるだろうか。 孟徳が選んでくれた美しい花嫁衣裳を上手く着こなせているだろうか。 花はそればかりを考えてしまう。 孟徳はどのような表情を浮かべてくれるのかを想像するだけで、花はかなりドキドキしてしまった。 孟徳の妻になる。 まだ信じられない。 孟徳は丞相で、花とは形上は敵対関係にあった。 しかも相手は天下の丞相で、女性には不自由はしていない。 しかも誰もが美しいひとばかりだ。 そのような状況であっても、孟徳は花を選んでくれた。 これには神様に感謝する以外にはない。 恋をするのが苦し過ぎて一度は逃げようとしたのに。 知らないとは言え、一度は暗殺に荷担しようとしていたのに。 それでも愛してくれた。 だから。 孟徳に愛されるよりももっともっと愛そうと想うし、そうなる自信はある。 孟徳がいれば、今は本当に何も要らないのだから。 「花様、丞相が見えられました」 「はい」 いよいよ愛する男性が迎えにきてくれるのだ。 花は背筋を質して、椅子から立ち上がると、ゆっくりと振り返った。 「…孟徳さん…」 「…花ちゃん…」 孟徳は感嘆の溜め息を吐くと、花を真直ぐ見つめる。 情熱的で称賛が込められたまなざしで見つめられると、花は落ち着かなくなるぐらいに胸が騒ぐ。 正式な装束に身を包んだ孟徳も素晴らしい。 何処から見ても凛々しく素敵だ。 「花ちゃん…抱き締めても良い?」 「はい…」 孟徳は花をうっとりと見つめた後、思い切り抱き締めてくる。 息が出来なくなるぐらいにしっかりと抱き締められて、花は幸せの溜め息を吐いた。 「…花…とても綺麗だ…」 「孟徳さんが選んでくれた衣裳のお陰ですよ」 「…花が一番似合うと思って選んだんだよ…」 「有り難う…」 孟徳は嬉しそうに蕩けるような笑みを浮かべた後、唇を近付けようとして止める。 「流石に今しちゃったらばれるか。もう少しだけ我慢するしかないよね」 孟徳は、まるで小さな子供のように、無邪気にがっかりとした表情を浮かべると。 それが可愛くて、花はくすりと笑った。 「そうですね」 「宴の後…、たっぷり時間はあるからね…」 孟徳は意味ありげに官能的な声で呟く。 宴の後のふたりきりの時間を思うだけで、花の鼓動は華やかに上がる。 「…ひょっとしたら…、途中で抜け出してしまうかもしれないね…」 孟徳の笑みに、花は真っ赤になりながら俯くしかなかった。 「じゃあ行こうか。余り待たせていても、皆に冷やかされるだけだからね」 「そうですね」 ふたりでしっかりと手を繋ぐと、ゆっくりと宴の開かれる広間へと向かう。 そこから花の人生は新しく始まるのだ。
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