鈍い青色でありながらも、春の空は清々しい。 昨日までは重い足取りだったひとたちが、はにかみながらも颯爽と歩き出す季節。 春はそんな時期だ。 春を象徴する、桜の花が咲き誇っている。 鈍色の光を通して輝く花は、切ないぐらいに美しい。 一瞬で咲いて、一気に散るからか、桜の花を見つめているだけで、胸がきゅんと締め付けられる。 まるで初恋のようだ。 昼間は透き通った桜色に見えるのに、夜は何故か白に見える。 それはまるで何かの喪に服しているとすら思えてしまう。 昼間の桜色は初々しい少女のようなのに、夜桜は艶やかな娼婦のように見える。 麗しき二面性。 夜と昼の顔が違うからこらこそ。惹かれてしまうのかもしれない。 桜がいよいよ盛りになり、子猫のくしゃみで散ってしまうのではないかと思うぐらいに、儚くも盛りの美しさを見せている。 花は桜を見上げながら、心地好い気持ちになった。 やはり、丞相が居を構えるだけあり、庭は、広い公園ではないかと思うぐらいに、美しくて、広い。 こんなにも立派な庭だったら、入場料を取っても構わないのではないかと思うぐらいだ。 しかも、桜も素晴らしい。 他の季節に負けないほどの麗しい。 花が桜を見つめながら季節を謳歌しようとしていた。 「花、何をしているの?」 優しく甘い声に振り返ると、そこには孟徳が笑顔で立っていた。 「孟徳さん。桜を見ていたんです。綺麗だなあって。孟徳さんは?」 「俺は、美味しいお菓子が手に入ったから、一緒に食べようと思って」 孟徳の手には、美味しそうなお菓子があり、花もつい笑顔になってしまう。 「美味しそうですね。桜を眺めながら食べたら最高かも」 「そうだね、確かに」 孟徳は周りの景色を見た後で、納得とばかりに頷いた。 「花、桜を見ていたの?」 「はい。この庭にある桜は本当に綺麗だなって思って。いつまで見ていても飽きないです」 「そうだね。確かに綺麗だね。だけど俺は君を見ているほうが飽きないけれど」 ニコニコと締まりない笑みを浮かべる孟徳を可愛いと思いながら、花はにんまりと笑った。 「ねえ、孟徳さん、お時間があるならば、ここでお茶とお菓子で、お花見をしませんか? 楽しそうだと思うんですけれど」 「そうだね。おやつを食べて休憩するぐらいの時間はあるから大丈夫だよ」 孟徳がいつもかなり忙しくて、なかなかふたりでのんびりとすることが出来ないから、たとえ隙間時間でも嬉しかった。 「お茶を用意させるよ。後、軽く肉まんでもつまめるようにしておこうか。君もそのほうが良いだろう」 「はい」 孟徳は、花の近くにいる女官を呼んで直ぐに指示をした。 ふたりでのんびりと桜を眺めながら、腰を下ろす。 なんてのんびりとした温かな時間なのだろうか。 「花、熱心に桜の花を見つめているけれど、桜は好きなの?」 「桜は大好きですよ。薄紅色の可愛い花びらに、春の柔らかな光がまっすぐ入って綺麗でしょう?」 「確かに」 「見ていると可愛くて、何だか私まで幸せな気持ちになるんです。孟徳さんは?」 「俺は……、余り好きではないかな……。今までは……」 「え?」 庭に桜の花を植えている主にしては、意外過ぎる答で、花は驚いてしまった。 「どうしてですか?」 花が不思議な気持ちで訊くと、孟徳は少し困ったような顔をした。 「…そうだね…、桜の薄紅色は、人間の血を吸い上げて染め上げられているように思えるからかもしれないな……」 「……人間の血……」 確かに、そのようにも見えなくもない。 「その話、私も聞いたことがあります……。桜の花の下には死体が埋まっているって」 「埋まってないよ、ここには! 俺がそんな卑劣な丞相だと思った!?」 孟徳は驚いたとばかりに言うと、少し焦っていた。 「そういう本を、元の世界で読んだことがあったんですよ。勿論、あの桜の下に死体があるなんて思ってはいませんよ」 花も誤解を解くために焦って言うと、孟徳は苦笑いをした。 「それもあるんだけれど、やっぱり、一気に咲いて一気に散ってしまう潔さが、俺には気に食わない。何だか、滅びる為だけの美学のように思えてね」 「確かに……」 「滅びる為に心血を注ぐなんて、俺には理解が出来ない」 孟徳はそう言うと、桜をじっと見つめる。 だが、ふいに優しい顔になる。 「だけど、今日からは印象の良い花になるかな……。君と一緒に見た想い出がそうしてくれると、俺は思っているよ」 孟徳は桜を優しい気持ちで見つめている。 忌々しい花から、愛でる花へと考えてくれているなだろうか。 ふたりで寄り添って桜を見つめていると、女官が温かなお茶と肉まんを持ってきてくれた。 「さて、桜を見ながら、食べようか」 「そうですね」 小さなお花見が始まる。 違う世界に根を下ろして、こうしてお花見が出来るなんて、とても幸せだと思う。 「私のいた世界では、こうして春には桜の花を見ながら、皆でご飯を食べたり、おやつを食べたりする習慣があるんですよ。今日は、孟徳さんとこうした時間が過ごせるのがとても嬉しいです」 花はホカホカの肉まんを食べながら、つい笑顔になる。 「そうなんだ。俺もこうして、花の世界の行事をここで体験することが出来るのが嬉しい。俺は、花のことも、花の世界のこともまだまだ知らないことがいっぱいだから、こうやって知りたいと思っているからね」 「はい。こうやって色々な行事を、孟徳さんと過ごして行きたいです」 「俺もだよ。花と一緒に、そんな時間も大切にしたいって思っているからね」 「有り難う……」 孟徳とこうして丁寧に時間を重ねて行けたら良いと、花は思わずにはいられない。 それはなんて素晴らしいことなのだろうか。 「こうして来年の桜の時期も、孟徳さんと一緒に桜の花が見たいです」 「来年は小さいのが増えているけれどね」 「そうですね」 花は幸せな気分でくすりと笑った後、自分のお腹にそっと手を宛てる。 まだまだ小さいけれども、温かな命の息吹は確実に感じられる。 それが嬉しい。 「花、そのお菓子も食べてみてよ」 「はい」 孟徳に勧められて、花はお菓子に手を伸ばす。 一口食べると、ふんわりと甘い美味しさが広がって、花はついにんまりと笑ってしまう。 「本当に美味しいですね」 「そう! 良かったよ。君に美味しいって言って貰えるのが一番嬉しいんだ」 「本当に美味しいですよ」 花はのんびりとした気持ちで、桜を眺めて、そして甘いお菓子と美味しいお茶を飲む。 「本当に幸せです」 花がしみじみ言うと、孟徳はそっと手を握り締めてくる。 「うん、俺も幸せ。これからは、毎年、こうやって花を見よう。春の楽しみがまた増えたよ」 「それは嬉しいです」 花が言うと、孟徳はいきなり抱き締めてきた。 フッと甘い笑みを浮かべると、孟徳は花に唇を重ねてきた。 甘い甘いキスにくらくらしてしまう。 孟徳の髪にも花の髪にも桜の花びらが絡む。 キスの後、孟徳は花の頭を優しく撫でてくれる。 「花、まるで桜のお姫様みたいだ。髪に花びらがいっぱい着いているよ」 「孟徳さんだって。まるで桜の王みたいですよ」 お互いに見惚れながらくすりと笑うと、再び唇を重ねてゆく。 甘い桜の季節の甘いキス。 ふたりにとっては、桜は甘い想い出が滲んだ素敵な花になる。 来年が待ち遠しくて仕方がなかった。
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