*桜日和*


 鈍い青色でありながらも、春の空は清々しい。

 昨日までは重い足取りだったひとたちが、はにかみながらも颯爽と歩き出す季節。

 春はそんな時期だ。

 春を象徴する、桜の花が咲き誇っている。

 鈍色の光を通して輝く花は、切ないぐらいに美しい。

 一瞬で咲いて、一気に散るからか、桜の花を見つめているだけで、胸がきゅんと締め付けられる。

 まるで初恋のようだ。

 昼間は透き通った桜色に見えるのに、夜は何故か白に見える。

 それはまるで何かの喪に服しているとすら思えてしまう。

 昼間の桜色は初々しい少女のようなのに、夜桜は艶やかな娼婦のように見える。

 麗しき二面性。

 夜と昼の顔が違うからこらこそ。惹かれてしまうのかもしれない。

 

 桜がいよいよ盛りになり、子猫のくしゃみで散ってしまうのではないかと思うぐらいに、儚くも盛りの美しさを見せている。

 月子は一樹と約束をして、花見をすることになった。

 一樹とふたりでわいわい仲良く花見をするのも嬉しい。

 屋台を覗くのもとても楽しみだ。

 花見で有名な公園の前で待つ。

 月子が頬を紅潮させて待っていると、見しらぬ男が声を掛けて来た。

「君、一人かな?」

「いいえ。一人ではないです。待ち合わせをしています」

 月子はなるべくさらりと言うようにする。

「そんなにつれなく…」

 男が月子に迫ろうとしたところで、いきなり背後から抱きすくめられる。

「待ったか?」

「会長!」

 一樹は月子を強く抱き締めると、男に威嚇をする。

「こいつは俺のだ。あっちに行け」

 一樹がカリスマ的な威嚇をすると、男はすごすごと行ってしまった。

「月子、もっと警戒しておけよ。無防備過ぎるんだ、お前は」

「普通です」

「いいや、無防備過ぎる」

 一樹はキッパリと言うと、月子を更に抱き締めて来た。

 かなり密着してきて、ドキドキしてしまう。

「ひとが見ていますよ」

「良いんだ。お前が俺の物だってことを、きちんと見せつけておかないとな」

 一樹は平然と言うと、全く恥ずかしくないように更に抱き締めてきた。

「……会長……恥ずかしいから……」

「恥ずかしいって。お前は本当に可愛いな」

 一樹はからかうように言うと、月子から抱擁を解いた。

 だが、いざ抱擁を解かれてしまうと、名残惜しくて寂しい気分になってしまう。

「どうした? 離して欲しくなかったか?」

 からかうように一樹が言うものだから、月子はわざと澄まして顔を背けるわ

 離して欲しくもあり、離して欲しくなかったなんて、複雑な気持ちを、上手く一樹に話すことは出来なかった。

「ったく、拗ねるような顔をするな。とーちゃんは哀しいぞ!」

 クシャクシャと髪を撫でる一樹の手が大きくて、ほんのりと胸がドキドキした。

「屋台で色々と物色するか。今日のテーマはお持ち帰りだ」

「お持ち帰り?」

「ああ。ここで食い物を買い集めてから、とっておきの花見会場に行くぞ」

 いつものお花見の場所よりもとっておきの場所とは、一体、何処なのだろうか。

 月子は楽しみでしょうがなかった。

 一樹としっかりと手を握り締めて、屋台の列を冷やかしに行く。

「月子、何が食いたい?」

「たこ焼きに、あ、焼き鳥も美味しそう! 焼きそばに、後は綿飴!」

 一樹は頷くと、月子が言った店で次々と買い物をする。

「イカ焼きも良いだろう? 後はトウモロコシ」

「じゃあ、私はベビーカステラ」

 ふたりで好みの食べ物を買った後、手を繋いで、桜が見事な宴会会場を出て行く。

「会長が連れていってくれる花見会場が楽しみです!」

「ああ。桜も大切だが、お前は、星も大切だろう?」

「勿論ですよ、それは」

 星と桜のどちらも楽しめるなんて、なんて嬉しいのだろうかと、思わずにはいられなかった。

 暫く、手を繋いで歩く。

 こうしていると同棲中のカップルのようでほんのりと嬉しさが込み上げて来た。

「こっちだ」

「はい」

 一樹が入ったのは、小さなマンションだった。

「ここは?」

「俺が一週間前に引越してきたマンション。新しいねぐらだ」

 まさか一樹が引越しをしていたなんて、月子は全く知らなかった。

「引越すんだったら、教えて下さったら良かったのに! ちゃんと、手伝いに行きましたよ!」

 一樹が黙っていたことが、月子は気に入らなかった。

「すまんな。お前を驚かせたかったと思ってな」

 一樹はまるでイタズラっ子のような笑顔になる。それが月子にとっては新鮮で可愛いと思った。

 この表情を見せられると、許すしかないではないか。

「しょうがありません。許してあげますよ」

 わざと拗ねるように言うと、一樹は背後から月子を抱き締めてくる。その甘さに思わず吐息を漏らしてしまう。

「……有り難うな。今度、引越しをする時はちゃんとお前に言うから」

「お願いします」

「ああ。今度はお前にはきっちりと伝えるつもりだ。というよりはきっちりと伝えなければならないからな。お前と一緒に引越すことになるんだから」

 意味深に笑われて、月子はドキリとしてしまう。

 それはもしかして…。

 顔を真っ赤にしながら甘い期待を込めて、潤んだ瞳で一樹を見つめると、返事の代わりに、意味深な笑みを向けてくれただけだった。

 一樹は新しい城に案内をしてくれた。

「おじゃまします」

 新しい一樹の根城に入るのは、かなり緊張してしまう。

 半分挙動不審になりながら、月子は部屋に入った。

 一樹はベランダに面した部屋にある小さなテーブルの上に、屋台の戦利品を置いてくれ、冷蔵庫からは冷えたビールを取り出してくれる。

「月子、お前はアルコールに弱いから一本だけな」

「はい」

 ビールは少しなら美味しいと思うけれども、それ以上はない飲み物だと思う。

「ここから見る桜は最高なんだぜ。引越してきて直ぐに桜並木を見つけて、今年の花見はうちでやるのが一番だと思った」

 言いながら、一樹はベランダの窓を全開してくれた。

「凄く綺麗です!!」

 窓の外は、花見で賑わっている公園の桜を遠くに臨みながら、近くにも可憐な桜並木が見える。

 窓さえ開けていれば、見事な花見を楽しむことが出来た。

「確かにここは特等席ですね」

「だろ? 俺は最高の特等席を手に入れたって思ったぜ」

「確かに」

 月子はこれならばと思わず頷かずにはいられなかった。

「じゃあ、ビールで乾杯するか」

「はい」

 ふたりは缶ビールを重ねて、乾杯をする。

 ビールをちびちびと飲みながら、屋台で買った食べ物を食べながら、しかも家だから安全でリラックス出来る。

 確かに最高の場所だと思った。

 空を見上げると見事な満月、そして最高の桜と、最高の恋人。

 こんなにもロマンティックな花見は他にはないのではないと思う。

 誰にも遠慮しなくて良いのも良い。

「月子、もう少しこっちに来いよ……」

 一樹に力強く引き寄せられて、心臓が派手にダンスをする。

 そのまま重ねた唇は、ほんのりとアルコールの味がするのと同時に、ロマンティックな春の味がした。

 唇を離した後、月子は潤んだ瞳を一樹に向ける。

「月子、このまま帰したくはなくなったな」

 一樹は甘く艶があり、何処か有無を言わせないような力強い声で呟くと、月子を思い切り抱き締める。

 唇を何度も重ねて、ふたりは夜の桜よりもロマンティックな世界へと向かう。

 桜と月が、ふたりの甘い美しさに恥じらうように、優しい春の夜は厳かに更けていった。





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