*卒業前*


 いよいよ今日、卒業する。

 青春がいっぱい詰まった星月学園を卒業するのは、何だか甘酸っぱくて、切ない気持ちになる。

 生涯で一番愛しているひとと出会ったのも、この場所だった。

 愛を知った場所。

 そしてかけがえのない愛を得られた場所でもある。

 月子は、ここでの時間を絶対に忘れないと思う。

 目の前には、大好きなひとがいる。

 理事長挨拶ということで、琥太郎は壇上に上がる。

 世界で一番好きなひと。

 月子が真直ぐに琥太郎を見つめると、大好きなひとと目が合った。

 温かなまなざしを月子だけに向けている。

 月子の卒業式。

 それはふたりの恋が禁断ではなくなるということ。

 新しいスタートだ。

 堂々と付き合えるのは嬉しい。

 だが同時に、それは、愛するひととは今までのようにほぼ毎日逢えないということなのだ。

 切ない。

 ほんのりと苦しい。

 琥太郎と付き合い始めて、1年と少し。

 卒業を待っていたのは確かだが、いざ卒業となると、やはり寂しい。

 月子はほんのりと切ない気持ちになった。

「卒業おめでとう」

 琥太郎の呼び掛けに、月子は感きわまって涙ぐんでしまう。

 月子が泣いていると、琥太郎は泣くなと視線を贈ってくる。

 それが月子の涙を誘う。

 きっと泣き虫だと思っているだろう。

 泣き虫はお互い様なのに。

 月子はほんのりと笑った。

 琥太郎の挨拶が終わり、月子はその姿を追う。

 とても若い理事長。

 生徒の両親は、そこが引っ掛かると思っているかもしれない。

 だが、実際に琥太郎を見て、その存在感にきっと納得するだろう。

 職員席に腰掛ける琥太郎と目が合う。

 するとまた瞳が笑っている。

 月子はその瞳に応えるように、泣き笑いの表情を浮かべた。

 

 卒業式が終わり、クラスメイトや担任の陽日と別れを惜しむ。

 そして教育実習生であった郁も来てくれて、月子たちの門出を祝ってくれた。

「水嶋先生、色々と有り難うございました」

 月子は、プライベートでも応援してくれた郁に、深々と頭を下げる。

 郁や陽日がいなかったら、琥太郎とはここまで順調に愛を育むことは出来なかっただろう。

 月子はそう思わずにはいられなかった。

「水嶋先生は春から正式に星月学園な先生になるんですね。授業を受け持って頂きたかったです」

 月子は水嶋が教育実習生の頃に受けた授業がとても解りやすくて、忘れられないでいる。本当に楽しかったのだ。だからほんの少しだけ、残念だ。

「月子ちゃんとは、これからも色々と接点があるだろうからね。授業は正式に受け持つことはなかったけれど、これで別れというわけではなないだろうからね」

「そうですね」

 月子が笑顔で頷くと、郁もまた笑みになる。フッと甘い笑みを瞳に宿して、目を細くした。

「本当に学園のお姫様は琥太にぃにはもったいないな…」

「…え?」

 ほんの一瞬、郁の指先が月子の頬に伸びる。

 その瞬間、郁は指を引っ込めてしまった。

「どうしたのですか?」

「琥太にぃ、生徒にあんなに囲まれているのに、視線はずっとこっちに向けているんだよ。睨まれた。さっきからずっと月子ちゃんばかりを見ているよね」

 郁は参ったとばかりに微笑んでいる。

 月子は耳まで真っ赤にさせて、ついニヤけてしまった。

「お姫様も満更ではなさそうだね」

「やっぱり嬉しいなあって…」

 月子が素直な気持ちを言うと、郁は苦笑いをした。

「やっぱりね。君らしいよ。しかし琥太にぃもいつも月子ちゃんを独り占めにしているというのにね」

 呆れるように、だが何処か愛情たっぷりに郁は呟くと、月子を見た。

「君ならば琥太にぃを幸せにしてくれるね」

「水嶋先生…」

 月子は嬉しくて、つい涙ぐんでしまう。するとどこから聞きつけたのか、琥春がやってきた。

「お花ちゃん! 卒業おめでとう!」

「琥春さん、有り難うございます!」

 琥春は本当に嬉しそうに目を細めてくれる。本当の妹のように気遣ってくれた、前理事長で琥太郎のお姉さん。

 祝福して貰えて、本当に嬉しい。

 月子はつい笑顔になった。

「お花ちゃん、よく頑張りました。これで琥太郎とは“秘密”ではなくなるわね…」

 陰ながらふたりの恋を応援してくれていた琥春に言われると、月子は今までのことを思い出して、つい涙ぐんでしまう。

「これでお花ちゃんが私の妹になるのが近付いたということね」

 琥春に嬉しそうに言われて、月子は真っ赤になってしまう。

「本当は琥太郎のお嫁さんよりも、私のお嫁さんにしたかったんだけれどねー」

 琥春はちらりと琥太郎を見る。琥太郎を見ると、相変わらず生徒たちに囲まれている。

 理事長で保健医だからしょうがないのではあるが。

「さっきからね、生徒の相手をしているのに、琥太郎は心ここに在らずという感じなのよ。お花ちゃんばかり見ているわよ。大人振っても、人一倍、お花ちゃんへの独占欲は強いんだから」

 琥春は呆れ返るように、それでいて愛情が滲んだ声とまなざしで琥太郎を見守っている。

「お花ちゃんにこーんなことをしたら、きっと琥太郎は怒って飛んで来るでしょうけれど」

 琥春はからかうように言うと、いきなり月子を抱き締めてきた。

「…琥春さんっ…」

 月子が真っ赤になっていると、大好きなひとがこちらに足早にやってくるのが見える。

 秘密の恋人。

 だけどそれは今日まで。

 明日からは堂々と付き合うことが出来る。

「姉さん、夜久が困っているだろう?」

 琥太郎は呆れるように言うと、姉を軽く窘める。

「いいじゃない。お花ちゃんはいずれうちの娘になるんだから」

 琥春の言葉に、月子はつい耳たぶまで真っ赤にさせる。

 琥春はゆっくりと月子から離れると、琥太郎を見た。

「琥太郎、お花ちゃんをなかなか独り占めに出来ないからってイライラしていたでしょ?」

 からかうように言われて、琥太郎は少し機嫌を悪くする。

「皆、なかなか夜久を離してはくれなかったからな」

「まあ! 琥太郎が素直に認めるなんて!」

 琥春は笑顔になりながら、弟を見つめている。その瞳の奥には安堵と優しさが秘められていた。

 琥太郎は真直ぐ月子を見つめてくれる。

「夜久、卒業おめでとう」

 しみじみと深みのある声で、月子の大切なひとはお祝いをしてくれる。

 それが泣きたいぐらいに嬉しかった。

 涙が瞳に滲んで、上手く話せない。

 これが別れではない。それどころか、恋人としてはこれが新しいスタートだというのに。

 これからは何の足枷もなく堂々と付き合えるのだから。

「有り難うございます。星月先生。大変お世話になりました」

 月子は泣きながら、琥太郎に深々と頭を下げた。こんなにも幸せなことなんて本当にないのだから。

 顔を上げると、琥太郎が困ったように月子を見つめていた。

「…泣くな…」

「だって…」

 泣き笑いを浮かべていると、琥太郎は月子に手を差し延べる。

「握手だ」

「はい」

 綺麗で、だけど力強い手をしっかりと握り締めて握手をした。

 胸が切なくきゅんと鳴り響く。

 だが、これは必要なこと。

 手を離した瞬間、月子は本当に卒業なのだと思った。

「夜久、落ち着いたら保健室に来い」

「はい」

 琥太郎はいつものようにたらたらと保健室に向かう。

 生徒としてこの背中を見るのが最後だと思うと、寂しくなった。

 

 挨拶を終えた後、月子はそっと保健室に向かう。

「失礼します」

 月子が保健室に入ると、琥太郎は白衣姿だった。

「来たか、夜久…」

 琥太郎はフッと優しくも寂しい笑みを浮かべると、月子に手を差し延べる。

「おいで…」

 甘い恋人の仕草に、月子は微笑みながら、琥太郎の手を取った。

 すると躰を引き寄せられて、頭にすっぽりと白衣を被せられる。

 秘密の恋。

 年上で、理事長で、保険医の恋人は情熱的で、よく保健室でキスをした。

 琥太郎は月子と同じ目線になると、唇を重ねてくる。

 何度も触れるようなキスをした後、琥太郎は深いキスをしてくる。

 唇を深く吸い上げて、琥太郎は舌を絡めてくる。

 口腔内を舌先で愛撫されて、上顎をくすぐるように愛でられる。

 背筋がゾクゾクするぐらいにキスをされて、月子はこのままいられなくなる。

 抱き寄せられて、月子はこのまま蕩けてしまいそうになった。

 大人のキス。

 キスがこんなにも気持ちが良いなんて思ってもみなかった。

 ようやく唇を離されて、月子はぼんやりと琥太郎を見つめる。

「…卒業おめでとう。キスはまだまだ初々しいな…。俺が大人のキスを教えてやるよ…」

「…星月先生のバカ…」

「もう星月先生じゃないぞ。琥太郎と呼んでくれ…。月子、お前には名前で呼ばれたい」

 琥太郎の甘い言葉に月子は耳まで真っ赤になりながら俯く。

 緊張して、ドキドキして、どうしようもなかった。

「…琥太郎…さん…」

「まだまだだな、これから練習をしていこう…」

「はい…」

 月子は甘えるように琥太郎に抱き締められる。

 今日は卒業式。

 そして大人の愛への入学式。






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