本屋に行くと、産まれてくる子どもに読ませたい本はどれかと、つい月子は考えてしまう。 大事な、大事な愛するひととの赤ちゃん。 お腹の中に素晴らしい命が宿っているなんて、こんなにも素敵なことはないと、月子は思っている。 月子が小さな頃に読んだ絵本はまだまだ健在で、つい懐かしくて目を細めながら見てしまう。 「月子、待たせた」 本屋で必要な書籍を買い終えた琥太郎が、こちらに戻ってきた。 「どうした?」 琥太郎はさり気なく月子の手を取ると、瞳を真直ぐ見つめた。 「懐かしい絵本が沢山あって、つい見てしまったんです。お腹の赤ちゃんに読み聞かせをしたいなあって」 月子は、すっかり突出たお腹を優しく撫でながら、優しいトーンで呟いた。 「俺とお前の子どもだから、かなり星が好きなんだろうな」 「そうですよ。私たちは星がご縁で結ばれたんですから」 「そうだったな」 琥太郎は柔らかな笑みを浮かべると、まるで月子との絆を確かめるかのように、握り締めていた手に力を入れた。 「絵本は買わなくても良いのか?」 「確か持っていたと思いますから、その本をあげても良いかなあって思っていますから」 「そうか。お母さんが使っていたものなら、きっと喜ぶだろうな」 「そうだったら、とっても嬉しいです。私が使っていたものをわが子に伝えられたらって思っていますから」 「そうだな」 琥太郎の瞳に宿る優しい光に、月子はつい温かな気持ちになる。 愛するひと。 きっとこれ以上愛するひとは現われないと思うぐらいに愛しいひと。 そのひととの愛の種がこうして今、花を咲かそうとしている。 なんて素敵なことなのだろうか。 月子は躰の奥深くから込み上げてくる幸せに、思わずにんまりと微笑んだ。 家に戻ると、月子は早速、絵本を探した。 子どもの頃からの宝物だからと、いつか子どもに読み聞かせをしてあげたいと、実家から持ってきたのだ。 同棲をする時に、もう実家には戻らないという確信が強くあったから、大切な物は総て持ってきたのだ。 月子がクローゼットの中で探し物をしていると、琥太郎が声を掛けてきた。 「何を探している?」 「あの絵本が確かあったと思って」 「赤ん坊が産まれてくるのは、まだ少し先だぞ?」 「もうすぐですよ。一月ぐらいなんですから」 「一月もあるじゃないか」 「一月しかないんですよ」 月子と琥太郎は、お互いに顔を見合わせて笑う。 どちらにも取れるから。 「俺は早く子どもに逢いたくてしょうがないから、一月は長く感じるな」 「解りますよ。私もこの子には早く逢いたいと思っています。だけど、準備のことや、後、この一月の間に、更なる母親としての覚悟が得られるのかなあって、そんなことを思うと、短いなあって思ってしまいます。少しばかり焦っている気持ちもあるのかもしれないですけれど……」 月子は自分の複雑な想いを伝えるように、苦笑いを琥太郎に向けた。 「……そうだな。俺も父親になる覚悟が必要だと思っているからな……」 「はい。私たちはお互いに親になる覚悟と責任を自覚している……っていうことに、しておきましょうか……」 「そうだな」 お互いに、優しいほっこりとした気持ちになる。ほんわかとした温かな気持ちは、幸せの象徴のように思えた。 「ちょっと探してみますね」 「ああ」 小さな頃、いつも持ち歩いていた大切な本。 あの絵本があったから、星を見つける楽しさを知ったのだ。 幼馴染みたちも、皆、星に関する仕事に就いたが、原点はあの絵本にあるのかもしれない。 月子が一生懸命絵本を探しているのを、琥太郎は見守ってくれている。 だから見つかるような気がした。 「俺の場合は、絵本を探したら、きっと見つかるのに物凄く時間がかかってしまうだろうな。お前の助けを借りないとムリだろうな」 琥太郎は半ば開き直るように、喉をくつくつと鳴らして笑った。 「笑い事じゃないですよ」 「ああ。だけど、そうだろうなって。俺はお前がいないと出来ないことが多いからな」 琥太郎は半ば冗談で、半ば本気で言う。月子はほんのりと拗ねながら、本当にそうだから、つい笑ってしまった。 いや、本当はそうじゃないことぐらい、月子は解っている。 だけどそうだと思いたい。 「あっ! あった!」 月子は、経年で随分と表紙の黄色がくすんで焼けてしまった絵本を取り出した。 『星座を見つけよう』 今から、半世紀以上前に描かれた絵本なのに、少しも古さを感じさせないものだ。 「これは俺も持っていたぞ。懐かしいな……」 琥太郎も、優しくなった過去を思い出すように、目を細めた。 懐かしい子ども時代のことを思い出すと、甘くて優しい気持ちになる。 「読んでみましょうよ」 表紙を開けると、母親の字で”やひさつきこ“と書かれていて、その横には、更に汚い子どもの幼い字で“やひさつきこ”と書かれている。 「駄目押しに名前が書いてあるな」 からかうように言われて、月子はつい真っ赤になる。 「それだけ大事な絵本だったんですよ!」 「そういうことにしておくか」 琥太郎が余りにニヤニヤと笑うものだから、月子は恥ずかしくてしょうがなかった。 絵本の隙間には、“すずや、つきこ、かなた、ひつじくん”と書かれた、丸と棒に髪の毛がついた子どもらしい絵が描かれている。それは、皆で、天体観測をしている様子だった。 「懐かしいな……。皆で揃って、星を見たかったんだよね……。あ、クイズコーナーにはいっぱい答えた跡が! やっぱり新しいのを買ったほうが、子どもには良いかなあ……。ね、琥太郎さん?」 月子が声を掛けて、琥太郎の顔を見ると、複雑な表情をしていた。 何だか面白くないような、そんな顔をしている。 どうしてなのだろうか。 何だか寂しい気持ちになる。 「琥太郎さん……?」 「あ、ああ。何だ?」 琥太郎は何故か焦っているように言葉を澱ませる。 月子は小首を傾げながら、琥太郎を真直ぐ見つめる。 「私ばっかり話していましたね。琥太郎さんはこの本には思い出がある?」 「いや……。お前の幼馴染みが、俺の知らないお前を知っているかと思うと、それが少し気になっただけで……」 琥太郎は目の縁を真っ赤にさせて照れ臭そうにしている。その顔が可愛くて、月子は微笑むのと同時に、嬉しくなった。 「琥太郎さんしか知らないことがいっぱいありますよ。琥太郎さん以上に私のことを解っているひとはいないですから」 自分で話していて、優しい気持ちになるのと同時に、とても恥ずかしい気持ちになる。 本当のことだけれどもほんのりと甘くて照れ臭い。 「そうだな……」 琥太郎はフッと笑うと、月子をふんわりと抱き締めた。 「琥太郎さんの思い出は?」 「俺もよくこの絵本を片手に星を見たな。後は郁たちによく読んでやった」 その一言に、月子は複雑な気持ちになった。 まさにこの気持ちが、琥太郎が抱いていたものなのだろう。 もやもやとした気持ち。 自分の知らない琥太郎の世界のように思えて、ほんのりと嫉妬してしまう。 「どうした?」 「私も琥太郎さんと同じ気持ちになったから、お互い様かなって」 「そうだな」 ふたりは顔を見合わせると、お互いにフフッと微笑み合う。 同じ気持ちを抱く。 こんなにも幸せなことは他にないのだろうと、月子は思った。
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