保健室の放課後は、月子にとっては貴重な空間と時間が過ごせる唯一の場所だ。 大好きなひととのふたりきりの時間。 保健医理事長との秘密の恋。 だから、デートだってままならないし、たまにしか出来ない。 それでも『保健室』に来れば、ふたりだけの時間を過ごすことが出来るのだ。 昼休みも。 生徒会と部活がない放課後も。 デートが出来ないといいながらも、普通の恋人同士よりもずっと一緒にいる時間が長いのではないかと思う。 時間が許せば、ふたりで天体観測だって出来る。 だから幸せだ。 きっと、『保健医理事長と生徒』という枷が外れた時のほうが逢えなくなるだろう。 大好きなひとは、星月学園の理事長と保健医を兼ねているとても忙しいひとなのだから。 月子は放課後に保健室へと向かう。 今日は、部活も生徒会もない穏やかな一日。 比較的ゆっくりと琥太郎と過ごすことが出来る。 そう思うだけで、保健室までの足取りが飛んでしまえるかとおもうぐらいに軽かった。 月子がいくら時間があったとしても、逆に琥太郎が忙しければ、一緒に過ごすことは難しい。 そのあたりのバランスが難しいこともある。 月子は、どうか琥太郎が忙しくありませんようにと願いながら、保健室のドアをノックした。 「星月先生、夜久です」 「ああ、お前か。入りなさい」 琥太郎の飄々とした声が聞こえて、月子はそっと保健室に入る。 「失礼します」 保健室の中を見て、月子は思わず苦笑いを浮かべる。 ついこの間、片付けたばかりだというのに、すっかり保健室は汚れてしまっている。 特に机の汚染度は甚だしい。 琥太郎はと言えば、また書類を探してガサガサとしているようだった。 「星月先生、また、書類が見つからないんですか?」 月子が、わざと厳しい声で呆れているように言うと、琥太郎は溜め息を吐きながら、バツの悪そうな表情を浮かべた。 「……大事な書類が見つからなくてな……」 琥太郎は一生懸命私物が積み上げられた山から、書類を探している。 「そんなところを探しても見つからないですよ。大事なものだったら、きちんと解る場所に整理をして置いておかないとダメですよ」 月子はまるで琥太郎の母親にでもなった気分で、つい小言を言ってしまう。 本当は小言なんて、余り言いたくはないのだが、今の琥太郎を見ていると、つい言ってしまう。 「俺は俺のルールで、これでもちゃんと整理をしているつもりなんだ。だから必ず見つかる」 月子のお小言にムッとしたようで、琥太郎は意地になって探している。 ずっと年上なのに、その姿を見ていると、つい可愛いと思ってしまう。 月子は自分でもかなり重症だと思わずにはいられなかった。 「お、あったぞ!」 琥太郎は、ぐちゃぐちゃになった私物の山から、誇らしげに書類を出してくる。 得意げな顔に、月子は困ったような笑みを浮かべることしか出来なかった。 「星月先生。そこの作業テーブルでお仕事をしておいて下さい。その間、星月先生の机の上を片付けておきますから。今度こそちゃんと現状維持をして下さいね」 「はい、はい」 いくら厳しく言ったとしても、琥太郎には全く効かないだろう。 これぞ馬の耳に念仏というやつだ。 月子はいつものように机を片付けて、整理整頓をしてゆく。 本当に琥太郎の机は何度片付けただろうか。 数えきられないぐらいに片付けて、数えきられないぐらいに汚された。 これはもう楽しい『いたちごっこ』になっている。 「星月先生、私がいなくなったらどうするんですか?」 笑いながら月子が言うと、一瞬、琥太郎が凍り付く。 月子はそんな琥太郎が愛しくて堪らなくなり、フッと甘い笑顔を浮かべた。 「星月先生、私はもうすぐ卒業ですよ? こうして定期的に片付けてあげられなくなります」 月子が柔らかく言うと、琥太郎は少しだけ寂しそうな笑みを浮かべた。 「お前が卒業すれば、お前が生徒で、俺が理事長だという足枷がなくなる……。それは俺たちにとっては良いことだが、同時に、お前が卒業して保健係ではなくなるということなんだよな……」 「そうですよ。だから、ちゃんと保健室の掃除だけはしておいて下さいね。いつでもチェックして片付けにいってあげられないですから」 月子が目を細めて笑うと、琥太郎も同じように笑ってくれた。 月子は机の上を綺麗に片付け終える。 片付け終わった机を見ると、つい満足の笑みを浮かべた。 卒業式までにボックスとファイルを作って、琥太郎が綺麗に片付けられるようにしておこうと思う。 無理かもしれないが。 「星月先生、綺麗に片付きましたよ。卒業までに、先生がちゃんと片付けが出来るようになるために、整理用のファイルとボックスを準備しておきますね」 「有り難う。だが、無駄だと思うけれどな」 琥太郎は我ながらそう思ってしまうらしく、苦笑いを浮かべている。 「だけどそれではダメですよ。星月先生」 「はい、はい」 琥太郎は全く整理する気はなさそうに答える。 「しょうがないですね、星月先生は」 「ああ。俺はしょうがない男なんだ。そのしょうがない男を好きなのは誰だ?」 いきなり鋭いところを訊かれて、月子は真っ赤になった。 「……わ、私ですけれど……」 「だろう? 定期的にここに遊びに来い。そうして、俺の机を片付けてくれたら助かる」 「そうやって、また人任せにする。知りませんから」 プイッと横を向いて知らん顔をすると、琥太郎はくつくつと喉を鳴らして笑った。 「お前には感謝しているよ。本当に」 琥太郎は笑うと、月子の手をギュッと握り締めて、真っ直ぐ見つめてくれた。 「……月子、お前が卒業するのをあんなに待ち遠しいと思っていたのに、いざ卒業するとなると寂しいものだな。やはり、毎日、お前に逢えないと思うと、寂しいと感じるな」 「……星月先生……」 月子もずっと待っていた。 卒業して、琥太郎と堂々と付き合える日が来ることを。 だが、いざ卒業するとなると、やはり寂しくてしょうがなかった。 毎日逢えなくなる。 禁忌な関係だからと、くれぐれも気をつけるようにと釘を刺されながらも、ずっと恋を温めてきた。 ようやく堂々と付き合うことが出来るのだ。 なのに寂しくてしょうがない。 「……何だか、卒業するのが寂しくなってきました……」 寂しくて泣きそうになりながら、月子は潤んだ瞳を琥太郎に向けた。 「月子、堂々と手を繋いで何処でも行けるようになるんだぞ」 琥太郎はフッと笑った後、月子を優しく抱き締めてくれた。 「月子……」 琥太郎は月子の名前を甘く呼ぶと、しっかりと唇を重ねてきた。 深みのあるキスに、月子はつい琥太郎の首に手を回して、抱き締めた。 こうしてキスをすると、なんて幸せなのだろか。 月子は幸せがほわほわと全身を回ってくるのを感じながら、琥太郎と何度もキスをした。 唇をお互いに離した後で、ふたりは潤んだ瞳で見つめ合う。 「離れていても大丈夫なように電話をするから。休みの日は堂々とふたりで出かけような」 蕩ける砂糖菓子のような琥太郎の微笑みに、月子もまた笑顔になる。 「ご褒美を貰うために、ちょくちょくこちらに来て、机を片付けるようにしますね」 「ああ。ご褒美は何が良い?」 琥太郎の言葉に月子は微笑む。 「ご褒美は琥太郎さんのキスが欲しい」 その言葉に、琥太郎は頷いてくれた。
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