Walk To Remember


 未来がいたから  僕はこうして、デザイナーとして立っていられる。誰にでも人生の中で忘れられないひとがいるように、僕にもたったひとりのひとがいる。
 立花未来は永遠に忘れることが出来ない、僕の心に咲き続ける永遠の桜だ。彼女を思い出さない日はない。ほんのちょっとした日常にも、その影を想い出すことが出来る。
 彼女は、僕にデザインをする真の意味を教えてくれた。君がいなくなって、僕はデザインをすることを忘れてしまい、暫くは何も手を付けることが出来なかったけれど、そこから立ち直らせてくれたのも、やはり未来だった。
 僅か二十歳で亡くなってしまった未来との想い出を、あの頃、僕は上手く向き合うことが出来ないでいた。そして、ようやく向き合えた時に、僕はデザイナーとしても、人間としても成長することが出来た。
 ひとつずつ未来のことを想い出していくだけで、とても幸福な気分になれる。
 未来が愛していたもの。桜と英語。…そして僕  

   *

 桜が散る季節、僕は相馬医師に呼ばれて、大学病院に来ていた。相馬医師は未来の主治医で、僕が在宅看護をすることを認めてくれ、積極的に往診もこなしてくれた。
 僕の我が儘を聞いてくれたと言えば、聞こえが良いけれども、本当は、先生が、未来の望みを叶えるために協力をしたことを、僕は判っていた。
 だてに彼女を愛していた訳じゃない。いつも、未来だけを見ていた。だから、誰が彼女を熱い視線で見ていたかを、僕は充分に判っていた。先生もその中のひとりで、優しい熱い眼差しを送っていた。今も、そうかもしれない。彼女がいなくなってからも。
 大学病院に行くと、僕は診察室のひとつに通された。今は丁度休診時間で、患者さんは誰もいない。僕がそこに入って直ぐに、彼女と関わりの深い男性が続いて入ってきた。
「久しぶりだね、望月君」
「古賀さん…」
 未来に縁の人物が顔を見せた。古賀雅也  彼女の弁護士で、色々と力になっていた男性だ。経済的にも精神的にも。大人の男として精一杯の対応をしてくれた。「彼女の弁護士だから」と笑っていたけれども、きっとその涼しげな瞳の奥には、熱い熱情があったに違いない。もう僕しか知らないことだけれども。
「邪魔をするよ。私も彼女の弁護士として、やらなければならない最後の仕事があるからね」
 躰の奥から染み入るような甘いバリトンの声は、彼女が好きだった声。懐かしさと少しの嫉妬を、僕は覚えた。
 古賀さんが『あしながおじさん』だと知らずに、未来はいなくなってしまったけれど、きっと今は優しい気持ちで彼を見守っているに違いない。
「望月君、デザインの仕事はどうだい?」
 いきなり振られて、僕は曖昧に笑う。いきなりじゃなくてもそうしたかもしれない。
「少し充電です。ミラノに行くまでは頭の中を空っぽにしてゆっくりしようと思って」
「偶然だね。私も来週からアメリカに行くのだけれど、それまではゆっくりと頭の中を空っぽにしようと思ってね。私も君もここのところ走りすぎたかもしれないね」
 古賀さんは優しい眼差しをして僅かに笑う。その眼差しの向こうに誰がいるかを僕は知っている。それが僕の心の奥、一番綺麗な場所に住む彼女だって事を。
「たまには空っぽにするのもいいかもしれないですね」
「そうだね」
 僕らがしんみりと話をしていると、ドアが開き、随分とラフなスタイルをした相馬先生が入ってきた。
「こんにちは。少し遅れてしまいましたね」
 そう言いなが穏やかに笑った先生の手には、桜色の壺が抱えられている。彼はそれを愛おしそうに見つめると、僕の前のテーブルに置いた。
「すみません。退職手続きが手間取って遅れてしまって」
 相馬先生の意外すぎる一言に、僕は驚いてしまった。まさか先生がこの大学病院を辞めてしまうなんて、思わなかった。
「独立されるんですか?」
 僕は恐らくそうだろうという憶測で物を言った。だが、それは見込み違いだ。
「…一応はそうだろうけれど、僕はもう、命に関わる医療には携わるつもりはないんですよ。今度は美容整形外科医として、再出発するつもりです」
 相馬先生の意外な選択に僕は唇を噛むとのと同時に、その気持ちが判るような気がした。
「望月君も古賀さんもそんな顔をされないで下さい。僕はもう疲れたんですよ…」
 先生は寂しそうに笑うと、俯いた。
 ここにいる誰もが、相馬先生と同じ想いを共有している。彼がどうして外科医のメスを置くのか、それは誰もが判っている。
 未来を救うことが出来なかったから。それは僕も、古賀さんも、相馬先生と同じだというのに。
「望月君、今日君にここに来て貰ったのは、僕と古賀さんから話があるからだよ」
 古賀さんもゆったりと頷いて僕を見た。僕はふたりの話が何たるかを、大体は予想出来る。きっと、未来のことだ。
「ここにね、未来ちゃんがいる」
 相馬先生は優しくどこか愁いの帯びた声で言うと、桜色の壺を愛しげに撫でた。
「彼女の遺灰が中に入っているんだ」
「未来の…」
 僕が反芻すると、相馬先生は「うん」と頷く。だからあんなに大切な者のように、この灰壺を扱ったのだ。
 僕は僅かな手の震えを感じながら、そっと灰壺を撫でてみる。冷たいそれは、未来であって、未来でなかった。
「彼女から君に託して欲しいと頼まれたんだ」
 未来を救えなかった悔しさか、相馬先生は寂しそうに笑う。その笑顔には、人間が生きていく事の重さや哀しみが集約されているような気がする。僕は、先生の想いに共鳴してしまい、胸が愁いで揺れた。
「私は彼女から君宛に手紙を預かっている。この灰壺を君に託す時に、一緒に渡して欲しいとね」
 古賀さんは淡々と話すが、その言葉の響きは、蘇る日々を想い出してか、どこかノスタルジックだ。
 そっと差し出された白い封筒を、僕は慎重に受け取った。胸が烈しく鼓動を刻む。未来と出逢った頃の、ふたりにはまだ無限の時間があると信じていた頃の、あのときめきが蘇ってきた。
 望月蒼様  封筒には僕の名前が、確かに未来の字で書かれている。だけども、亡くなる直前に書かれていたせいか、苦痛で字は乱れていた。
 彼女が僕宛に手紙を書いていたなんて、僕は知らなかった。そんなことを浮かべて相馬先生と古賀さんを見つめる。
「彼女入院中、君が仮眠を取っている間に、僕と古賀さんの立ち会いの下で書いたものなんだ。一生懸命、君のために書いたものなんだよ」
 相馬先生の声は温かさと哀しみが含まれ、じっとしている古賀さんの眼差しにも同じ物が見て取れた。
「君ならこの遺灰の行方が判るはずだと言って、君に託したんだ」
 古賀さんはそう言うと静かに立ち上がった。
「私と相馬先生の仕事はこれでおしまいだ。この灰を彼女が思うような場所に葬ってあげてくれ。それが出来るのは君だけだ」
 古賀さんも相馬先生も、自分たちの彼女への想いを託すように、僕を見つめて頷く。
「  はい、そうします」
 ふたりの想いを裏切らないように、ふたりの想いに応えられるように、僕はしっかりと未来を受け取った。
 小さく小さくなってしまった未来は、僕の腕の中では随分と軽くなってしまったけれど、心は同じだけの重さがある。
「では、未来を連れて帰ります…。有り難うございました!」
 僕は未来の眠る桜色の壺を抱きしめて、ふたりに礼を言うと、診察室を後にした。
 僕にとって、最高の恋敵であった、ふたりに  

   *

 僕は未来に導かれるように、ふたりで過ごした様々な場所に向かことにする。
 先ずはアルーラ。僕と彼女が頻繁にお喋りをした場所だ。ここが手紙を読むのに、一番ぴったりな場所のような気がする。
 元気な頃、未来はアルーラでアルバイトをしていて、僕は彼女に逢いたいが故に、金もないのに通っていたっけ。
「こんにちは」
「いらっしゃい」
 ドアを開けるだけで、あの頃に戻ったような気分になる。ドアを開けると鳴る涼やかな鈴の音、そして、ダンディな藤村さんの声。
 落ち着いて家庭的な雰囲気も、一切変わらない。
「望月君、久しぶりだね? いつもの席が空いているよ。注文はカフェオレでいいかな?」
「はい。お願いします」
 僕はいつも座っていたのと同じ、窓際の光が美しく入る席に陣取る。君も同じ場所にと、僕は君がいつもいた場所に”きみ”を座らせた。
「お待たせしました」
「有り難う」
 いつもと同じカップ&ソーサーと、ミルクが多めのカフェオレ。一口飲むと、ふんわりとした優しい味が口の中に広がる。
 何も変わらない。ここにある物は全く何も変わってはいないのに、君がいない…。
 少ししんみりしてしまったところで、古賀さんから渡された未来の手紙を読むことにした。
 手紙の封を開けるだけで、緊張して指先が震える。僕は慎重に封を開けた。
 開けた瞬間、懐かしい香りがする。彼女が傍に還ってきたような、そんな気分になった。
 愛しい言葉を、僕の眼差しは追う。

 蒼さんへ。
 この手紙をあなたが読む頃は、私はこの世のものではありません。
 あなたに精一杯の有り難うを今込めて、手紙を書いています。
 最初に、変なことを頼んでごめんなさい。でもきっと、あなたなら私の望みを叶えてくれると信じています。
 どうか、私の安住の地で、この遺灰を飛ばして下さい。お願いします。
 私を最後まで見守って下さい。こんな我が儘を許して下さいますか?
 いつもあなたに頼ってばかりで、我が儘な私を、あなたは精一杯の愛情で受け止めてくれた。
 何度、有り難うと言っても、きっと言い尽くせないでしょう。
 本当に今までどうも有り難う。
 蒼さん、きっと幸せになってね。あなたがいつか結婚をして、愛する女性を幸せにする姿を想像しながら、少し焼き餅を妬いたりしたけど、蒼さんは、幸せになってね。いつか、愛する女性とふたりで、私たちが出来なかった夢を叶えて下さい。
 そして、これからは振り返らずに、蒼さんの人生を精一杯に生きて下さい。
 本当にどうも有り難う。私の魂は、いつまでもあなたを愛して、見守っていきます。
 髪の先まであなたを愛しています。
 どうか、あなただけは幸せになって下さい。
 愛を込めて。
 立花未来。

 最後はがたがたの字で、ここまで書いたことがかなり辛かったことは、容易に想像が出来た。
 涙が滲んで、彼女の字が余計に歪んで見える。僕は、愛しさの余りに、未来が書いた字を、一文字ずつ丹念になぞった。
 外から優しい風が吹いたような気がした。アルーラに新たな客だ。僕が扉に向かって視線を這わせると、そこに現れたのは、桜塚歌劇のトップスター月影葵さんだった。
「こんにちは、あら、蒼さん」
「こんにちは」
 珍しく取り巻きがいないらしく、葵さんはひとりだった。花組のトップスターも、やはりひとりになりたい時があるのだろう。
「ここ、いいですか?」
「どうぞ」
 僕が言うと、彼女は僕の向かい側に腰を下ろそうとして、未来に気付いた。
「あれ? これは…」
「未来です、葵さん」
 葵さんは一瞬驚いたようだったけれども、直ぐに微笑んで頷いた。
「…遺灰です」
「…そう。だったら私も彼女とご一緒させて貰おうかな」
 葵さんもやはり未来を愛していたのか、灰壺を見るなり、愛しげに目を細める。よかったね、未来。大好きな葵さんが隣りに座ってくれているよ。
 葵さんはコーヒーを頼み、他愛のない話をする。途中で、藤村さんがコーヒーと、ケーキを二つ持ってきてくれた。
「未来ちゃん、モンブランが好きだったからね。これは俺からのサービスだよ」
「有り難うございます!」
 僕と葵さんは遠慮無く、藤村さんからの素敵なプレゼントを受け取る。
 モンブランは僕が一番好きなケーキで、未来と良く食べていた。アルーラのモンブランも、ふたりでよく食べた。
 味もあの頃と同じで、優しいマロンの味がする。
 葵さんもいて、藤村さんもいるのに、君がいない…。
「…きっと、彼女も一緒に食べているよ。美味しいってね」
「そうですね。口の周りをマロンクリームでいっぱいにして」
「そうそう」
 僕らはモンブランを食べ終わるまでの間、微笑みながら未来のことを話した。
 穏やかな午後の日差しとアルーラの雰囲気が、僕らに温かな時間をもたらしてくれたのかも知れない。
「じゃあ、私はこの辺で。これから東京公演のお稽古があるんだ」
「じゃあ、頑張って下さい」
 僕が言うと、葵さんは力強く微笑んでくれた。だが、その眼差しはどこか虚脱の色がある。
「もう、大劇場の端で一生懸命見て、応援してくれることもないんだね…」
 葵さんの眼差しは、じっと未来の遺灰に向いている。心に沈殿している悔しさが、葵さんの眼差しに涙をためる。
「さてと、行かなくっちゃ。こんなことをしてたら、あの子は絶対に叱るだろうからね」
「そうですよ。ずっと、葵さんを応援していますから、未来は…」
「うん」
 返事をした時の葵さんには、もう屈託はなかった。戦場に出る力強さのようなものが、見受けられる。
「じゃあまた、望月さん。今度こそ、私の主演舞台の衣装デザインを担当してよね!」
「はい!」
 手を上げてスマートに立ち去る姿は、やはり天下の桜塚歌劇花組トップスターたらんとした貫禄がある。
 僕は微笑んで葵さんを見送った後、少し冷めてしまったカフェオレを一気に飲み干した。
 飲み干したカフェオレは、ほんのりとした甘さと、どこか苦みがあった。

   *

 アルーラを出た後、僕は未来を連れて色々な場所に足を向けた。
 ふたりで通ったケーキショップ、そしてデザイン画を一生懸命考え、資料を集めた図書館。
 どこにもかけがえのない想い出が詰まっていて、僕をうっすらと重たくする。
 ほんの僅か前まで、君が明るく笑っていたのに、きみが傍にいたのに、今はどれだけ願ってもいないなんて。
 君とよく歩いた花の道を行くと、前から見馴れた顔が歩いてくるのが見えた。
「ああ、あんさんは」
 僕が声を掛ける前に、彼が口を開いた。中家翔馬。未来を散々苦しめた、地上げのヤクザだ。
「久しぶりやな…。風の噂で、あの子が死んでしもうたことを聞いたわ」
 僕は彼には余り良い感情を持つことが出来なかったけれど、だけど空を見上げた中家翔馬の寂しそうな瞳だけは、印象的だった。
「人間はな…、遅かれ早かれ誰でもいつかは死ぬもんなんや…。あの子はそれが、ちょっと早く来てしもうただけなんや…。ただな、元気やと、普段は忘れるようにしとるか、考えんようにしとる…。そうやないと、怖くてしょうがないからな…」
 中家翔馬はひとりごちると、大きな溜息を青空に向かって吐く。彼は彼なりに、未来がいなくなってしまったことを悼んでいるように思えた。
「ほなな、いぬわ」
 彼は僕に向かって大きく手を上げると、ぶらぶらと駅に向かって歩き始めた。
 本当に今日はよく、未来と関わりのあった人々と顔を合わせる。きっと僕の腕の中にいる未来が引き寄せているのかも知れない。
 僕はそのままチェリーランドに向かう。もう夕方近かったが、どうしても観覧車に未来を連れて乗りたかった。
 チェリーランドは、再開発によって取り壊しが決まっている。ノスタルジックな遊園地も、やはり時代の波には勝てない。
 テーマパークなどに押され気味になり、最近、閉鎖を決定したのだ。
 チェリーランドは僕の実家が持っている。だが、いくら抗議しても勘当息子の言うことになんて、あのワンマンな親父が耳を貸すはずがない。
 僕は入り口でチケットを買い求め、閉園間際の園内に入る。足は真っ直ぐと、観覧車に向かっていた。
 僕は、未来と一緒に観覧車に乗り込んだ。
 彼女の意識が無くなる直前にも、こうやって観覧車から桜塚の夜景を眺めた。あの時の夜景を僕は忘れない。
 きらびやかでどこか切ない香りのする夜景は、僕を幼い頃の戻してくれた。
 そして今。夕焼けの桜塚の空を、たったひとりで見つめる。きっと隣りには、ロマンティックな顔をした未来が、楽しそうにしているのに違いない。
 薄紅色に染まった空は、紫色から闇の色に変化を遂げていく。僕は、視線を動かさずに、ただ見つめていた。
 未来との想い出の風景を、一つずつ瞼に焼き付けて、決して忘れることがないように。
 彼女との想い出をモチーフにして、素敵なデザインを起こすことが出来ればと、僕は思わずにはいられない。
 およそ20分の空中散歩を終え、僕が観覧車から出ると、家路を促す蛍の光が、園内で鳴り響いていた。
 少し寂しそうに疲れた足取りで帰宅する、カップルや家族連れを見つめる。
 ここに僕らもいるのだという幻想を描いて、僕はチェリーランドを後にした。

   *

 一体、君を何処に連れて行けばいいのか。僕は考え倦ねていた。
 日が沈んで、散りかけの桜が無常観を表している、桜の丘に僕はひとり立っていた。
 ここには想い出が詰まりすぎている。
 未来と初めて出逢ったのも、キスをしたのも、彼女を看取ったのも、全部この場所でだった。
 沢山の想い出が詰まりすぎて、想い出して辛くなるから、今までは敬遠していた場所だった。
 今日は僕ひとりでこの場所に腰を下ろして、桜塚の街を眺める。
 横にいる遺灰を見つめ、僕はそっと撫でた。
「ねえ、未来。君は何処で眠りたいんだい」
 お兄さんやご両親が眠る場所がいいのかもしれない。
 そこまで考えて立ち上がったところで、美しい月が見えた。少しのかけのない見事な月だ。
 満月  僕のデザインネームと同じ望月。
 ふと、僕の耳に彼女の在りし日の声が無邪気に蘇ってきた。

『蒼さん、”願わくば花の下にて春死なん。その如月の望月の頃”こんな句を知っている?』
 未来は明るく言い、美しい月を眺めていた。丁度十五夜の日、僕らはこの場所で月を愛でていた。
『知ってる。西行法師だよね。満月の桜の咲いた夜に死にたいって、そんな句だったよね』
 僕がいつか習った教師の受け売りの言葉で言うと、未来はその通りとばかりに微笑み、また月を見つめた。
 じっと月を眺める未来は美しく、透明感があって、まるでこの世のものとは思えない美しさがあった。
『そう…。桜の丘ってね、私にとっては特別な場所なの。私はここで捨てられていて、近くの養護施設に引き取られた。ここでお兄ちゃんを看取って、そして、蒼さんと出会った』
 僕の名前を彼女は愛情を込めてたっぷりと呼んでくれると、にっこり優しく微笑んでくれた。
 その笑顔が儚くて、僕は無意識にあの細い躰を抱きしめる。どこかへ行ってしまうような気がして、僕はしっかりと温もりを肌に刻みつける。
 天女のような危うさが、未来にはあった。
『苦しいわ…』
『ごめん』
 僕が少し腕の力を緩めると、未来は優しく笑う。あの透き通るような笑みを、僕は今でも忘れることが出来ない。
『蒼さん…。ここでずっといられたらいいな。あなたと一緒に、桜の丘で家を建てて暮らすの! 月を見ながらあなたと綺麗な桜を見上げる…。私の夢だわ…』

 あの時、未来は近い将来にこうなることをどこか予想していたのかもしれない。
 僕はフッと微笑むと、未来の入る灰壺をなぞる。
 君の夢を叶える時が来たようだよって、僕は心の中で囁いた後、まるで壊れ物を扱うように未来を持って立ち上がった。
「君の願いを叶えるよ!」
 僕は、未来の灰壺の蓋を丁寧に開けると、それを持って桜の丘を駆け抜けていく。
 様々な想い出が去来する。だが僕は不思議と幸福だった。
 未来の灰を桜の丘に撒き散らすと、闇の中で星くずのように光ながら桜の丘の周りを漂う。
 僕の星の王女様には、ぴったりの結末のように思えた。
 灰を巻き終えると、僕はどこか清々しい気分になれた。
 ここに戻ればいつでも未来に逢うことが出来る。ここでいつでも未来が僕を見守ってくれる  
 ようやく新たな一歩を踏み出せるような気がした-----

「…月先生、望月先生!!」
 何度か名前を呼ばれて、僕はようやく気が付いた。顔を上げると、スタッフが少し焦ったような表情をしている。
「先生、カーテンコールですよ! 全く”桜天使”は、大絶賛を浴びていますよ! ステージへ!」
 スタッフに促されてステージ口に出ると、大勢の美しいモデルが僕を囲んでステージへと誘ってくれる。
 今でも僕にとっての最高のモデルは、未来しかいない。きっと、彼女以上に僕の服を着こなすことが出来る者なんて、いやしない。
「先生!」
 ライトが凄くて、一瞬、目を眇めると、その先には羽根の生えた僕だけの桜天使が、手招きしているように見えた。
「蒼さん、こっちだよ!」
 もう一度、目をしっかりと開けると、そこにはもう僕の天使はいなかった。
 僕は自嘲気味に笑いながら、モデルたちに頷いてステージに出る。
 客席はスタンディング・オベーションで僕を出迎えてくれている。そこには、見慣れた顔があった。
 古賀さん、相馬先生、そして月影葵さんもいる。誰もが、僕のデザインに未来を重ねているのが判る。
 僕のデザインの中に、滲んだ淡い懐かしさを探してくれているような、そんな眼差しをしていた。
 僕は精一杯の有り難うを込めて、声援に応えるように手を上げた----

        THE END
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夏コミで出した同人誌の再録です。



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