OURBABY WILLCOME


「もうすぐ、行くよ、幸せにしてね」
 日差しが柔らかくなり始めた秋の午後、うとうととしていると、柔らかな声を聞いたような気がした。
 最近、躰の調子がイマイチ。
 うとうとすることも多くて、在宅でしている英文学の翻訳仕事もなかなかはかどらない。
 こんな事を言えば、きっと隼人さんは驚いて、直ぐに診察をするだろう。だが、凄くだるいというのではなく、何となく躰が鈍いと言った感じだった。
 だから、隼人さんにはまだ言っていない。心配かけたくないから。
 時計を見ると、良い時間だったので、私は夕食の準備にかかることにした。
 隼人さんは以前は”美容整形外科”を経営していたが、今は、そこを小さな外科病院に変え、多くの患者さんを救っている。
 やはり彼には外科医が合っていると思う。
 今日は大学病院での頼まれたオペが午後からあるけれども、その後は真っ直ぐ家に帰ってきてくれるだろう。
 今日のメニューはロールキャベツ。隼人さんが喜んで食べてくれる姿が早く見たい。
 隼人さんの世話は、付き合っている時から色々やいてきたけれど、私は、ご飯を食べる時の隼人さんの微笑みが一番好き。
 本当に美味しそうに食べてくれるから。
 気分が悪いからって、そんな素敵な笑顔を見逃すのは、本当に勿体ないって思うから。
 私は今日も隼人さんの素敵な笑顔を見たくて、ご飯作りに励む。
 いつものようにお米を研ぎ、炊きあげながら、夕食の準備をする。
 隼人さんのために料理をするのも大切な私の仕事。誰にも譲れない。
 特に新婚だからかかなり楽しい作業だ。
 煮込むだけまで準備をした後、なぜか吐き気が催してきた。
 ご飯が炊きあがる香りを嗅いだだけで、ひどく気分が優れなくなった。胃がかなりむかつく。
 私は直ぐに洗面所に駆け込み、そのまま戻してしまった。こんなに気分が悪いのは本当に久しぶりかもしれない。
 心の中で、隼人さんに助けを呼びながら、私はリビングのソファに横になるしかなかった。
 ここにいれば、隼人さんが帰ってきても直ぐに気付いて上げることが出来るから。
「…隼人さん…、早く帰ってきて…」
 今手術をしているだろう、私の愛おしい男性に私は切なくSOSを出す。

 いつしか、とても心地よい微睡みに身を委ねていた。
 眠っていて隼人さんが帰ってきたことには、まったく気づかなかった。
「未来…」
 切なく心配そうな隼人さんの声に、私はようやく目を開けることが出来た。
「…お帰りなさい…」
 自分で起きようとしたら、隼人さんが私を抱き起こしてくれる。
 背中に当てられた手が酷く優しくて心地がよい。
「あのね、ご飯作ってたら、急に匂いで気分が悪くなっちゃって」
 私が言うと、隼人さんは眉を寄せて表情を曇らせる。
 隼人さんはいつも私の体調管理には酷く敏感で、本の小さな事でも、きちんと診察をする。
 過保護だと思うけれども、それだけ愛されていると今は思っている。
 そんなところも私は大好き…。
 本当に愛してやまない男性…。
「匂いで? その他症状は?」
「だるくて、眠いの…」
 一瞬隼人さんは考え込んだように目を伏せた後、私の頬を優しく撫でる。指先から愛を感じてとても温かい。
 彼はふと意味深な眼差しを向けてきた。
「…未来。最後に生理が来たのはいつ?」
 単刀直入に聞かれて、私は真っ赤になる。それと同時にはっとした。そう言えば忙しくて忘れていたが、ここ1月半は来ていない。
 私にもひとつの可能性が閃く。
「そう言えば…ひとつき以上来ていない…」
 言った瞬間、隼人さんの眼差しは優しく温かくなった。
「子供を授かったかもしれないね…。僕は専門外だから、詳しくは明日診てもらわないと判断出来ないけど…、多分そうだと思う。子供出来ても、おかしくないからね」
 くすりと隼人さんが甘く微笑み、私は僅かに頷いた。
 彼のの言葉に私は確信する。きっとそうだ。今日聞いた懐かしい声は、ひょっとして生まれてくる子供の声だったかもしれない。
「きっとそうよ! 隼人さん」
 私は満面の笑みを隼人さんに向けると、嬉しさの余り愛する夫に抱き付いた。
「明日、僕も一緒について行くから、大学の産婦人科に行こう」
「はい」
 私ははにかんで頷くと、隼人さんの肩に顔を埋める。
「…嬉しい…。隼人さんの赤ちゃんが出来たなんて…」
「まだ。特定は出来ていないけれどね。もし判ったら、明日はふたりでお祝いしようね」
「うん!」
 私は明日のお祝いのことを考えると、凄く気持ちがうきうきしていて、気分が悪いのを忘れてしまった。


 翌朝。
 私は隼人さんに連れられて大学病院に行って貰った。
 彼はかなり過保護で、待っている間も、じっと私の手を握りしめてくれる。
 それがまた心地よい。
 誰もが、こんな私たちを見れば「バカな夫婦」と思うかも知れないけれど、私は自分が幸せなんだから、それで良かった。
 周りなんて関係ない。
「-----相馬未来さん」
「はい」
 名前を呼ばれて、私は診察室に向かい、妊娠検査を受ける。
 尿検査をして、血液検査、そして、先生の診察。
 様々な検査をした後、隼人さんも呼ばれて、結果を聴くことになった。
「おめでとうございます、相馬先生。奥様は妊娠されていますよ。予定日は、3月の30日。桜が美しい季節ですね」
 産婦人科医の先生はにっこりと微笑んでくれた。
 私たちは本当に嬉しくて、手を取り合って喜ぶ。
 桜の季節に赤ちゃんを産めるなんて、こんなに嬉しいことはない。
「市役所に行って手続きをして下さいね。後は定期検診も必要ですから、また、予約を取って来て下さい。先生は、立ち会うことしか考えていらっしゃらないと思いますが、ちゃんと立ち会えるように手配しますから、安心して下さい」
「僕は立ち会うことばかり考えていた訳じゃ…」
 隼人さんはそんなことを言っていたが、結局は、それしか考えていなかったのは、少し赤くなった彼の目で判った。
「じゃあ、これから頑張っていきましょう。相馬先生も、父親学級頑張って下さいね。まあ、先生はそんなことを言わなくてもさぼることはなさそうですけれどね」
「そんなにからかわないでくれよ」
 隼人さんは苦笑する。
 まあ、からかわれても仕方ないかも知れない。だって私たちは、先生から妊娠の事実を聞くまで、ずうっと手を握り合っていたのだから。

 晴れやかな気分で病院を出て、私たちは街に向かって車を走らせる。
「当座に必要なものを買いに行かないとね」
「まだ、そんなに必要なものはないわよ?」
 私が気の早い隼人さんにくすくすと笑うと、彼は少し拗ねたような表情をした。
「ちゃんとね、準備しておかないといけないものがあるだろう? マタニティドレスとか、ぺったんこの靴とか、お腹を締め付けないものとか…」
 隼人さんが言ってくれたのは、全部私に関するものばかりだった。
 それが嬉しくて溜まらなくて、私は隼人さんの肩に頭を付けて甘える。
「有り難う…。隼人さん…」
「あくまで僕は君が一番大事だからね…」
 意味深に呟いた後、隼人さんは信号待ちの間の一瞬に、甘いキスをくれた-----

 市役所で手続きをして親子健康手帳を貰うと、本当に母親になる実感が湧いてくる。
 ”相馬隼人・未来”と書かれた名前も、どこかくすぐったくて嬉しかった。
 その後デパートで当座に必要なものだけを買って、今度はお祝いの場所に向かう。
 アルーラだ。
 私は、幸せを噛みしめながら、隼人さんをじっと見つめる。
「-----有り難う。これから、頑張るね。お母さん業も」
「そうだね。きっと子供が生まれて来る頃は桜が見事だろうね…。名前は女の子だったら前言ったように”さくら”にしよう」
「うん!」
 さくら------
 私たちにとってはとても特別な名前。
 私は本当に幸せで、隼人さんに再び甘えるように、肩に頭をもたれさせた------

 早く生まれておいて…。
 パパとママは待っているからね?
 
コメント

3月のペーパーに加筆したものです。
幸せすぎるふたり




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