「まさか、樋口さんがスタイリストで来るとは思わなかったです〜!」 イベントに参加するモデルに、俺は曖昧に笑って頷いた。 このモデルは、俺が何度か雑誌のヘア・メイクページで担当したことのある女の子で、今、人気が急上昇している。 確かに可愛いとは思う。 だが、全く惹かれない。だって俺は、美優以上に綺麗だとか、可愛いだとか思える女性はいないと思っているから。 「生憎俺は君の担当じゃないんだ。今日は大切な知人のために、サポートをしに来ただけだよ」 「なんだ〜」 そう。 今日のイベントは美優にとってはとても大事なもので、彼女のキャリアに明るい未来が開けるかがかかっている。 そして、俺にとっても大切なイベントだ。 美優がイベントを成功した暁には、プロポーズをするつもりでいる。結婚をしても、子供が出来ても、彼女が一番好きな今のキャリアを歩んでいけるようになるには、今日のイベントが礎となるはずだから。 だから俺はサポートを惜しまない。 このイベントで、美優がいっそう羽ばたいていけるように。 世間ではカリスマだとか言われているが、そんなことは関係ない。俺は一スタイリストだ。目立たず、かつ、素晴らしく、美優の役に立つつもりでいるからだ。 だから今日は目立たず、美優のイベントに花を添えられたらそれでよい。 それに、俺は美優が働いている姿を見るのはとても好きだ。 本当に、どんな宝石よりもなによりも綺麗だからだ。 今も色々準備に奔走しているのが見える。それを横目で見ながら俺は、今日のヘアスタイルにかける。 商品よりも目立たずに、しかも素敵だと言って貰えるヘアとメイクを、俺が持てる力総てで表現するだけだ。 美優がこちらにやってきた。 頬を染めて嬉しそうにこちらに歩いてくるのは、きっと私情が含んでいるからだと思う。 「モデルさんたち、みんな凄く素敵です。有り難うございます!」 美優は、俺の他にいるスタイリスト全員に対して、深々と頭を垂れた。 「本当に綺麗です」 溜め息混じりに美優は言っているが、俺にとっては君が一番綺麗だよ。 このイベントのために、悩んだり、泣きそうになったり、ギリギリまで頑張ってきた君だ。 俺は一番近くでその様子を見ていたからこそ、今日のイベントが成功して欲しいと願わずにはいられない。 世界で一番綺麗で大切な君のために、俺は出来る限りのことをしてあげたいから。 「モデル準備OKです」 「はい、有り難うございます!」 駈け出してきた君の視線と、お蓮の視線が一瞬絡まり合う。 ふたりだけが知っている言葉が不要な、愛コンタクトだ。 「それでは皆さん、スタンバイをお願いします! スタイリストの皆様、お疲れ様でした!」 モデルたちと慌ただしく出て行く君を視線で追いながら、俺は仕事道具を手早く片付けだした。 「流石は樋口さんですね。その手の動きに、俺感動してしまって、なんか背中を押されたような気分で一生懸命出来ました!」 スタイリストのひとりが俺に声をかけてきてくれた。正直、悪くない気分だ。 俺のスタイリストとしての腕が認められたような気分はして、心地良い。 「有り難う。君も頑張って」 俺は素直にそういえた。 これも、きっと、美優のお陰かも知れない。 俺は舞台袖で、ステージイベントの様子を観察した。 モデルたちのスタイルが崩れたら直すのが目的だが、本当は、美優が大車輪ぶりを発揮している様子を見たかったからだ。 モデルのスタイルは崩れることはなく(勿論俺がスタイリングをしたのだから当然)、俺は最後まで美優の働く様子を眺めていられた。 大盛況のうちにイベントが終わり、誰もがホッと肩から力を抜いている。 美優は達成感に満ちて笑顔でいたが、その顔色はいつもと違って悪かった。 これでは打ち上げまで持たないだろう。直ぐにうちに連れて帰らなければ。俺は注意深く美優を見た。 「春日さんお疲れ様でした!」 「春日、お疲れ!」 誰もが美優に声をかけ、誰もが拍手をする。 「…あ、有り難うございます…」 美優はホッとしたのか瞳に涙を浮かべながら、頭を下げようとした。 その時だった。 「あ…」 美優は不意に躰を揺らし、そのまま倒れ込む。 「美優…!!」 俺は夢中で美優に駈け寄り、何とか、華奢な躰を腕で支えることが出来た。 「美優!? 美優!?」 何度か声をかけたが、美優の睫が僅かに揺れるだけで反応しない。 最近、かなり無理をして頑張っていた。だから、疲れが溜まっていたのだろう。 だが過労以外の病気だったら? 俺のこころにどす黒い感覚が重くのしかかり、即座にその考えを打ち消した。 「済みません、直ぐに救急車を呼んでください。病院には俺が着いていきますから」 「解りました」 スタッフが慌ただしく動いている間、俺はずっと美優を抱きしめていた。 華奢で柔らかな躰。 世界で俺が一番識っている躰。 無理をさせていたのだろうか? それ以外の要因があるのだろうか。 頭の中をぐるぐると嫌なものが巡っている間に、救急車がやってきた---- 救急車に乗るなんて初めてで、ましてや愛する女性の付き添いだなんて、心臓に悪い経験だった。 病院に着き、美優が診察を受けている間、俺にはとてつもないGがかかっていた。 今まで経験をしたことがないほどのGだ。 長いすに座ってもいられず、かといってうろうろすることも出来ない。 神様。どうかただの過労でありますように。 美優にもし何かあれば、俺はきっと生きてはいけなくなる。 診察室から医師が出てきて、俺は思わず駈け寄った。 女性の医師だった。 「あなたが、春日さんの付き添いの方?」 「はい」 「旦那さんかしら?」 「…まあ、婚約者と言うか…」 美優に無断で名乗ったので俺が口ごもっていると、医師はにっこりと微笑んだ。 「過労もありますが、彼女が卒倒したのは別の原因ね」 俺は心臓を医師にわしづかみされているのではないかと思うほどに緊張し、息を止める。 もし、美優になにかあったら…。 背筋に瞬時にして、氷の剣を宛がわれたような気分になる。 「…おめでとうございます。妊娠三ヶ月ですよ。若いパパね」 妊娠三ヶ月。 俺は一瞬惚けてしまうのと同時に、緊張がへなへなと抜けて行くのを感じた。 美優が俺の子供を身ごもってる? 噛みしめるように思うと、歓びが今度は猛スピードで躰を駆けめぐってくる。 美優がプロジェクトを任された頃から、俺は避妊をしなくなった。 こんなに早く愛の結晶が出来るなんて思わなかったが、素直に嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて堪らなかった。 「少し休んだら、お帰りになって大丈夫ですから。あと、ちゃんと、定期検診を受けることと、余り無理をさせないように」 「はい、有り難うございました!」 俺は診察室に直ぐにはいると、ベッドに横たわる美優に近付いた。 美優は俺に気付いたのが、ゆっくりと目を開ける。 「…和人さん…」 「過労だって。それとね…」 俺は幸せを隠しきることが出来なくて、にやけた顔で美優の顔を覗き込む。 君はこれでずっと俺のものだ。永遠に。 「…妊娠三ヶ月だって…。俺たちの赤ちゃんが君のお腹の中にいるんだよ」 「え…?」 君も一瞬俺と同じように惚けたような顔をした。そして、じわじわと微笑んでいく。その瞳に涙を滲ませて。 「…結婚しよう」 俺は美優の小さな手をしっかりと握りしめると、その指にキスをした。 俺が塗ったマニキュアで輝く指を。 「和人さん…」 「本当は、イベントが成功したらプロポーズするつもりだったんだ。だから、ほんの少し早くなっただけ。うちに帰ったら、ちゃんとエンゲージリングもあるよ」 そこまで言うと、美優は肩を震わせて泣き出し始めた。 流石にどうして良いか解らずに、俺は美優の柔らかな躰を強く抱いた。 「どうしたの?」 「…嬉しいの…。もの凄く嬉しいの…。私、和人さんのお嫁さんになります…」 「うん、有り難う…」 俺は唇で美優の涙を受け止めた後、唇に触れるだけの甘い誓いのキスを贈った。 深いキスをしたら、自分を抑える自信はなかったから。 「樋口美優になるんだよ?」 「うん。…はい、樋口美優になります…」 「良い子だね…」 俺は美優をしっかりと抱きしめると、その髪を撫でた。 イベントが成功し、子供が出来たと解った日。 きっと俺はこの日の幸せや感動を忘れないと思う。 「…君のお腹が目立つ前に式を上げないとね」 「…はい…」 俺は美優の綺麗な髪に口づけると、想いを込めてつぶやいた。 「…有り難う…美優…。幸せにするよ…」 |