*ヴァレンタイン前の・・・*


 離れ離れになっていた時間があるから、直ぐに視線で追ってしまう。
 以前は、自分が背中を追われていたはずなのに、今はその華奢な背中を追ってしまっている。
 今も、一足先に階段を下りる望美を、将臣は眩しく見つめていた。
「将臣くん、男子は次の授業、クッキー作るんだって? 面白いよね。私たちはチョコレートを作るんだよ」
 望美は髪をかき上げながら、楽しそうに笑っている。笑っているところから、きらきらと輝く粒が空気に溶け出しているように見えた。
 ドキリとする。
 最近、一瞬、一瞬の仕草がとても綺麗で、将臣のこころを揺るがせる。
 いつからこんなに綺麗になってしまったのだろうかと思うほどだ。
「ねえ、将臣くん」
 振り向いた望美に、またこころがかき乱される。振り向いた仕草すら、スローモーションに見えた。
 視界がおかしいと思いながら、将臣は何度も目を擦ってしまう。
「聴いてる?」
「あ、ああ。聴いてる」
「クッキー出来たら私に頂戴ね。メッセージカードも付けてよ」
 望美は小さな頃から変わらない笑顔を浮かべて、背伸びをしながら言う。その姿がとても愛しい。
「ああ。面倒くせぇけど、やるよ。しょうがねぇから」
「その代わり、私が作ったチョコレートをあげるから」
「そ、それは遠慮する」
 将臣が後ずさりをしながら大げさに首を振ると、望美は頬を大きく膨らませた。頭の天辺からは、湯気が出てしまうような勢いだ。
「ちょっと! 将臣くん! それはひどいじゃないっ!」
 望美が技をかけようと手を上げたところを、将臣は笑いながらひょいと除ける。
「もうっ! 知らない」
 望美はすっかり拗ねてしまうと、将臣に背中を向けて、まるでステップを踏むように下りだした。
「砂糖と塩を間違えるなよ」
「そんな古典的な間違いするわけないじゃないっ! もう良い! 出来たチョコレートは譲くんにあげるから良いもんね」
 望美がすっかり拗ねてしまい、将臣を見ようともしない。
 将臣はいつもの拗ねた望美を可愛いと思いながら、笑ってその後ろに着いていった。
 不意に、望美のァらだが揺れる。
「きゃああっ!」
 断末魔のような叫び声と供に、望美の躰が一瞬、将臣の視界から消えた。
 将臣の背筋に冷たいものが流れるのを感じながら、望美に腕を伸ばす。
 視界に望美が見えない。
 それだけでこころが激しく乱れた。
 この時空に還り、元の姿に戻ってからいつもそうだった。
 望美がいなくなるだけで、言いようがない不安にさいなまれる。
 今も不安でしょうがなくなる。
 将臣の腕は、望美が階段から滑り落ちる寸前でしっかりと捕らえていた。
 望美の温もり、柔らかな躰に力が入る感覚が腕に伝わる。
「あ、有り難う」
 望美は相当恐ろしかったらしく、心臓を激しく刻みながら将臣を見つめてくる。
 将臣もまた、望美よりも早い速度で鼓動を刻んでいた。
 望美の優しくて甘い温もりが、将臣のこころに下りてくる。
 心臓の切ない痛みを、ゆっくりといやしてくれるような気がした。
 離したくない。
 望美をしっかりと捕らえている腕に、将臣は更に力を込めた。
「…将臣くん、もう大丈夫だよ。落ちないから」
 離したくない。
 将臣は誰が来ようがそんなことは全く問題にならず、将臣は望美をじっと片手で抱いたまま離さなかった。
「…暫くじっとしていてくれ…」
「将臣くん…」
「…お前が何処かへ行ってしまうかと錯覚した…」
 将臣は強がらずに、逢えて、自分のこころに素直につぶやく。
「どこにも行かないよ。どこにも。将臣くんがどこかに行かない限り」
「行くかよ、もう二度とな」
「うん…」
 望美は優しく微笑んで頷くと、将臣の手をギュッと握りしめた。
 チャイムが鳴る。
 タイムリミットだ。
 将臣は切ない喪失感を感じながら、望美の躰から腕を外す。
「クッキー楽しみにしてるよ」
「お前のチョコレートもな。譲にはやるなよ」
 少し嫉妬を滲ませた声でつぶやけば、望美の表情は明るい笑顔になる。
「当たり前じゃない」
 望美は明るく言うと眩しいほどに輝いた笑顔をくれた----





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