バレンタインは甘くて素敵な魔法の時間。 知盛にもこの素晴らしくもロマンティックな時間を知って貰いたい。 けれども、知盛はロマンティックな時間など、余り興味はなさそうだ。 望美は、知盛のアパートのキッチンでホットチョコレートを作りながら、バレンタインにむけての作戦を練っていた。 先ずはチョコレートが美味しいものであることを知らせるために、先ずはビターなホットチョコレートを知盛に出した。 マグカップに入った黒い液体を見るなり、知盛は眉間に皺を寄せる。 「…なんだ…、これは?」 「ホットチョコレートだよ」 「…人間の飲み物か…?」 「美味しいよ」 「…浄土を見そうだ…」 知盛が冗談ではなく、本気で呟いたのは明らかだった。 「失礼ねっ! 甘くて美味しいし、それに、お湯を注ぐだけだから誰にも簡単だもんっ!」 望美は頭の先から湯気を出して怒った。 誰もが、望美の料理に戦慄を覚えるようなことを言っているが、望美自体はそんなに料理の腕は酷くはないと思っている。 家庭科だって、立派に「3」を貰っているのだから。 これはペーパーテストと、合同実習のお陰だが。 「良いから飲んでよ。美味しいよ」 知盛は確認をするように、マグカップを見てから、恐る恐る口付けた。 ひとくち飲むなり、知盛はカップを置く。 「…甘い…。別の意味で浄土を見た気分だ…」 知盛は呻くように呟くと、直ぐにキッチンに向かい、ミネラルウォーターを口にした。 「…お前、こんなに甘いものをよく飲めるな…」 「甘くて美味しいよ」 「…甘いものは苦手だ…」 知盛は溜め息を吐くと、またミネラルウォーターを注ぎ込んだ。 「…じゃあさ、これはどうかな? ドリンクだと甘いけれど、ビターな味の板チョコなら、食べられると思うよ」 望美はスーパーの袋からビターチョコレートを取り出し知盛に手渡した。 「…さっきのと親戚なら、御免被る…」 「親戚だけれど、こっちのほうが断然美味しいよ。お酒のつまみに使う場合もあるし…。まあ、知盛は、日本酒が好きだから、あんまりおつまみ感覚はないかもしれないけれど…」 望美が渡したとっておきのビターチョコレートを、知盛は眉間に皺を刻みながら受け取った。 「ひとくち食べてよ」 「…甘かったら責任取れよ…」 先ほどのホットチョコレートで余程懲りたのか、知盛は疑い深くなっている。 板チョコのパッケージを強引に開けると、ひとくちだけ囓った。 今度は直ぐにミネラルウォーターを飲むこともなく、眉間の皺も少なくなる。 「これなら大丈夫でしょ?」 望美がドキドキしながら恐る恐る訊くと、知盛は軽く溜め息を吐いた。 「先ほどよりもマシだってことぐらいだな…。…俺好みではない…」 知盛はチョコレートを望美に差し出すと、ミネラルウォーターを飲む。 「残りはお前が何とかしろ…」 知盛は口直しとばかりに、煙草を自分の唇に押し込めた。 「…どうして、そんなに無理をして俺に、そのチョコレートやらを飲ませたり…、食べさせたり…、するんだ…?」 「あ、あのね、えっと…、もうすぐバレンタインっていうお祭みたいなのがあってね」 望美はしどろもどろになりながら、知盛に一生懸命説明をする。 「ばれんたいん!?」 「うん。女の子から男のひとに告白が出来る、まあお祭みたいなもので、その時にチョコレートを贈るんだよ。たっぷりの愛を込めて。本命チョコレートには気合いを入れて、季節のまあ挨拶のような義理チョコって言われるものには気合いを入れずにやるんだ」 「…まあ…、要は、お前はその祭りで、俺にチョコレートを食べさせたいってことだな…」 怜悧な知盛は直ぐに説明の趣旨を理解してくれる。このあたりの頭の回転の良さも、望美が好きなところだった。 「だからね、リキュールとか入れたチョコレートを作ろうと思ってるから、知盛にも食べて貰いたいなって…。だから、チョコレートにも馴れて貰おうかと思ったんだよ」 「バレンタインか…」 知盛は望美の話を聞きながら、気怠そうに髪をかきあげる。 「…その代わり…見返りはあるんだろうな…?」 「見返りっ!?」 知盛に何を言われるのかと、望美はドキドキする余りに声をひっくり返す。 「…まあ、見返りを楽しみに…バレンタインとやらを楽しみにしてやるよ…」 「だいたい見返りなんて有り得ないのに…」 くつくつと喉を鳴らして笑う知盛を恨めしく思いながら、望美は上目遣いで見上げた。 「み、見返りなんて、期待したっても、良いものなんか出ないからね」 望美が強がってみせると、知盛は余計に楽しそうに笑う。 「はい、はい」 知盛はまるで自分が優位なゲームを進めているかのように、楽しそうだった。 「知盛だってちゃんとチョコレートを食べられるように努力して貰いますからね。食べなかったら、他のひとにあげちゃうから」 僅かに知盛の眉が上がる。 「…そんなこと…、お前に出来るとは思わないがな…」 「そ、そんなことないもんね!」 強がっていると、知盛は挑戦的なまなざしを望美に向けて来る。 「…やれるなら…やってみろよ…。お前が何をしようとしても…、俺が力づくで阻止してやるさ…。お前は俺のものだからな…。こっちに来たときから…、それは決まっていたことだろ…?」 魅惑的な薄い笑みを浮かべられると、望美も抵抗が出来なくなってしまう。 知盛に笑みには、魂を吸われてしまうような危険な魅力がある。 望美はその笑みに溺れないように理性にしがみつくと、知盛を挑戦的に見つめた。 「…だったら、知盛も本命チョコレートを受け取らないでよ。本当は私以外の誰からのチョコレートも受け取らないで欲しいもの。だって、あなたは私のものだから」 言葉にするのは些か恥ずかしかったが、望美は凛とした態度で言い放った。 「了解…。肝に銘じておこう…」 知盛は嬉しそうに呟くと、憎らしいほどに魅力的な笑みを浮かべた。 「…チョコレート、ちゃんと作るから、食べてね」 「…食べ方は決まっているだろう…?」 「どうやって食べるのよ?」 知盛は冷たくも魅力的に笑うと、望美に顔を近付けていく。 「…決まってる…。こうだろう…?」 知盛は目を閉じると、ゆっくりと望美の唇に、自らの唇を重ねた。 「バレンタインの予行演習だ…」 知盛のキスはほんのりビターで、チョコレートよりも甘くて幸せながした。 |